32話
「よくぞ、二度に渡り悪魔を祓ってくれた。オーガス・エメルド殿。貴殿の功績を認め、ここに讃えよう」
聖王はひとまず、安堵の表情を浮かべながらオーガスを讃えた。
何せ、聖王とロザリエの前で、しかと、『人ならざる者』を殺したのだ。最早、オーガスとリリアナの功績を認めない訳にもいかない。
聖王としては、ジェットの存在だけが気がかりだったのだ。残り2人については……リリアナの功績を認めるのは複雑な心境ではあったが、ひとまず、功績を讃えることとしてもよい、と考えている。
……気がかりだったジェットは滅びた。それが聖王に安堵をもたらしていた。
リリアナの魔術によって焼き尽くされた室内には、かつてジェットであった微かな灰が残るばかり。流石の悪魔ももう復活できないらしい。
ならばこれで、聖王と聖女2人がかりでも解呪できなかった呪いについては抹消された。無論、それ以前に『人ならざる者』が抹消されたことを喜ぶべきだ、と、分かってはいたが。
「それから、ロザリエ。よく瞬時に結界を張ったな」
「はい、お父様」
「おいおい、親父、私は?」
「……リリアナも、よくやった」
聖王は、ひとまずオーガスと、結界を張って室内の4人を守ったロザリエ、そして、渋々といった様子でリリアナをも労った。
「ひとまず皆、今日はゆっくりと休んでくれ。アマーレンの民へは午後、私から説明するとしよう」
そうしてその場はお開きとなり、各自は各自に割り当てられた部屋へと、戻っていくのであった。
リリアナは自室へ戻ると見せかけて、するすると外壁を伝い、大聖堂の裏庭へと降り立った。
「っと、このへんかなー」
瑞々しく朝露に濡れる茂みを掻き分けつつ、ジェットの腕が落ちたと思しき辺りを探す。
すると、茂みからひょこり、と腕が出て、ひらひら揺れた。
「お、そこかー」
リリアナは表情を綻ばせつつ近づくと。
「待て、来るな」
焦ったようなジェットの声に止められた。
「……オーガスは居るか?」
「来るにしてももうちょっと後だと思うぜ。今、客間に案内されてるからな」
「そうか……」
リリアナの返答に、ジェットはどこか歯切れの悪い返答をする。
「え、なんかあるのかい?」
「ああ……その」
心配しつつリリアナが尋ねれば、ジェットはやはり、歯切れ悪く言った。
「……服が無い」
リリアナはけらけら笑いながら大聖堂の倉庫へと赴き、下級神官用の法衣を1着、拝借してきた。
これを着ていれば、ジェットがそこらを歩いていても、そうそうは目立たないだろう。
「はいよ。これ使いな。ボロいけど使えないことはないだろ?」
ジェットが潜んでいる茂みに法衣を放ってやれば、茂みから伸びた手がそれを掴み、茂みの中でもぞもぞと動く気配と衣擦れの音が続いた。
「それにしてもさー、あんた便利なようで不便だねえ。瞬間移動はできるが、その代償は素っ裸、かあ……」
「……それは言わないでくれ」
ジェットが着替える間、リリアナは話しながら待つことにした。ジェットは暇をぼんやりと漫然とやり過ごすことも厭わない性質だが、リリアナは可能な限り、暇は隙間なく潰したい性質である。
……ジェットは、体が焼失したような場合、最も大きく残った部分から体が再生することが多い。
今回は腕以外の全てが灰となり、その結果、腕から全身が再生した。
腕だけを階下に放っておけば、如何にも死んだように見せかけつつ、その場を脱出することも容易なのである。
……ジェットがオーガスに持ち掛けた企みの1つは、これだった。
即ち、手足を適当に斬り落として階下に放った後、残った体を灰にしてほしい、と。
それにより、ジェットはひとまず、大聖堂の追跡の手を逃れることができる。
無論、そのせいで現在、人前に出られない状態になっている訳だが。
「ホント、いつもどうしてんの?いや、再生する方じゃなくて、素っ裸の方な?オーガスいない時とか、素っ裸で人前出てたの?つーかもしかして、痛覚だけじゃなくて羞恥心も感じなくできたりすんの?」
「……理性を飛ばす薬を飲めば、最悪、何とかなる。更にその後、記憶を飛ばす薬も飲む羽目になるが……正直、やりたくない。内臓を晒すのとは訳が違う」
「冗談のつもりで言ったのに……マジかよ、すっげえな、あんた……」
リリアナが呆れか感嘆か曖昧な反応を示す中、ジェットはようやく着替え終えて、茂みから出てきた。
朝露に湿った黒髪を掻きつつ、リリアナに礼を言うべきか、苦言を呈するべきか、迷いつつ、結局は服の礼だけ簡単に述べるに留まった。
リリアナはジェットを連れて、大聖堂の外側をぐるりと移動する。
草が生い茂っていることからも分かるように、この辺りは人の手が滅多に入らない。
大聖堂の裏側にあたるここは、建て増ししていった大聖堂の、古い部分である。今や、倉庫として使われる程度の場所であった。
……特に、離れになっているような場所は、最早鍵が紛失していても碌に誰も気づかないような有様である。
無論言うまでもなく、鍵が『紛失した』のは、リリアナのせいであるが。
「よーし、開けるぞ」
リリアナは大聖堂の裏側、元々は農具などを入れていた小さな倉庫の鍵を開け、古びた扉を開けるとそこへジェットを連れ込んだ。
ひとまず、オーガスの方が落ち着くまで、ジェットをここで安全に待機させる算段である。
「じゃ、ここは自由に使ってくれ。鍵もあんたに預けとくよ」
「助かる」
倉庫は古びてはいるものの、少し片付ければ眠るくらいはできそうだった。
ジェットは早速、手近なものを動かして、寝床を作り始める。
そんなジェットを見ながら、ふと、リリアナは言った。
「……あんた、つくづく、良い奴だよな」
ジェットは動きを止めて、リリアナを振り返る。
その表情は驚きや不可解に満ちていた。
「いや……自分が死ねば、オーガスも私も親父もロザリエも、大体全部丸く収まる、ってことなんだろうけど。なんかさ。報われねえな、って」
ジェットがわざわざ『悪魔』として『死んだ』のは、他でもない、オーガスの為である。ああすることで、オーガスは大々的に悪魔殺しの名誉を得られるのだ。
聖都が持つ権力は、王都が持つ権力には劣るとも、決して小さなものではない。オーガスの後ろ盾とするには、十分すぎる程である。
「なんだってわざわざ、そんな事してやるのさ。言っちゃ悪いけど、あんた達2人、仲良しこよしにゃ、見えないんだけどね」
「そうしない理由は特に無いからな。俺はあの場から逃げられればそれでよかった。やり方を少し変えるだけでオーガスの得になるなら、そっちを選んでも別にいい。どのみち、俺には大した違いは無いんでね」
ジェットの返答に、リリアナは感嘆とも呆れとも、憂鬱ともつかない溜息を吐いた。
リリアナが思うに、ジェットはどうも、どこか合理的すぎ、自己犠牲的すぎるきらいがある。というよりはむしろ、自分の価値をあまりにも軽く見ているのか。死なない命に価値など無い、とでも考えているのか。
……それが元々の気質なのか、魔虫に憑りつかれて不死身となった故なのかは、分かりかねたが。
「……苦労するね、あんた」
「そうでもないさ」
ジェットはさらり、と言って、再び倉庫の片付けに勤しみ始めた。
結局、リリアナも手伝いながら、倉庫の片づけを行うことになった。
古い農具を漁っていたら、古びたナイフや剣の類が出てきたためだ。折角なら、ジェットの武装も整えておきたい、ということで、片付けついでに物探しまで始めてしまった。
そしてそれらの作業は、会話しながら、ということになる。
「あ。そういえばさ。文句言ってやらなきゃいけなかったんだ。ああいう企みするんなら、予め私に言っとけっつーの。何?私、あんたに頼まれた伝言、『リリアナを助けに出る前に話していたことがあったが覚えているか』だけじゃん?」
リリアナがふて腐れたように言うと、ジェットは小さく笑う。
ジェットは聖水牢の中で、リリアナに3つ、オーガスへの伝言を頼んだ。
1つは、痛み止めの薬を寄越してもらうこと。
次に、『リリアナを助けに出る前に話していたこと』について思い出せ、と。
そして最後に、『何かあったらソルティナのドラゴンと戦った時の要領で逃げる』と。
……要は、作戦の全貌は、リリアナに知らされていない。わざと、リリアナに知らせないような形で情報を伝達したのだ。
「ああ。あんたには悪いが、あんたは色々知らない方が演技の足を引っ張らないだろうと思ってね」
「うっわ、反論できねえなあ、それ……確かに私、ジェットを本気で殺すんじゃなく、逃がす為に死んだふりさせるだけだって知ってたら、親父に怪しまれる決断力でジェットを灰にしてただろうしなあ……」
ジェットもオーガスも、リリアナを見て、『こいつは嘘を吐くのが下手だろう』と判断していた。そして、『ならば詳細は伝えず、本物の反応をとってもらおう』と。
「敵を欺くならまず味方から、と言うだろう。それだ」
複雑そうな表情を浮かべたリリアナに、ジェットはそう言って笑った。
一方その頃、オーガスはロザリエが案内した客室で休憩していた。
ジェットの方へはリリアナが行ったようなので、問題はあるまい。むしろ……。
「オーガス様、お茶をお持ちしました」
にっこりと微笑みながら茶の盆を持ってきたロザリエを見て、オーガスは、さて、どうしたものか、と思案する。
ロザリエは美しい。聖女という地位も申し分ない。そんな女に好意を向けられて、悪い気はしない。
だが、それだけだ。
恐らく、口説けばロザリエはすぐ、オーガスのものになるだろう。その自信はある。だが、それでも……オーガスは、そうする気にならなかった。
大聖堂や神に嫌気が差している今、聖王の夫となって大聖堂に縛られたいとは思えないのだ。
……珍しいな、と、オーガスは自嘲する。
地位と名誉にばかり拘る自分が、目の前に吊り下げられた餌に食いつかないなど。
大聖堂への嫌悪感など捨ててしまえば、安泰に暮らせるだろうに、何故、それをしないのか。
……答えは出ている。
「どうぞ」
優雅にティーカップを差し出すロザリエに微笑んで礼を言いつつ、オーガスは、ロザリエの瞳の中に、己を見る。
……大聖堂以外に、この餌に食いつかない理由があるとすれば、それは、餌自体に魅力がないからだ。
オーガスは己の内に潜む、暗くドロリとして醜い一部分が、ロザリエの内にもまた在ることに気づいていた。
それは嫉妬であり、不安である。自らの立つ場所が他者に奪われることに怯えて過ごす姿である。
ロザリエの言動の端々には、それらが強く見出され、それを見る度にオーガスは、己の古傷を抉られるような心地になった。
……ロザリエはある種、オーガスを最も醜く映し出す鏡であったのだ。
そんなものを、どうして愛することができようか。自分自身すら愛せないというのに。
「……オーガス様?」
ロザリエに声を掛けられ、オーガスは我に返る。
「お加減が優れないのですか?」
「ああ、心配無い。少し疲れただけだ」
心配そうに覗き込んでくるロザリエに笑いかけながら答えて、オーガスは椅子の背もたれに深く寄りかかった。
実際、疲れてもいた。度重なる戦闘に消耗し、くだらない策略を立てては疲弊し。
……更にこれからもう一暴れすると考えると、より一層、疲労が重く感じられた。
そんなオーガスを、ロザリエは物憂げに見つめていた。
聖王の座以外にも、自分が姉から守らねばならないものを、見出してしまった為に。




