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俺が死んでも世界は回る  作者: もちもち物質
第三章:流星を追う者~Nostalgism~
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10話

 

「俺が囮になる。俺ごと焼け!」

 迫る小蜘蛛の前、愚かしいほど突出した位置に、ジェットが躍り出る。

 小さな蜘蛛はとりあえず目の前に現れた相手を襲うことにしたらしい。或いは、ジェットの内の魔虫に反応したのかもしれないが。

 そうして予定通り、ジェットはごく小さな虫の大群に襲われた。無数の小蜘蛛は容赦なく、ジェットを覆い尽くしていく。

 ジェットは肌の上を這い回る数多の蜘蛛の感触に耐えながら、可能な限り、小蜘蛛を握り潰し、叩き潰し、踏み潰した。果ては、口内に潜り込もうとする蜘蛛を噛み潰しさえした。

 これ程小さな蜘蛛、それも大群となれば、刃物の出番は無いだろう。ジェットのナイフは勿論、オーガスの魔法剣も通用するか怪しい。

 ……ジェットは痛み止めを服用したことを少しばかり、後悔していた。

 なまじ痛みが無いだけに、蜘蛛が体を這い回る感触が単なる触覚としてのみ伝わる。蜘蛛に噛まれても、痛みを感じない神経はただ小さな刺激を拾うのみ。

 ただ全身をくすぐられるような感覚は、いっそ強い痛みの方がましだと思われる程の苦痛であった。常人の精神であれば、発狂していてもおかしくはない。

 それでもジェットが発狂もせずに耐えられるのは、慣れ、と言ってしまえば簡単だろう。

 ……或いは、既に狂っているが故に、これ以上狂いようがない。そういうことなのかもしれない。


 ひとまずそうしてジェットが奮闘する中、リリアナは結界を完成させた。これでリリアナとオーガスの身を守ることができる。

 小さな蜘蛛が数匹、結界に這い寄ったが、その結果、結界に弾かれて死んでいく。この程度の小さな生き物程度なら、結界だけで殺すことも十分に可能なのである。

 リリアナは結界の出来に満足しつつも即座に次の魔術を編み上げ始める。このままジェットを小蜘蛛の好きにさせておいたら、流石のジェットも発狂しかねない。

 内心焦りつつも正確に、それでいて極々大雑把に……いつものリリアナらしく、魔術を完成させた。

「よし、待たせたね!焼くよ!」

 聞こえていないかもしれない、と思いつつもそうジェットに声を掛けつつ、リリアナは魔術を放った。




 ジェットは腹の辺りを穿つ熱を感じ、その数瞬後に勢いよく燃え上がった。

 小蜘蛛の多くは魔術による光線に焼かれるか、或いは光線によって着火し、更に或いは、燃え上がったジェットに巻き込まれて間接的に焼かれるかした。

 ……それでも小蜘蛛は、ジェットや、結界の内のオーガスとリリアナを目指した。

 生物としてはおよそあり得ないことに、小蜘蛛は自ら火に焼かれ、はたまた結界に弾かれて死んでいく。

 ジェットは楽でいい、という程度にしか感じなかったが、オーガスとリリアナとはそれぞれに何か、ぞっとするものを感じた。

 常軌を逸した生物の姿というものは、何故か精神を疲弊させる。


 とにかく、蜘蛛が居なくなったことで、ようやくジェットはまともに呼吸をし、目を開けていられるようになる……かと思われたのだが。

「面倒だ。このまま突っ込む」

 ジェットは自らの体に着いた火を消すこともせず、そのまま部屋の中央へと駆けていった。

 どのみち、まともに火が着いているのは衣類が残っている間だけだろう。なら自然な鎮火を待ちつつ、纏う炎を武器へと転じたほうがいい。

「ひっでえ戦い方だなあ……」

「放っておけ。どうせ死なん」

 オーガスは、アマーレンの魔虫憑きと戦った時、油をかぶって火達磨になりながら自分を救出しに来たジェットを思い出す。

 あれも相当に酷い光景であったが、こうして完全に客観視してみると、また随分と酷い光景であった。


 ジェットは部屋の中央、蜘蛛の糸に絡められた女の元へと迫る。

 火の着いた体で華奢な女の体を抱けば、女の肌を、女を吊るす糸を、火が焼いていく。確実に傷は負わせているはずだが、それでも女は動かない。

 だがこれ以上、様子を窺うつもりは無かった。ジェットは素早く、ナイフを突き出す。

 ……しかし、ナイフは女の白く細い喉へと突き刺さる前に、止まった。

 ジェットの腕を、天井から伸びた蜘蛛の糸が縛り上げている。


 幾百本にも及ぶかという蜘蛛の糸は、寄り集まって強靭な縄となっていた。ジェットの腕の力程度では引き千切ることができない。

 更に蜘蛛の糸は伸び、ジェットの全身を覆い尽くさんばかりに殺到する。

 それらの一部はジェット自身によって切り払われたものの、蜘蛛の糸は対処するにはあまりにも速く、多く伸びるのだ。

 ……そうして、ジェットは蜘蛛の糸に全身を縛り上げられる。さらに、蜘蛛の糸が体を覆って炎へ供給される酸素を絶ち、消火されてしまった。

 ずるり、と、糸が動く。

 ジェットを縛り上げた糸はずるずるとジェットを引きずり、やがて、ジェットを宙吊りにした。宙に吊られて床から足が離れ、藻掻こうにも体は碌に動かず、ただ成されるがままになるしか無い。

 そうして無力化されたジェットを、沈鬱な目が見ていた。

 ジェットと同じように宙に留められ、火に焼かれても動かなかったその女が。じっと、ジェットを見つめている。


 この女を日の光の下で見たのなら、ただ陰気な女に見えたかもしれない。だが、蜘蛛の糸に覆われた部屋の中、乱反射する光と揺らめくランプの灯りにのみ照らされる姿は、妙にしどけなく、妖しい美しさを呈していた。

 不健康そうに見える程に血の気の薄い白い肌と、華奢な体。色素の薄い髪と瞳が如何にも薄幸そうな美貌を彩り、それよりさらに色の無い蜘蛛の糸が女の肢体を絡め取っている。それだけ見たならば、悲劇の姫君のようにも見えただろう。

 だが、視線があまりにも強すぎた。

 まるで恋敵を妬むかのような。はたまた、裏切った恋人に刃を向けているかのような。

 嫉妬めいて、攻撃的。そんな視線はいっそ嗜虐と扇情の色すら混じらせて、じっとりとジェットを射竦める。

 唐突に、女が動く。

 蜘蛛の糸に捕らえられているはずの腕が動いて、ジェットへと伸びた。

 ……そこでジェットは、初めて気づいた。

 同じ蜘蛛の巣の上、宙に留まった状態であっても、ジェットと女の状況は大きく異なる、ということに。

 捕食者たる女は仄暗い笑みを浮かべて、哀れな獲物の首へと手を掛けた。

 さながら、巣にかかった獲物を喰らおうとする蜘蛛の如く。




 女の細い指先が首筋に触れても、ジェットは全く動じなかった。

 何故ならば、死なないからである。首を絞められたところで大した痛手ではない。

 だが、女の指が首筋を、つつ、と撫で、そこへ女の顔が迫ると、流石に動じた。尤も、どのみち動きを封じられているのだ、抵抗のしようもない。

 女はジェットの首筋に唇を寄せ、何事かを呟いた。もしジェットに魔術の才があったなら、魔術的な要素が動いたことが分かっただろう。

 ……そして女は、指を動かした。首の付け根を一周、ぐるりとなぞるように。いっそ恋人同士の情事であるかのようにゆっくりと優しいその動作は、魔術的な要素を伴い……生み出された蜘蛛の糸が、ジェットの首に巻き付いた。

 その瞬間、ジェットは、何か、体に冷たいものが注ぎ込まれたような感覚を覚える。

 背筋に悪寒が走り、何か、取り返しの付かないことが起きたように感じ、世界が足元から崩れていくような、そんな幻覚すら見て……そして、その先で。


「ジェット!何を呆けている!」

 ジェットは現実に引き戻された。

 叱咤と共に、魔法剣が飛ぶ。それはジェットを縛り付ける蜘蛛の糸ではなく、ジェット自身を斬り裂いていく。

 胴を薙ぎ、手足を斬り落とし、首すら刎ねて……ジェットはバラバラに切り分けられてしまった。

 だが、そのおかげでジェットはひとまず、蜘蛛の糸の戒めから解放される。部位ごとにバラバラに床に落ちて、自らの血で染まった蜘蛛の糸の絨毯の上、なんとか体を再生させた。

「……助かった」

 ジェットがもぞもぞと動き、女の追撃から逃れようとする中、オーガスは1人、唖然としていた。

 ……オーガスは、確かに、ジェットを避けて魔法剣を発動させるような気の遣い方はしなかった。

 だが、蜘蛛の糸を斬らないようになど、しなかったのである。

「あの糸……まさか」

 オーガスは理解してしまった。目の前の敵の、厄介さを。

「魔法剣が、効かないのか……?」




 魔術の類が効かない生物は、確かに存在する。

 その生物自身が魔術に対する結界を常に纏っている場合もあれば、魔術を打ち消すような魔術を体内に組み込んで生きている場合もある。

 それらの生物の皮や骨、毛や牙といった素材は、魔術に対抗する武器や防具として活用されることもある。

 ……だが、それらは当然ながら、極めて珍しいものである。魔術が効かない生物など、そうそう存在していないのだ。だからこそ、魔術は有効な戦術の1つとして重宝されているのであり……その魔術が効かない相手が、如何に厄介な相手かは、想像に難くない。

 魔法剣が効かないとなれば、リリアナの魔術も、蜘蛛の糸に対してはそれほど強く作用しないだろう。

 そして部屋の中央の女は、蜘蛛の糸を操れるらしい。当然、魔術への盾として、蜘蛛の糸を運用する程度の事はしてくるのだろう。

 ……厄介である。

 オーガスは頭の中で、如何にして戦うかを考え直す。

 自分の魔法剣やリリアナの攻撃の魔術を主軸にすることはできない。となれば、とれる戦術も限られてくる。少なくとも、楽をして勝てることはなさそうだ。




 体を再生し終えたジェットは、結界の中に一度戻ってきた。

「おかえり。大丈夫か?なんか色々やられてたけど。魔術?」

「いや……分からない」

 リリアナが問うも、ジェットの返答は曖昧である。そもそも、ジェットに魔術の才が無い以上、明確な答えなど期待しようも無いのだが。

 ……だが、それ以上に、ジェットの様子がおかしかった。

「……何か、特殊な攻撃でも受けたか」

 相手が蜘蛛であるならば、毒蜘蛛の可能性もある。薬漬けになっている男でも毒を盛られればそれなりに効くようであるし、その類だろうか、などとオーガスは考えつつ、そう問う。

「……いや」

 ジェットはオーガスの言葉に鈍く反応して、それから、答えた。

「幻覚を、見せられた、んだと思う」


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