24話
リリアナは、ぼんやりと目を覚ました。
幸福な夢を見ていたような、或いは酷く悲しい夢を見ていたような。混沌とした感情が沈殿し、落ち着いていくのをぼんやりと感じながら、またぼんやりと、辺りを見回す。
古びた石造りの小屋の中だ。石壁の一部には、神の守りを象徴する古い文様が刻んである。それを見てリリアナは、どうやら、カラミアからはまだ出ていないらしい、と判断した。
寝起きの頭が徐々に冴え始め、理由も無く渦巻いていた感情もすっかり澄み渡り、リリアナは勢いよく体を起こす。
次いで、大きく伸びをして深呼吸すれば、ふと、美味そうな匂いを感じた。
匂いにつられて外へ出たリリアナの目には、驚くべき光景が映った。
「え……え?ちょ、これ、どうしたんだ?え?」
「起きたか」
「遅かったな。もう粗方食われたぞ。いや、むしろ良かったか。賢明だな、邪道聖女。貴様は『運よく』寝過ごすことができたということだ」
「いや……え?え?何?これ、何?何が起きたらこうなった?私が寝てる間に何があったんだ?」
リリアナは自らと残り2人の間の温度差と……それ以上に、地面に積まれた大量の骨に、困惑していた。
獣の骨らしいが、どうにも1頭分とは思えない2頭か……もしかしたら、3頭分かもしれない。
だが、その割に、肉はほとんど無い。捌いた時のものであろう血液や、剥いだらしい皮こそ残っているが、肉となると……オーガスが座る傍らの焚火周りに数本、枝に刺されて焼ける肉がある程度である。
残りの肉は……。
「……まさか、これ全部、食った?」
もう1つ、やや離れた位置に焚火が熾され、そこでは黙々と、ジェットが肉を腹に収めていた。
それほど速くもなく、かといって遅くもない速度で、淡々と、黙々と、丁寧に肉を食んでは咀嚼し、嚥下し、またもう一口、齧り付く。
ジェットはまるで作業をこなすかの如く、無感動に、ひたすら、ひたすら、食い続けていた。
「そのまさか、だ」
オーガスの言葉に、リリアナは、唖然とした。
「……いや、よく食う兄ちゃんだなあ、とは思ったさ。あの酒場でもかなり食ってたろ?野営中もそこそこ食ってたし」
リリアナはオーガスの隣に腰を下ろし、肉の串を食いながら、複雑そうな顔をして話す。
「でもまさか、ここまで食うたあ、思ってなかったね。何?鹿1頭分?」
「鹿1頭と兎と山鳥1羽ずつ、だ」
「ありえねえ……バケモンかよ……」
「実際化け物だろうが。貴様は一体、あれの何を見てきた?」
「いや……なんつうか、そうじゃなく……そうじゃなくて……いや、そうなんだけど……」
リリアナは珍しく、歯切れ悪くぶつぶつ呟きながら、焚火越しにジェットを見る。
黙々と食い続けるジェットは、その光景だけ切り取って見れば、何らおかしな所は無い。ただ、その光景が続いた時間の長さを思えば、あまりにも異常であるが。
「……なんであいつ、あんなに食うの?」
異常な光景に、リリアナはふと、そう、オーガスに尋ねた。
「魔虫の餌だそうだ。体を再生するために、ああして食っておかねばならんらしい」
一応、リリアナには既に魔虫についての説明はしてある。だが、こうまで食事が必要だとは説明していなかった。
ふうん、とリリアナは曖昧な返事をして、それからふと、もう一度、尋ねる。
「本当に、それだけ?」
尋ねられたオーガスは、訝し気にリリアナを見る。
「……どういうことだ?」
「いや、他にも理由、あんのかな、って。いや、分かんねえけど」
だが、オーガスの視線を受けたリリアナは肩を竦めて、なんとも適当な事を言う。
「けどさ。あんだけ食うって、並大抵の精神力じゃ、できないだろうな、って。いくら腹が減っても、それ以前に、疲れねえ?そもそも、気分が腹いっぱいになりそう」
「私の知った事か。知りたくもないがな。気になるなら本人に聞けばいいだろう」
「いや、口って1つじゃん。食事の邪魔、したくねえよ」
リリアナは適当なようで、妙に律儀であるらしい。
……オーガスは多少、言うまいか迷いながら、しかし、言った。
「今回は貴様の救出からアマーレンの防衛戦、そして今回の城塞相手に連戦だったが、その間、あれはまともに食事をとっていないからな」
「まともにって……あー……」
リリアナは記憶を辿る。
……リリアナの救助前に食事を摂っていたと考えて、そこで1回。
その後、アマーレンから宿場までの道でリリアナを襲う魔物と戦って、更にアマーレンに着いてすぐ、連戦。
直後、食事を摂る暇も無く投獄され、そのまま半日以上。
軽食はリリアナが差し入れたが、今のジェットの食事量を見る限り、到底足りなかっただろう。
……そして、旧聖都カラミアへの道中では、リリアナの思う『よく食べる人間』の分量で、朝と昼に食事を摂り、その後、カラミアでゴーレムやガーゴイル達との戦いの果て、城塞の巨人とも戦い……今に至る。
「そっか。足りねえよな。あんだけ食う奴じゃあ……」
「あれは並大抵の人間の食事量では足りんらしい。戦いの後は特に。……ああ、貴様の食事の準備が足りなかったなどと言うつもりはないぞ。異常なのは、あれの方だからな」
気遣うような突き放すような、そんな調子でそう言って、オーガスはジェットの方をぞんざいに示した。
「気にしてやる必要は無い。あれは勝手に獣をとって、勝手に食う。どの程度の食事が必要なのかなど、私にも分からん。本人が一番よく分かっているはずだからな、放っておいてやればいい」
オーガスは、ジェットが自分自身の空腹に気づかずぼんやりしていたことは告げず、リリアナにそう言う。
2人の視線の先で、ジェットはようやく、肉を食いつくしたらしい。最後の骨をそっと傍らに置くと、焚火を突き崩して消した。
「……そもそもだな。あまり、ああいう手合いに気を掛けるな。気にしてやるだけ無駄だぞ。気にされたがっている訳でもあるまい。……まあ、放っておいてやれ。互いの為に、な」
オーガスはそう言って立ち上がり、ジェットの方へ歩いていった。
何やら皮肉か文句かを言いながら近づいていくのを見ながら、リリアナはもう1本、肉の串を取って、齧り付く。
そうして咀嚼しながら、オーガスの言葉を、頭の中で反芻する。
「ま、そうだよな」
自戒のように、リリアナはそう呟いた。
リリアナは、聖女であった。
邪道を選び、破戒を選び、神を棄てても、彼女は聖女であった。
それはひとえに、人を救いたいと思うが故に。
……だが、救われたがっている人間ばかりではないということもまた、彼女は知っている。
だからリリアナは、ひとまず、肉を噛んだ。
香ばしく焼けた肉は美味かった。無論、1頭分食べたいとは思わないが。
乱雑に噛んで、急いで飲み込む。そうしてさっさと串を空けると、リリアナも立ち上がり、2人の方へと小走りに向かった。
ひとまず、崩れ落ちた城塞の奥底から未だ消えぬ不吉な気配を……ぶちのめしてやろう、と。物騒な事を、軽快に考えつつ。
「さて、邪道聖女よ。封印された悪魔というのは、一体どこに居る?」
「多分、あの下だな。埋もれた」
作戦会議、とでも言うべき会話は、最初の一往復で沈黙を呼んだ。
「そもそも、あの下には何も無かったのではなかったのか?……否、あったのか。『魔物を生み出す魔術』の中核が」
「ま、だろうね。多分、あんた達の言う『黒い石』みたいなのがあの地下に埋めてあって、それがあの巨人を生み出したみたいだから。ただし」
リリアナはそこで一度言葉を区切り……身を乗り出して、言う。
「私の予想だと、その『黒い石』を使う誰かが、居たはずだ」
「どうせ、アマーレン襲った魔物もその『魔物を生み出す魔術』の産物だろ?全部石だったし。材料はここ、幾らでも転がってるし」
「だろうな」
ジェットも予想していたことだが、リリアナもまた、同じように考えていたらしい。
尤も、リリアナは『旧聖都の魔術の名残が残る石材』という、魔物を作るに都合のいい材料を見て、この予想を立てていた。無論、ジェットは魔術に疎いので、そのような事は全く考えていない。
「……でも、いくら魔物がポコポコ生み出されたって、それだけでアマーレンを襲うか?いーや、襲わないね」
「指示した何者かが居る、と?」
頷いて、リリアナは得意満面に、言った。
「そうさ。……で、ま。私の予想だと……魔物を動かしたのは、『悪魔』だね」
「待て。悪魔とやらは封印されているのではなかったのか?その封印を解くために魔物がアマーレンを襲い、封印の要たる聖王を殺そうとしていたのでは……」
「いや、そうだけど。けどさ、封印っつったって、何百年も前の奴だよ?もういい加減、緩んでたって、おかしかねえだろ。ちょっと指示出すぐらい、できるって。多分」
あっけらかん、としたリリアナの言葉を聞いて、オーガスは頭痛めいたものを感じた。
「……俺は魔術に明るくないが、封印とはそういうものなのか?」
「知らん」
オーガスの知る限り、魔術とは繊細で、緻密なものである。『何百年も前の奴だから緩む』などと言われても、納得がいくような、いかないような。
「もうちょい詳しく言っちまえばさあ。……悪魔だって、封印されっぱなしじゃねえだろ、ってことだ。封印を内側から解こうと頑張り続けて数百年。そろそろ成果が出てもおかしくはないよな?」
だが、そうリリアナが補足すれば、ジェットもオーガスも、なんとなく納得できた。
要は、封印と悪魔との均衡が、崩れかけている、ということなのだろう。
「……さて。で、だ。このまんまじゃあ、ちょーっと、面倒だよな?悪魔が地下に居るんなら、あの瓦礫全部ひっくり返さなきゃならねえ」
にっかりと笑むリリアナを見て、ジェットとオーガスはそれぞれ、嫌な予感を思い出した。
……リリアナは、言っていた。『私にいい考えがある』と。
「ってことで、ま、とりあえず一回、封印解いちまおうと思うんだ」




