小原鑑元の乱から今へ 【系図あり】
「小原殿と一万田殿が争ったのは、大友と大神一族の確執か?」
俺の言葉に佐伯惟教が吐き出した一言はある意味俺の予想したものだった。
淡々としたその言葉がかえってその言葉に深みを与えてしまう。
「本当にそうでしたら良かったものを」
つまり、そんな誰もが納得する理由で真実を覆い隠したと。
大友家の闇の部分は相変わらず深く、暗い。
「端的に申せば、二階崩れの因縁がそのまま残ったのが原因かと。
つまり、大内か菊池かという訳で」
大友晴英が大内義長として大内家に行った時、大友家は家臣の中から付き人兼監視という形で大内家に送り込んだ。
そんな一人に一万田鑑相の次男だった一万田鑑種が居た。
大寧寺の変の後、九州の大内領を管理していた杉家が粛清によって失脚。
博多の管理の為に大友家が送り込んだのが臼杵家であり、大内家の代理人として一万田鑑種は筑前の名家高橋家の養子に入り高橋鑑種と名乗る。
西大友と称され大内家の中で栄えた立花家と共に大友家は博多を労せずして手に入れたのである。
大友と大内の二重統治は思惑はともあれ、その出だしはそこそこうまく行っていたのだ。
とはいえ、実権を握った陶晴賢とお飾りで居たくない大内義長の対立は火を見るより明らかで、この大内家情勢に関与していた大友家の重臣が一万田鑑相だった。
一方、大友二階崩れの隙を突いて菊池義武が肥後国で乱を起こして、鎮圧には成功したがその余熱が燻っていたのである。
その為に海を越えた大内家に介入する力を肥後に向けて完全に肥後を制圧してしまえという意見もあり、小原鑑元はその肥後戦線を担当していた。
「で、結果は菊池討伐になった訳だ」
「左様。
一万田殿は粛清され、その後御曹司のお父上である菊池義武殿は帰還した豊後の地にて一族諸共露と消え申した」
俺がこの時に生き残れたのも父親を見限った母親のおかげと、肥後国人衆掌握の為に菊池家再興の札としての価値を小原鑑元が考えたからに他ならない。
こんな所で生まれる前から運命が決まってしまう戦国時代。
だが、まだ闇は深く全てを見通してはいない。
「ですが、本当の所はお屋形様が同紋衆をまったく信用していないのが原因かと」
あまりにも簡単で、あまりにも救いがたく、そしていやでも納得してしまうその理由を聞いた時の俺の顔はどんな顔だったのだろう?
身内の骨肉の争いの中で大友家当主となった大友義鎮からすれば、同じ血を引いているだけで信用できると言い切れる訳がない。
父大友義鑑を失い、弟塩市丸を失い、傅役の入田親誠を自らの手で粛清した大友義鎮にとって、同紋衆は信頼できる味方ではなく、油断できない敵でしかなかったのだ。
まだ己との利害関係に誠実な他紋衆の方がよほど分かりやすいというのもあり、二階崩れで身辺を警護した佐伯惟教や、入田親誠討伐で許された斎藤鎮実、正室である奈多夫人の兄にあたる田原親賢を重用していたのもそこに起因する。
このような背景で、まずは大友義鎮の正室選びが同紋衆に衝撃を与える。
豊後における宇佐八幡宮の荘園管理を司り、国東半島において田原家と対抗できる影響力を持つ奈多家から嫁をもらったのである。
これは、新たな外戚ができる事を意味する。
更に、大友義鑑の『加判衆は同紋・他紋を半々にせよ』を逆手にとって、雄城治景を抜擢。
雄城家は大神系国人衆の分家に名を連ねる佐伯・小原に次ぐ格を持つ有力他紋衆で、実質的に小原鑑元の勢力拡大と受け止めた方がいいだろう。
有明の養子先の名前がこんな所に出てくる。
更に、田原親宏が戻ってきた時、同紋衆の不安と不満は頂点に達する。
「一万田鑑相殿は、大神一族の賀来家の者と揉めて討たれた事になっております。
その捜査と処罰を担当したのが小原殿にて。
処分は軽く、それをお屋形様も承認した為に、これはお手討ちであると府内で噂しあったものです」
一万田鑑相粛清後の加判衆の座をめぐっての暗闘は熾烈を極め、志賀親守が座ったのは他紋衆が押した田原親宏に加判衆の座に座らせない為の執念の一手と言っていいだろう。
大友三大支族の一家である志賀一族は豊後南部に広大な勢力を築き、北志賀家と南志賀家という二つの本家を持つ一族である。
その南志賀家当主である志賀親守を加判衆に加えるというのは、田原親宏に匹敵する格として持ち出されたと言っているに等しい。
「で、こんな状況を毛利元就が見逃す訳が無かった」
「ええ。
大寧寺の変という手本があるのですから、その再現はたやすいでしょうな。
ご存知ですかな?
大友家は伊予国河野家にも一族の嫁を送っております。
もちろん、瀬戸内の水軍衆掌握の為です」
瀬戸内水軍の代表名である村上水軍は建前上は河野家の臣下として振舞っている。
そして、大内家からの独立を考えていた毛利家は小早川家に小早川隆景を送り込んで水軍衆を取り込もうとしていた。
接点はこんな所にもあったのだ。
「一万田鑑相粛清によって、大友家は大内家に過度な介入をする事を止めました。
大内義長様につけていた家臣達も豊前や筑前の管理という名目で九州に帰し、豊前や筑前では大友側と大内側の国人衆の小競り合いが頻発。
お屋形様と毛利元就が何時ごろ手を組んだか知りませぬが、厳島の合戦あたりでは既に手を組んでいたはずです」
厳島合戦で陶軍が動員したのは周防・長門・石見三国の兵二万で、九州の大内領からは兵を求めていない。
九州の大内領が大友側の諜略で動けなかったというのが大きい。
他紋衆は大友家中の影響力拡大の為に毛利元就と組み、豊前と筑前という餌に食いついたのである。
そして、毛利元就は厳島合戦で空前の大勝利をあげる。
その大勝利は大友家の想定外で、大内家を滅亡に追い込むほどの大勝利だった。
大内家を亡ぼす事は大内義長を亡ぼす事であり、そこまでは求めていなかった他紋衆は真っ青になり、同紋衆はこの敵失に容赦なく便乗したのだ。
大内家を亡ぼさない条件は、兵力が消耗した周防長門に九州から兵を送るしかない。
そして、今度は他紋衆を叩くために同紋衆が豊前と筑前という餌に食いついた。
大友義鎮はこの騒動を制御できなかった。
豊前と筑前、特に博多を抱える筑前という餌はそれほどの魅力だったのである。
かくして、毛利元就渾身の謀略は再度炸裂する。
「府内にて本庄新左衛門尉、賀来紀伊守、中村長直の三者が兵を起こした時、即座に浮かんだのは『仕組まれた』でござった。
下り衆ですが他紋の本庄、大神一族の賀来、水軍衆の中村はどれも同紋衆ではございませぬからな。
しかも、この三者が兵を府内に集めていたのは、大内救援の為でござった」
豊前と筑前は大内の看板で大友が統治する二重支配の様相を呈していた。
その為、名の大内が滅亡する事はまずいので、やっと大内救援の為に家中がまとまったのである。
そこに毛利に繋がってた者が居たという。
「火種になった中村長直率いる水軍衆は、多くの流れ者を抱えていたらしく、その中に毛利の間者が居たのでないかとそれがしは疑っております。
あの時、毛利は交渉役として小寺元武や小倉元実が常に府内に来ておりましたゆえ。
これを仕組んでいたのでしょうな」
専門職というのは身内支配の及びにくい実力主義の世界である。
その最たるものである水軍関係者は、海の繋がりもあって多くの流れ者を中に入れていた。
乱そのものは府内の街を焼く大規模なものだったが、そもそも府内に兵が集まっていた事が大事だった。
その集まった理由は大内義長の救援。
だが、府内で発生した乱に必要だったものがある。
「府内が焼かれる兵火を起こした理由が必要でござった。
毛利元就に踊らされたなんてどうして言えましょうか。
雄城治景殿は鎮圧側に回り、田原殿は国東半島に領地を持つゆえに大内救援に悪影響を与える。
あの時、謀反の旗頭としての候補は二つ。
大神一族宗家の佐伯家と……」
「……大神一族の重鎮かつ、肥後に居る小原殿か」
それが分かっていたからこそ、佐伯惟教は一族を連れて逃げた。
それを責める事はできない。
「何?
私の父上と母上は、毛利元就に騙された事を糊塗する為だけに殺されたって言うの!!!」
黙って聞いていた有明が激昂するが、それを窘めたのが果心だった。
有明の隣にてあっさりとした声で彼女の火消しにかかる。
「有明様。
八郎様の事を『女遊びにうつつを抜かして九州より逃げ出した卑怯者』と誰かが罵られていたらどうします?」
「そりゃもちろんぶん殴……あっ!?」
この末法の世は力が全て。
舐められるという事は力が無いという事を意味し、更なる搾取対象に成り下がる。
毛利元就に踊らされた事を糊塗する為には、それ以上の物語が必要になる。
そして、その物語を同紋衆は用意していた。
「同紋衆と他紋衆の対立。
二階崩れすらこれに絡めて、全ての因果を大神一族に押し付けたか」
「大神一族の有力者で加判衆に入り、肥後方分まで務める小原殿はその贄に選ばれたのでございます。
そこまで、毛利元就は読んでいました」
佐伯惟教の一言に俺を含めた一堂は愕然とする。
その理由を彼は淡々と告げた。
「乱の発生は府内。
肥後に戻っていた小原殿は乱の発生を知るのが遅れ、筑前の高橋鑑種殿に討伐され申した。
どうして高橋殿は乱の発生を素早く知る事ができたのでしょうな?」
この時代、情報にはタイムラグがある。
豊後国府内の乱の発生を肥後が知るには、早くて三日はかかる。
だが、その前に高橋鑑種は兵を差し向けた。
「高橋鑑種は毛利と繋がっていた?」
有明の言葉に佐伯惟教は力なく首を横に振る。
その痕跡は俺も探していたが未だ見つかっていなかったのだ。
大友家もこの独断に近い討伐にかなり深く調べたらしいが、ついに毛利元就との関連性は見つからなかったらしい。
「何故そのような面倒な事をする必要がありましょうか。
火種さえあれば勝手に踊ってくれるというのに。
それがしが掴んだのは、あの時早船の往来に手をつけなかったぐらいで」
海路ならば、府内の凶報は二日で博多に届く。
だが、その為には関門海峡を通過しないといけない。
厳島合戦の後、水軍衆はこぞって毛利家に転んだ。
情報封鎖は海路についてはまったくできていなかったのだ。
そして博多奉行を務めている高橋鑑種の居城は博多のすぐ南である太宰府宝満城。
彼には小原鑑元を討つ動機もチャンスもあった。
そしてその賭けに彼は勝ったからこそ、俺も有明も四国のこのような場所に佐伯惟教と共に居る。
「ままならんな。
世の中というものは」
ため息と共にその言葉を吐き出した俺は障子を開けて明るくなりつつある空を見上げる。
そのまま有明の方に声を投げかけた。
「有明。
ここまで聞いて、高橋鑑種と毛利元就に復讐する気はあるか?
今の俺は博多で尋ねた時より力もある。
危ない橋だが、できない訳ではない。
どうする?」
皆の視線が有明に集まっているのだろうが、俺はあえて有明の顔を見ない。
見てしまって、その決意を濁すのがいやだった。
そんなにも長くはないのに、忘れることができないほど長く待たされたような気がする。
有明がゆっくりと、その答えの前に佐伯惟教に尋ねた。
「ねえ。
大内義長様の最後を教えてくれない?」
「……小原殿が討たれた後も、お屋形様は最後まで弟君を助けようと足掻いており申した」
有明の言葉に答えたのは吉弘鎮理である。
小原鑑元の乱によって大友家を去った佐伯惟教よりも真実を知っているだろう彼が口を開いた事で、佐伯惟教が押し黙る。
少なくとも、吉弘鎮理は嘘をつくような将ではない。
「ですが、毛利元就の策謀は九州に深く根を下ろしており申した。
豊前では杉家が毛利側につき、筑前では秋月家が蠢き、博多を抱える立花山城の立花鑑光殿が毛利側に走ったと噂が流れる始末。
兵を出せる状況ではありませんでした。
それを毛利は見越して、『大内義長ではなく大友晴英として帰してもよい』と提案をしてきたのでございます」
それを大友義鎮は断った。
茶器欲しさに断ったと言われているが、それは毛利側への嫌がらせにしかならない。
断らざるを得ない切実な理由が吉弘鎮理の口より告げられた。
「大友晴英様がお帰りになった場合、家督継承の次席に座ることになり申す。
長寿丸様がまだお生まれでない中で、どうしてそれを認めることができましょうか。
小原鑑元の乱の時、謀反勢が掲げる家督を継ぐ者に晴英様の名があり申した」
ああ。
駄目だ。
これは駄目だ。
断らざるを得ない。
これを認めたら、戦国大名大友家では無くなってしまう。
親兄弟だけなく親戚や外様に譜代とありとあらゆる身内を粛清しきった大友義鎮の家督の意味がなくなってしまう。
誘うとて 何か恨みん 時きては
嵐のほかに 花もこそ散れ
大内義長の辞世の句は、大内家秘蔵の茶器である大内筒と共に大友義鎮に届けられた。
それを持って大友義鎮は茶室より一刻ほど出てこなかったが、家臣は誰も茶室に入る事をしなかったという。
大内家滅亡の後、豊前と筑前の反大友勢力に粛清の嵐が吹き荒れた。
大内家滅亡時に力を失っていた杉家は決定的に弱体化させられ、西大友と繁栄を誇っていた立花鑑光は粛清され、同紋衆の日田家より養子が送り込まれた。
立花鑑載である。
秋月家は古処山城で徹底抗戦したがついに落城し滅亡。
その忘れ形見が毛利に走り秋月種実と名乗る。
そして、小原鑑元の乱で生き残った俺は高橋鑑種の元で人質として過ごし、有明は遊女に堕ち仇である高橋鑑種に囲われた。
「八郎が生き残ったのは?」
有明が聞きたかったのはきっとこれだろう。
俺はその答えを臼杵鑑続から聞かされた。
その腐臭漂う理由を吉弘鎮理もまた口にしたのである。
「まだ元服して居なかった故に。
お屋形様に何かあった時の替えは一人で十分かと」
なんという醜さだろう。
なんというおぞましさだろう。
なんという執念だろう。
そして、長寿丸が生まれた今、その替えは必要ではなくなっている。
明けの空を見ていた俺に有明は後ろから抱きつく。
頬に当たる水分はきっとしょっぱいのだろう。
有明は俺の耳元で、その答えを告げた。
「お願い。
八郎をそんな修羅の道に走らせないで……」
それが有明の、親の代からの因果を背負い、遊女に落とされ仇に囲われたという応報を味わった女の答えだった。
俺は有明に抱きしめられたまま、部屋の方を振り向いて佐伯惟教に告げる。
「という訳だ。
今ここで首は取らんよ。
有明が悲しむからな。
だが、佐伯一族は助けよう」
「御曹司!!」
吉弘鎮理が叫ぶ。
それが明確に大友家の意向に反しているからこそ殺気すら漂わせて吉弘鎮理が俺を睨む。
けど、ここで首を取ったとしても、水軍衆の証文買い取りの件で釈明をしなければならない立場なのは変わりがない。
何よりも、佐伯一族を助けて与党にできるのならば、大友家に戻れないからこそ安心して死ねと命じられる部隊を手に入れることができる。
それを逃すつもりは俺にはなかった。
「安心しろ。
大友の損にはならんように動くし、この後府内にてお屋形様に直に釈明するさ。
何かあっても腹は府内で切る」
「ありがとうございます!
この首にかけて、佐伯一族は御曹司に忠誠を誓う所存!!」
夜はすっかり明けていた。
広がる青空を眺めてあくびを噛み締めながら、この集まりにこう告げたのである。
「とりあえず俺は寝るぞ。
次は府内に行くので支度をしておけ」
なお、気をきかせたらしく閨には有明しかついてこなかった。




