19話
革の帳面をめくれば、それが何であるかはすぐに分かった。
「日記か」
「日記、だな。およそ日記というよりは怨嗟の言葉の事典のようになっているが」
だが恐らく、令嬢マーテセリアのものではない。
誰かを呪ったり罵倒したりする言葉の隙間から内容らしい内容を読み取っていけば、この日記が誰の物かが分かってきた。
「この家の当主の日記、と考えるべきだろうな、これは」
日記の主は恐らく、当主……マーテセリアの父のものだろう、と思われた。
何か重要な情報が無いか、と日記を読み始めたオーガスだが、律儀に全て読んだ後、こう言った。
「全く以て、時間の無駄だったな!」
「そうか」
オーガスは不機嫌そうに日記を閉じ、ジェットに放った。
投げ渡された日記を受け取ったジェットも、パラパラとページを捲ってみた。
始めこそ日記の体裁を取っているものの、終わりの方になれば最早、ただ憎悪怨嗟を書き連ねただけとなっている。成程、オーガスが『時間の無駄だった』と怒る訳である。それでも最後まで読んだらしいあたり、律儀な奴だ、とジェットは妙に感心したが。
「……一体誰をこんなに恨んでいたんだかな」
これ以上読んでも『時間の無駄』であると判断し、ジェットは日記を閉じ、そっと置いた。
「ああ、それなら序盤に幾らか書いてある。要は、エリオドール王家と遠くとはいえ血が繋がっているのだから、困窮している我らに援助があるべきだ、などというふざけた内容だった。逆恨みも甚だしい。これだから家が潰れたんだろうよ」
「つまり、エリオドール王家への恨みつらみなのか、これは」
「ああ、そうらしい」
どうやら、マーテセリアの父はエリオドール王家を逆恨みしていたらしい。それも、日記の狂騒具合を見る限りでは、相当に。
……ジェットの脳裏に、マーテセリアの言葉が浮かぶ。
取り押さえられながらも暴れ、狂ったように『殺してやる』と喚き……『エリオドールに災いあれ』、と。
「ご令嬢も同じことを思っていたんだろうか。正気の時の様子を見る限り、そうは、思えなかったが」
「さあな。分からんぞ。人間など、いくつも顔を持ち合わせているものだ。女は特に、な。あの正気こそが仮面ではないとどうして言える?」
オーガスの言葉に、ジェットは思う。
マーテセリアの殺意。それは……マーテセリアの父の、遺志だったのかもしれない、と。
「で、こっちは何だ」
「俺も知らない。むしろあんたの方が知ってるだろうと思っていたんだが」
「私も知らんぞ、こんな紋章は」
続いて2人が見るのは、紋章が刻まれたブローチのようなものである。
取り立てて細工が美しいわけでもなく、素材もごくありふれた合金に見える。落ちぶれていたとはいえ、貴族の持ち物としてはふさわしくないように見えるが。
「……まあ、見当がつかんわけではない、が」
だが、オーガスはそう言うと、ブローチを拾い上げた。
「これは私が預かっておく。いいな?」
「構わないが」
ジェットにはこのブローチが何なのか、見当すらつかないものであるし、特に異論はない。
ブローチについてはこれ以上、特に何も話さず終了した。
……オーガスは、今後、ソルティナあたりでこのブローチを使う羽目になるかもしれない、と、少々げんなりしていたが。
そして最後に。
「この金貨は金貨か」
「どう見てもそうだろう。何だ?貴様は遂に頭もおかしくなったのか?」
箱の中には金貨が数枚、入っている。特におかしな点もない。ごく普通の金貨らしい。
「恐らくこの箱はマーテセリアの父の持ち物だったんだろうよ。そしてこの金貨は隠し財産、というわけだ」
「へそくりか。貴族もそういうことをするんだな」
ジェットはそう言いながら、オーガスを見た。
「……おい、化け物。落ちぶれた矮小な貴族もどきとエメルド家を一緒くたにするな」
オーガスはうっとおしそうにジェットを見つつ、箱の中の金貨を数えた。それと同時に、ジェットも金貨を数え。
「4枚、か。本当に没落貴族のそれらしい慎ましやかな金額だな」
「金貨4枚か。十分な資金になる。ありがたい」
金銭感覚の違う2人はほぼ同時にそう言って、顔を見合わせた。
……が、互いに何か言っても言うだけ無駄であることは承知の上であったので、互いにまた、視線を箱の金貨へと戻すのであった。
「じゃあ、もらうぞ」
ジェットは2枚、箱の中の金貨を取った。オーガスは一瞬不可解そうな顔をしたが、すぐにその意味を理解して、オーガスも2枚、金貨を取った。
互いの財布はある程度、互いで管理する。いつまで手を組み続けるかわからない以上、こうしておくのが賢明だろう。
割り切ったジェットの金勘定を、オーガスは新鮮に、かつ好ましく思った。
金額は『慎ましやか』だが。
「さて。これで当面の路銀も確保できたな。大分、当初の目的とは異なることをする羽目になったが。なあ、疫病神よ?」
オーガスは伸びをしながらそう言う。まさか、盗賊を討伐しようとしていたのに魔虫憑きと遭遇する羽目になるとは思ってもいなかった。これもジェットが引き寄せる不運だろう、などと勝手に思いながら、オーガスはジェットを振り返り。
「……待て。何をしている」
ジェットの行動に、顔を引き攣らせた。
「金目のものを探している」
そして返ってきた言葉のあっさりとした調子に、オーガスは頭を抱えた。
「貴様……それは流石に、どうなんだ」
「元々の目的はこれだったろう」
「あのやり取りの後でもか!?……いや、最早何も言うまい、貴様はそういう奴なんだな、ああ。分かっているとも。実に理に適っているとも」
オーガスは、最早何も言わない。ジェットが情緒を解さない男だということは、そろそろいい加減に分かってきた。なにか言うだけ無駄だろう。そして実際、死者は金を使わず、また、旅には幾ら金があっても困らない。実に合理的ではある。情緒は欠片も無いが。
「あと、服だな。また穴が開いた」
……そしてジェットがしょっちゅう着替えを必要とすることも、いい加減分かってきた。
「……私は少し休む。頭痛がしてきた。貴様は家探しなり着替えなり、勝手にしろ」
「ああ。そうさせてもらう」
2人は一旦家の中で別れ、お互いに行動なり休憩なり、することになったのだった。
……ジェットとオーガスは、共に思った。
どうやらこいつとは、適度に別行動を挟んだほうが良さそうだ、と。
休憩なり着替えなり家探しなりを挟んだ後。2人は屋外に居た。
「全く……これでは次の宿場に着くのは夜だな」
「まあ、仕方ないさ。墓掘りはそれなりに重労働だった」
既に日は傾きかけている。これほどまでに時間を要したのは、2人の遺体を埋葬していたからである。なんとなく、遺体をあのままにしておくのは気が引けた。
流石のジェットでもそれは感じたらしく、木の根本に穴を掘り、2人の死体を埋めた。
花を供えるオーガスをぼんやり眺めながら、ジェットはふと、呟いた。
「普段はこんなこと、しないんだがな」
「……貴様の普段とは一体何だ?埋葬する機会がそんなにあるとでも?」
嫌なことを聞いた、とばかりにオーガスが問うと、ジェットはすこしばかり考えて答えた。
「戦場では大量に人が死ぬからな、埋葬もできないんだ。かれこれ数回、戦場を渡ってきたが、満足に弔いができた試しなんて一度もない」
「ああ、そういうことか。てっきり普段と呼べるほど頻繁に貴様の周りで人が死ぬのかと思ったぞ」
「……あながち間違ってもいないかもしれない」
「笑えない冗談だな。私を殺すんじゃないぞ、この疫病神が」
オーガスが土を払って歩き始めると、ジェットもそれについて歩き始めた。
ひとまず、本日中に宿に着くことを祈りつつ。
そうして2人が宿に着いたのは、深夜を回る頃だった。
疲労は大きかったが、休む前に2人は集まって明日の予定を話す。
「明後日にはソルティナに着くか。長かったな」
「ああ。到着したら、あんたの兄弟を探すのか」
「……まあ、そうなるが。貴様は別行動していていいぞ。愉快な話になるとも思えん。もし魔虫についての話が分かれば教えてやる」
オーガスはソルティナでオーガスの兄、エメルド家の三男と会う予定だ。相手がまだ滞在していれば、の話だが、恐らくは大丈夫だろう。
ソルティナは裏に暗闇を持ち合わせつつも、表は派手に華やいだ町である。貴族の子息が遊ぶには丁度良い場所もいくつか思い当たる。オーガスの兄はソルティナで遊び呆けているのだろうと思われた。
「そうか。なら俺は薬の調達に出る」
「薬……というと、あれか。人間が使うべきではない類の」
「まあ、そうだな。痛み止めと、睡眠薬が足りない。睡眠薬はもう切れてる。それから、興奮剤も残りが少なくなってきたか。できるだけ早く買い足したい」
オーガスは顔を顰めたが、ジェットにとって薬とは、戦うために必要不可欠なものである。
それが分かっているから、オーガスもそれ以上、とやかく言うことはなかった。そもそも、オーガスはジェットが薬のせいでどうにかなったとして、それが自分に害を及ぼさなければ特段何も文句は無いのだから。
「まあ、それも全て、ソルティナに到着してからの話だな。到着まで、これ以上厄介ごとに巻き込まれなければいいが」
「そうだな」
「貴様に言っているんだぞ、この疫病神が」
悪態を吐きつつも話を切り上げ、オーガスはジェットを部屋から追い出す。
明日に向けて早く眠った方がいい。ただでさえ、既に夜中を回っているのだから。
……明日は早起きせず、むしろ少し遅めに起きた方がいいかもしれない。そうすればジェットと朝食の時間が被らなくて済むのではないだろうか。
そんな事を考えながらオーガスは床に就くのだった。
尤も、その時、ジェットもほぼ同じことを考えていたのだが。




