34話
オーガスはもう、怯まなかった。怯んでいたら、もっと恐ろしいことになる。
咄嗟に剣を抜き、我武者羅に振るって触手を切り払う。
腕を掴んでいた触手を切り解いてすぐにその場を飛び退けば、数瞬前までオーガスが居た場所へ、触手が殺到した。
触手はオーガスを取り逃がしたと知るや否や、伸びる範囲を広げてオーガスを探す。
広がった触手に、今度はジェットまでもが巻き添えを食いそうになり、慌てて部屋の隅へと飛び退いた。
そうしてオーガスもジェットも触手の捜索を逃れたが、逃れられなかった者が居た。
触手は床に倒れて眠る少女を探り当てると、素早く絡みつく。
幸か不幸か、深く眠る少女は目を覚ますことなく触手に囚われ……そのまま、ずるり、と引きずられていく。
そうして触手が哀れな獲物を引きずり寄せると、それら触手の根源である黒い石が形を変えていく。
石だったはずのそれは柔らかく変形すると、がばり、と口を開けるように広がり、少女を包み込み……完全に飲み込んだ。
続いて、床に描かれた魔法陣が、輝いた。
散々流れ、零れた血液を代償とし、魔術が成立する。
……そして。
「……これは……小悪魔、か……?」
輝きが収まると同時、黒い石からぬるり、と生まれ出たのは、少女めいた幼い風貌の、小悪魔であった。
小悪魔が宙を飛び、襲いかかる。
オーガスは咄嗟に剣を眼前に構え、小悪魔の突進を退ける。
小悪魔は刃に自らぶつかる直前、宙でひらりと一回転し、そのまま次の獲物……ジェットへと飛びかかる。
ジェットは小悪魔が振るった爪の一撃をまともに受け、右目から首筋までを切り裂かれた。
だがジェットとて、ただ攻撃を受けたわけではない。自らを攻撃した小悪魔の腕を掴み、捕らえた。
「よし、そのまま捕らえていろ!」
そこへオーガスの魔法剣が飛ぶ。
魔術の刃は小悪魔の肩口から胸にかけてとジェットの腕とを大きく斬った。
ぎゃ、と大きく喚く声は、確かな傷を負わせたことの証明である。
小悪魔は飛び退き傷口を押さえる。流れる血の量が、傷の深さを物語っていた。
憎々し気にオーガスを睨みつけ、小悪魔は術式を組み上げる。いたずら好きで利己的で、かつ残酷な魔物は、一筋の光線を放った。
受けた相手を魅了し、自らの虜にするその光線は、小悪魔の十八番でもある。
……それ故に、人間の間でもその光線の存在はよく知られていた。よって、ジェットは動く。
ジェットは小悪魔とオーガスの間に割り込むと、光線を自らの体で受けた。途端に魅了の魔術がジェットを洗脳していくが。
「よし、よくやった」
すかさず、オーガスの魔法剣に斬って捨てられた。更に魔法剣は、ジェットを超えてその先に居た小悪魔をも斬っていく。
小悪魔が痛みと怒りに叫ぶ中、ジェットは一刀両断された胴体を再生させ、かつ、正気に戻った。
「助かった」
魅了の効果は、対象が大きな傷を負ったり、強い痛みを感じたりすれば解除されることが多い。その点、いかに大きな傷を負ってよいジェットは、魅了されても即座に正気に戻せる人材であった。
2人の様子を見て、小悪魔は益々憎々し気に顔を歪める。
小悪魔は大きく傷を負いながら、しかし、倒れる気配はない。
「……おい、化け物」
「何だ」
小悪魔と向かい合う2人は、言葉少なに確認をとった。
「貴様の体は未だ毒に侵されているか?」
「ああ」
「そうか。なら行け」
「分かってる。ああ、今度は正気に戻そうとしなくてもいい」
オーガスは魔法剣の構えを取り、ジェットは懐の缶から目的の薬を取り出して飲む。
そして2人はお互いの顔を見ることなく、しかし、似たような笑みを浮かべてそれぞれに小悪魔へと向かっていった。
小悪魔はすばしこく、力はそれほど無く、そして魔術に長けている。そういう魔物だ。
中でも魅了や錯乱の魔術を得意とするが、それ以外にも魔術を扱うことができる。
早速、小悪魔はその可愛らしい翼をはためかせ、巻き起こした風に魔術を掛ける。
風の刃となって襲いかかる小さな竜巻は、しかし、ジェットによって防がれる。勿論、自らの体を盾にする、といういつも通りのやり方で。
だが、小悪魔もこれは想定済みだ。本命は、得意の魅了光線。小竜巻に切り刻まれたジェットの先で剣を構えるオーガスを狙い、放つ。
真っ直ぐに進む光線はオーガスへと向かい……しかし、魔法剣の一閃によって、断ち切られて霧散する。
小悪魔はもう一発、更にもう一発、と光線を放つが、それらは全て、魔術さえ斬る魔術の刃によって消えていく。
無論、オーガスにとってもこれは負担であった。
何せ、自らに飛んでくる魔術を斬るのだ。一撃も漏らすまいとすれば当然、極度の集中を必要とする。更に、魔法剣を使うことで消耗する魔力と体力はどうしようもない。
かくしてオーガスは確実に疲労していったが。
小悪魔の背後でひっそりと起き上がっていたジェットが、素早く小悪魔に飛びつく。
小悪魔は悲鳴を上げて、慌てて飛び退り、オーガスに向けていた魅了の魔術を、代わりにジェットへ向けて放つ。
ジェットはごく近い距離で小悪魔の魅了光線を受け、洗脳された。
そしてジェットは、目の前の小悪魔へと、飛びかかったのだ。
小悪魔は混乱した。何せ、確実に魅了したはずの相手が自分に襲い掛かってきたのだから。
魅了の魔術は確実に効いたはずだ。なのに何故、目の前の男は襲い掛かってくるのか、と。
その答えは単純である。
ジェットが服用した薬が、『食欲増進剤』であるからだ。
普段、ジェットは滅多に『食欲増進剤』など使わない。使わなくとも異常なまでの食欲はいつもある。
だが時々、魔虫の食欲を凌駕する程の吐き気や目眩、痛みに襲われることがある。そういった時でも、食べなければ魔虫が体を再生することはない。であるからして、『食欲増進剤』を飲んででも、無理矢理体に食べ物を入れることが、ごく稀にあるのだが。
……『食欲増進剤』は、小悪魔の魅了の効果と合わさって、ジェットに異常な欲を植え付けた。
即ち、小悪魔を、食べたい、と。
ジェットは小悪魔を床に引きずり倒すと、すかさず、小悪魔を押さえつけ、組み敷き……ほっそりとしながらも柔らかい、その内腿へと顔を寄せ……。
噛み付いた。
噛むにとどまらず、食い千切った。
そのまま咀嚼した。嚥下した。
さらに傷口から溢れる血を啜り、飲み下し……そして思い出したように、毒に溶かされた内臓と血を吐き出した。
小悪魔は自らを食うおぞましい化け物の姿に悲鳴を上げ、怯え、逃げようと魔術を放つ。
至近距離から放たれた小竜巻はジェットを切り刻んだが、切り刻まれて尚、ジェットは止まらない。如何に自分が傷つこうがお構いなしに、小悪魔を食おうと動く。
そして半狂乱の小悪魔は気が付かなかったが、ジェットは傷つき、傷つける過程において、毒に侵された自らの血液や臓物をぶちまけては、間接的に小悪魔をも毒で侵していく。
無論、異常な食欲と魅了の効果で理性を失ったジェットもまた、小悪魔の状態など理解していない。
ただひたすら、ジェットは食って、食って、食い続けるだけであった。
……そうして泥臭く血生臭い攻防の果て、倒れたのは小悪魔だった。
驚異的な生命力と魔力を持つ魔物でも、毒はどうしようもなかったらしい。
一連の様子を見ていたオーガスは、勝負がついたことを確認するとようやく、声を掛ける。
「……おい」
だが、オーガスが声を掛けるも、ジェットは一向に、攻撃および食事をやめようとしない。
「おい、聞こえているのか」
再び声を掛けるも、ジェットは延々と小悪魔の死体を食い漁っているばかりである。
これならデュラハーンではなくグールのふりも十分にできるな、などとオーガスは考えながら、ジェットに近づいた。
そして。
「聞け!」
剣を一閃させ、ジェットの首を刎ねる。
ごろり、と床に転がった首の髪を掴んで適当に持ち上げ、胴体の上に乗せる。
食うだけ食ったからか、再生も速かった。ジェットの首はすぐに繋がり、数度、目が瞬く。
「……あ……?」
「ようやくお目覚めか」
ジェットはしばらくぼんやりしていたが、オーガスが声を掛けると1つ、頷いた。その眼にはもう狂気は見当たらない。魅了の効果が解け、食欲もある程度満たされたことで、正常に戻ったらしい。
「ん……?ここは……俺は何、を……?」
尤も、ジェットの記憶には混濁があるようだった。
オーガスは溜息を吐きつつ、どうしたものか、と考えていたが、ジェットは周囲を見回して、自力である程度は記憶の補完を行った。次第に意識もはっきりしてきたらしい。
「小悪魔はどうなった?」
「大半が貴様の腹の中だ」
「そうか。なら、黒い石は?」
「まだそこにある。特に何もしていない」
2往復程、言葉をやり取りすれば、完全に記憶の混濁も晴れたようだ。ジェットは立ち上がると、黒い石を見据えた。
黒い石は先ほどの狂騒が嘘のように、静まり返っている。
こうしてみると、触手が生え出たり、少女の体を飲みこんだりしたなどとは到底思えない。
本当に只の、黒い石に見える。
2人は遠巻きに黒い石を見ながら、同じことを考えていた。
「さて、アレをどうにか処分しなくてはな」
「ああ」
只の石に見えたとしても、これは文字通り、魔物を生み出す代物である。
この黒い石自体がそういった魔術の塊であり、魔術の核となるものなのだろう。このまま捨て置いて良いものとは思えない。
「問題は、どうやって処分するか、だが」
オーガスは魔法剣の構えをとると、集中の後、鋭い一閃を放つ。
魔術の刃は違うことなく黒い石を切り裂く軌道を描き……しかし、黒い石には、傷一つつかなかった。
代わりに、黒い石は反応して、ぬるり、と、触手を生え出でさせる。
「……これは厄介そうだな」
「ああ」
2人は表情を険しくしながらも、黒い石と相対した。
ジェットは目の前の難題を前にして、先ほどの疑問の答えを得て納得していた。
何故、この黒い石の警備が手薄なのか。
……答えは単純。守らずとも、この黒い石自体を破壊したり持ち出したりすることが難しいから、であろう。
魔法剣でも傷つかないのだ。まず、破壊が難しい。
それに、下手な攻撃を加えれば、現在のように触手が生え出て侵入者を襲う。
持ち出そうと触れても同じことだろう。
……さて。
ひとまず納得もしたところで、ジェットは考えていた。
オーガスと同じく、『どのようにして黒い石を処分するか』を考えていたジェットだったが、オーガスがその『手段』について悩む一方、ジェットはもう少し異なる事で悩んでいた。
だが、襲い来る触手を斬り払いながら考え、悩み……結論を出したのは、ジェットの方が早かった。
「方法なら、見当がついてる」
「本当か!?ならさっさと試せ!」
「ああ」
ジェットは剣を、ナイフを、部屋の隅へ放った。
ガシャリ、と重い音が響く。
「……何をしている?」
武器を捨てたジェットに対し、オーガスは怪訝そうな顔をした。
「石が獲物を吸収する時、一瞬、核が見えた」
だがジェットはオーガスに構わず、説明する。
「多分、核に直接あんたの魔法剣を叩きこめば、石を破壊できるだろう」
シンプルな説明は、数秒の時間を要した後、オーガスに理解された。
「……おい、まさか」
「俺が捕まる。吸収される瞬間に斬ってくれ」
オーガスが何か答えるより先に、触手がジェットを捕らえた。
手足に、胴に絡みつく触手を払うこともせず受け入れて、ジェットは引きずられていく。
「ああ、そうだ」
その途中、ジェットはなんでもないことのように言った。
「もし俺が魔物になったら、上手く殺してくれ」
オーガスは黙って、剣を構えた。
こいつを魔物にはさせまい、と、強く思いながら。
……不死身の男のなれの果ての魔物など、厄介以外の何物でもなさそうなので。




