18話
「殺す、だって?」
男は、確認するような、縋るような、そんな調子で言葉を零し、そして自らの言葉に絶望したように頭を抱えた。
「……そん、な、こと。できるわけが……できるわけが……」
「あんたも分かってるだろう。このご令嬢はもう正気じゃない。呪われてる。このまま放っておけば、あんただけじゃない、多くの人を殺すだろう。このご令嬢にあるのは狂気と殺意だけだ」
ジェットはそう、諭すように言い、それから……剣を抜いた。
「別にあんたに手を汚せとは言わない。俺が勝手に殺す」
「なっ、や、やめろ!」
そして躊躇いの欠片も無く、剣を振るい、その剣は令嬢マーテセリアの首へと吸い込まれるように向かい……。
ガキン、と、金属同士がぶつかり合う音が響いた。
見れば、ジェットの剣はマーテセリアの首に当たって、止まっている。
「……流石は魔虫憑きか」
マーテセリアの首は、鋼のように変質して剣を受け止めていた。
気がつけば瞼は開き、鋼のような色をした虚ろな瞳が、ジェットをじろり、と見据えていた。
オーガスは戦闘に参加しなかった。無駄に参戦しても、無駄に命を落とすだけだと踏んだのだ。
魔虫憑き同士の戦いは、正に泥仕合の様相を呈していた。
刺し、再生され、斬りつけ、防がれる。互いの攻撃は互いに通用していなかった。
ジェットは死ぬことがない。およそ、負ける心配はどこにも無いのだ。
しかし、マーテセリアもまた、強敵であった。最早自我があるのか無いのか、言葉1つ口にせず、ひたすらジェットを刺し貫いていく。
指は刃となって武器と化し、ジェットが攻撃すれば攻撃を受ける肌も鋼と化して、盾や鎧の役割を完璧に果たした。
マーテセリアは正に、戦う為だけの魔虫憑きであったのだ。
……互いに互いの攻撃が通用しない。これほどまでに見ていてつまらない戦いも無い。オーガスはそんな事をひどく無責任に考えつつ、しかしその一方で、この戦いに終止符を打つ手段を考えてもいた。
鋼すら斬る魔法剣であるならば、マーテセリアの変化した肌も斬りつけられるかもしれない。
試す価値は、ある。どうせジェットは魔法剣に巻き込まれても問題ないのだから、試すだけなら、タダだ。
……だが、まだ、試さない。
試してみて成功してしまえばそれまでだ。
それでは、駄目だ。まだ、殺してはいけない。
これは恐らく、最適解ではない。そう直感的に、オーガスは感じていた。
その根拠はただ1つ。
「なあ、あんた、誰のせいでこうなった」
マーテセリアと戦いながら、ジェットが問いを発している。
ジェットの問いへの返事こそ無いものの、マーテセリアの瞳は、ジェットの口の動きを追っている。聞こえていない訳ではないらしい。そして、耳にした言葉を理解できていない訳でも無い、と信じたい。
だからせめて、一言でいい。
魔虫についての情報を、吐いてほしかった。
「誰が、魔虫を生み出した?名前を知っているなら教えてくれ」
マーテセリアがその身を魔虫に蝕まれているというのなら、魔虫を生み出すために身を捧げた何者かが居るはずなのだ。
更に、もしかしたら、フォレッタの古城の血の海で戦った女密偵が魔虫に憑りつかれていたことと、つながりがあるかもしれない。
「殺す、殺す、殺す、殺す」
だが、マーテセリアから返ってくる言葉は、意味も碌に無い殺意の表現だけである。
……マーテセリアは魔虫に憑りつかれ、意識までも蝕まれている。
「なあ。あんたはこうなりたくてこうなったのか?」
ジェットの魔虫、セフィアの遺した呪いは、ジェットにとって生きる理由の全てだった。魔物を殺し、魔物に殺され、それでも生きる。それがジェットにとっての全てだ。ジェットもそれを望んでいる。この道に身を落としていくことに、躊躇いなど欠片たりとも感じていない。
だが、マーテセリアは違う。少なくとも、このように鋼に身を変じて人を殺すために生きていたいようには、思えなかった。
「教えてくれ。あんたの家に、一体何があった」
その時。
「私は」
一瞬、瞳が鋼の色ではない色に潤んだ。
「私、は……お父様、……家の、者、を……」
マーテセリアの瞳が、ゆっくりと、彷徨う。
そしてジェットを貫く刃が、ゆっくりと指へと戻り、何かを掻くように動き。
だがそれも数秒のこと。
ジェットが瞬きしたら、既にマーテセリアの瞳は鋼色をしていた。
「殺す」
またしても体を刺される感覚を味わいながら、ジェットは唇を噛んだ。
マーテセリアの正気は最早、失われている。情報を引き出すことは最早不可能に等しい。ジェットには、マーテセリアの正気を取り戻すことはできなかった。
なら、殺さねばならない。この魔虫憑きを野に放つわけにはいかない。
が、そうは思っても実行できる能力は無かった。
ジェットは床に押し倒され、そのまま腹を、胸を、肩を刺し貫かれてそのまま床に磔にされる。
身動きできなくなって尚、剣を振るうジェットを嘲笑うかのように、マーテセリアの肌は鋼に変じて刃を弾く。
仕返しとばかりに、更に刃が襲いかかる。もう5本程、己を貫く刃を追加されながら、ジェットはそれを無感動に眺め、オーガスが動くのを待ち……。
マーテセリアが、動いた。
ジェットから指を引き抜き、己に向かってくる剣士と相対する。
咄嗟に繰り出した指先は、容赦なく剣に打ち払われて弾かれた。
鋼色の瞳が揺れる。
「マーテセリア様!」
再び剣を振りかぶった自らの従者を前に、マーテセリアは……何かに耐えるように、それでも刃へと変じた指先を繰り出した。
その時、マーテセリアが何を思ったのかは、ジェットには分からない。
だが、刃に貫かれた自らの従者が、その身を刃により深く貫かせながら近づいてきて、マーテセリアを抱きしめた。その時、マーテセリアは動かなかった。
「マーテセリア様」
自らの傷口がより深く抉られ、刃にこじ開けられ、痛みを感じないはずはないのにそれでも、マーテセリアを離さない。
……そしてその時、マーテセリアの指は、人間のそれへと、変貌していたのである。
マーテセリアは肩越しに自らの従者の背を見た。
そこにあったのは、おびただしい血を流す刺し傷が、5箇所。
そして、相手の背に回すこともせず、ただ宙に彷徨う自らの手が、自らの指が、血に赤く染まっている。
マーテセリアは、鋼の色ではない瞳を見開いた。
「……ガルディ?」
唐突にマーテセリアは理解した。自分が何をしたのか。
そしてマーテセリアは理解する。これから自分がどうなるのか。どうならなければならないのか。
耳元で囁かれた言葉に、マーテセリアは頷く。
「……ええ。ありがとう、ガルディ」
瞳を閉じたマーテセリアの体は、従者の剣によって、背から貫かれた。
更に剣はガルディの体も貫いて、2人をまとめて串刺しにする。
その時、マーテセリアの体が鋼に変じて剣を拒むことはなかった。
先に息絶えたのはガルディだった。
それを確認したマーテセリアは、幸か不幸か、正気を取り戻していた。
そして、悲しげに笑みを浮かべて目を閉じる。自らの命もそう長くない事を感じながら。それに安堵を感じながら。
「旅の、人」
マーテセリアがか細い声を上げる。ジェットもオーガスも、その声を聞き逃しはしなかった。
「何だ」
「家の者達を殺したのは、私、です」
息も絶え絶えに、しかしこれだけは伝えなければ、とばかりに、己の残りの命を燃やすように、マーテセリアは必死に声を発した。
「父が消えた後、父の部屋に残されていた、虫、のような……魔物とも違う、何かが私の内に入り込み……それから私は、どうしてでしょう、周りにあるもの全てが、憎くてたまらなかった……殺さなければ、と、使命のように思って……気がつけば、皆を、殺していました」
マーテセリアは潤んだ目を見開き、じっと、ジェットとオーガスを見つめた。
「旅の方。もし、何か……何か、探しておいでなら。旗印の裏に、隠した……箱を、お持ちください。中に……父を惑わせ……我が家を、破滅へと、導い、……」
次第に声が、弱っていく。
瞳に灯された意思の炎もやがて消えゆき、そして、ついにはその瞳に何も映さなくなった。
「……死んだか」
確認するまでもなく、そこには2人の人間が死んでいた。1振りの剣に貫かれたまま。
「大した忠誠心だったな」
主人を抱きしめるようにして剣の柄から手を離さないままの従者を見て、ジェットはそう呟く。皮肉は欠片も含まない、純粋な称賛の気持ちで。そして、何か後悔のような何かを抱えて。
「忠誠心だと?貴様は馬鹿か?」
だが、オーガスはジェットを鼻で笑うと、言った。
「分からなかったのか。あれは忠誠心などではない。恋慕だ」
ジェットは不可解そうな顔をしてから、ふと、神妙な顔をした。
「……そう、か」
理解できるような、できないような。そんな感覚であった。ピンと来ない。
恋慕など、ジェットにとっては久しく覚えのない感情である。昔は確かに、その感情を持ち合わせていたはずなのだが。
「……貴様には常識とともに情緒も欠如しているらしいな」
そんなジェットに何を思ったか、オーガスはそう言って渋い顔をし、それから思い出したように続けた。
「ああ、そうだ。貴様が何を考えているかは分からんがな。従者の方は死なせずとも済んだのかもしれん。だが、これが最適だったんだろうよ。こいつは自らが守るべき、愛する女と共に死ねたのだ。それ以上、何を望む?」
オーガスの言葉に、ジェットは自らの内にある後悔が消えていくのを感じた。
別に、従者の男を死なせたことを悔やむ必要は無い。何故なら、ジェットは知っているからだ。
愛する者、自分が守るべき人に先に死なれ、共に死ねなかった後悔と、自分1人だけ死に損なった後悔とを抱えながら生きていくことの空しさを。
「……あんた、意外とロマンチストなんだな」
「はっ。貴様のような木偶の坊と比べればそうだろうな」
軽口を叩きながら、2人は話題を切り上げた。
2人の遺体に背を向けて、壁に飾られた旗印を調べる。
「この裏の箱、と言っていたが……ああ、あったぞ」
旗印を壁から外せば、その裏の壁には穴が穿たれており、その凹みの中に、道具箱のようなものが納めてあった。
黙って箱を開けると、中から出てきたものは……革張りの帳面。金貨数枚。そして。
「見た事の無い紋章だな」
紋章が刻まれた、金属製のブローチであった。




