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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
畿内三好家飛翔編 永禄六年(1563年) 秋 大規模加筆修正予定

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観音寺騒動

 三好家による畿内の平穏は一年もたたずに終わった。

 もっとも、次の戦いはある意味必然だったのかもしれない。

 勝者と敗者の清算という意味で。

 近江国六角家を襲った騒動。

 観音寺騒動が勃発したのである。


「御曹司。

 豊後衆集まりましてございます」


「浪人衆。

 雇いし者達も同じく」


 一万田鑑実と荒木村重の言葉に俺は頷く。

 現在の俺の下につく連中はこんな感じである。



 馬廻    

  大鶴宗秋  300


 豊後衆    500

  一万田鑑実 200

  吉弘鎮理  300


 浪人衆    1200

  荒木村重  700

  島清興   500   


 合計     2000


 馬廻は俺の本陣で俺の他に有明や明月や果心がおり、家ではなく俺自身に忠誠を尽くしてくれる連中のことだ。

 主に久米田合戦から雇い続けた連中や畿内に残った尼子浪人衆から抜擢し、裏切らない駒として大鶴宗秋に管理させている。

 豊後衆はその名の通り大友家から送られた兵で、その任務は俺の監視にある。

 そのくせ、合戦では一番信頼できるのだから困る。

 で、最後が浪人衆。

 荒木村重も島清興も摂津や大和の郎党を率いているのだが、その名を出すと軋轢が出るからという訳で浪人衆として扱っている。

 なお、預かっている岸和田城と和泉国を管理しているのは篠原長房なので、兵を動かしても治安面に問題がないのがすばらしい。

 その為、実質的な遊撃戦力となっているのだが、それは三好家での待遇を考えるならばまあ納得できる役ではあったりする。


「一体何があったので?」


 荒木村重の言葉に大鶴宗秋が答える。

 彼には最初に話していたので、馬廻は既に出陣準備済だったり。


「六角義治が居城で重臣後藤賢豊を無礼討ちにした。

 後藤賢豊は六角家でも権勢を誇る一族にて国人衆が動揺。

 六角殿は居城を捨てたそうだ」


 なお、堺の商人情報だともう少しこの背景が詳しく伝えられている。

 教興寺合戦の敗戦で六角家は得る物無く三好家と和議を結んだが、それは動員した国人衆達に恩賞を渡せない事を意味していた。

 で、足利義輝の帰還による徳政令がこれに追い打ちをかける。

 六角向け証文は徳政令の対象外になっていたから、財政が圧迫。

 その返済と交渉を担当していたのが後藤賢豊という訳だ。

 一方、教興寺合戦の敗戦によって権威が失墜した六角義治は家を継いだばかりという事で己の権威が確立していない。

 ここで後藤賢豊を排除する事で権威を確立しようという試みなのだろうが、それは最悪の一手に他ならない。

 だって、こんな美味しい状況を三好家が、三好長慶が見逃す訳無いだろうに。

 俺達の軍勢は遊撃とはいえ、堺からの出陣は遠いので後詰扱いになる。

 先陣は岩成友通で二千。

 本陣は三好義興で五千。

 俺達二千は後詰としての出陣で、他に細川氏綱の名代で細川藤孝が千ほど出して、管領家と幕府軍の名目にしている。

 合計一万の兵だが、合戦ではなく介入が目的なのであえて兵を落としたという背景もある。

 六角家を完全に滅ぼしてしまうと、足利義輝がどう出るか分からないのが一つ。

 教興寺合戦の動員と損害は三好家にとっても無視できるものではなく、負担を減らしたいというのが一つ。

 動員可能な丹波と大和だが、まだ国人衆を完全に掌握できておらず、あえて手をつけなかったというのが三つ目である。

 既に岩成殿の先陣は近江に入り、抵抗なしに瀬田を確保したという報告が入っていた。

 下手すると六角滅ぶんじゃね?

 そんな事を考えながら、俺達は堺を後にした。




 近江国に入るまで四日をかけたが、その間に三好軍は着々と近江支配を既成事実化していった。

 近江国宇佐山に城を築いて近江統治の拠点とし、周辺国人衆が次々と三好軍に降伏したのである。

 その一方で将軍足利義輝が六角の滅亡をなんとか避けようと、必死に京から調停を試みている。

 また、国人衆の不穏化に強大な権力と僧兵を中心とした武力を要する比叡山延暦寺が臨戦態勢に入り、京周辺が緊迫化しだしていた。

 更に、六角家崩壊の動きを見た北近江の浅井家が物見を動かして国境線を脅かしていた。


「何処までをもらうべきか?」


 瀬田にて集結した三好軍はここで軍議を開く。

 正直、ここまで六角家が弱っているとは思わなかったのだ。

 そして、六角家を切り取るにはこの軍勢では少なすぎるし、将軍や延暦寺や浅井家の動きもあるから下手に手を出すのは躊躇われたというのがある。


「主なき城となった観音寺城を奪って、近江を我らの国に!」


 強硬論を出してきたのは岩成友通。

 ほぼ損害無しだから分からない訳ではない。


「取るのは構わぬのですが、誰に預けるので?

 それがしは御免ですぞ」


 だからこそ、真っ向から否定するのではなく、方向をずらして会議を軌道修正する。

 まさか、褒美が欲しいのではなくいらない発言が飛び出たので、岩成友通だけでなく三好義興も興味を持つ。


「大友殿。

 それはどのような理由で?」


「我らに寝返ってきた国人衆が皆、領地の安堵の他に先の徳政令の対象に入れてくれと。

 要するに、彼らは支払いに困って我らに寝返った次第。

 誰が預かるにせよ、その支払いができねばまた国人衆が寝返りますぞ」


 経済制裁が効きすぎたのだ。

 降伏した国人衆が皆一様に嘆願したのは、先の徳政令の対象に入れてくれ、つまり彼らの借金の棒引きだったのである。

 領地は美味しいが、その実態は不良債権であるのを俺は知っていた。


「我らとて戦力が完全に回復したわけではござらぬ。

 その上で浅井や延暦寺と当たるのは愚策。

 公方様が六角安堵に奔走しているのならば、ここは恩を売っておくのがよろしいかと」


 俺の言葉で細川藤孝がとても渋い顔をする。

 要するに『貧乏くじ公方様ね』と言っているからに他ならない。

 とはいえ、それでは恨みを買うので飴も用意する必要がある。


「とりあえず、それがしが近江商人と話して、支払いについては猶予してもらえるように取り計らいましょう。

 近江に三好の旗が立つのはいらぬ軋轢を起こす。

 細川殿。

 築いている宇佐山の城、預かってみませぬか?」


 最前線の城の城主というのは危険と隣り合わせである。

 援軍が来るまで粘らないといけないし、持ちこたえられなかったら城を枕に討ち死にだってざらである。

 なお、俺もそんな最前線城代なんてやっているからそのプレッシャーはよく分かる。

 本当は分かりたくもないのだが。

 文字通りの延暦寺のお膝元で、六角と隣接し、瀬田と大津を抱える宇佐山城は難治であり、スーパーチートでないと統治できる訳がない。

 で、そんなスーパーチートが俺の目の前に居る。

 何も問題はない。

 なお、俺自身の境遇から『お前も仲間になれ』なんて思っている訳ではない。

 ちょっと考えなかったと言えば嘘になるが。


「大友殿の言葉から出る智謀は枯れる様子が無いですな。

 公方様を守る藩屏としても、武力は必要でしょうて」


 まったく美味しくないことを理解した岩成友通が俺の言葉に乗っかる。

 将軍が自前の武力を持つというデメリットよりも、持った結果その後詰は三好からやってくるというメリットを的確に評価したからに他ならない。

 三好義興も笑顔で細川藤孝に毒を勧める。


「公方様が六角をお救いになるという慈悲、感服致し申した。

 その為にも近江に公方様の領地は必要でしょう。

 我らは何もいらぬ故、是非に」


 もちろん、この時点で三好家の出兵分は全部丸損確定である。

 だが、ここにいる将は俺が大阪湾から淀川経由で琵琶湖の水運を一元化する事で巨万の利が得られることを知っている。

 最初の修羅場を耐え切れるのならば、細川藤孝ですらちゃんと利益の配当が入ってくる事を理解していたからこそ、細川藤孝もその毒に屈した。


「ありがたくお受けいたす所存」




 宇佐山城築城を進めつつ、近江情勢は緩和に向かう。

 宇佐山城主に細川藤孝が就くことを足利義輝は殊の外喜んで、比叡山延暦寺との交渉に入る。

 また、将軍として六角家を見捨てない事を書いた書状を近江にばら撒いて、六角義治の権威付けに尽力する。

 なお、権威は回復したが戦力としての六角家が完全に当てにならなくなったのに、公方様はまだ気づいていない。

 将軍の介入という形で表に出た事もあって、三好義興も撤退。

 こんな所で戦なんかに巻き込まれて三好家の後継者である彼を討ち死になんてさせない為に俺が撤退を勧めたのだ。

 かくして、俺とその手勢二千は岩成殿の二千と細川殿の千と共に大津に駐屯している。

 延暦寺も将軍との交渉によって態度を軟化。

 六角家も蒲生定秀・賢秀親子の仲介により


1)義賢・義治父子は観音寺城に復帰する。

2)家督を六角義定に譲る。

3)「六角氏式目」に署名して、六角氏の当主権限を縮小することを認める。


という形で騒動が収まろうとする時に、他家の介入がやってくる。


「申し上げます!

 浅井家の兵八千が国境にて暴れており、後詰をお願いしたく」


 六角家からの使者の顔色は青い。

 今の状況で六角家が対抗できる兵を集められる可能性は低い。

 軍勢を集める中核として、俺達が出る必要があった。


「使者殿。

 一つ尋ねるが、よろしいか?

 暴れている浅井家だが、本当に浅井家だけの旗しか無かったのかの?」


 とぼけたような俺の声に使者が言葉に詰まる。

 ほぼ確信はあったのだが、しっかりと確認の質問は出しておこう。


「まあ、戦場ゆえ、色々な旗があるのは重々承知。

 それゆえ、一つの旗だけあるかどうか尋ねさせてもらおう。

 使者殿。

 浅井軍に『三つ盛木瓜』の旗はあったかの?」


 答えない使者がその答えを告げていた。

 三つ盛木瓜。朝倉家の旗である。

 戦火という嵐が近江で吹き荒れようとしていた。 

六角義治 ろっかく よしはる

後藤賢豊 ごとう かたとよ

蒲生定秀 がもう さだひで

蒲生賢秀 がもう かたひで

六角義賢 ろっかく よしかた


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