32話
少女は手にした杖を握り直しながら、じっと、ジェットを睨んでいる。だが、ジェットから血を買った事は忘れているらしい。特に何の反応も示さなかった。
「何をするつもりか、と言ったか」
ジェットは少女を向かい合い、それから……ナイフを構えた。
「あんたを殺しに来た」
ジェットがナイフを構えて突撃する中、少女も行動を開始した。
近くに置いてあったらしい杖を手に取ると、呪文めいた言葉を紡ぎ始める。
途端、ジェットは足首を何かに掴まれた。見れば、床から生えた腕が、ジェットの足首を締め上げるように掴んでいた。
「いいわよ、そのまま宙吊りにしちゃいなさい!」
少女の声に応じるように、腕は動く。
床から長く伸び上がった腕がジェットを逆さに吊り上げる。さらにそこへ、少女は魔術による追撃を行う。
魔術によって生み出された蝙蝠が、ジェットに向けて飛びかかる。小さな体躯ではあるが、鋭い牙には猛毒がある。掠りさえすれば、それだけでどんな戦士も殺せる。
……だがジェットは、少女の予想を超える行動に出た。
ジェットは逆さに宙吊りにされた状態から腹筋の力で半身を起こし、自らの足首に届くや否や、足首をナイフで一閃した。
躊躇いのない一撃と、脚にかかるジェット自身の体重が、ジェットの脚を切断する。
重力に引かれて落下するジェットの上を、蝙蝠が通過していった。そして蝙蝠が旋回してジェットへ再び向かうより先に、ジェットが少女に襲いかかる。
切り落とした足首で躊躇なく床を蹴り、無事な方の脚でもう一歩踏み出し、踏み切り。続く大きな跳躍で、少女へと迫る。
まるで容赦のない攻撃は少女を狙い……自身を庇った少女の手ごと、左目の横を大きく切り裂いていったのだった。
顔と側頭部、そして手から滴る血を呆然と眺め、それから少女は……激怒した。
「よくも……やりやがったわねっ!」
少女の横に回り込んでいたジェットに向き直り、少女は杖を掲げ、叫ぶ。
「命じるっ!こいつをぶっ殺せぇっ!」
少女の思いに応えるかのように、闇が膨れ上がった。
膨れた闇はやがて分裂し、それぞれに形を成す。
即ち、1つ1つが猛毒を持つ、蝙蝠へと。
四方八方からの攻撃を全て避けられるほど、ジェットは器用ではない。当然のように数匹分の攻撃を受けることになる。
腕を、太腿を、首筋を噛まれ、それぞれの傷口からは猛毒が注ぎ込まれる。
「……毒、か」
自身の体が毒に侵食されていくのを、ジェットははっきりと感じた。
心臓が狂ったように脈打ち、急激に熱が膨れ上がり、倍速で血が巡るような感覚。かと思えば、体の内側を氷のやすりで削り取られていくような冷たさと喪失感。
それらが徐々に体をを満たしていく。体が震え、痺れ、思うように動かせなくなる。
その間も蝙蝠達はジェットを嬲り、次々に毒を注ぎ込んでいった。
そして。
注ぎ込まれた毒がある一点に達した時……毒がジェットの痛み止めを超越した。
絶叫が響く。
全身を毒に侵される哀れな男が、叫び、喘ぐ。
少女はその光景を見て微笑んだ。
体を内側から破壊されていく痛みと苦しみは想像を絶する程であろう。
少女が想定していたよりもかなり時間がかかったが、一度毒が回りさえすれば、少女の勝利は確実である。
微量でも十分に効く毒があれほど注ぎ込まれたのだ。ジェットが助かる術はない。
……だが、これもまた少女の想定していたよりも長い時間、ジェットはもがき苦しんでいる。そろそろ死んでもおかしくないのに、と思う一方で少女は、ジェットに毒への耐性があったのだろう、とも考えた。影に生きる者の中には、自ら毒を飲むことで毒への耐性をつけている者も居る。
「かわいそうに。変に頑張らなければもっと楽に死ねたのにね」
少女はジェットを嘲笑う。少女の目の前でジェットは、内臓の欠片めいたものを大量の血とともに吐き出した。
苦しみに暴れながら、ジェットはその体の内側を破壊され尽くしていくのだ。
「精々苦しみなさいよ。ざまあみろ、死にぞこないめ」
少女は憎々し気にそう吐き捨てると、目の横から側頭部にかけての傷を押さえた。
上の階は幸いにも薬屋だ。偽装ではあるが、薬屋としての商いもきちんと行っている。傷薬程度はあるだろう。
傷を押さえるも、血は未だ止まらない。すぱりと斬られた傷は切り口こそ綺麗なものだが、痕が残るかもしれない。
……少女は呪術師であったが、少女でもあった。世界の裏側の闇に親しんでいても、その精神は少女らしく未熟で……また、可憐と言っても許されるであろう一面も、持ち合わせていた。
要は、顔に傷が残るなど、少女には許しがたいことだったのだ。
少女は忌々し気に舌打ちした。いっそ、もっと甚振って殺してやればよかったか、などとも思いながら。
ガシャリ、と、少女の耳に、音が届いた。
続いて、ぎい、と重く軋む金属の音。
……少女が、振り向くと。
いつの間にか、魔物の檻が開いていた。
飛び出した魔物は、目の前の標的……少女へと、狙いを定める。
窮屈な檻に閉じ込められていた分の鬱憤を晴らすかのように、少女へ襲い掛かる魔物。咄嗟に少女は魔術を用いて、魔物へと影の腕を伸ばす。
だが、次の魔物がまた解き放たれた。更に次、もう一体、更に一体。
ジェットは魔物の檻の鍵の束をいつの間にか手にしていたらしい。そして、檻を全て開けて回っている。
「くそっ、このっ……よくも!ああ、うっざいっ!」
少女は苛立ちをぶつけるように叫ぶと、杖を構えて呪文を唱え始める。少女は最早、なりふり構っていられなかったのだ。
まず、魔物が外に出てしまえば、この薬屋は隠れ家として使えなくなる。世間の目を忍んでいる意味が無くなる。それは是が非でも避けたい事だ。
……だが、それ以前に。
少女はここで魔物に殺されたくない。ならば、襲い来る魔物を全て、一度殺してしまうしかない。
少女は優秀な呪術師であり、テイマーでもある。だが、この数の魔物を大人しくさせるには、テイマーの助力が必要だ。……なのに、薬屋の店員に扮しているあのテイマーは、何故か助けに来ない。
となれば、わざわざ生み出した魔物だが、殺さなければなるまい。
呪術が完成し、そして少女は例の蝙蝠を放つ。
少女の影と血、そして猛毒と呪詛を混ぜて生み出す、少女渾身の魔術だ。代償として猛毒は勿論、少女自身の血液や気力を失うが、多少の貧血で済むなら安いものだ。
蝙蝠達は少女の期待通り、たちまちに魔物達を襲った。大きな体躯の魔物も、毒が回ればすぐに死ぬ。そういう毒を選んで使っているのだ。安いものではないが、仕方ない。
少女は肩で息を吐きながら、魔物達が猛毒に倒れていく様子を見ていた。
目に血が入ったらしく、片目が良く見えない。貧血からか、視界が霞む。だが、今度こそ、勝った。
そう、確信した瞬間。
少女の手首が何者かに掴まれ……同時に、首筋へと化け物が噛みついた。
ジェットは少女の細い腕を押さえ、身動きを封じた上で、少女の首筋に噛みついた。
柔らかな肌を食い破って、肉を食い千切らんとする勢いに、少女が悲鳴を上げる。
「このっ……まだくたばってなかったの、この、死にぞこ、ない……!」
半狂乱になった少女は暴れるが、成人男性の体躯に押さえこまれてしまえば、その抵抗も空しい。
暴れれば暴れる程少女はその現実を思い知ったが、それでも尚、少女は混乱の渦中にあった。
何せ、死んでいなければおかしい者が、生きていて、しかも少女を拘束し、噛みついてきさえしたのだ。混乱しない方がおかしいだろう。
「そうだな。俺は死にぞこないだ。だが、生きてる。全身毒塗れになっても、な。死にぞこないもここまでくれば、大したものだろ。……ところで」
ジェットは混乱する少女の首筋から口を離し、体を強張らせる少女の耳元で、囁いた。
「……毒が、回ってきたんじゃないのか?」
少女にはジェットの声が、死神の囁きに聞こえた。
毒を散々流し込まれたジェットは、今やその体のほとんどを毒に侵されている。本来ならば人間十数人を殺せるような猛毒が、ジェット1人の中に全て収められているのだ。
……それはつまり、ジェット自身が毒の塊と化している、ということだ。
そんな毒の塊に噛みつかれ、血管の中に体液でも混ぜられようものならどうなるか。
少女は聡明であったので、『どうなるか』が分かってしまった。
「そ……んな、い、いや……」
少女がジェットを嬲るために使った毒が、少女自身を苛む。その未来を知って、少女は恐怖した。
「安心しろ。あんたは死なない。俺の言う通りにすればな」
死への恐怖に憑りつかれた少女は、ジェットの言葉に目を見開く。
「し、死なない……?ど、どうやって」
「俺は解毒剤を持ってる。まだ世に出回っていない代物だが、効果は確かだ」
「解毒、剤」
少女は、目の前にぶら下げられた可能性を、疑うこともできなかった。……悲しいかな、少女は少女であったので。
「解毒剤が欲しいなら、喋ってもらおうか。できるだけ急いだ方がいい。毒に苦しんで死ぬのが嫌ならな」
少女は何度も頷いた。
『ありもしない』解毒剤に縋って。




