12話
女が絶命すると同時、リリアナは駆けだした。
「ジェット!」
蜘蛛の糸に覆われ、繭のようになってしまっているジェットに駆け寄り、糸を掻き分け、ジェットを救いだそうとする。
「あーくそ!この糸、無駄に丈夫でやんの……」
だが、素手で引き千切るには、集まった糸は丈夫すぎる。
「退け」
そこにオーガスもやってきて、剣の一撃で蜘蛛の糸とその中に埋もれていたジェットを斬り裂いた。
切れた糸を引き剥がしてやれば、中で蹲るジェットの姿が見える。
「ジェット、おい、大丈夫かよ」
リリアナは慌ててジェットを繭から引きずり出して、様子を見た。
……どう見ても異常である。先程までの様子からして異常であったが、状態はかなり悪化しているようだった。
攻撃に身構えるかのように体は強張り、瞳は何所を見ているでもなく忙しなく彷徨い、体はすっかり冷えて血の気が感じられない。
リリアナはひとまず、癒しの魔術を施す。体の傷だけでなく、精神の傷を癒すのにもある程度の効力を発揮できるはずだ。
……だが、元々不得意な魔術であったからか、それともジェットの精神の傷が深すぎるのか。あまり効果が見られない。
「くそ、あー、どうしよ……辛かったよなあ、ごめんな」
リリアナは焦り、とりあえずジェットを抱きしめ、撫でる。下手な魔術より、余程こちらの方が効くだろう。
成されるがままのジェットを撫でさすりながら癒しの魔術を施し続けるリリアナは、ふと、横で荷物袋を探るオーガスの姿に目を留める。
「薬かい?」
「ああ」
オーガスはジェットの荷物を漁ると、ひとまずいつもの睡眠薬を取りだす。
精神の傷にもっとも良い薬は深い眠りだ。今のジェットを見る限り、下手に起きているよりは寝てしまった方が余程よいように見える。
……だが、オーガスは荷物袋の中、そこにあるはずの無い瓶を見つけた。
1本使い切ったはずの毒薬の瓶が、何故かそこに入っており……さらにその瓶は、薄暗い室内ではよく分かる程度には光を放っていた。
瓶の中に詰められた輝く粉末を見て、オーガスはため息を吐く。
「やはり、な」
アマーレンからレムリタまでの洞窟の中、ジェットの不審な様子を見ていたオーガスは、なんとなく、これの存在を察してもいた。その時は嫌悪と呆れとを感じたものだが、今となってはありがたいばかりである。
「リリアナ、それを貸せ」
「ん?」
荷物袋に入っていた紙袋に瓶の中身……例の花の花粉を少しばかり零し入れ、それでジェットの口と鼻とを覆った。
ジェットは浅い呼吸を繰り返していたが、紙袋の中の花粉を一度吸い始めると、やがて、呼吸が落ち着いてくる。傷ついた精神が幸福感を拾い始めたのだろう。仮初の幸福であったとしても、精神の痛みを和らげるのには十分に役立つ。
ジェットはリリアナに背を撫でられつつ、更に呼吸を繰り返し……やがて、強張った体を弛緩させ始めた。先程の様子から見て、幾分はましになったらしい。
オーガスは息を吐いた。厄介ごとを片付けた達成感か、危機を乗り越えた安堵か。それは本人にもはっきりとは分からなかったが……1つ、オーガスの脳裏に木霊する声がある。
蜘蛛糸の女は、死の間際に言っていた。「皆不幸になればいいのよ」と。
随分と暗く後ろ向きな遺言である。それが呪いめいて、ジェットを縛り付けているようにも思えた。
何を思って、蜘蛛糸の女がそう言ったのかは分からない。気が狂っていたようにも見えた以上、真っ当な理由など期待するのも馬鹿馬鹿しい。
だが、オーガスの耳には女の遺言が、妙にべったりとこびりついているのだ。一瞬とはいえ精神攻撃を受けた名残なのかもしれない。
「全く、忌々しい……」
振り払うようにそう呟く。
酷く疲れた。元々本調子ではなかった体が睡眠を欲している。
さっさと宿に戻りたかったが、そのためには……ぐったりとしているジェットを、またも運ぶ必要がありそうである。
オーガスはまた、ため息を吐いた。
睡眠薬を飲ませると、ジェットは大人しく眠りについた。
それを見届けてからオーガスは自らの外套を外し、それでジェットを包んで担ぐ。最早、何度同じことをしたか分からない。成人男性の体を担ぐのにも、今やすっかり慣れてしまった。
「戻るぞ。人目があったらお前が誤魔化せ」
「了解。そもそも人に会わないといいんだけどねえ……」
時計塔に入る前に町人としたやり取りを思い出し、オーガスは暗澹たる心地になる。演技が下手な訳ではない。嘘に罪悪感も無い。だが、ああいったやり取りで精神が疲労することは間違いないのだ。今はそんな面倒に巻き込まれたくない。
「……そっかぁ。あんたのマントって、ジェット包む為にあるんだな」
「そんな訳があるか」
リリアナの、どこか間の抜けた台詞にそう返しつつも、結局は毎度毎度、ジェットを持ち帰る時には利用しているのである。寒さや日差し、或いは火の粉や毒霧などからも身を守るための外套だが、ここ最近、最も活用しているのはジェットを運ぶ用途であろう。それに気づいて、オーガスはまたも嘆息した。
「全く……何故私は毎回毎回、こいつの世話を焼かねばならんのだ、忌々しい……」
「そりゃ、利用させてもらってるんだからそれぐらいはしろよ、ってこったろ。うん」
ぐったりと体重を預け切って遠慮会釈も無くただ重いだけの荷物を担ぎ直し、オーガスは時計塔の階段を下り始めるのだった。
その日は結局、丸一日眠って過ごすことになった。
ジェットには当面の睡眠が必要であるように思われ、また、オーガスにも精神攻撃の名残が色濃く表れていたのである。
剣と鎧を手入れし直し、体を拭いて寝台に潜りこむと、戦闘の興奮で薄れかけていた精神の傷が再び顔を出す。
このまま眠ると、精神攻撃を抜きにしても悪夢を見そうな気分ですらあった。
いっそジェットの睡眠薬を使うか、とまで考え始めたところで、ふと、部屋の扉が叩かれた。
リリアナだろう、と思われたが、出るのも億劫である。寝たふりをしてやり過ごすことにした。
……すると、ノックの音が止み、代わりに、カチャカチャと、何か、奇妙な音がする。
嫌な予感がしつつも動く気力は無く、ただ寝台に立てかけてある剣だけはすぐに抜けるように準備をしていたところ。
「おー……寝てる寝てる」
リリアナが入ってきた。
……当然だが、部屋の戸には鍵を掛けた。それでも入ってきたということは、宿の主人に頼み込んで合鍵の類を使ったか……或いは、針金か何かで鍵を開けたか、である。
そしてリリアナがやりそうなことと言えば、後者。
オーガスは起きる機会を失ってそのまま寝たふりをしながら、頭痛が増したように感じていた。
「よっこらしょ」
寝たふりをしている以上、リリアナが何をしているかは分からない。だが、きしり、と寝台が軋む音がして、オーガスが寝ている寝台が少しばかり、沈んだ。
……いよいよ何をしているのか気になるが、意地と疲れで寝たふりを決め込む。
リリアナは2人の寝台の間に杖を立て、集中する。
それは、一種の結界である。だが、結界の類を得意とするリリアナにしては珍しく、あまり得意ではない魔術であった。
……だが、自分が編み上げることこそ不得意であっても、リリアナはこの結界をよく知ってはいる。リリアナの母が得意としていた結界であったために。
結界の内の魔を祓い、傷を癒し、心すら癒す結界。あの感覚ははっきりと、覚えている。
「……やっぱあんまし上手くいかねえのな」
そうして出来上がった結界に、リリアナはそう、小さく呟いた。
記憶にあった母の結界とは比べ物にならないほど、稚拙なものである。
範囲も、寝台2つをようやく覆う程度のもので、尚且つそこかしこに綻びがあるような有様だ。
それでも無いよりはましだろう。
そう考えてリリアナは立ち上がる。
「今度はちゃんと、いい夢見ろよ」
そう呟いて、部屋を出ていった。
「あっれ、おかしいな。開けるのはできたんだから閉めるのもできたっていいよなあ……」
尤も、部屋を出てすぐ、針金片手に鍵穴と格闘する羽目になったのだが。




