幕府と朝廷は複雑怪奇なり
明智光秀と共に京に戻った俺達は、細川藤孝を伴って幕府と朝廷に足を運ぶ。
今回明智光秀の、正確には彼の主君となった織田信長の狙いは明確だ。
美濃国主としての正当性を得るために、官位や幕府役職をもらうつもりなのだろう。
まあ、俺の仕事ではないので、全部細川藤孝に丸投げするのだが。
明智光秀と細川藤孝の関係がこういう形で繋がるとは、歴史のおおまかな流れなんてものをなんとなく感じてしまう。
「で、何処まで何をもらうつもりだ?」
御所での根回し中。
空いた部屋での密談なので、皆本音をぶっちゃける。
日本の組織は根回しが本当に大事なのだ。
「美濃守と美濃守護を。
銭に糸目はつけるなとの仰せで」
明智光秀に興味本位で聞いてみたが中々笑えるものだった。
いくら力が全てで銭で官位が買えるとはいえ、だからこそわかりやすい権威は明確な正当性が必要になる。
そこで、ふと気になったことを細川藤孝に尋ねる。
「斎藤殿。
いや、一色殿だったか。
その官位と役職を継いでいるのか?」
斎藤義龍は父斎藤道三を殺して主君になっただけあって、親父ゆずりの戦国大名だった。
もちろん、それを隠す権威もしっかり抑えており、幕府相伴衆の役職に左京大夫の官位を持っていた。
だが、斎藤義龍等が良い例で急死なんかして若輩者の龍興が家を継ぐとその役職と官位はリセットさせる。
だから、家督相続時にランクを落とした形で相続させるなんて事をする時もある。
「斎藤家から申請はされていたのですが、右京大夫という所で……」
細川藤孝が言葉を濁す。
日本における左右は左のほうが強い。
つまり、少し格を落として官位をあげようとした所、織田家の猛攻で本拠地を失った為にその話を無いことにしようと企んでいる訳だ。
これが京流権力闘争。
雅なくせに、水面下での引っ張り合いの醜いことと言ったら。
「それでは、官位と幕府役職の件は……」
明智光秀の声が明るいが、俺と細川藤孝の声はかえって暗い。
無関係だからこそ、俺がそれを言うべきだろう。
「朝廷は、織田と朝倉の間で両天秤を取ろうと考えているでしょうな。
朝倉相手に上総介殿はちと苦しいかと」
美濃国争奪は京から眺めると織田と朝倉の奪い合いという形に見える。
で自称『上総介』である成り上がり者の織田信長と、正規任官された『左衛門督』である朝倉義景の言葉のどっちを信じるという話になるわけで。
最終的には合戦で勝ち続ければその重さを逆転できるが、それはあまりにもコストが悪い。
京にいるのに織田信長の怒り狂う顔が目に浮かぶ。
明智光秀も貧乏クジを引いて可哀想に。
「幕府については、何か出してもいいと公方様は考えておられるだろう。
朝倉殿が絡むならばの」
細川藤孝の言葉は両天秤をかけるが、若狭武田家問題で揉めている朝倉家への当てつけとしてはある意味正しい回答である。
足利義輝は将軍と見るならば馬鹿ではない。
だからこそ、問題が盛大に拗れているのだが、馬鹿ではないのだ。
織田家の美濃簒奪の正当性付与が朝倉家へのあてつけになるのならば、喜んで恩と銭を代償に織田信長に売るだろう。
で、その朝倉家の恨みは公方様へ行くと同時に、彼を傀儡にしている三好家にも当然向く。
ここが足利義輝には理解できない。
いや、理解したくないのだ。
彼が目指す将軍権力の確立、傀儡からの脱却を考える時、畿内に覇権を打ち立てた三好家は叩いて弱体化しないといけないのだから。
三好家を叩く駒に、美濃で苦闘している織田信長は格好の駒に見えるだろう。
それは、織田信長の覇業に正当性という翼を与えることになる。
歴史が変わっても、流れはまだ方向を変えない。
時代に愛された男、織田信長は未だ時代に愛されている。
「尾張守護代。
まずはそこからでしょうな」
細川藤孝の言葉に明智光秀は言葉も出ないが、己の仕事が元々無理難題なのは分かっていたのだろう。
成り上がるためにも段階がいる。
まずは、朝倉家と喧嘩をするならば、朝倉家と同じ所に立たないといけないのだ。
まさか尾張統一時のゴタゴタのつけがここで襲ってくるとは彼とて考えたことが無かっただろう。
実力で奪ったがゆえに、名が必要な時にこういう形で牙を向いてくる。
しかも、朝倉家が一応越前国守護なのに対して、織田信長に与えるのは尾張国守護代。
これも傀儡だった尾張守護である斯波義銀を追放した報いである。
細川藤孝の幕臣としての回答は、
「まず尾張守護代あげる。
そこから、銭なり力なりを見せろ」
という、ある種のゼロ回答なのだから。
なお、これでも幕府側から見たら織田信長に気を使っているつもりなのが滑稽に映る。
成り上がり者に京の作法を教えようという上から目線なのだ。
それを的確に理解しているのは、明智光秀と俺の二人だけ。
細川藤孝とて織田信長を知らないからこそ、普通の大名としての扱いで処理している。
「上総介を朝廷はあげますかな?」
俺の言葉に細川藤孝は首を横にふる。
彼の顔が朝廷の複雑怪奇さを物語っている。
「それよりも弾正忠の方があげやすいかと。
織田殿の家は代々そちらを名乗られていたみたいなので」
まあ、幕府がこれならば、朝廷も似たようなものだろう。
これもゼロ回答なのだが、上から目線だと織田信長に配慮している……前にも言ったな。これ。
「何を人事のような顔をしておられるのか。
大友殿。
今、公方様や朝廷の関心は貴殿をどのように評するかなのですぞ」
え?
俺?
細川藤孝の言葉に明智光秀がぽんと手を叩いた。
「なるほど、我が主君が大友殿を越えるのはまずいと。
得心しました」
納得されても困るが、からくりが読めてしまう自分がいやになる。
当たり前だが、臨時の緊急職などを除いて、人事というのは決められた時に発表されるのだが、それは戦国でも変わりはしない。
三好家の覇権に功績があって、三好家の嫁をもらった事になっている俺の処遇は、足利義輝にとっては俺を三好家から切り離す手段の一つと考えているのだろう。
ここで問題になるのは、俺が大友家の一族である点だ。
つまり、主君である大友義鎮より上の官位はあげられない。
大友義鎮の幕府役職は九州探題、官位は左衛門督である。
かなりの高位にあるが、どこに俺を入れるかで他の大名とのバランスを取らないといけない。
会社人事の目玉が何処に配属されるかわからないと、他の部署の人員が決められないあれである。
「いらないって言えぬのでしょうなぁ」
「さすがにそれは。
公方様はともかく三好殿にも泥を塗りかねないので。
幕府はともかく、朝廷も乗り気なのですよ」
幕府役職はもらわない代わりに朝廷で評する。
これは足利義輝への三好家の当てつけに近い。
細川藤孝が懐から何かを取り出すと、じゃらりとなつかしい音がした。
あ。
これ、逃れられない。
「この算盤なるものを大友殿が博多にて売りだしたとか。
計算が楽になり、算博士として評したいとか」
そこからのフラグかよ。
さすがにこれは読めない。
武家系官位とかならば断る手もあった。
こういう武家に受けが良くない所を持ってきて官位序列に組み込む当たり、これは俺のことを把握している三好家の仕業だろう。
果心あたりも絡んでいるのかもしれない。
京で謀略の糸に絡めるならば、役職か官位はあると便利だからだ。
「主計助。
いかがですかな?」
正六位の官位で財務絡みのお仕事である。
なお、弾正忠の官位もここだったりする。
あー。
織田信長のゼロ回答の理由がいやでも分かった。
日本の官位において殿上人の境界は、大雑把に言えば五位以上。
九州の貴種で武功の有る俺ですら、そのガラスの壁についてはいきなり越えさせないならば、織田信長がそれを望んでも無理というものだ。
ついでに言うと、織田信長が望んだ美濃守の官位は従五位下に当たる。
「謹んでお受けいたします」
大友主計助鎮成。
そう呼ばれるのが近い日に確定することになった。
「おや、皆様お揃いで」
部屋に入ってくるのは松永久秀。
大和国制圧中ではあるが彼の仕事は幕臣としてもあり、それは幕府内における三好家の利害代弁者としてである。
別名、足利義輝のお目付けとも言う。
「織田殿の使者に公方様がお会いになさるとかで」
「かしこまりました。
大友殿。
それでは」
明智光秀が細川藤孝に伴われて部屋から出てゆく。
それを見届けると、松永久秀が障子を閉めて低い声で囁いた。
「あまり公方様に力を与えなさるな」
それは明確な警告。
三好家は基本的には俺に好意的だ。
だからと言って、全員が俺に好意を持っている訳ではない。
松永久秀はどちらか分からないが、俺の動きに釘を刺す程度には今回の一件を苦々しく思っているのだろう。
その善意には答えてやらねばならない。
「一つお願いが。
それがしの動きが三好にとって害になるのならば、どうか畿内より逃がして下さらぬか?」
松永久秀の顔が虚を突かれたように固まる。
彼とて釘を刺すだけでまだ何かどうこうするつもりはない。
だが、俺の方から看過できなくなったら三好より逃げると言ってくるとは想定外だったのだろう。
「お逃げになさるか」
「秘密にしてくだされ。
実は九州より来たのは逃げて来たからで。
お家の揉め事は懲りた次第」
わざとらしく苦笑して見せると、松永久秀はわざとらしく毒を吐く。
互いに顔から汗が浮き出るが笑顔も崩さない。
「全てを捨ててお逃げになると?」
「まあ、全ては捨てられないな。
女達は連れてゆくが、義賢殿から戴いた茶器は置いてゆこうか?」
どちらが先に崩したのか分からない。
松永久秀がため息をつき、俺の顔から流れた汗が板に落ちた時に、やっと時が動き出す。
「あれだけの価値のある物をただで頂く訳にはいきませぬな。
黄素妙論の写本と交換などいかがで?」
黄素妙論。別の名前を戦国時代のセックスバイブル。
いや、たしかにそれで名前を貶めようとしているけど、なんて言おうとして松永久秀が笑っている事に気づく。
つまり、彼一流の冗談というものなのだろう。
「ありがたいですな。
三人相手では骨が折れる所なので」
「おや、四人ではないので?」
井筒女之助の事がもうばれていやがる。
そこを突かれてこの場の冗談は松永久秀の完勝に終わったのである。
「ご安心あれ。
大友殿の為に、写本には衆道にも触れておきましょうて」
後日。
「ご主人!ご主人!!
松永殿の使者が黄素妙論の写本を持ってきたよ!
読んでみると『背孕みの術』ってのがあって、僕でもご主人の子供孕めるって!!
だから閨に誘ってよー♪」
いや。
さすがにそれは嘘だろう……




