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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
畿内三好家飛翔編 永禄六年(1563年) 秋 大規模加筆修正予定

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猫城リフォーム報告

「これが猫城……か?」

「少し建物を増やしましたので」


 せっかく九州に帰ってきたので領地に戻らないのはどうかという声もあって、俺達一行は放置しきっていた猫城に帰る事になった。

 そこにあったのは、小山の上にでんと立つ建造中の物見櫓だった。

 正確には、物見櫓がついた屋敷という感じなのだろうが、これが洗練されていって天守になってゆくのだろう。

 それを説明する柳川調信の顔が少し誇らしげだったのがなんとなく印象に残った。


「まあ、種は簡単。

 御曹司の金策にそれがしも乗ったという訳で」


 大暴落中だった毛利側証文を買い漁った結果、巨利を得たという訳だ。

 なお、俺の行動をインサイダーで知ったのは彼の他にも二人ほど居る。


「息子が感謝しておりましたぞ。

 儲けさせてもらったと」


 お前もか。大鶴宗秋。

 とはいえ、俺にそれを責めるつもりもない。

 インサイダーとはいえ、それを決断するにも勇気がいるのだ。

 二人の儲けも足して四千貫には届かないらしい。

 リスクを考えて、破産するまで賭けなかったからこそのリターンである。


「我らの才覚ではここまでなのでしょうな。

 高橋殿の才覚には及びませぬて。

 この城の改修の為の大工達の手配もやってもらっております」


「……」


 俺が四国で行っていた仕手戦は神屋経由で高橋鑑種に筒抜けになっていた。

 そして、それを理解した彼は博多周辺の領地十五万石を元手に博打を行い、神屋と共に俺以上の巨万の富をその手に収めていたのである。

 その富を彼は博多の街にぶち込み支持を集め、周辺国人衆の取り込みに使っていた。

 今や彼は博多奉行としてその権勢は立花家を超えている。

 そのお零れがこの猫城の改修工事に使われている。

 一応離れたとはいえ、俺と烏帽子親である高橋鑑種の関係は切れていないというのが九州における俺達二人の関係である。

 だからこそ、城の増築において博多の職人が駆けつけているのだ。

 その結果、ただの遠賀川近くの小山の屋敷と柵しか無かった猫城に堀つき土塀囲いの二の丸ができて、その周囲に屋敷と集落が栄えて城下町を形成していた。

 境目の支城ではなく、国人衆の居城として猫城は生まれ変わりつつあったのである。


「結構繁盛しているじゃないか」

「養生所が当たりましてな。

 周辺より医師と薬師が寄るようになり申した」


 猫城に入る前に西木屋瀬の宿場に立ち寄ると、木屋瀬並に栄えていた。

 その通りを柳川調信の案内でぶらつく。

 渡しの船着場を整備し、遠賀川から海路で博多までの船便を用意した事で、いい感じに人と物が集まってきている。

 そして、医書の生産と診療所の存在がこの宿場に付加価値を与えていた。

 商家の土蔵も数軒建っているが、その一つで一番大きなのが柳川調信の屋敷である。

 となりにあるのは神屋の両替商。

 こういう所は抜け目がないと感心する。

 周辺の村から物を持ち寄って売る市も行っており、その場所を兼ねて神社を建てている。

 なお、御神体は商売繁昌の意味も込めて宗像大社より御分霊を頂いたそうだ。

 そういう事ならとお寺も建っている。

 これも宗像がらみであの家の祟りがいかに大きいか思い知る。

 寺社があり市が立つなら行商人だけでなく旅芸人の一座も寄ってくる。

 芦屋の後の次の公演に木屋瀬はちょうど良く、神社の境内にある舞台では芸人の一座が練習をしていた。

 西木屋瀬の宿場から戻る途中水田を眺める。

 商業について優先したので、水田についてはそれほど変わっていないように見える。

 そしてやっと猫城に入城する。 


「しかし、これでこの城が守れるとは思いませぬが」

「同感。

 やっぱり場所が悪いよ。この城」


 本丸下に作られた二の丸の屋敷で果心と井筒女之助がシビアな評価を下す。

 城が大きくなるという事は、それだけ守備兵が必要になるという事でもあるのだ。

 そして、遠賀川の水運を左右できるこの城は戦略的要衝なだけに敵は本気で奪いに来る、つまり主力を差し向ける事を意味する。

 平地の縄張りはそれだけ守るのには不利なのだ。

 今までの戦国の常識では。


「そういうと思ってましたよ。

 これをご覧下さい」


 柳川調信が蔵よりそれを居間に置く。

 かつて、欲しいなと思っていたそれが無造作に置かれているので声を出さずにはいられなかった。


「種子島……っ!

 まさか、これを揃えたと言うのか!?」


「とりあえず三百丁。

 まだ全部はこの城に来ておりませぬが、この城を守るには十分な数かと」


 周囲は見通しの良い田で、そこから物見櫓つきの堀と土塀に守られて、鉄砲撃ち放題。

 途端に、平地の城である不利が有利に変わる。

 これが鉄砲という兵器が持つ変化の一つである。


「お待ちしておりましたぞ!

 御曹司。

 どうか、次の畿内行きにはそれがしを連れて行ってくだされ!!」


 部屋に入ってきたと思ったら即座に土下座をする小野鎮幸。

 畿内での大戦を体験した事は九州でも聞こえているので、次の戦にと志願した訳だ。

 だが、小野鎮幸みたいな輩は大量に居たのである。


「待たれよ!

 小野殿が畿内に出るならば、ここの守りはどうなるのだ?」


 俺達の一行についてきて口を挟んだ者の名前は雄城長房。

 一応有明の実家になった雄城家の嫡男である。

 俺の畿内での武名と、今回の帰還で粛清されなかった事は大神系有力国人衆である雄城家の存続に一つの方向性を与えてしまっていた。

 つまり、俺を雄城家養子として迎え入れたいという提案である。

 雄城の姫となっている有明を使って俺を雄城家当主にし、その下に家老として雄城家嫡流を残すという腹づもりなのだ。

 これをする事で、家格は落ちるが粛清はぐっと低くなる。

 この提案は保留したのだが、そんな訳で俺に賭ける事にした雄城家は嫡男を俺の馬廻りにつける事にしたのである。

 それが許されたのも、大友家主流派である同紋衆にとってみれば畿内の地で大神一族が消耗すれば彼らの利益になるからに他ならない。


「宗像の者もおりますし、よろしければ雄城殿にお任せしても構いませぬが」


 猫城の実質的防衛指揮官という地位よりも、畿内での武功の方が大きく見えるのだ。

 双方万を越える大戦で武功を積めば、大友家直臣も夢ではないからだ。

 それは、一門衆故に立ち位置が怪しかった俺という存在が証明している。

 正直な所、小野鎮幸の提案は魅力的ではあったのだ。

 吉弘鎮理が敵に回った時に、彼にぶつけられる将として。

 言える訳もないが。


「何を好き好んで修羅場に行くのやら。

 いいだろう。

 吐いた言葉に嘘偽りがない事を畿内にて確かめさせてもらうぞ」


「ははっ。

 ありがたき幸せ!」


 小野鎮幸の提案を了承すると、柳川調信が口を開く。


「せっかくですので、この城の方針を再度決めて頂きたく」


 戦が発生しなかった事と、毛利家の証文危機で銭は十分に稼いでいる。

 城も最低限の防備はつけた。

 それを踏まえて、俺は口を開く。


「宿場についてはこのままでいい。

 次は開墾して田畑を増やすぞ」


「御曹司。

 灌漑をせねば田畑は増えませぬぞ」


 当たり前だが、簡単にできる所には既に田畑はできている。

 そこから更に開墾するのだから、灌漑はある意味当然である。


「銭はあるんだ。

 水車を作り、水路を引いて溜池を作る。

 博多に職人がいるから呼んで作らせろ。

 必要ならば、烏帽子親殿にも文を出しておこう」


 水車の利点に水車を動力にする色々な仕事ができるというのもある。

 西木屋瀬は遠賀川沿い領地の上流にあるので、ついでに水車小屋も建ててしまおう。

 こういう職人が確実に滞在している大都市博多というのの何と大きなことか。

 そして、その博多を押さえる高橋鑑種のなんと不気味なことか。

 話がそれた。

 

「領内の唐津街道の関所を廃して西木屋瀬の宿は楽市楽座にしておけ。

 城と宿場が離れているんだ。

 乱取りには合わせたくない。

 宿は町衆の合議にしろ。

 どうせ、お前が中で差配するんだろうから好きにすればいい」


「ありがたき幸せ」


 戻ってきて分かったが、猫城は本当に俺の城として残しているらしい。

 で、領地を預かる『商人』柳川調信の城は西木屋瀬の宿場という訳だ。

 自治を与えることで、商家は戦から宿場を守りやすくなる。

 俺の褒美に柳川調信は嬉しそうに平伏した。

 

「さてと、城の方だが、木盾を土塀にして門も棟門にするか。

 物見台も二の丸に建てておけ」


 城が広がって多くの兵を入れることができるとはいえ、城そのものの防御力は低い。

 その為、防御の要となる鉄砲を効率よく運用するために鉄砲狭間のある土塀と敵を見つける物見台は必須の施設だった。

 棟門だと見栄えもあるが、屋根の上に陣取れるのも大きい。

 二の丸ができたおかげで五百人は籠城できる城になっている。

 そこで俺は、口に出して悩む。


「三の丸……いるか?」


 三の丸を作るということは、それだけの兵が防御に必要になる事を意味する。

 千人ほどの兵を篭もらせる事ができる三の丸の規模の兵はこの領地に居ないし、城を固めれば固めるほど来襲するだろう毛利軍の目標になってしまう。


「それでしたら案が」


 雄城長房が俺の悩みを見ぬいて進言する。

 このあたりの空気の読み方の巧みさが豊後国内大神系国人衆の立場をよく表している。

 読み誤ったら即滅亡的な危機感が雄城長房から出ているのが分かる。


「同紋衆に守将を派遣してもらうというのはいかがでしょうか?

 その滞在にも三の丸は必要かと」


 雄城長房の提案は豊後で未だ生き残っている大神系国人衆らしい気遣いにあふれていた。

 この城が戦場になるというのは対毛利戦であり、対宗像戦と対麻生戦という事になる。

 その鎮圧において裏切らない同紋衆を守将に置くのは、この地の国人衆達の目付としても機能するだろう。

 そして、ガチで守る以上は三の丸は必須である。


「城代と対立しかねないがそのあたりどうなんだ?」


「構いませぬよ。

 城代ぐらい差し上げますとも。

 では、三の丸の手配もしておきましょう」


 俺が現城代である柳川調信に話を振ると、柳川調信は事も無げに言い切った。

 彼が武将兼商人で、西木屋瀬をはじめ博多や芦屋にも屋敷を持っているからなのだろう。

 彼にとってみれば、猫城拡張改修はあくまで博多の恩を作ってくれた俺への奉公でしかないという訳だ。

 そのあたり、未だ家というものをあまり意識していないが故に、序列があいまいである俺達の欠点であり利点なのだろう。


「ならば、豊後から守将を連れてくるか。

 誰がいいか……」


 俺が猫城を受け取った時と現在では、状況が大幅に変わってきている。

 尼子攻めがなんとか軌道に乗っているとはいえ、毛利の目はまだ九州に向いておらず、最前線の豊前松山城に尼子家旧臣の多胡辰敬を入れたからだ。

 この城に向かう前に豊前松山城に寄ったのだが、盛大な歓迎を受けたのを付け加えておこう。

 あと、宗像に入りたくない明月はここで待っていたりする。

 話は少しそれたが、隣接する麻生家の内紛は表向きは穏やかに見えるが、当主麻生隆実は孤立化しつつあり麻生鎮里の方は勢力を拡大していたのである。

 一方の宗像家だが、表向きは大友に従っているように見えるが水軍衆は健在であり、毛利が来た時にはそちらにつかざるを得ない事が分かっているので、俺の初陣で得た許斐岳城で少弐政興が目を光らせている。

 最大の問題点は博多であり高橋鑑種なのだが、日田に繋ぎの城を築く許可を得たので大友家の出撃は史実より楽にはなるだろう。

 なお、その城の建設については府内で田原親賢に三千貫ほど渡して後はノータッチを決め込んでいる。

 俺が考える事暫し。

 その名前が出たのは、四国で彼の名前を聞いていたからだ。


「入田殿にお任せするか」


 大友二階崩れであまりにも救いのない役回りを演じる羽目になった入田家は、家督は許されたが領地を大幅に失っていた。

 入田家は阿蘇家がらみで肥後とも繋がりがあるが、同紋衆なのに風当たりも強いらしいので、城一つ丸ごと預けて同紋衆に媚を売っておこう。


「ならば三好殿を真似するか。

 城代だが、城主として振る舞って構わぬと書状に書いておこう」


「御曹司!

 城を差し上げてどうやって暮らすおつもりか!!」


「一応、和泉国岸和田城代もやっていてな。

 その上がりは今頃堺で膨らんでいるだろうよ」


 何も知らない雄城長房が俺に諫言をするが、それを俺は事例を持って粉砕する。

 領地収入ではなく商業収入によって畿内を制圧した三好家にならって、基本根無し草である俺もそれを真似ることにした。

 佐伯一族の取り込みと長宗我部元親との関係によって、俺は土佐経由の航路を一つ握っているからだ。

 土佐の木材を大友と三好のコネを使って府内と堺で売り、府内で食料を買って四国で売り、畿内の優れた商品を四国と九州に売る。

 瀬戸内航路よりも運搬日数が割高になるのがマイナスだが、佐伯一族という水軍衆を握ったことと府内・堺を抑えて物の売り買いができるメリットが十二分に富を生み出していた。

 もちろん、豊後での商売におけるパートナーとして仲屋乾通を指名したのは言うまでもない。

 土佐国宿毛での証文取引に絡む対立の手打ちをこれで片付けたとも言う。

 こんな訳で、佐伯一族馬廻案は早々に放棄された訳で、その後釜に座ったのが同じ大神国人衆の雄城家だったりする。

 なお、根無し草である佐伯一族の水軍整備は一条家との交渉を経て土佐国宿毛で行う事にしている。

 俺が畿内で使う兵力で自前で銭を払わないと行けない連中は、一万田鑑実に吉弘鎮理の付けられた連中に、ここまでついてきた浪人衆に、今回から来る小野鎮幸と雄城長房の郎党を合わせて千人程度。

 これらから抜擢して三百人程度の馬廻を作り、小野鎮幸に率いらせる。

 それに岸和田城で預かっている荒木村重や島清興の郎党に、畿内で雇う浪人衆を足して三千人ばかりが俺の畿内での直轄戦力となる。

 毛利家の証文の儲けもまだ残っているし、一武将として働くには問題無いだろう。

 九州出発後の話になるが、入田家当主である入田義実はこの提案を了承。

 窮乏していた入田家はあまりの高待遇と信頼に涙したそうだ。




 滞在日数は半月ほどだったが、濃い九州訪問からやっと畿内に戻る事にする。

 博多の方に足を運ばなかったのは、高橋鑑種と会いたくなかったというのがある。

 彼に対する思いはまだ俺の中で過去にできていない。

 だが、彼を粛清すればその後釜に俺が座る可能性が高いのだ。

 それは、毛利と竜造寺相手の最前線で戦うことを意味する。

 史実よりも有利な状況だろうとはいえ、この二者からの挟み撃ちなんて悪夢以外の何者でもない。

 既に吉弘鎮理や小野鎮幸や雄城長房の郎党は土佐回りで畿内に向かっているはずである。

 猫城から府内経由で土佐国宿毛についた時、三好義賢の手の者が俺を待ちかねていた。

 彼から渡された文を閨で読む。

 それを女達が眺めていたが、俺は読み終わった文を床に投げた。

 派手にため息を告げながら、中身を皆に告げた。


「三好義賢殿からの文だ。

 細川氏綱殿が病没。

 管領職は細川晴元殿の遺児細川昭元殿に継がせたいが、公方様が抵抗。

 若狭を巡る朝倉家との確執で、公方様が独断で本願寺と手を結んだそうだ」


 ここまではまだいい。

 将軍による三好政権弱体化に朝倉家との軋轢は俺が畿内にいる間にもあった事だ。

 問題なのはここから先だった。


「公方様は朝倉討伐に奉公衆を率いて出陣の意向。

 諸大名に兵を出すように檄を飛ばすが、三好長慶殿はこれを拒否。

 だが、美濃の織田信長殿がそれに呼応。

 朝倉家と組んでいる近江国浅井家に出兵。

 戦が始まるらしい」


 うっすらとは分かってはいた最悪の想像。

 織田信長と三好長慶の対立は、足利義輝という火種によって発火しつつある。

 これに俺はどう対処すればいい?

 俺の知っている歴史は、それを教えてはくれなかった。

 『大友の姫巫女』を書いていた時に見つからなかった雄城家の資料発見!!!

 本当にいい時代になったものだ……


http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/download.php/bs01104.pdf?file_id=2290


 この資料を参考に、この話での雄城家家系はこんな感じ。


雄城治景-雄城長房-雄城惟光


 別系統じゃないかという資料だけど、長房が耳川合戦で討ち死にし、惟光が大友義統配下の記述なので時間軸的にはこれで合うはず。


 猫城の物見櫓のイメージは日向国綾城の模擬天守だったり。



雄城長房 おぎ ながふさ

細川昭元 ほそかわ あきもと


4/7

内政シーン追加


12/2

少し加筆

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