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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
畿内三好家飛翔編 永禄六年(1563年) 秋 大規模加筆修正予定

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畿内三好家飛翔編 用語辞典 3/8投稿

こそっと付け足し。

更に加筆予定。

征夷大将軍

 中世日本において支配者となった武家の棟梁。

 なのだが、彼らが実権を握っていた時期は驚くぐらいに少ない。

 日本という国は、基本独裁者に厳しい国なのだ。

 鎌倉幕府は執権の北条氏によってその形が整い、江戸幕府は徳川家康から徳川家光あたりまでは将軍の力があったがそこから先は老中に権力が移り、八代将軍徳川吉宗の時代劇の暴れん坊ぶりと実態の乖離には調べれば調べるほど違うと驚くばかり。

 で、この物語の舞台である室町幕府はどうかというと、この時期はもう幕府としての形が残っているだけになって実権が完全に征夷大将軍の手から離れてしまっていた。

 そもそも、鎌倉幕府滅亡後から南北朝時代にかけては、幕府どころか朝廷すら分かれていたので大名家が身内で分かれて骨肉の争いなんてのが日常茶飯事。

 複数国を持つ守護大名家に、幕府を牛耳る管領を相手に曲がりなりにも実権を奪い取り幕府の形を整えた足利義満は幕府中興の祖というべきか、彼こそ幕府初代というべきか私は迷っている。

 そして、多くの足利将軍達は彼をモデルに模倣するか反発するかで政権を運営することになる。

 模倣の果てにその身を滅ぼした代表は『万人恐怖』で名高い足利義教。

 反発の代表例は足利義満の息子足利義持だろうか。

 この話に出てくる征夷大将軍、足利義輝は足利義満を意識しているが、その実態は模倣例である足利義教の方が近かった。



足利義輝

 剣豪将軍として名高いが、最近の研究ではこれも伝説の域ではという感じでイメージが崩れつつある人。

 とはいえ、この話では剣豪将軍として登場してもらおうと思う。

 彼を知るには彼の少年時代を語る必要がある。

 応仁の乱で幕府権威が失墜し、明応の政変にて完全にトドメを刺され畿内地方政権に落ちぶれた幕府だが、その権威は未だ健在で、うるさい朝廷や寺社を相手に一定の価値が認められたからこそ、細川管領家の支配と三好長慶の支配下においても生き延びることができた。

 もっとも、それは傀儡としてであり、それを良しとしない足利将軍達は近隣もしくは遠方の大名を味方につけて時に争い、時には京から逃げ出してという感じで世の世知辛さを十二分に堪能していた訳だ。

 傀儡としての権威しか無い、彼が実感できる力の最たるものが己の武力という方向に思ったとしても誰が責められようか。

 己を鍛え、侍として十二分の武芸を積んでなお傀儡として扱われるその滑稽さ。

 三好政権への敵意はもはや必然と言っていいだろう。

 だが、彼は知らない。

 政治とは敵をどれだけ作らないかであり、妥協と寛容と粛清を織り交ぜながら忍耐強くやるというものを。

 三好長慶が政権運営に置いて行わざるを得なかった事を足利義満もやっていただろうという事を。



六角家 家紋 四ツ目紋 鶴丸紋

 近江源氏佐々木家の嫡流。

 この佐々木家の有名な武将に婆娑羅大名として名高い佐々木道誉がいる。

 なお、佐々木道誉は庶流である事に注意。彼の子孫が京極家となる。

 佐々木家の嫡流だからこそ、家紋は四つ目紋なのだが、ゲームでは鶴丸紋の使用が多い。

 この佐々木家は最終的に京極家・六角家・尼子家なんかに分かれるのだが、近江南部を地盤とした六角家はその地理的要因から、常に京都政局に振り回される宿命を持っていた。

 それは、室町幕府が畿内地方政権と化した戦国中期あたりに顕著になり、応仁の乱以降の畿内の戦乱で度々名前が挙がるようになってゆく。

 まずは六角高頼。

 応仁の乱では西軍に属し、東軍に属した京極家を打倒し近江国の覇権を確立すると、応仁の乱後に行われた足利義尚の将軍親征にゲリラ戦で対抗。

 このきっかけは六角高頼が、近江国内の公家・寺社荘園を横領したからで、足利義尚没後の赦免にもこれらの荘園を返還しなかった事から、次の将軍である足利義稙(このころの名前は義材)の親征まで受けてしまい再度ゲリラ戦を展開するハメに。

 ここで明応の政変という神風が吹いて危機を脱すると、筆頭家臣の伊庭貞隆を粛清し戦国大名への地歩を固め、次代六角定頼の代に花開く。

 彼は楽市楽座を日本で最初に始めた人物と言われ、その近江の豊富な富を背景に軍事力を強化。

 山科本願寺焼き討ちや天文法華の乱で軍を派遣する等、幕府内部に確固とした地盤を構築することに成功し、足利将軍家の後ろ盾として、管領細川家や三好長慶と戦うことになる。

 その息子六角義賢も決して無能ではなかった。

 だが、相手が悪かったのだ。



長宗我部家 家紋 片喰紋 帆掛舟

 土佐国国人衆から四国統一寸前まで行った、戦国大名の成り上がりの代表例の一つ。

 その道は決して容易では無かった。

 元々土佐国は細川家の領国の一つだったのだが、細川家の家督争い『両細川氏の乱』に参戦する為に細川一族が帰国してしまい、統治体制が崩壊。

 その後土佐国は『土佐の七雄』と呼ばれる、長宗我部・安芸・一条・香宗我部・大平・津野・本山の七家の争いが始まる。

 長宗我部家は細川家領国時代に寺社奉行を務め、一条家との関係を強めてその勢力を拡大するが、『守護細川家』『公家一条家』『寺社』等の国人衆と敵対する勢力との連携の結果、国人衆から嫌われてしまい、『両細川氏の乱』で細川家の統治体制が崩壊すると、その国人衆の敵意を一身に浴びて総攻撃を受けて滅亡に追い込まれる。

 生き残った長宗我部国親が頼ったのが一条家であり、一条家の支援の元復興がなると、戦に婚姻にと周辺国人衆を相手に勢力を拡大。

 土佐中部を支配下に置く勢いを見せていた。

 そんな長宗我部家の『姫若子』が後の長宗我部元親である。



一条家 家紋 下り藤

 武家政権というのは、京の公家や寺社が持っていた荘園を横領してゆく歴史である。

 それは京から離れた地方において顕著に成り、地方荘園収入の喪失が公家の没落の原因の一つにあげられる。

 だが、それを座して見ている公家ばかりではなかった。

 その地方荘園を横領から守るために、地方荘園に下向する公家も居たのである。

 土佐国の公家大名である一条家もそんな家である。

 一条家は公家の格で言うと、五摂家という藤原氏嫡流の五家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)の一つで、公家の頂点の家に当たる。

 応仁の乱の後、土佐国の荘園を守るために土佐国に下ったのは関白にまでなった一条教房。

 この下向を土佐国国人衆は基本歓迎した。

 京の洗練された文化・習慣等は国人衆が持ちえない憧れであり、荘園横領も持ち主の公家が管理しないというロジックのもとで行われていたから、その当人を前にして武力で堂々と横領すれば、それを口実に周辺国人衆が大同団結しその横領者を滅ぼしかねない。

 自力救済が原則で戦が当たり前だからこそ、その戦で周囲を納得させる大義名分はすごく大事で、地元の調停者として一条教房が振る舞えた事が、土佐一条家成立の大きな理由なのだろう。

 この調停者の威力は西国ではものすごく魅力に映ったらしく、西国の大大名大内家や九州の大友家が接触し、大寧寺の変で大内家が滅亡すると、応仁の乱で逃れた公家達のインナーサークルの中心に躍り出る。

 だが、土佐国で勢力を誇っても一条家は五摂家の一つであり、基本は京にて帝の側に仕えるのが仕事である。

 かくして、長男が京の家を継ぎ、次男が土佐を守るという形で家を分けることになる。

 これが土佐一条家の始まりなのだが、時が経てば揉めるのは目に見えており、京の本家との暗闘が勃発するのは時間の問題だった。



キリスト教

 南蛮交易と共にやってきて鉄砲を得るためには布教をなんて形に認識されており、近年は奴隷貿易や現地の宗教攻撃や文化批難がクローズアップされているが、それだけでこの時代のキリスト教を語るには足りない。

 少なくともこの末法の地にやってきた彼ら宣教師の多くは、己の神を信じ、目の前の民を救済しようと力を尽くしたのは間違いがなかったのだから。


……だからこそもっと救いがないというというか、正義の押し売りが何をもたらすか分かっていなかったというか……


 この地にやって来たキリスト教は基本カトリックのイエズス会の修道士達である。

 カトリックの腐敗とそれに対するカウンターとしてプロテスタントが広がっていたこの時代の欧州にて、体制内改革を目指したのが彼らイエズス会である。

 彼らを支持したのが地縁・血縁でガチガチに構築された戦国日本社会において『流れ者』として迫害された民であり、この時寺社(彼らが荘園の領主であるという事を忘れてはいけない)から見放された民だった。

 寺社が見捨てた民から支持されたキリスト教が武家に広がった理由に、優れた南蛮文化もあるが寺社荘園の横領において格好の大義名分になる事に気づいたというのが大きい。

「俺、イエス様信じているから、お前らの神様異端!だからその荘園没収な!!」

 ……書いてて思ったが本当に救いがないな。これ。

 そんな方便がガチ信仰に移るのもあるあるで、畿内では一向一揆や法華一揆が猛威を奮っていたご時世。

 外から来た神に救いを求めるのは決して悪いとは私は言えないのだ。

 たとえその背景で、奴隷交易が花開いたとしても。

 なお、イエズス会はその体制内改革とローマ教皇への忠誠から国民国家成立時に置いて弾圧されてゆく事まで記しておこう。



悪銭

 読んで字のごとく、悪い銭。

 こいつが戦国時代容赦なく猛威を振るい、多くの人間の運命を狂わせてゆく。

 貨幣経済が本格的に始まったのは、平安時代末期の源平合戦時。

 時の宋帝国から平清盛が大量に仕入れて巨万の富を築いたのが『宋銭』という宋の貨幣という事実は、この時の日本の通貨がローカルカレンシーであり、己の貨幣の信用が無いという事を如実に物語っている。

 そして、貨幣経済にものの見事に騙されたのが東国の武士たちであり、鎌倉幕府成立のきっかけに繋がってゆく。

 鎌倉幕府中期から末期にかけて徳政令という借金帳消し命令が出たのも、武家が本質的に貨幣経済に対応できない事を示しており、貨幣経済による富の偏在が『悪党』という新しい連中の台頭を招き、後醍醐天皇の倒幕に繋がってゆく。

 そして、南北朝を経て室町幕府統治下に移るのだが、貨幣経済はほぼ日本全国で広がってゆき、永楽銭を頂点に米や絹や塩などを交換できる体制ができるようになると、悪いことを考える輩がこんな事を考え出す。


「永楽銭を偽造したら、米や絹が手に入らないか?」


 これが悪銭の始まりである。

 もちろん幕府は取り締まろうとしたが、その力はもはや無く悪銭が蔓延り戦国日本経済は大崩壊……しなかった。

 元から壊れている?

 それは言わない約束で。

 戦国時代は大規模合戦が頻発したのだが、戦争という消費行為の急拡大が使用通貨の不足を招いてしまい、悪銭でも価値が生まれる状況ができてしまっていた。

 たとえ、撰銭より価値が低くても、米や絹より持ち運びが容易で、証文という信用に賭けるより通貨そのものが持つ鉱物価値に信用を置く連中が地方を中心に一定数居たのだ。

 この悪銭をコントロールしようと広大な支配地域を武器に色々やったのが、織田信長であり、豊臣秀吉や徳川家康もこの問題に頭を悩ませることになる。



京都

 天皇のいる都で歴史古く……まぁ、応仁の乱や天文法華の乱で派手に焼かれているのだが。

 そのたびに京が復興したのは、貨幣経済による消費地の存在が必然的に都市化を生み出したからだろう。

 畿内の中心に位置し、琵琶湖の西にあり、淀川を下れば大阪湾に繋がる神立地、そして南都や比叡山等の寺院が周辺に集まっているのだから、都市ができない方がおかしい。

 とはいえ、この頃の京は上京と下京の二つに分かれている。

 上京に公家や武家の屋敷等が集まり、下京が商業地という色分けがされていた。

 街自体は、戦乱で何度か焼かれた為に、城塞都市に近い作りになっている。

 武家や公家屋敷や寺社は周囲を塀で囲い堀を掘り、その間にある町家には木戸を作って出入りを監視する。

 何かあった際の調停はその地区の武家や公家や寺社が出向く事で、街を守る代わりに彼らは保護料という銭を得るという訳だ。

 朝廷・幕府・寺社という中世を代表するややこしいものが集中している都が京であり、多くの大名たちがこの三者に翻弄され滅んでゆくことになる。



岸和田

 この地名の由来は南北朝時代、楠正成が配下の和田高家に命じてこの地を治めさせたことに由来する。

 元々は吉野の領主だった和田家はこの新しくできた領地に移り住んだ一族を『岸の和田家』と呼び、それが岸和田になったとか。

 そんな岸和田だが、交通の要衝であり、畿内の南の防衛の最前線でもある。

 堺の南に位置し紀伊国からの陸路だと何処からでもアクセスできる上に、河内国方面にも行き来ができる便利さ、海路は淡路や阿波の船が来れる上に、船が用意できるならば摂津経由で淀川を遡って京へというのもできる。

 紀伊国は根来寺・高野山・熊野大社等の有力寺社が存在し、雑賀衆や根来衆という傭兵集団の本拠地があった。

 その上、紀伊守護の畠山家はやばくなったらこの地に逃げて再起をという事を繰り返していたから、ここの防衛は畿内政権の重要事項の一つであり、この時に畿内の覇者となっていた三好長慶はそれゆえに十河一存や三好義賢という信頼できる兄弟を置いて防衛させていたのである。

お、終わらない……orz

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