34話
祭の空気冷めやらぬ大聖堂の前で、突如、悲鳴が上がった。
人々は始め、そこに居るのが何か分からなかった。
人のような形をしたそれは、おぞましくも全身を血に染めて、大鎌を手に、ゆっくりとやってくる。
血で汚れ、固まった表情は、それでも笑みの形に歪んでいるのが見て取れた。
そして、大鎌が振り抜かれた。
祭の為に用意してあった菓子の木箱が破壊される。
続いて魔物が大鎌を振るえば、外に出ていた卓が壊れ、続いて剣呑な音を立てた。
「……魔物だ」
如何にも適当な様子で破壊を行う姿を見て、誰かが、そう、言った。
それを、魔物が、見る。
「逃げろ!」
途端、堰を切ったように人々は逃げ惑い、大聖堂の前に現れた魔物はそれを見て笑い声を上げた。
「あっ」
1人、逃げ遅れた者が居た。
未だ幼い少女は、大聖堂の前で神官に配られた簡素な飴菓子に夢中になっていて、人々の流れに気付くのが遅れたのだ。
顔を上げた少女は、目の前に迫っていた血みどろの化け物を見て、硬直する。
少女は幼くとも、目の前に居るものが自らに危害を及ぼすであろうことは察することができた。
恐怖に硬直した少女を前にして、魔物は大鎌を構えた。
如何にも、今すぐにでも少女の首を刈り取るように。
「待て、化け物」
そこへ声が掛けられた。
凛とした声は、雄々しくも美しい騎士のものである。
「……否、悪魔、か?」
魔物は少女から、騎士へと興味を移し、振り向いた。正面から騎士と相対し、そして、互いににやり、と笑う。
「灰になったと思ったのだがな。どうやら中々しぶといらしい」
そして騎士は剣を、魔物は大鎌を構える。1人と1体の間に、ぴり、とした緊張が走った。
「……ならば再び、殺してやるまで!」
啖呵を切った騎士は、魔物に向かって一直線に斬り込んでいった。
部屋の露台に出て、ぼんやりと暮れ行く空と町を眺めていたリリアナは、ふと、町の一角で上がった悲鳴に目を向けた。
そこにあったのは、1人の騎士と1体の魔物が戦う姿。
「……なにやってんだあいつら」
無論、オーガスとジェットである。
リリアナは2人が戦い、人々がそんな2人を遠巻きに眺めているのを更に高みから眺め、唇を尖らせた。
どうやらまたしても、『敵を欺くにはまず味方から』らしい。或いは、リリアナが下手に首を突っ込むとリリアナにとって不利益になりかねない、と判断しての事かもしれないが。
「あーあ、面白そうじゃん」
リリアナは喧噪を見下ろしながら、そう呟いた。
……恐らくジェットとオーガスは一芝居打つことで、オーガスの名声を底上げし、ジェットを魔物側として認識させたいのだろう。
或いは、2人が共に解呪に訪れたり、隣同士の牢獄に入れられたりしていた事実を知る神官や聖王に向けて、オーガスがジェットと決裂した様子を見せたいのか。
「ジェットもよくやるよなあ」
こんな事をしても、ジェットの利益にはならないように思える。オーガスとしては、結界を潜り抜けてやってきた魔物を相手に華麗に戦い、観衆からの声援も得られる訳だが、ジェットとしては……。
「……もしかして」
リリアナはふと、思う。
もしかしてジェットは、自らを魔物とすることで。
「魔物を、憎ませてるのか」
ジェットはオーガスと激しく戦う傍ら、町を破壊していく。
石畳を砕き、聖人の像を破壊し、聖文の刻まれた石碑を斬りつけ。
聖都に住まう者は皆、敬虔なる信徒である。神聖なるものを傷つけられ、怒らない者達ではない。
……観衆はオーガスへの声援と、ジェットへの罵声を上げるようになっている。
魔物を殺せ。魔物を殺せ。
祭の空気が下地にあったからか、人々はいっそ熱狂したように、魔物の死を望んでいる。
魔物は町を破壊しても、観衆には危害を加えなかった。だからだろう。人々は魔物を恐れることなく、憎むことができる。
いっそ演劇のようだった。悪が正義の刃に倒れていく様を、人々は望んでいる。
役者もそう、望んでいる。
「……案外あれで器用なのかもな、あいつ」
舞台はいよいよ佳境。手負いの魔物は次第に追い詰められていく。最早、町を破壊する余裕も無く、必死に騎士の剣戟に抗って、今にも殺されそうであった。
リリアナはそんな芝居に感嘆とも呆れともつかないため息を吐き……ふと、視線を外した先で、不可解なものを見つけた。
「……ロザリエ?」
それは、人目を憚るようにして大聖堂の裏へと進むロザリエと、その傍らを歩くフードの人物だった。
「……何故貴様、大鎌なぞ選んだ」
大鎌の柄と剣とで打ち合いながら、オーガスはジェットだけに聞こえる声でそう言った。
「倉庫に大鎌があったんでね。魔物の得物には丁度いいだろう」
「やりづらくてかなわん」
悪態を吐きながら、オーガスは大きく剣を振る。連動して飛ぶ魔術の刃が、ジェットの体を斬り裂き、血を噴きださせた。
「それは悪かったな」
ジェットもまたそう言いつつ、オーガスへと突っ込んでいく。隙あらば町の随所を破壊し、派手に血を噴きださせつつ、時には自らの臓物すらばら撒いて。……ジェットは実に派手に戦っていた。三文芝居の魔物役としては十分すぎる程の働きである。
人々はこの芝居を初めこそ恐れていたが、次第に優勢なオーガスへと歓声を送り、町を破壊する悪しき魔物へは罵声を浴びせるようになった。
このままジェットが『殺され』て去れば、後に残るのは魔物への憎悪と騎士への称賛のみ。お互いの立場を利用して、2人は遊びがてら、目的のものを多少なりとも得ることができる、というわけである。
そして少々目論見が外れた事に……聖騎士達は2人の間に入ってこなかった。入ってこられないのだ。下手に魔術を用いればオーガスを巻き込みかねない。ジェットの戦い方は如何にも魔物めいて不規則で、割って入るにはあまりにも危なげだ。
ジェットはそれなりに本気でオーガスへ向かっている。互いに多少の怪我は厭わないつもりで。
それにオーガスは見事、応えている。不規則な攻撃を捌き、流し、そこに一撃を加え。
それは本人の技量もあろうが、ジェットの戦い方を見て慣れているからこそできる技でもある。
……そうして芝居はいよいよ佳境へと差し掛かる。
ジェットは追い詰められ、オーガスの剣戟に対抗しつつも、いよいよ、その首を刎ねられるだろう、というところで……。
大聖堂の裏手から、爆音が上がった。
観衆も、見守っていた聖騎士達も、そしてジェットもオーガスも予期しないこの爆音に、意識をとられた。
……大聖堂の裏手の様子は、ここからは見えない。
だが。
「……リリアナか?」
ジェットはそう囁きながら、意識を大聖堂の方へとやっているオーガスに、大鎌の一撃を繰り出す。
「だろうな。貴様が先に行け。追う」
オーガスはやはり囁き返しながら、不意を突かれたその攻撃を瞬時に受け止め、そこで体勢を崩した。
瞬間、身を翻したジェットは大聖堂の裏手に向かって疾走する。
「待て!」
オーガスは叫び、ジェットを追った。
……邪魔が入った芝居をどうするかも気がかりだが、それ以上に大聖堂の裏で何があったのかが気になる。
何か、嫌な予感がしていた。
「こ……これは」
オーガスが大聖堂の裏に辿り着くと、そこには不可解な光景があった。
冬でもないのに、地面が凍り付いている。
そして凍った地面の上に倒れた聖騎士達。1人、杖を構え、肩で息をつくリリアナ。
それから。
……リリアナが向かい合うのは、1人のフードの男と……傍らの巨大な結晶だった。
「……てめえ、ロザリエに何しやがった!」
巨大な結晶。それは、ロザリエを閉じ込めて凍る、氷柱であった。
氷柱の中、ロザリエは目を閉じて動かない。生きているのか、死んでいるのかも判然としない。
リリアナが睨み、吠える先で、フードの男はさもおかしそうに笑う。
「何をしたか?私が?いいえ、いいえ。これは私ではなく、ロザリエ様がなさったこと」
「……はあ?」
リリアナの反応を見て、フードの男は氷柱をこんこん、と軽く叩く。
「ロザリエ様は今、氷柱の中でその身に力を宿されているのです」
そして。
「邪道聖女リリアナ。あなたを殺すために」
男が笑うと、瞬間、氷の刃がリリアナへと降り注いだ。




