若狭後詰 その4
「伝令!
先陣の物見によれば、水坂峠に敵影は見えずとの事です!」
物見の声に諸将から安堵の声が出る。
若狭との国境である水坂峠で寡兵の敵軍が陣を張ると考えていたからだ。
という事は、武田義統は篭城策を考えているのだろう。
「先陣の逸見昌経殿に峠を確保して、下るように伝えよ!
次陣の武田信豊殿に武田義統殿との交渉を頼め。
戦わずに事が済むのならば、それが一番楽だ」
この手の戦いにおいて、先鋒は名誉であると同時に、損害を出しても功績が欲しい隊が志願する事が多い。
三好側についた武田勢が前に出ているのはそんな理由がある。
三好家にとって若狭の領地が欲しくないかといえば嘘になる。
だが、統治にも人材が必要で、三好政権も人材が無限に居る訳ではない。
親三好家の体制が作れるならば、それでいいという俺の方針を名目上の大将である野口冬長も頷いてそれを承認した。
「戦わないのですか?」
それを口に出したのは十河重存で、血気盛んな若武者らしく言葉に力が入っている。
俺は考えてみれば自分も若武者だよなと苦笑しながら彼に返事をする。
「戦うさ。
とはいえ、敵は少ない方が楽だろう?」
俺の物言いに何か不満があったらしい顔をしているので、もう少し話をする事にする。
このあたりの気遣いも、普通の若武者にはないよなあと思いながら。
「華やかな合戦に華々しい武功とか思っていたか?
あいにく、俺はこんな戦しかできなくてな」
「いや。
大友殿の物言いは見事。
それがしは賛同しますぞ」
横から口を挟んだのは野口冬長。
彼とて能力が無い訳ではない。
ただ、他の兄弟がチート過ぎただけである。
「例えばだ。
若狭武田家を亡ぼして、三好の領土にするとしよう。
誰がその地を治める?
治める時に、国人衆が我らに素直に従ってくれるか?
それを考えたら割が合わぬ。
武田殿がこちらと共に動いてくれるのならば、それで十分だろう?」
野口冬長の解説だが、口に出さない裏事情もある。
三好家の人材が純粋に足りなくなりつつあったのだ。
足利将軍と細川管領家の代替わりで、幕府と管領家の中に親三好派の人間を入れないといけない。
で、松永久秀を政所執事として送り込んだが、それによって大和の守りが居なくなってしまった。
更に、畿内を去る小笠原長時と岩成友通が討たれた穴も埋めないといけない。
俺の和泉守護代も近く返上する予定なので、それだけでポストはまだ三つも空いているのだ。
今回の若狭後詰で大過無く成功できたならば、俺は荒木村重を後任に押す事を野口冬長に既に伝えていた。
目の前に居る十河重存も、いずれは十河家を継いで四国で睨みを利かせる役目を持つ事になる。
少しずつだが、三好家にも世代交代が起ころうとしていたのである。
「話を戻そう。
若狭武田家はひとまずおいておいて、粟屋殿への後詰だが誰か行く者はいるか?」
咳払いをして俺が話を戻す。
越前国境の国吉城で懸命に籠城して防戦している粟屋勝久への後詰だが、朝倉家との交戦よりも兵糧や物資を送り届けるのが仕事となる。
今の朝倉家に、粟屋勝久を攻める余裕はない。
「では、それがしが」
申し出たのは木下秀吉。
そのまま朝倉家に攻め込むつもりなのだろう。
こちらとしてもこちらの兵を割かなくて済む。
「木下殿が受けて頂けるのか。
それは有り難い」
とはいえ、おいしい話には裏がある。
人たらしの異名を持つ木下秀吉のオネダリがここに炸裂する。
「で、御大将殿に少しお願いしたき事があり……」
この実にわざとらしい申し出にケレン味がないのがこの人の凄さである。
陣内の評定で首を縦に振れば前言を翻す事もできない。
ついでに言うと、木下秀吉は織田家が近江領内を通るために付けられた案内役なのだが、織田の旗を背負って若狭攻めを支援しているように見せているあたりがとても匠の技である。
本人の私利私欲を織田家の利害に絡めて三好にも恩を売るのだから、さすが未来の天下人。
「何だ?
できる事ならば、できるだけ便宜を図るが?」
あくまで俺は副将であるが、実質的な総大将として皆が周知している。
野口冬長もそれを黙認している。
このあたりの三好家の好意がありがたいと同時に重くて身が引き締まる。
「大したことではござらぬ。
赦免状を書いて欲しいのみで」
「赦免状?」
こちらが首をかしげるのを見て、木下秀吉は切り札を広げた。
笑顔でそれを告げたのである。
「猿飛仁助とその一党に」
猿飛佐助のモデルの一人で、若狭を中心に三千人もの盗賊を率いる頭領である。
盗賊と名乗っているがその実態は、荒れた若狭においてヒャッハーしまくっている野武士達だったりする。
なお、史実ではこいつら金ケ崎の撤退において、殿の木下秀吉に襲いかかろうとして蜂須賀小六配下の一人と知り合いという縁で木下秀吉の配下になったらしい。
そして、彼の名前はそのまま歴史に消え、猿飛佐助という忍ができあがる訳だ。
そんな連中に若狭の住人がどれだけ煮え湯を飲まされたかは考えるまでもない。
武田信豊や逸見昌経が知れば激怒するのは見えている。
だが、大博打の最中である木下秀吉にとっては、敦賀港を落すための絶対必要な兵力という訳だ。
「いいぞ。
ただし条件がある」
「大友殿!」
十河重存が異議を唱えようとするのを手で制す。
彼も馬鹿でないのだ。それを諌めようとしているのだから。
だが、ハイパーチートの木下秀吉の賭けが分かっているから、遠慮無く恩を売る。
「ただし、赦免をしても若狭に住み続ける事は許せぬ。
十河殿。
どうかそれがしの顔に免じてこれで」
十河重存に衆人環視の中で頭を下げる。
三好家や大友家中の将が唖然としているが、野口冬長は笑顔を崩そうとしない。
兄の三好長慶が頭を下げて畿内を維持しているのを知っているからだろう。
副将格のこれが便利なところだ。
「大友殿。
頭をお上げくだされ。
助けてもらっているのにそこまでされたら、何も言えないではないですか」
十河重存がため息をつく。
ひとまずは矛を収めるという事なのだろう。
野口冬長が何も言わない時点でこの話は決まった。
事後承諾になるが、武田信豊も不本意ながらも追認すると読んでいる。
仮にも大名をやっていたのだから、木下秀吉の企みに気づいているのかもしれない。
気づかないならば、織田家に貸しを作ることで今後起こるかもしれない三好家との争いの時に両天秤をかける事を囁いておけばいい。
「御大将殿の度量に感謝を」
木下秀吉が野口冬長に見事なまでの土下座を敢行して周囲を唖然とさせるが、俺は苦笑するしか無い。
織田家の外交官扱いになっているこの場での土下座はそれだけ外交上に不利益になる事もあるのだ。
だが、寡兵で敦賀港を取れるのならばその収支は黒字で、それを織田信長は追認するだろうと木下秀吉は読んでの猿芝居である。
そして、朝倉方面を木下秀吉が受けることで、俺達は武田義統と一色義道の事だけ考えれば良いのだ。
交渉は双方が益があるように。
それを猿芝居の土下座でやってのけるのだから、やはりこの人物は只者ではない。知ってはいたが。
木下秀吉がちらりと俺を見て微笑んだのは、互いに互いの腹をほぼ見通したからなのだろう。
だから俺も、その笑みを見なかったことにした。
若狭国に侵入した俺達は軍を二つに分けた。
粟屋勝久への兵糧や物資を運ぶ木下秀吉の荷駄隊四千と、俺達の若狭後詰本軍九千である。
木下秀吉は猿飛仁助を見事支配下に置いて兵力を増強している。
武田義統への交渉は武田信豊が行い、現在俺達は水坂峠の若狭側出口である箱ヶ岳城に滞在している。
この城は若狭武田家の四家老の家である内藤家の居城なのだが、城主内藤勝行はお家争いにおいて中立の立場を表明していた。
内藤家は武田信豊の弟が養子に入った一門衆で、内乱状態の若狭をなんとかしたいという気持ちと、三好・一色・朝倉と外部勢力の介入をはねのけたいという気持ちが見え隠れしていた。
その為、こちら側が武田信豊を使っての交渉仲介を持ちかけると積極的に応じてくれたのである。
この間にも戦は進んでいる。
今回の戦は補給線に水坂峠という難所があるので、そこで夜盗働きでもされると飢えてしまう。
湖北の国人衆は俺の狙撃未遂事件で震え上がっているので手は出さないだろうが、荒れている若狭ではどんな馬鹿が出るか分かったものではない。
その為、琵琶湖水運で近江今津まで運ばれた兵糧や物資をここまで持ってくる荷駄隊護衛のために部隊を派遣した。
良い訓練になると小野鎮幸に馬廻と浪人衆を任せて出し、雄城長房をサポートにつける。
治安状況は良くなかったことで八回もの小規模の夜盗や野伏達の襲撃を受けたが、無事に撃退している。
木下秀吉が猿飛仁助とその一党を雇わなかったら、どうなっていたことやら。
そんな事を考えながら、俺は箱ヶ岳山頂に上って周囲の山を眺める。
共はこの間雇った田中久兵衛とついて行きたいと志願した十河重存である。
「案の定、城が多いな」
「普通なのでは?」
俺の呟きに十河重存が首を傾げる。
この時代、手頃な山はあらかた城を作られている。
俺の言わんとする事に田中久兵衛が気づいた。
なお、適当の隊に足軽として入れようとしたら、
「拾ってきたのは御曹司なのですから、御曹司が面倒を見なされ!」
と大鶴宗秋の説教によって、とりあえず俺の小姓扱いにしている。
閑話休題。
彼は周囲の城に飯炊きの煙が上がっているのを指差して言った。
「飯炊きの煙が上がっています。
篭っているって事で、生活が不便なのに篭っている。
そんだけ、荒れているって事です」
山城というのは年中籠もれる生活性を持っている訳ではない。
高所だから寒いし、登り降りに時間がかかる。
そして、とにかく水が手に入りにくい。
そんな不便を我慢して城に篭っているというのは、それだけ治安が悪いことの裏返しである。
若狭武田家の御家争いがそれだけ深刻であるという証拠なのだ。
「そんな所に、三好が一万の兵を連れてきた。
荒らされると皆山に逃げるのも道理か」
この地の民からすれば、俺達もヒャッハーとかわりはしない。
猿飛仁助の一党を赦免して越前に送ったのは、思ったより良い手だったかも知れない。
背後で悪さをする輩が居なくなったという事なのだから。
「兵たちが悪さをしないように。
うちの御陣女郎達に商売を許すから陣中での遊びは目をつぶるが、民への狼藉は許さぬと周知徹底させろ。
それと、内藤勝行殿に頼んで、悪さをさせないと伝えてくれ」
戦というのは大規模消費行為だ。
現在、一万の兵が駐屯しているというだけで、それだけの飯が胃袋に消えることを意味する。
食欲・睡眠欲が満たされれば性欲に行くのは分かっているので、男たちが集まった商売女に手をだすこともよくある。
そんな女たちの幾人かは間違いなくくノ一で、こちらの情報を探りに来ているのだろう。
「はっ」
俺の命を受けて田中久兵衛が山を降りてゆく。
農民上がりだから民の視線で物事を見て、俺に気兼ねなく話しかけてくれる。
思った以上の拾い物なのかもしれない。
「何だか、思っていた戦と違っていました」
十河重存が俺にだけ聞こえるように呟く。
今回が初陣の十河家の若武者は、いずれ三好家の要職に就くことが約束されている。
という事は、戦というのは華やかな武勲ではなく、このような地味な仕事こそ大事と学んでほしいものである。
「十河殿。
せっかくですから、少しお教えしましょう。
三好家はこの地を得るつもりはありませぬ。
では、三好家は代わりに何を得るのですかな?」
「『銭』だとは松永殿に教えて頂いたのですが、その仕組みまではさっぱり……」
十河重存は俺につく前に三好家中の人に聞いてるらしい。
激しくバイアスがかかっているような気もしないではないが。
「三好家は銭によって畿内に覇を唱えている家です。
銭の良い所は土地を無理して抑える必要が無い事です。
民が平穏に暮らし、商いが盛んになれば、自然と潤う事ができるのです」
その分、要衝である堺や京などは絶対に守らないといけないのだが。
まぁ、そのあたりは大人になったら覚えていく事だ。
「銭がある限り、我らは戦をさける事ができます。
そして、民を富ませ、兵を養って、畿内に覇を唱え続ける事ができるでしょう」
「だからこそ、織田家との戦を避けたのですか?」
十河重存の質問に、俺は一瞬押し黙る。
それが真実を突いていたからだ。
この若武者に嘘をつく事もできた。
だが、それを見抜くだろうと思って、俺は本音を告げた。
「合戦を続けると、多くの将兵が討たれ、要所に穴が開きます。
それは三好家も同じこと。
今の織田と戦えば勝てるでしょう。
ただ、そのまま覇を唱え続けられるかどうかは、無理でしょうな?」
「何故です?」
十河重存もそうだが、織田信長の脅威が理解できない。
そして、それを俺はうまく伝えられない。
そのもどかしさが理解できないだろうと心のなかの焦りを押し殺して、俺は常識論で攻めた。
「十河殿。
我らがどうしてここに居るのか分かりますか?」
「若狭武田家の後詰のはずですが?」
「ええ。
その兵は和泉河内から半分出ているのですよ」
「っ!?」
やっと気づいてくれたらしい。
俺と小笠原長時は和泉河内の守将だったのだ。
あの時、織田と戦った場合、南も危なかった可能性があるという事に。
敵を絞ることの大事さは毛利元就も織田信長もよくやっている手なのだ。
「東の織田、北の波多野に萩野、南の畠山。
三方向に敵を抱えて戦えば苦戦は必至。
これだと若狭に手が回らず、播磨とてどう動くか怪しい所。
覇を唱えるというのは、このように慎重に事をなさねばならぬのです」
俺はそのまま北西の方向を見る。
若狭武田家の居城後瀬山城とその先に居るだろう一色軍を。
「この戦、あくまで若狭が目的ではござらぬ。
本当の敵は、丹波の国人衆の抵抗を封じる事。
丹波が落ちつかねば摂津が不安定になり、京を守りにくくなりますからな」
俺の呟きはある意味命中した。
武田義統は交渉の条件に、若狭に侵入している一色軍の撃破を条件にあげてきたのである。
一色軍は後瀬山城の更に西に兵を展開している。
動向が分からない勢力を背後に置くという、難しい戦いが幕を開けようとしていた。
猿飛仁助 さるとび にすけ
猿飛佐助 さるとび さすけ
内藤勝行 ないとう かつゆき
12/5 少し加筆




