17話
女は虚ろな瞳をして、ぼんやりとジェットを見上げている。
その顔は疲労が色濃いものの、美しく整っている。十分に美女の部類に入るだろう。煤けてはいるが、着ているドレスは明らかに高級品だ。
……貴族の令嬢、という表現が相応しい相手である。
それを証明するかのように、女の胸元で、ペンダントがキラリ、と煌めいた。
ペンダントには、壁に飾られていた紋章が彫り込まれている。
オーガスは苦戦を強いられていた。
否、自らに苦戦を『強いていた』。
ジェットが宿で言っていた通りだった。向こうはこちらを殺す気でかかってくる。こちらに相手を殺す気が無くても、だ。
オーガスは相手を殺す気が無い。殺したくない、と言った方が近いかもしれない。
弱者からの施しなど受けない。だから、弱者から奪い取ることもしない。
自分に歯向かってくる相手にしろ、圧倒的な力の差があるのならば、相手を殺さずにおいてやるのがオーガスのやり方だ。
ある種の傲慢である。
自分は自分を殺そうとしてくる相手を殺さずとも勝利を収められる、と言いたいが為の振る舞い。
自分が強者であることを確認する為の振る舞い。
その傲慢さこそが、オーガスの矜持であった。
「大口叩いてこの程度か?大したこともねえな!」
だが、傲慢で居続けることは難しい。今も、相手の盗賊は確実にオーガスの首を狙ってきている。
そして、相手を殺さずに勝つということは、殺すことの数倍の技量を要する。
ともすれば殺されかねない状況下で、これ以上の傲慢は許されないかもしれない。
「命運が尽きたのはどっちかな!」
振られた剣が、オーガスの髪を一房、斬り飛ばす。危うく右目をやられるところだった。
……これでは最早、殺すしかないか。オーガスが内心唇を噛んでいると。
「おい!盗賊!このペンダントに見覚えは無いか!?」
玄関から出てきたジェットの声に……そして、ジェットの手に煌めく、ペンダントに。
盗賊の注意が、完全に、逸れた。
剣が盗賊の手から弾かれ、地に刺さる。
それでも尚、盗賊は青ざめたまま、ジェットを、ジェットの手の中のペンダントを注視したままだった。
「さて、何か言い残すことは?」
青ざめた盗賊の首に、オーガスの剣の刃が触れる。
「……何を、した」
だが、盗賊の口から漏れる言葉は、命乞いでも罵倒でもない。
「マーテセリア様に!何をした!そのペンダントはどうした!」
激昂と絶望のあわいで、盗賊は喚く。
「殺してやる!てめえ!絶対に!殺して!」
「落ち着け」
だが、半狂乱になって暴れ始めた盗賊のこめかみに、オーガスが剣の柄を叩きこむ。
容赦のない衝撃に盗賊は呻き、暴れるのをやめた。
「……おい、化け物。そのペンダントはどうしたんだ」
「地下室に居た女に借りてきた」
「その血はどうした。殺したのか?」
「いや、誰も殺していない。そもそもこれは返り血じゃない。全部俺の血だ」
殺していない、という言葉に、盗賊が息を吐いた。未だ緊張は解けぬままだが、一応は安堵の息らしい。
オーガスはジェットと盗賊との様子を見比べて、ため息を吐いた。
「……それで。これは、厄介ごとか?」
「まあ、そうだろうな」
「ジェット・ガーランド。やはり貴様は疫病神のようだ」
「俺もそう思う」
ジェットとのやり取りの末、オーガスはまた1つ、深くため息を吐くと、盗賊に向き直った。
「さて、全て話してもらおうか。……あの化け物が面倒を引き連れてきたということは、どうせ魔物か魔虫かどちらかが関わっているのだろうからな」
「見たところ、貴様は貴族に仕える兵士か何かのようだな」
室内の様子を見、地下室の女の存在も知ったオーガスは、そう結論づけた。
「随分と忠誠心が高いようだが」
破れ、一度は血に染まった旗印を見ながら、オーガスは言う。
「あんたらには関係のないこった」
盗賊は苦い顔をし通しである。主人の身が無事であったことには安堵したが、それ以上に首を突っ込んでくるジェットとオーガスの存在がうっとおしいらしい。
「いや……あんたには関係なくとも、こっちには関係があるかもしれないんでね。あのご令嬢とは」
だが、ジェットの言葉には鋭く反応した。
「……どういうことだ?」
「あんたみたいな奴が盗賊なんかに落ちぶれる理由を考えてね。他にも道はあっただろう。何があったかは知らないが、あんたとご令嬢2人、なんとか逃げ延びて細々と暮らしていく手段はいくらでもある。思い当たらなかった訳でもなさそうだ」
ジェットは室内を見回す。
盗んだものであろう金品も多いが、それ以上に多いのは……食料であった。
「あんたの主人は、随分と大食いらしいな」
ジェットの言葉に、盗賊は目を見開いた。
盗賊は観念したのか、身の上を話し始める。
「……もう、半年近く前のことになるかな。俺が仕えてた家に、来客があった。商談を持ってきたとかでなあ。御館様はすぐに飛びついた。……家が傾きかけてて、飛びつかざるを得なかったらしい」
ジェットには覚えがなかったが、オーガスは壁の旗印を覚えていた。
エリオドール王家の血がごく薄く残るのみの、小さな貴族であったはずだ。大した権力も財力も持たぬのに気位だけは高く、社交界でも鼻つまみ者であった。
あの家はそう遠くなくいつかは消えるだろうと思っていたが、それは思いの外早かったらしい。
「だがその日の夜、御館様が……消えた」
「夜逃げか?」
盗賊は項垂れながらも、首を横に振る。
「いや……分からない。だがもっと恐ろしい何かだったんだろうよ。俺が見つけた時には、もう、屋敷には奥様や他の使用人の……死体が、折り重なっていた」
屋敷の中、血に塗れ、折り重なる死体。
想像しかけて、オーガスは思考を取りやめた。数度見ただけとは言え、名を知る相手の家で起こった惨劇など、想像するのも痛ましい。
「その中で辛うじて、お嬢様……マーテセリア様だけが、生きていらっしゃった。俺は訳も分からないままマーテセリア様を連れて、屋敷を飛び出した。何とかマーテセリア様をお守りしながら生きていくつもりだった……」
「……だが、ご令嬢はやたらと大食いになっていて、食い扶持を稼ぐのも限界が来た、と」
ジェットが言うと、盗賊は力なく頷いた。
「どうして、こうなったんだかな……マーテセリア様もすっかり、お疲れみたいだしよ……」
そういう盗賊も、疲れ切った様子で、頭を抱えている。
……ジェットには、『どうしてこうなった』か、もう見当がついている。
魔虫だ。
大食いであるということもそうだが、貴族の女の虚ろな瞳に、覚えがあった。
フォレッタの古城、血の海で戦った、あの女密偵も狂った笑みの中、似たような瞳をしていた。
そして何より、ふとした時に鏡に映るジェット自身の瞳に、よく似ていた。
見たところ、この貴族の女は既に精神を病んでいる。
魔虫に憑かれるということは、精神を削り取られていくということだ。この女に寄生する魔虫がどのような能力を持つのかは分からないが……否、もう、おおよその見当はついているのだが……とにかく、この女はいずれ、完全に精神を崩壊させ、血の海で戦った女密偵のように狂うのだろうと思われた。
そうなれば、魔虫の能力を使い暴れるだけの害悪になりかねない。
「なあ、あんたには悪いが、このご令嬢は……」
ジェットはこの続きをどう言っていいものか、迷った。
『諦めろ』なのか、『もう駄目だ』なのか。或いはもっと別の。
突如。
刃がジェットの体を貫いた。
胸から生えた刃を無感動に見つめるジェットの視線の先で、2本、3本と続いて、全部で5本の刃が体を貫く。
口元から血を溢れさせながら振り返れば、そこにあったのは、はっきりとした憎しみと狂気を湛えた瞳。
「……殺す!」
そして、令嬢マーテセリアの指先が刃に変じた姿であった。
「まずは、1人」
ジェットの体から、ずるり、と刃が引き抜かれる。それと同時に刃は白魚の如き指へと戻っていく。
だが、形を変じてもマーテセリアの指先は血に濡れて鮮やかに赤色をしている。
「っくそ、これはどういうことだ!」
咄嗟に剣を抜いたオーガスへと、マーテセリアの指が迫る。再び刃へ変じた指先を剣で払おうとして、しかしオーガスは思い留まった。
この細い刃をへし折った時、令嬢の指はどうなるのか、と。そう、思い当たってしまったからである。
剣を止めたオーガスへと、お構いなしに刃が伸びる。
そして。
「死ねぇ!」
「待て」
マーテセリアの刃は、起き上がったジェットの体を再び貫いて、止まった。
「なっ……んで、死んで、ないの……?」
確実に刺し殺したはずの男が起き上がって、再び刺されたのだ。驚愕しないわけがない。マーテセリアは咄嗟に思考を凍りつかせ、動きを止めた。
その隙を見逃すジェットではない。すかさずマーテセリアの細い手首を掴み、捻り上げる。マーテセリアははっとして身を捩るが、もう遅い。
がっちりと掴まれた手首は外側に捻られて、マーテセリアに痛みを与える。
「やっ、痛い、離して!」
「離すか」
ついでにもう片方の手首も捕まえてしまえば、最早マーテセリアは抵抗することもできない。
「……殺す、殺す!殺してやる、お前なんて、死んで……ああ、エリオドールに災いあれ!」
それでもマーテセリアは、錯乱したように声を張り上げ、ジェットを、オーガスを……そして自らを守る騎士にさえ、呪いの言葉を吐く。
「殺してやる!殺してやる!殺して、殺して、殺して、殺してやる!」
ひたすらに、狂気と憎しみ、そしていたずらな殺意を、瞳に湛えて。
「悪いな、マーテセリア嬢」
するり、と背後に回ったオーガスが、マーテセリアの首を打って気絶させた。
それによってようやくマーテセリアは大人しくなり、ずっとジェットの体に刺さりっぱなしだった刃もまた、元の指へと変じていった。
そして室内に、静寂が満ちる。
「……さっき、言いかけたことだが」
刺された腹を押さえながら、ジェットは振り返る。
そこに居るのは、自らが盗賊に身を落としてまで守ろうとした主人に狂気混じりの殺意を向けられ、呆然とする男の姿である。
彼を目の前にして、もうジェットが言葉を迷うことはなかった。
「このご令嬢は、もう、殺してやったほうがいい」




