42話
リリアナがそう言った途端、明らかにロザリエに動揺が走った。ロザリエはそれ以上魔術を行使せず、しかし、じっと、リリアナを睨み続けた。
「あー……まあ、元気でやってよ。あんま心配はしてないけど」
リリアナは頭を掻きつつそう言って、それから、ふと、ロザリエを見つめた。
真っ向から見つめ、睨み、互いの視線が交錯したことで、リリアナはロザリエからの、憎悪と恐怖を確かに感じる。
強く強く、本来なら表出しなかったかもしれないその感情をはっきりと向けられて、しかし、リリアナは自分でも意外なほどに、動揺しなかった。
「な、ロザリエ」
リリアナはロザリエへと歩を進める。ロザリエは身を固くしたものの、魔術を使う気配は無い。ただ、必死にリリアナを睨み、震えるばかりだった。
リリアナは寝台の上、ロザリエを未だ押さえつけていたオーガスを、よいしょ、と退かして、その下に居たロザリエを起こした。
成されるがままのロザリエの、固く強張った体を、柔らかく抱きしめる。
「ごめんなあ、こんなお姉ちゃんで」
その言葉は、ロザリエにどう届いたのか。リリアナには分からない。
だが、リリアナは思う。
これ程までに、ロザリエに憎悪を抱かせた。それは間違いなくリリアナ自身である。ふがいなくも、申し訳なくも、思う。
「愛してるぜ、ロザリエ」
そしてそれでも、リリアナはロザリエを愛している。
強く、確かに、愛している。
やがてリリアナが去った部屋で、ロザリエは茫然としていた。
「私……なんで……どうしちゃったのかしら」
ロザリエは己の手に握られた杖に視線を落としながら、困惑したようにそう、零した。
……実際、ロザリエは困惑していた。自分がリリアナに向けた魔術も、視線も、言葉さえも、まるで自分のものではなかったかのように感じていた。
否、確かに、ロザリエの中にあるものだ。リリアナへの恐怖も、憎悪も、確かに、ロザリエの内にある。
だが、それを表出しようとしたことなど、未だかつてなかった。ましてや、実際に魔術でリリアナを攻撃するなど。
……ロザリエはぞっとした。
リリアナへの恐怖以上に、自分自身に、恐怖した。
「あなたにはまだ休養が必要なのだろう。気に病まれるな。疲労は人を狂わせる」
オーガスはそう声を掛けるが、ロザリエは首を横に振った。
「違う。そうじゃないの。そうじゃないんです。私、私……確かに、お姉様を……」
殺そうとした、と、口に出しかけて、ロザリエは口を噤む。
口に出したら、本当にそうなりそうな気がした。自らの理性が、そこで保たれているような気がした。
「……分からないんです。ただ……どうしてか、お姉様を見たら、気持ちが抑えられなかった。いいえ、今も。今も……気持ちが波立って、います。お姉様など、と……ああ、もしかして、私、まだ、あの虫が」
それでも、ロザリエの口からは不安が堰を切って溢れ出す。
魔虫に蝕まれる恐怖。自覚も無しに、自分が変えられていく恐怖。取り返しのつかないことを仕出かした恐怖。ありとあらゆる恐怖がロザリエの内に渦巻く。
「案ずるな。虫なら、取り除いた。そのせいであなたに傷を残すことになってしまったが」
「本当ですか?本当に、私の内から、あの虫は消えたのですか?なら、今、私が思ってしまうのは……お姉様を、どうにかしてしまいたいと、思うのは」
「それは魔虫の後遺症だろう。大丈夫だ。その内薄れる。今はまだ、あなたは混乱しているだけだ」
オーガスはロザリエを宥め、落ち着かる。事実など知った事ではないが、今、ロザリエに必要なものが休養であることは間違いない。
「さあ。少し、休まれるといい。水でも飲むか」
オーガスはロザリエに水のカップを手渡した。ロザリエは黙ってそれを受け取り、静かにゆっくりと、飲んでいく。
「オーガス様」
「どうした」
ちびちびと水を飲むロザリエは、ふと顔を上げて、オーガスを見つめた。
「あの、オーガス様は、まだアマーレンに滞在なさいますか?」
その瞳には懇願が混じっている。どうか行かないで、と。
だが、嘘は吐けない。
「いや。そう遠くなく、ここを発つ」
答えれば、ロザリエの瞳には明らかな失望が過った。
「そう、ですか……あの、オーガス様。あの……もし、よろしければ……」
だがロザリエはしどろもどろに言葉を紡ぎ……そして、その先を言うことなく、寝台の上に倒れた。
「……やれやれ。この私が、あの化け物と同じ手管を使う羽目になるとはな」
ジェットの荷物袋から拝借していた睡眠薬の小瓶を手の中で弄びつつ、ため息を吐いた。ジェットは薬の類を「好きに使っていい」と言っていたが、それにしても、まさか本当に使う羽目になるとは。しかも、まるで同じ手管で。
オーガスはため息を吐きつつ、ロザリエを寝台に横たえ直し、掛け布を掛けてやった。
「では聖女よ、良い夢を」
本心からそう言って、オーガスはロザリエの部屋を後にした。
……聖女もだが、化け物の方もまた、今は気がかりだった。
その日のうちに、オーガスはアマーレンを発った。
聖王はもうしばらくの滞在を勧めてきたが、やんわりと辞して、アマーレンの街門をくぐるに至る。
そのまま馬を走らせ、旧聖都カラミア近辺の廃村へと向かう。
……そこが、ジェットとの待ち合わせ場所である。
ジェットが『封印』されたことは、既にオーガスも聞いていた。
司祭達が噂をしているのも聞いた上、封印したという土地を見て、どうやら地面から抜け出した化け物が居たようだ、ということまで確認している。
更に、宿に預けてあった馬が1頭消えているのも、確かなようだった。
つまり、オーガスよりも先にジェットはアマーレンを発っているはずである。
「……ジェット。おい、居るのか?」
だが、廃墟の中を進みながら声を掛けるも、ジェットからの返事は無い。
オーガスは手間をかけさせるジェットに苛立ちつつ、不審にも思いつつ、廃墟の間を進み……。
そこで、見つけてしまった。
腕を押さえて蹲る、化け物の姿を。
「……ジェット?」
声をかけるも、反応は無い。
ジェットは、化け物のそれと化した左腕を押さえ、唸り声を上げながら、じっと、何かに耐えるように蹲っていた。
「おい、貴様、正気だろうな?」
オーガスはジェットの顔を覗き込む。しかし、視線がこちらに向けられることはなかった。
ジェットの瞳には、いっそ狂気めいた何かが見える。
……正常な状態には見えない。
一体何があったか、など、まるで分からないが……もしかしたら、腕の呪いが進行しているのかもしれない。
アマーレンで色々と術を施されたせいなのか、時間経過のせいなのか、それすらまるで分からないが。
「ジェット!ジェット・ガーランド!正気に戻れ!」
オーガスはジェットの横面を殴りつけるが、それでもジェットの反応はオーガスに向けられない。
……これはいよいよ、駄目か。
オーガスは剣を抜きつつそう思い、しかし、この化け物相手に剣など、全く何の役にも立たないであろうことを思い出す。
不死身の化け物とは、かくも厄介だ。
これをどうしたらよいのか、まるで、分からない。
分からない。どうしたらいいのかも分からなかったが……オーガスは、自分がどうしたいのかも分からなかった。
まさか、ジェットを助けたいなどと、思っている訳が。
「おい、オーガス!場所、貸しな!」
オーガスははっとして、振り向いた。
蹄の音と高らかに張り上げられた声。あまりにも聞き覚えのあるそれは……。
「リリアナ、貴様、何故ここに居る!」
オーガスの言葉に、リリアナはにっかりと笑って、答えた。
「そりゃ、あんたの後つけてきたからに決まってんだろ!」




