三好包囲網
色々あったが久方ぶりに堺の港に下りた俺達を待っていたのは、戦の空気だった。
「ええ。
色々な物が売れております。
織田様がお買い上げになって、大津に運んでいるのです」
挨拶に来た豪商今井宗久の口が軽い。
それだけの大商いだったという事なのだろう。
しかし、聞けば聞くほど織田信長の化け物ぶりがよく分かる。
彼は、俺が構築した東瀬戸内海から琵琶湖一帯の物流圏を理解して、堺で物資を集めて大津に持ってこさせた。
それは、織田家が琵琶湖近くに拠点を作れたら、恐ろしく有益に機能するだろう。
「ここ最近の織田様の勢いは日が昇るようで。
美濃、伊勢、近江と勝ち続けておりますとも」
史実より数年早く稲葉山城を手にした織田信長はそのまま美濃制圧戦に勝利する。
群上八幡合戦で斎藤龍興と後詰に来た朝倉景鏡の軍勢を撃破。
斎藤龍興を越前に追い払うと、信濃からちょっかいをかけてきた武田家には融和姿勢で手を引かせる事に成功。
清須同盟で徳川家の治める三河方面を安全にしたのを確認した後で北伊勢に進出して支配下に置くと、諜略で浅井家を寝返らせるという荒業を使って、一気に戦線を押し上げたのである。
聞く所によると、織田と浅井の間に縁組の話があるとか。きっとあの人なのだろうなぁ。
なお、この対浅井家の諜略で活躍したのが木下藤吉郎という武将である。
聞きたくない名前がどんどん出てくるが、ひとまず話を進めよう。
浅井家のこの寝返りで家中が割れたらしく、浅井久政が隠居に追い込まれたらしい。
朝倉討伐で目を見張る展開になった公方様こと足利義輝がこれを放置する訳も無く、勝負を一気に決めるべく出陣準備というのが堺で入手した情報である。
三好家は戦力回復だけでなく毛利隆元の死で発生した証文恐慌の対処を理由にこの出陣に難色を示すと、細川氏綱殿の病没で浮いた管領職の後任を決めないという公方様の報復を食らい、双方の感情が急降下していた。
状況はこちらが想定した予想のはるか斜め下をかっ飛ぶ最悪ぶり。
時代に愛された男が舞台に立つというのはこういう事なのだろう。
もちろん、このままで良くないので、三好家は一門および重臣をあつめての評定で対策を取る事になっていた。
準一門格で何でか俺も呼ばれているのだが、断りたい。かなり切実に。
「久しいですな。
主計助殿。
四国では色々働いたみたいで」
堺の俺の屋敷にやってきたのは、三好義賢と松永久秀の二人。
顔色を見れば分かる。
これは厄介事の類だ。
「三好殿の手助けもあり申したが、九州の本家を助けたというのが本心にて。
色々出しゃばった事をして申し訳ない」
「構いませぬ。
事実、堺の商人達で主計助殿に足を向けて寝れませぬでしょうからな」
事実、証文恐慌の荒波は堺や京にもやってきていたが、その荒波を東瀬戸内海と琵琶湖水運の一元化は吸収しきっていたのである。
更に、博多での毛利証文の沈静化に俺が一枚噛んでいる事は既に報告しているので、そのあたりも商人達は知っているのだろう。
挨拶はそこそこに本題に入る。
別名、評定前の根回しとも言う。
「主計助殿。
真面目な話をしたいのだが、和泉国一国を統治してくださらぬか?」
岸和田城代から和泉国一国に話が飛躍している。
まあ、こんな事を言い出すという事はそれ相応の理由があるのだろう。
「何があったので?」
俺の問いかけに、松永久秀が吐き捨てるように言う。
その忌々しげな顔は、後の世に悪党と罵らせるのに相応しい禍々しさがあった。
「公方様の朝倉討伐に紀伊の畠山高政が呼応した」
うわ。
俺も額に手を当てて天井を見上げる。
公方の討伐令の厄介さはこんな所にある。
象徴であるがゆえに、実際の状況に即していないくせに、敵や味方をつけたり離したりするのだ。
このままだと、畠山高政は、
「公方様の討伐令に従わない三好家を成敗する」
という大義名分を手に入れてしまう。
更にやっかいなのが、三好家が討伐令に呼応すればいいという話で済まない所にある。
呼応した場合、三好家の敵対勢力である畠山軍の領内通過を認めないといけないからだ。
和泉国と河内国は畠山家の旧領である。
いつ国人衆が畠山家に寝返って攻めてくるか分からないし、完全支配するには圧倒的に時間が足りなかった。
畠山家は幕府序列において三管領と呼ばれる家格を持っているから、力技だが管領を畠山高政に渡すなんていやがらせも出来なくはないのだ。
「それだけではない。
丹波でも色々きな臭い動きが起こっておるのだ。
荻野直政が波多野元秀と組んで何やら悪さをしようとしている」
三好義賢は言い終わると同時にため息をついた。
これらの動きが偶然とはとても思えない。
陰謀の糸を張っているのは京の公方様なのだろうが、何故今なのかが分からない。
こちらの考えが分かったのだろう、松永久秀が種明かしをしてみせた。
「我らは勝ちすぎた。
あまりに強くなったので、公方と諸侯が反三好で集まろうとしている。
大和国では、筒井順政の元に反三好の国衆が集まろうとしておる」
「主計助殿のおかげで、四国が穏やかなのが救いよ。
我らの力の源は四国に有る故、四国の諸侯が妙な動きをされると手が打てなくなるでな。
長宗我部殿が『よろしく』と言っていましたぞ」
なるほど。
これは三好包囲網なのか。
嫁という幕府内のコネを得た長宗我部元親は畿内で名を売るより、俺との実を取ったらしい。
この状況で全賭けするには危険過ぎるし、彼が土佐統一戦を勝ち残るにはまだ倒さねばならない敵が多いのだ。
となると、一番恐れる事態は……
「公方様出陣後に織田勢と合流し、織田勢を率いて上洛がこちらにとって最悪の手でしょうな」
俺の呟きに三好義賢と松永久秀が真っ青になる。
この時期の足利将軍というのは、京に留まっている時期の方が少ない。
旗印なだけに、やばくなったら逃げるのだ。
で、その旗印に味方する大名を引き連れて京に帰ると。
いや。
公方が織田信長をそこまで信用しているのか?
彼が頼むのは越後の上杉家のはず。
という事は、
「越後の上杉輝虎の上洛の算段がついたか」
そうでないとここまで大胆な動きはできないだろう。
三好義賢が松永久秀の顔を見る。
「久秀」
「間者に探らせます」
個々の戦線はどうとでもなる。
だが、三好が抱えている構造的欠陥がここで露呈する。
将軍を頂点とする幕府を擁している限り、その将軍が三好を粛清する場合にその歯止めが無いのだ。
まだ親三好派の管領がいたならば八百長でなんとか処分をごまかせるのだが、その八百長相手の細川氏綱が亡くなったことで、三好を幕府内で守る盾が無くなってしまった。
それに気づいて、一気に実行するあたりあの公方は絶対に無能ではない。
だからこそ、たちが悪い。
で、話が俺への和泉国献上に繋がるのだ。
「つまり、『大友はこの討伐令に従わない』という形で、畠山を封じ込めろと?」
「それでは本家に影響が出ましょうて。
『本家の意向を確かめたい』で時間を稼いでくれれば十分。
どうせ、畠山が手を出すのは間違いが無いでしょうからな」
時間稼ぎなのは明白なのだから、向こうの開戦理由にはなる。
で、畿内情勢がどうであれ、畠山家の失地である和泉河内を回復させるという所なのだろう。
公方も三好を滅ぼしたい訳ではない。
そこが公方様の計画の欠点であり、甘い所だった。
「平島公方を持ってきますか?」
三好家の切り札である平島公方を持ってきて、新将軍に据えるという俺の言葉に三好義賢は何も言わなかったが、松永久秀は薄く笑った。
つまり、そういう事なのだろう。
なお、平島公方とは阿波公方とも言い、畿内の争いで逃れた将軍家の一族を三好家は庇護していたのである。
その経緯とか果てしなく長くなるので省くが、平島公方を新将軍に持ってくれば少なくとも錦の御旗はこちらでも確保できる。
その時間稼ぎが和泉での俺の防戦という訳だ。
あくまでこの時点では三好家も公方様と全面対決する決意はない。
だが、最悪の状況に備えて考えておかねば戦国大名として生きて行けないのだ。
そういう予防手段なだけに、平島公方の都入りは万全を期す必要があった。
「篠原殿を越水城に入れたい。
それならば、大友殿に自由に動いてもらおうと」
俺の監視役である篠原長房を摂津国越水城に入れるという事は、万一に備えて平島公方を畿内に上げる際にはそこを使うつもりなのだろう。
それは俺は自由に動けるという代わりに、援軍が望めないという事を意味する。
断ってもいいが、啖呵を切って九州から出てきた手前、何もしないという訳にはいかない。
己のめぐり合わせを呪いながら、妥協点を探る。
「和泉守護代を。
守護は細川一族よりお願いしたい」
実務を握る以上、名目だけは現地の旗が必須である。
こちらの要求に松永久秀が即座に案を出す。
「なれば、典厩殿を」
典厩殿とは、細川藤賢の子で亡くなった細川氏綱の弟に当たる。
その気になれば管領職も夢ではないが、それを望まずに三好側で動いている。
その好意と彼にあるかも知れない野心の警戒に京から外すというのは悪く無い選択だろう。
三好義賢も首を縦に振った。
そのまま俺は話を続ける。
「畠山の兵力はいかほどで?」
「多くて数千。
朝倉討伐に一向衆が乗った事で雑賀衆がつくらしい」
俺の質問に松永久秀が答える。
先の戦で負けたといっても紀伊守護畠山家。
雑賀の傭兵を入れて数千の兵を繰り出す力は残っているという訳だ。
「こちらの兵力は?」
「大友殿が連れて来た兵に和泉国の動員全て。
一応、河内国高屋城の小笠原殿の後詰も求められようが、大和で事が起きるとそれもきつい。
荒木殿と島殿の手勢は残してゆくので、なんとか持ちこたえて頂きたい」
三好義賢は申し訳無さそうに言う。
確実に確保できているのが、俺が連れてきた兵ぐらいしかない。
これに置いていった荒木村重と島清興は確保できているから良しとしよう。
後は堺で雇えという事なのだろう。
防衛戦でしかも時間稼ぎ、出来無いわけではない。
「本願寺とは?」
今回の防衛戦の要である本願寺との関係を確認する。
畿内において、宗教勢力との付き合いは決定的に大事なのだ。
三好義賢は、俺の問いかけに笑ってそこだけは保証してくれた。
「敵味方に別れようとも、銭での付き合い故。
我らと本願寺は良き関係を続けているので、そこは安心なされよ」
「で、いつまで押さえていればいい?」
最後の質問とばかりに俺が問いかけると、松永久秀が苦笑して答える。
考えてみれば、そのとおりなのだが、その言い方があまりにも面白かったので、三人して笑ってしまった。
「公方様に聞いてくだされ」
後日三好家の本拠飯盛山城で行われた三好家の一族・重臣が揃っての評定で細川藤賢の和泉国守護と俺の守護代就任は了承された。
もっとも、正式な任命は幕府の命を受けないといけないので、朝倉討伐令に従う事を取引材料にする事も決められた。
こちらは、足利義輝軍に合流するのではなく、丹波守護代内藤宗勝が若狭に出兵する事で討伐令に従うという形に落ち着いた。
その後、正式に足利義輝による朝倉家討伐令が出され、周辺大名はこれに呼応することになる。
美濃 織田信長 一万五千
近江 浅井長政 四千
近江 六角義賢 二千
山城 足利義輝 五千
大和 筒井順政 三千
紀伊 畠山高政 六千
丹波 内藤宗勝 三千 (三好家代理)
合計 三万八千
足利義輝軍参陣武将
細川藤孝 島津忠親 浦上政宗
足利義輝という将軍が並の将軍ではないというのがこの動員からでも分かる。
そして潜在的敵である三好家は、この力を削がないといけなかったのである。
畿内にまた戦乱が訪れようとしていた。
荻野直政 おぎの なおまさ
波多野元秀 はたの もとひで
筒井順政 つつい じゅんせい
細川藤賢 ほそかわ ふじかた




