35話
リリアナは咄嗟に魔術を編もうとし……それに失敗する。
『自分を殺すため』。その言葉がリリアナの精神を一瞬縛ったのだ。
その瞬間にも氷の刃はリリアナへと襲い掛かり……。
「随分と物騒だな」
降り注いだ氷の刃は魔法剣によって砕かれ、単なる氷の欠片となって降り注ぐ。
「……オーガス」
リリアナの表情は、どうしようもなく安堵に緩んだ。
魔術で爆発を起こしたのは、2人に気付いてもらうため。そして、2人は……ジェットの姿は見えないが、少なくともオーガスは、来てくれた。
「はっ。間抜け面だな、邪道聖女。何だ?私を待っていたとでも?」
「ああ、そうだよ。あんたを待ってた」
少々面食らった様子のオーガスに、リリアナはにっかりと笑う。
「なんでだろうな。あんた達が居れば、割と何でもなんとかなる気がするんだ」
「……さて。奴さん、ロザリエに手ぇ出すとは分かってるじゃないか。よっぽど私が憎いらしいね」
「相手に心当たりは?」
「分かんないね。山ほどありすぎて」
「だろうな」
「今んとこ、一番有力なのは宿場の酒場のオヤジかな。そろそろツケがえらいことになってる」
「流石の邪道聖女だな。それならいっそ死んでやったらどうだ」
「ははっ。それは断る。死んじまったらこれ以上酒を飲めないからね!」
軽口を叩き合う2人だったが、それ以上会話をしている暇は無かった。
2人の間に、巨大な氷の剣が突き立てられる。
「……さて。じゃ、そっちは頼むよ」
「精々生きて酒場のツケを払ってやるんだな」
2人はそれぞれに得物を構えて敵へと向かっていった。
リリアナを足元から串刺しにせんとばかりに氷の刃が伸びる。
地面から宙から襲いかかる氷の刃を、リリアナは結界で防ぎ、時には杖で殴って四散させた。
「くっそ、一体何がどうなってやがる!こんな魔術、聞いたことねえぞ!」
リリアナは多少、焦っていた。
ロザリエは氷柱に囚われ、フードの男は笑うばかり。そして、ありえない威力の魔術が、絶えず襲い掛かってくる。
地面を凍らせ、宙に氷の塊を生み出し……しかもそれを、絶えず、だ。とてもではないが、人間が1人で成し得る魔術には思えなかった。
リリアナは考える。フードの男が凄まじい魔力を持つ大魔術師だとは思えない。それにしては、感じられる魔力があまりにも小さい。ならば、どこかにフードの男の仲間が潜んでいて、集団で魔術を行使しているのか。
……少なくとも、リリアナの頭の中には、ロザリエを疑う考えはほぼ存在しなかった。
簡単なことだ。リリアナはそれを、『不可能』だと判断したにすぎない。
ロザリエが如何にリリアナを憎んでいたとしても、このような魔術を行使するだけの能力はロザリエには無い。そんな力があったなら、ロザリエは欠片たりともリリアナについて悩まなかっただろう。
つまり……リリアナは、一応、思いはしたのだ。ロザリエが自分を殺したがっているという可能性を。
「どうしたのですか、ロザリエ様。あなたの力はこんなものではないはず。さあ、存分に見せてさしあげればよろしい!」
フードの男がそう言った途端に激しさを増す攻撃を捌き切りながら、リリアナはまた、考える。
この攻撃、ロザリエの力ではないだろうが……ロザリエが全くの無関係とも、思えない、と。
オーガスはひたすら、フードの男を狙っていた。
ロザリエの方へ下手に手を出すことはできない。丁度、リリアナが相手をしているようだ。リリアナは押され気味ではあるが、もうしばらく持ち堪えることは可能だろう。
ならば先に殺すべきはフードの男の方だ。
オーガスはたまにこちらにも飛んでくる氷の刃を打ち払いつつ、フードの男へ迫り、剣を振るう。
魔法剣の構えを取りながら、魔術を用いない、ごく普通の剣戟。威力よりも隙の小ささと速度を重視した攻撃が、フードの男を襲う。
だが、フードの男はそれらを全て避けた。
……否、避けたのではない。
オーガスの剣は、確かにフードの男を切り裂いて、しかし、肉と骨を断つ感触ではない、遥かに虚しい感触だけが、剣を握る手に伝わる。
「こいつ……!?」
目を見開いて驚愕するオーガスは、我が目を疑う。だが、見間違いようもない。
フードの男の体は、液体に変じていた。
液体がオーガスへと迫り、咄嗟にオーガスは大きく距離を取る。すると、一瞬前までオーガスが居た場所に液体が雪崩れ、そこに再び、フードの男の姿が現れる。
オーガスは一撃、魔法剣を放つ。今度は本物の魔法剣。多少の隙が生じることは覚悟の上だった。液体に変じる体であっても、何らかの魔術が関わるのであれば、魔法剣は有効な手である。
魔法剣が魔術ごと、フードの男を斬ることを期待し……しかし、期待は外れた。
びしゃり、と液体が飛び散りはしても、液体は再び集まって、人間の形を成したのだ。
つまり……この男を液体にしているものは魔術ではない。少なくとも、単純な作りの魔術ではない。
にやりと笑うフードの男の形は人間そのものだが、液体に変じた様子を見る限り、およそ人間とは思えない。
だが、単なる魔物なら、結果が張り直されたアマーレンへの侵入は難しいはずであり……。
オーガスは心底、嫌気が差したような顔で、言った。
「……貴様、魔虫憑きか」
オーガスがそう言えば、フードの男は瞬間驚愕した後、笑みを深めた。
「おや。ご存知でしたか」
「見たところ、あなたは同業者、というようには見えませんが」
「はっ。当然だ。貴様らのようなおぞましい化け物風情と一緒にしないでもらおうか」
オーガスは答えつつ、焦燥を隠して嗤う。
相手は、魔虫憑き。
それがどれほど厄介なものかは、フォレッタの古城や野盗の根城で体験済みだ。そしてなにより、1人の化け物と、ここ最近はずっと行動をともにしているので。
……ジェットも魔虫に取り憑かれた者の1人だが、その能力は異常な再生能力だ。
だが、フォレッタの古城で戦った女密偵の能力は魔虫の子を寄生させた相手を操るというものであったし、野盗の守る令嬢は自らの体を鋼鉄の刃へと変ずる能力を有していた。
そして目の前の男は、どうやら自らの体を液体へと変ずる能力を有する魔虫憑きらしい。
厄介な、と、オーガスは内心で舌打ちする。
下手をすればジェットの不死よりも厄介な能力である。何せ、剣も魔法剣も、まるで効いているようには見えない。
最悪、ジェットのような者であれば、延々と攻撃し続けてやればそれでいい。手足を斬り落とし、再生できぬように炉の中に放り込んで、永遠に焼き続けてやればそれでいい。或いは、完全に無力化することなどできなかったとしても、ひとまず気絶させるなり、ひとまず動きを封じるなり、やりようは幾らでもある。
……だが、液体の相手に、果たしてそれが通じるか。答えは否である。
せめて動きを封じられればいいのだが。
攻めあぐねるオーガスに、液体の男は執拗に襲い掛かる。
斬っても斬ってもまるで堪える様子もなく、液体の塊が地を跳ね、宙を舞い……そして、ついに。
「しまったっ」
オーガスは宙から襲い来る液体の塊に気を取られ、地に残ったままだった水たまりへと足を突っ込んでいた。
途端、足が締め上げられる。それなのに剣で液体を払っても、不思議なことにまるで手ごたえが無い。
続いて、宙を舞っていた液体が、オーガスの上体へと振りかかる。
急激に粘度を持つようになった液体は、オーガスに纏わりつき、体を伝い上り……首筋まで到達したところで、オーガスは相手の意図するところを知り、ぞっとした。
……こいつは、口腔から入り込み、体を内側から破壊しようとしている。
「くそ、やめろ……」
悪態を吐きかけて、オーガスはすぐに口を閉じる。侵入しようとする液体に、わざわざ口を開けてやるなど愚の骨頂。せめてもの抵抗として、口と鼻とを手で塞ぎ、伸びあがる液体から逃れるべく、顔を背ける。
だが次第に液体はオーガスの体全体へと及び、拘束はますます強くなる。
……魔虫憑きというものは、どうしてこうも皆、おぞましい戦い方をするのか!内心で毒づきながら、オーガスは必死に、後方……大聖堂の裏庭らしく、木と草の生い茂ったそこを見る。
すると、案の定、目が合った。
オーガスは笑む余裕すら無く、相手を睨むようにして、さっさと行動するように促す。
……オーガスの視線の先では、ジェットが全身に油を掛け、自らに着火した状態でこちらへと走ってきていた。




