3話
天井からの気配など、碌に無かった。
リリアナにも、ごく弱い魔術の気配だけが見える程度だった。
……だが、確実に当たりを引いたらしい。
天井の一角を魔法剣が斬り裂いた途端、悲鳴のような震動のような何かが場を満たした。
それと同時に、今まで辺り一面にあった触手がのたうち、もだえる。
それら触手はすぐさまリリアナに焼き払われ、そして、それ以上は出てこなかった。
「……やったな」
「どうやらそのようだ」
2人が見据える先、花畑の天井から人間ほどの大きさの何かが落下して、花畑に墜ちた。
どうやらローパーの本体は、予想以上に小さなものであったらしい。
「一体、どういう仕掛けだったんだ?ありゃ。あんなちっこいのがあんなでっかい触手、使ってたって?おかしな話だよな」
リリアナはその場に座り込みながら、唇を尖らせる。
本体の位置を見つけられなかった悔しさもあるが、それ以上に単純に、気になった。
どう考えてもあの大きさの本体から、あの大きさと量の触手が出ていたとは思いにくい。
「ローパー自身に聞くより他はないだろうが……仮説を立てることはできるぞ」
剣を鞘に収めながら、オーガスはやや得意げにそう話しだす。
「この花畑。ジェットは『こうまで群生しているのは珍しい』と言っていたが、この花畑にこそ、ローパーの秘密があったのだとすれば、どうだ?そう、例えば……ローパーとこの花は依存関係にあった、というのは」
「ローパーが居れば、やや離れた位置に居る獲物も捕らえて、花畑に連れ込むことができる。そうして花は魔力を得る。一方、ローパーは獲物の血肉を食らう一方、『幸福感』を得られる」
「は?ローパーが?」
リリアナは首を傾げた。どうにも、魔物と幸福感が結びつかない。
……魔物も色々な種類があるが、生物であるものであれば、幸福を感じることもあるのかもしれないが、それにしても、随分と突拍子もない話に聞こえる。
「花の方は、余りにも幸福漬けにしてしまうとローパーが働かんからな、適度に花粉の量なり質なりを調節していたんだろう。そしてローパーは、自らに幸福を与える花を愛おしみ、尽くすようになる。自らの本体を碌に成長させることも無く、花を守るために触手ばかり育てた。どうだ?」
「ほほお。……随分健気なローパーだなあ」
リリアナは、『あんた随分とロマンチストだなあ』とも言いたかったのだが、それを言うとオーガスが拗ねかねない、と考え、ひとまずローパーへの感想のみに留める。
「あり得ん話ではないだろう。むしろ、そうとでも考えねば辻褄が合わん。……それに、どうもあのローパーは、斬られて地に落ちた花しか、ジェットに使っていないようだった。生えている花を摘むことを躊躇ったのだろうとしか思えんが」
「ああ、そういや、そうだったか。うん、随分と優しいローパーだったんだなあ……気持ちは分からんでもないか。いや、魔物に気持ちがあるかなんて分かんねえけど」
リリアナは、さて、と話を区切り、立ち上がった。
「さてさて。じゃ、最後に……囮になってくれたジェットをどうにかしてこっちに連れ戻さないとなあ」
「二重の意味でな。体を引きずってきた後、意識と理性も引きずり戻してやらねば使い物にならんだろうな、あれは」
2人が見据える先、花畑の中では……ジェットが花に埋もれたまま、動かない。
「で、どうやって引っ張ってくるよ。私はあの花粉が舞い散る花畑の中へ踏み入る勇気は無いなあ」
「勇気?無謀の間違いではないのか?」
遠巻きにジェットを眺め、2人は困り果てていた。
ジェットは何とも傍迷惑な事に、花畑の真ん中で倒れている。
花畑へ踏み込めば、間違いなく幸福感の虜になるであろうことは明白である。
「ジェット本人が歩いて戻って来てくれりゃ、それが一番いいんだけどねえ」
「どう見てもあれは意識が無いな」
そして、ジェット本人が自力で戻ってくることは期待できそうにない。
何せ、ジェットは解放されたとはいえ、つい先ほどまでローパーに締め上げられ続けていたのだ。骨がどう砕けているかも分からない。ローパーに捕まる前には毒薬を大量に飲んでおり、その上、大量に花粉を吸わされている。意識が飛んでいてもおかしくはない。
「下手に焼き払ったら、余計に花粉、飛びそうだしなあ……でもこのままほっといたら、ジェットといえども魔力吸われて死ぬよな」
「ああ。……ああ、くそ。もしかしたら、体の再生もできていないかもしれん」
ジェットが先程言っていたことを思い出す。この花は、魔力を奪って生きている、と。
……魔力を奪う花の群生地の中央で倒れているジェットは、さぞ、魔力を奪われているのだろう。
そして、ジェットに憑りついている魔虫は、魔力を用いてジェットを回復させているはずだ。もし、魔力が奪われ続けていたら。
「……行ってくる。全く、世話の焼ける……!」
オーガスは大きく息を吸うと、口元を外套で覆って花畑へと突進していった。
ジェットに意識があったか無かったといえば、一応、あった。ジェットは花に埋もれながらも目は開いており、また、動いてもいた。
……だが、理性があるかは微妙なところである。
オーガスが見下ろす中、ジェットは何所を見ているとも分からない虚ろな目を開き、うっすらと力の無い笑みを浮かべている。時折口元が動くが、何を言っているのかは判然としない。
ため息を吐きたいところではあったが、呼吸を止めている今、そんなことに酸素を消費してはいられない。
オーガスはジェットの腕を掴むと、そのまま乱暴に引きずって花畑の外へと出した。
ジェットを花畑から離れた場所にまで運ぶと、オーガスは自分の外套を振って、花粉を払った。
それでも多少は花粉が残るが、致し方ないだろう。少量ならば問題ないはずだ。ジェットもそう言っていた上、リリアナが実証済みである。
オーガスは理由も無く奇妙に浮き立つような心地を味わいながら、倒れたままのジェットと、ジェットを心配そうに見守るリリアナの元へ戻る。
「あー、ええとね。一回、焼いたんだよ。花粉まみれになってたからさ。表面、一回焼いて、花粉払った。洗う水もねえし」
リリアナはオーガスに気付くと、頼んでも居ないのに釈明し始めた。
……ジェットは火傷を負っている。どうやら、リリアナの善意によるものらしい。
「ふむ、賢明だな。化け物相手には相応しい処置だ」
「でも、回復の速度がゆっくりでさあ。今、やっと皮膚戻ってきたけど、火傷がイマイチ戻らなくて……大丈夫かな、これ」
だが、リリアナの心配の通り、ジェットの再生速度はあまり芳しくない。
恐らくは、花に魔力を吸い取られた故なのだろうが。
「なら簡単だな。魔力を補充してやればいい」
「どうやって」
「食べ物でも与えておけばよかろう」
オーガスは荷物から干し肉を取り出すと、ジェットの口にねじ込んだ。
ジェットはゆっくりと口を動かし、ゆっくりと咀嚼して、やがて、嚥下する。
「遅い」
「これだけ朦朧としてる奴に無茶言っちゃ可哀相だろ。もうちょっと食べやすいもの出してやれよ……ほら、これとか」
リリアナも自らの荷物を漁ると、中から砂糖菓子を取り出した。
精製された砂糖でできたそれはそれなりに高価なものではあるが、リリアナはそんなことも気にせず、一気に2、3個、まとめてジェットの口の中に突っ込む。
甘やかなそれは口内でするりと溶け、喉の奥へと落ちていったらしい。そして、干し肉と砂糖菓子の甲斐あってか、ジェットの火傷は次第に回復していく。
「ふー……危なかったかもな、これ」
「ああ。全く、世話の焼ける化け物だ」
さらにもう2つばかり砂糖菓子を食べさせてやると、先ほどよりは幾分元気に、ジェットの口が動く。それを見届けて、オーガスはジェットを背負った。
「ひとまず休める場所を探すぞ。ここに居ては寿命が縮む」
「賛成。どっか横道の袋小路探して結界張ればいいよな?」
不死身と言う割にはどうにも手のかかる化け物にため息を吐きながら、オーガスは重い荷物を背負い直しつつ、洞窟の中を歩きだした。
ある程度進んだところで程よい横道を見つけて、そこで休息を摂ることにした。
「おし。これで入り口は封じたよ」
「最奥まで見てきたが、何も居ない。袋小路だった」
横道の入り口をリリアナが結界で封じ、道の奥までオーガスが確認して、ようやく2人は気を緩める。
「はー、いやー、ここまで戦い通しになったのは初めてだ。そっちの具合はどう?というかあんたも花粉、吸ってただろ?大丈夫?」
リリアナはそう言いながら2人の様子を見る。ジェットは既に再生を終えている。そして、オーガスは。
「……気分が悪い」
幸福の花粉の効果が切れたらしく、反動で気分が落ち込んでいた。
「あはは。そうかいそうかい。じゃ、もうちょっと悲しくなってな。じきに戻るよ」
リリアナはケラケラと笑うが、オーガスは先程ジェットが言っていた……『不幸な奴ほど嵌まる』という言葉を思い出していた。成程、これは確かに、辛いものがある。
理由も無く落ち込む気分を吐き出すようにため息を吐きつつ、オーガスはジェットに目をやった。
ジェットは幾分、調子が戻ったと見える。少なくとも、自力で起き上がって座り込むまでには回復していた。
「……で、ジェットは大丈夫?見たかんじ、怪我は治ってそうだけどよ」
「ああ……大丈夫だ」
ジェットはそうは言うが、妙ににこにこと楽しそうでありつつも、目が虚ろで暗いのがなんとも不気味である。
「ま、ジェットもオーガスも、少し寝てたらどうだい?見張りなら私がやっとくよ」
「そうさせてもらう。……貴様も寝ていろ」
オーガスはため息を吐きながら荷物袋を漁り、睡眠薬を取り出して適当な分量を水に混ぜると、それをジェットに与えた。
ジェットは受け取ったカップの中身を案外素直に飲み干し、やがて、その場に横になって丸くなり、眠ってしまった。
それを見届けてからオーガスも適当な壁に上体を預け、脚を投げ出して目を閉じる。
……幸福感の欠片も感じられない気分ではあったが、それでも眠れないことはなかった。
どれくらい眠っただろうか。ジェットはふと、目を覚ました。
つい先ほどまでいつもの悪夢を見ていたような気もするが、記憶は曖昧だ。
その割に、気分がひどく落ち込んでいる。ありとあらゆる気力が削がれ、動くことも億劫だ。ぽっかりと虚ろな大穴を覗き込んでいるような恐怖と虚無感だけがジェットを支配していた。
体を起こすこともできず、視線を動かすことすら酷く億劫で、ジェットはただ、目を開いただけの状態でぼんやりとする。
……どうしようもなくどうしようもない、絶望感にも似た感覚だった。花粉が切れた時の状態だ、と理性では分かっているものの、理性ではない部分が必死に不幸を訴える。引き裂かれるような痛み。失ってしまった悲しみ。そして、体はまるで動きたがらない。
「起きたか」
そんな状態のジェットに、オーガスの声が掛かる。
だが、返事をするのも億劫で、やや、瞼を動かす程度の反応だけを返す。
「意識はあるようだな」
オーガスは呆れたようにそう言うと、ひとまずジェットに水を差しだした。
カップを受け取るのも億劫だったが、押し付けられたそれを受け取らない訳にもいかない。そして、水を飲むには最低限、上体を起こす必要がある。
……結局、ジェットは動きたがらない体を叱咤して、絶望を訴える心を理性で捻じ伏せて、上体を起こし、その場に座り直した。
「動けそうか」
「ああ」
水を飲めば、多少、体の具合はましになった。もしかしたら、ローパーとの戦闘に先立ち飲み干した毒薬がまだ残っていたのかもしれない。
「傷はどうだ」
「大体は治っているみたいだな」
ジェットはそこでようやく、魔虫が酷く空腹を訴えていることに気付いた。魔虫はジェットの腹の中で暴れて、鈍い痛みを呈している。その内、ジェットの内臓を食い始めるだろう。
このまま魔虫を放っておく訳にはいかない。
ジェットは体に鞭打って、立ち上がる。それから荷物袋を漁り、目当てのものを取り出し、それから、結界の外に向かう。
「何所へ行く」
「……用を足してくる」
そう言えば、オーガスはそれ以上追及しなかった。
ジェットは隠し持った毒薬の空き瓶を確かめながら、歩を進めた。
……先程の、花畑の方へ。




