14話
老人はにこにこと、穏やかな笑みを浮かべている。リリアナはへらり、と笑って、老人に言った。
「へえ。そりゃ、奢ってくれるっていうなら、ありがてえけどさ。与太話の代金にしちゃあ、ちょっとばかし高くつくと思うぜ?」
リリアナは、人の良さそうな老人を警戒している。
老人の手にする杖は、単なる歩行具ではない。そして何より、老人の気配は、只の人のそれではない。
魔術師の、それである。
ましてや知ってか知らずか、魔虫憑きについて聞いてくるのだ。只者であるはずがない。
「ん。儂ねえ、お話は置いといても、綺麗な女の子とお酒飲むのが好きなのよ。これホントよ?」
だが、老人はあくまでも飄々とした態度を崩さなかった。リリアナの警戒に気付いていない訳ではないだろうに、度胸があるのか、面の皮が厚いのか。
「はは。口の上手い爺さんだね。嫌いじゃないけど」
「うん。儂もあなたの事、好きよー。あ、おじちゃん。儂、この子とおんなじお酒ね。あとおつまみ適当になんかお願い」
老人が注文するのを聞いて、リリアナは少々、慌てる。
「おいおい、やめときなって、爺さん。これ蒸留酒だぜ?結構強いよ?」
「大丈夫。儂、お酒強いもーん」
老人はそう言って、カウンター越しに蒸留酒の瓶を受け取ってしまう。
更に、グラスになみなみと酒を注ぐと、かんぱーい、と、のんびりした声を上げつつ中身を干してしまう。
「おいし」
「そいつはよかったね、爺さん。あんまり無理すんなよ?」
「うんうん。心配してくれるなんて、おねーちゃん優しいのねー。綺麗で優しい子、儂、好きよー」
「ああそうかいそうかい……もう酔っぱらってるってんじゃないよなあ……」
すっかり調子を狂わされつつも、リリアナは一応、老人の相手をしてやる。持って生まれた性分なのか、どうにも、懐っこく話しかけてくる人間を無下に扱うことはできない。
「で、おねーちゃん。儂、蜘蛛女の話、聞きたい」
それが例え、奇妙にも魔虫憑きについて聞きたがる老人であっても。
「おい、リリアナ。戻るぞ」
「え、あ」
唐突に、オーガスがリリアナの腕を掴んで立たせる。
「自力で歩けるだろうな?」
「うん、まあ」
オーガスもまた、気づいていた。即ち、老人が魔術師であることも、魔術において、自分程度では到底歯が立たないであろうことも。
……この場で交戦して負けるつもりもないが、情報戦においては話がまた別となる。もしこの老人が敵であったなら、さぞかし厄介な相手だろう。そう考え、オーガスは撤退を決める。
「えー、帰っちゃうの?」
「あー、悪いな、爺さん。ちょっとばかし、やきもち焼きのツレでね」
「誰がやきもち焼きだ、この酔狂め」
オーガスは自分とリリアナの分の勘定をカウンターに置くと、リリアナを連れて出口へと向かう。
だが。
「いいの?多分さ、儂、おねーちゃん達が知りたいことも知ってるよ」
老人は、言った。
「魔虫、追っかけてるんでもないの?」
オーガスは、リリアナの腕から手を離すと、自分1人だけ、老人の前に戻る。
「話を聞こう。こちらが話すのはそれからだ」
「あらまー、随分ワガママなおにいちゃんだねえ。まあまあ、座んなさい。奢ったげる。儂、いつもなら男には奢らないんだからね。トクベツだかんね」
「結構だ。悪いが、敵か味方かも分からない相手に借りを作る趣味は無い」
「あらそ。ま、無理にとは言わない」
2人は席に着いて向かい合う。
オーガスは緊張感と警戒とを湛え、一方、老人は変わらずにこにこと笑っているばかりである。
「おい、いいのかよ、オーガス」
そこへリリアナも戻ってきて、今度はリリアナがオーガスの腕を掴む。
リリアナはどちらかと言えば猪突猛進気味な性質である。リリアナ自身としては、この老人から話を聞いてみたい気もする。だが、オーガスは先ほどまで帰ろうとしていたのだ。
……リリアナは、自身の直感を信じてもいるが、同時にまた、オーガスの知力をもまた、それなりに信じることにしている。
もし、冷静さを失って判断力が鈍っているのであれば、そこに水を差すのは自分の役目だろう、と、リリアナは思ったのだが。
「危険を冒す価値はあると踏んだまでのことだ。不安なら先に宿へ戻っていろ」
どうやら、聞くまでもなかったらしい。
「あんたがそう言うなら不安は無いよ」
リリアナもまた、その辺の椅子を引き寄せて適当に座り、老人と向き合った。
老人はそんな2人を見て、にこにこと笑う。
「あらまー、疑り深いのねー。まあ当然さね、こんな怪しいジジイ相手じゃ」
老人は、うんうん、と頷くと、オーガスに向き直る。
「じゃ、お話しようか」
「先程言ったが、先にそちらが話せ。その程度は当然、するつもりなのだろう?」
「強気ねー。うん、いいよ。何聞きたい?」
やや強硬にオーガスがそう言えば、老人はあっさりと頷いた。
オーガスは少々面食らいつつも答える。
「そちらが知っていること全てだ」
「うーん、そりゃあ、難しいねえ。なんせ儂、ジジイだから。無駄に長生きしてると無駄に色々知っちゃうからねえ、それ全部ってなると、一晩じゃ足りないねえ」
老人の言葉に、オーガスは顔を顰める。どうやらこの老人は、それなりに老獪であるらしい。
オーガス側から質問しろ、ということなのだろうが、質問をすれば当然、こちらの意図やこちらが知っていることを晒すことになる。
……どのみちどこかでは妥協しなければならない。だが、妥協は最小限にすべきだ。少なくとも、相手が『どちら側』なのかが分かるまでは。
「魔虫、と言ったな」
「うん。ゆった」
「ならば聞こう。『魔虫とはなんだ』?」
にやりと笑ってオーガスが尋ねれば、老人はにこにこと答えた。
「魔術だねえ。半分、実態のある魔術よ。それでね……寂しがりね」
「……は?」
なんとも抽象的な答えに、オーガスは面食らった。まさか、『寂しがり』などという説明が出てくるとは。
「へえ。寂しがり、ね。だから、人間に寄生したがる、ってことかい?」
言葉に詰まるオーガスの前に、リリアナが割って入った。
「そうそう。分かってるじゃないのおねーちゃーん」
「あはは。まあね。そうかあ、寂しがり、かあ……分からねーでもないなあ、それ」
……2人の会話が、オーガスにはまるで分からない。魔術師にしか理解できない感性なのだろうか。或いは、変人にしか理解できない感性、か。
大方後者だろう、と、オーガスは内心毒づきつつ、2人の様子を見守る。
「で、寂しがり、以外には?別に詩人になろうとしなくたっていいぜ?」
「そうねー、まあ、あとはアレさね。魔虫ってのは……呪いみたいなもんさね。別に、魔術として、じゃなくて。……便利なように見えるけど、人を縛るためにあるようなもんだからねえ、あれ」
そうして老人が返した言葉に、リリアナは鷹揚に頷いた。リリアナ自身、『魔虫』に対する印象はそんなところである。オーガスとしては、多少、異なる印象を持ってもいたが。
「そうかい。ちなみに爺さん、今までに魔虫、見た事ある?」
「ま、ぼちぼちかなー」
何時の間にやら、質問の主導権をリリアナが握っていたが、オーガスは特にそれをどうともしないことを選ぶ。
相性、というものは確かに存在するのだ。
何にせよ、初動となる質問はオーガスが行うにしろ、判断や追撃はリリアナに任せるのが良さそうである。オーガスはそう割り切ることにした。
魔虫について、老人は概ね、オーガスやリリアナが知っている通りの事を話した。
更にその上で、幾らか、2人も知らないことを話しもした。
……尤も、話されてもオーガスには理解できなかったのだが。
魔虫については一旦区切り、オーガスは2つ目の質問を投げかける。
どちらかといえば、こちらが本題だ。あくまでも魔虫については、相手が敵か味方かを知るための……いわば相手がボロを出すかを見極めるための質問であった。尤も、老人は何一つ、ボロらしいボロは出さなかったのだが。
……オーガスは、やや声を潜めて尋ねる。
「何故、『蜘蛛女』を探している?」
「うん。ちょっと夢のお告げでねー」
老人は少しばかり、顔を顰めた。
質問に対して、ではない。恐らくは……。
「それ、お告げっつうか、悪夢じゃねえの?」
リリアナの言葉に、老人は少しばかり目を円くして、そしてまた、にこにこと笑い始める。
「あらー、察しがいいのねー。そう。ちょっと夢見が悪くってね。……あんまし、思い出したくないねえ」
どうやら老人もまた、蜘蛛糸の魔虫憑きに襲われていたらしい。
……同じく寝込みを襲われたオーガスとしては、少しばかり不服でもある。どうやら老人は、自らの悪夢の内容を覚えており、更に推測するに、自らの力で悪夢を対処したようなので。
「寝るたびにそうだから、こりゃー魔虫の仕業かなあ、って思っただけさね。夢に出てきたのが蜘蛛だったから、おねーちゃん達が『蜘蛛女』って言ってるの聞いて、儂、気になっちゃったのよ」
オーガスの心情など知らず、老人はそう言って話を終わらせた。
返答としては、実にそつが無い。
もしこれが本当に敵であったならば、オーガスとリリアナが如何に対応しようとも、勝てないかもしれない。そう思わされる相手であった。
……だからこそ。そう感じたオーガスは、慎重さを捨てることにした。
「では最後の質問だ。……『蜘蛛女』に会って、どうするつもりだった?」
目の前の老魔術師の返答次第では、この場で戦闘が起きかねない。そう身構えつつ、オーガスは問うた。
「うん。さくさくっと殺しとこっかな、って思ってた」
そうして返ってきた答えは、朗らかな語調とは裏腹に、酷く鋭利なものであった。




