12話
神の像を、壊す。
聖職者であれば……否、聖職者でなくとも、多少なりとも信仰を持つ者であるならば、躊躇う行為である。ましてや、一応とはいえ聖女の地位を持つリリアナであるならば、当然、そのように畏れ多い行為を容認してはならないのだろう。
……だが、それこそが魔物側の狙いだと、リリアナは確信していた。
神の像を壊す人間など、大聖堂に居はしまい。万一、そのような不届き者が居たとしても、大聖堂と神を守る聖騎士達によって不届き者は即座に取り押さえられ、神の像は守られるだろう。
……そう。アマーレンと大聖堂を破滅へと導く魔術は神の像に仕込まれている限り、アマーレンと大聖堂を守る聖騎士達によって守られるのだ。
何と皮肉で、かつ巧妙な手口か。リリアナは未だ見ぬ敵の健闘を称えるように、にやり、と好戦的な笑みを浮かべた。
「いいのか。神の像なんて破壊してしまって」
「構わねえ。さっさとやっちまってくれ!きっとアレに、結界を押さえ込む魔術が仕込んである!できるだけ、急いでくれ!」
「それは構わないが……あんたはどうするんだ」
ジェットはリリアナを振り返りながら、問う。無論それは、リリアナへの心配に他ならない。こことて、魔物が襲ってこないわけではない。ジェットがここを離れれば、リリアナが1人、魔物達と相対する羽目になる。
「なーに、心配要らねえよ。もう結界は張り終わってる。あとは押さえ込んでる魔術さえぶち壊せりゃ、勝手に上手くいく。……つまり、私はもう、手が空いてる、ってことだ」
「そうか。ならいい」
攻撃の魔術用の杖を手に笑い、リリアナは早速、魔術を編み始めた。その姿に頼もしさを感じつつ、ジェットは尖塔のバルコニーを走る。
そして、バルコニーの端まで来たところで、一気に塀の上へ飛び上がり……飛び降りた。
通常、人間がこの高さを落ちたら、間違いなく死ぬだろう。実際、ジェットは地面に落ち、ぐちゃりと潰れ、見るも無残な姿に成り果てた。
だが、肉塊と化したジェットは即座に動き出す。肉塊から脚が再生されれば、そのまま走り出す。
死なない人間というものは、つくづく便利なものである。上るのにどれほど時間がかかる塔であろうとも、降りる時は飛び降りて一瞬なのだから。
大聖堂の入り口の脇におびただしい量の血を残しながら、入り口へ向かって走り、ジェットを止めるために剣を構えた聖騎士達などお構いなしに突っ込んで、自ら首を刎ねられ、しかし首を失って尚、ジェットは走る。
おぞましい姿の闖入者に、神へ救いを求めていた者達は恐怖し、泣き叫ぶ。
それらの敬虔なる者達の間を駆け抜け、ジェットは祭壇へと上がると……。
「な、何をする!やめろ!やめるのだ、化け物め!」
近くに居た司祭がジェットを止めようと割って入ったのを、殴り倒し、いよいよ神の像へと迫り。
化け物めいたその左腕で、神の像を、殴りつける。
途端、神の像が、動いた。
神の像は両腕を広げるようにした。まるで、神が人へ無償の愛を施すかのように。
だが、次の瞬間、神の像の腕は無慈悲に振り下ろされ……ジェットの頭をその拳で割り砕いた。
飛び散る脳漿と血液とが白大理石の床を汚していく。砕けた頭蓋の破片がばら撒かれる。
大聖堂に居た人々はつんざくような悲鳴を上げて、次々と外へ逃れていった。
「……ストーンパペットの一種か」
人も失せた大聖堂の中、さっさと脳も頭も再生したジェットは神の像と再び相対する。
神の像はゆったりとした動きで両腕を掲げ、ジェットを見据えてぴたり、と静止した。
「魔物が神に化ける、か。いいセンスだな。嫌いじゃない」
そしてジェットがそう呟いて口元をほころばせると同時。神の像は再び、ジェットに向けて腕を振り下ろした。
一方、オーガスは苦戦を強いられていた。
オーガス自身、決して弱い訳ではない。1対1であれば、聖騎士にすら勝てる自信がある。
……だが如何せん、数が多いのだ。
聖騎士はどうでもよい。細い通路と魔物とに阻まれ、身動きが取れないと見える。聖女の場所もこちらの動きも分からない以上、魔法剣や魔術の類を無闇に使う訳にもいかない、という判断らしく、地道に魔物を倒してこちらへ向かってくるが、放っておいても当面は問題ないだろう。
次いで、ガーゴイルもまだいい。魔法剣を一発当てれば撃ち落とせる。空を飛べる魔物であるということは、翼を折られた時に致命傷を負うということだ。オーガスの魔法剣によって翼を斬られたガーゴイル達はバルコニーの外へと落ちていき、やがて鈍く重い音を立てて砕け散っていった。
……だが、それらガーゴイルはまだしも、ガーゴイルによって運ばれてくるストーンパペットの類が、厄介だった。
ストーンパペットとは、いわば動く石人形である。当然のように様々な形状のものがあるが……オーガスに襲い掛かってくる石人形達は皆、美しい乙女の姿をしている。果たして、趣味が良いのか悪いのか。
勿論、石人形の造形がどうであれ、オーガスが戦うのに支障はない。だが、石の乙女達は至極厄介なことに、魔術を用いる魔物達であった。
オーガスの顔のすぐ横を、火の玉が通り過ぎていく。
初歩的な魔術ではあるが、初歩的であろうと魔術は魔術。才有る者にしか許されないだけの事はある。小さな火の玉も、十分な脅威になり得るのだ。
特に、一対多数で戦わざるを得ない時などには。
「ああ、随分と数ばかり揃えてきたものだ!」
悪態を吐きながら、オーガスは魔法剣で魔法を斬り、その先のストーンパペットまでもを斬る。
しかし、その間に他のストーンパペットが複数体、オーガスに向けて火の玉を放ってくる始末だ。
そんな中で戦うオーガスの鎧は煤け、肌は焼け、外套は燃え焦げて燻っている。
火傷のひりつく痛みが、火傷に引き攣れる肌が、オーガスの動きを阻害し、戦う意思を削り取っていく。
……だが、それでもオーガスは倒れずに戦い続けた。
理由の1つは、至極簡単な事。聖女ロザリエがオーガスへ、癒しの魔術を施し続けているからである。
火の玉によって肌を焼かれても、その痛みは即座に癒され、体は自由に動くようになる。
時に、仕留め損ねたガーゴイルの爪が鎧の隙間を縫って肉をえぐったとしても、聖女の魔術は即座にオーガスを癒すのだ。
……オーガスは、思った。
まるで拷問だな、と。
痛みも傷も癒え、それでも癒えないものがあることを、オーガスは初めて知った。
摩耗し続ける精神。或いは、もっと大切な何か。
戦い、戦い、戦いながら、オーガスは、思う。……ジェットはいつも、このような心地で居るのか、と。
そして、それと同時にまた思うのだ。
やはりあれは、化け物であるな、と。
そうでなければ、どうしてこのような戦い方ができるのか。
幾ら体が治ったとして、どうして精神までもを保つことができるのか。
……そう思い、そう思うからこそ、オーガスは立ち続ける。あのような化け物如きに劣る自分ではない、と、自負がある故に。
オーガスが倒れずに戦い続けられる理由のもう1つは、それが彼の矜持だからである。
「さて。あの化け物は上手くやっているのだろうな?」
誰かを嘲笑うようにそう言って、笑って、オーガスは再び、剣を構えた。
聖女を餌に、ここで魔物を引きつけ続けるしかない。結界が張られるまでの、永遠とも思える時間を。
方や、ジェットもまた、苦戦を強いられていた。
何せ、相手は石である。魔法剣を使えるオーガスならばともかく、ジェットには少々、硬すぎる相手であった。
……上に居たガーゴイル達よりもいい石を使っているのか、はたまた魔術による強化か。化け物の左腕でも容易には砕けぬ硬さをもってして、ストーンパペットは立ちはだかっていた。
しかも、その上、重い。
ジェットが数撃入れたところで、まるでびくとも動かないのだ。この場から動かす、ということもしにくい。
……それでも恐らく、時間を掛ければいつかは勝てる。
いつものジェットの戦い方よろしく、10回殺される間に1撃加えるような、極々緩やかな速度で、それでも攻撃を積み重ねられれば。
だが、今回ばかりはそうもいかない。
今回必要なのは、短期決戦。オーガスやリリアナが耐え忍ぶ時間を少しでも短くすることが、ジェットに課せられた使命であるのだから。
「……恨むなら、あの邪道な聖女様を恨んでくれ」
であるからして、ジェットは賭けに出た。
ストーンパペットがジェットを打ち据え、背骨を折る感覚を耐え、床に這いつくばり、そして。
ジェットは、白大理石の床を、左腕で破壊した。
柔らかな大理石は、ジェットの攻撃に割れ、削れ、砕けていく。
そしてその効果は確実に表れた。神の像が、傾いたのである。
それもそのはず、足元の床を割られては、石の巨像など、体勢を崩すしかないのだ。
咄嗟に腕をついて転倒を阻止しようと、神の像が動く。だが。
「残念。そっちも工事済みだ」
神の像が手をつこうとした場所に、床は無い。
重く激しく、地響きめいた轟音が響く。
……その瞬間、空気が揺らぐ。魔術の心得をもたないジェットにも、それが魔術のゆらぎなのだと感じられた。どうやら、結界が作動しかけているらしい。
ジェットはにやり、と笑うと、ふと、床に目を留めた。
ジェットの足元、神の像の近く。
元々は祭壇であったそこに、見覚えのある小瓶が転がっている。
神の像は自らの重さによって、倒れた時につきそこねた腕の一本を破損していた。ジェットはそれを見逃さず、素早く折れた腕の方から神の像の懐へと潜り込む。
神の像も、大人しくしてはいなかった。倒れた身を起こすと、懐へ飛び込んできたジェットを片腕で抱擁したのである。
神の抱擁と言えば清らかなものだが、実際起こっているそれは全く意味合いが異なる。
ジェットは石の腕に抱かれ、そのままぎりぎりと締め上げられる。骨が軋み、肺の空気が押し出され、ジェットはくぐもった声を漏らした。
それでも神の像の抱擁は緩まない。むしろどんどんと拘束は強くなり、ジェットの体は破壊されていく。
肋骨が折れ、血管が破れ。折れた骨が肉に突き刺さり、筋組織を引きちぎっていく。
……そんな中、ジェットは冷静だった。
自らの懐で、瓶が割れるのを感じながら、勝利を確信して笑う。
神の像が、ジェットを放した。
その胸は溶けたように質感を変え、わずかに煙を上げてさえいる。
「魔物には聖水が良く効くな」
一方、ジェットもまた胸から腹にかけて溶け爛れながら、しかし、それでも笑って立っている。僅か、じくじくと疼くような痛みが胸を這い回るような感覚はあったが、その程度だ。痛み止めはしっかり機能している。そして魔虫が、即座に傷を癒やしていった。
……だが、神の像はそうもいかなかったらしい。
溶けゆく石の体を捩るようにして、慌てているのか、苦しんでいるのか。聖水を浴びた魔物は、どうやらこうなるものらしい。
「もう一本、いるか?」
ジェットは更に、聖水の小瓶らしきものを拾い上げて、神の像へと中身をぶちまけた。
万全の状態であればそんなものは避けただろうに、今の神の像はそれすらできない。
ぶすぶすと煙を上げ、神の像は倒れた。そこへジェットは、容赦なく襲いかかる。
聖水を浴びて脆くなった神の像の胸へ、化け物めいた左腕を叩き込んだ。
神の像が潰えると同時に、ぶぉん、と、低く唸るような音が響く。
続いて、ふっ、と、空気が軽くなったような重くなったような、不可思議な感触を味わって、ジェットは困惑した。
……これが、リリアナの言っていた『結界を押さえこむ魔術』が消えた結果なのか。
割れ砕けた色硝子の窓の残骸から外を見れば、薄く光る膜のようなものが町の上空を覆っているのが見えた。
続いて、魔物達が力を失っていく様子も、垣間見ることができた。
結界のような、薄い光に包まれた魔物達は、ぶすぶすとその身から白煙を上げながら、悲鳴を上げていた。魔物は自らの力と相反する聖なる力によって、その身を滅ぼされているらしい。
そんな魔物達など、大した敵でもない。結界の完成に歓喜の声を上げながら、聖騎士や司祭達は次々に魔物を討ち取っているらしかった。
それらの喧騒から離れて1人、ジェットは荒れ放題の祭壇前に座り込んで、溜息を吐いた。
視線を落とせば、左の拳が視界に入る。
「……俺も、魔物か」
魔物を清める聖水によって溶け爛れた左拳からは、薄く白煙が上がっていた。




