岸和田城代の日々 その3
こちらに来ても俺は素振りを忘れずにやっている。
振り続けてはや十数年にもなると、木刀の迷いもなんとなく分かってくる。
同じ事を繰り返すから、そのブレというものが見えてくるのだ。
たとえば木刀の切っ先が上がっている、下がっている。
足の踏み込みが一歩踏み込み過ぎ、一歩届かない。
素振りの回数での疲労や回数終了までの時間……等々。
「我ながら見事に迷ってやがる」
素振り途中でその素振りを止める。
木刀は振るたびにブレ、足元を見ると同じ動作のはずなのに複数の足跡が地面に残っている。
同じ歩幅で素振りができていない証拠である。
少しずつ夏の陽気と素振りで体から汗が止まらない。
「まぁ、原因は分かってはいるが……きついなぁ……」
庭先でぼやいたまま空を見上げる。
その原因は俺自身何者なのか分からないからだ。
一応菊池鎮成、大友親貞という与えられた役がある。
前世と言うべきか、先の未来の記憶を信じるならば、何も得る事無く何も成す事も無い穏やかな生だったのだろう。
ごくありふれた一般人としての生。
愚将として討ち取られるはずの生。
現在の俺の生はそれから逸脱しようとしていた。
有明を連れて畿内に来てからは久米田合戦と教興寺合戦で完全に名将の名前を得ようとしている。
「俺は何者で、何に成り果てるのだろうな……?」
そんなぼやきが聞こえたのかどうか知らないが、後ろから声がかかった。
振り向くと、手ぬぐいを持った有明が居た。
「おはよう。八郎。
また素振り?」
「ああ。
これだけはやっておかないと、習慣ってやつさ」
既に太陽は真ん中あたりから下ろうとしているのだが、朝まで閨で睦み事をしていた身なので二人とも起き立てなのだ。
それもあって俺は褌一枚だし、有明も襦袢一枚というあられもない姿だ。
「眺めていい?」
「お好きなように」
手ぬぐいを手渡した有明は、縁側に座って俺の素振りを眺める。
しばらくして首を傾げた有明は、ぽつりと俺に尋ねた。
「もしかして、何か悩んでる?」
「悩んでいたがどうして分かった?」
「女の勘」
いたずらっぽく笑った有明はそのまま言葉で俺を誘う。
そういう事を仕込まれていたし、それがまた心地よい。
「何か悩みがあるなら言ってみたら?
少しは楽になるわよ」
一人で考えても仕方が無い事ではあるが、元々が有明を幸せにしたくて俺が始めた事だ。
ゆっくりと木刀を素振りしながら俺は明るい口調でぼやく。
「そうだなぁ。
こっちに逃れて面白おかしく暮らそうと考えていたのに、大戦の果てに城代なんてもんになっちまった。
ままならんものだと悩んでいたという訳さ」
「たしかにそうよね。
何でこんな事になったのかしら?」
クスクス笑いながら、有明はするりと俺の心の中に入る。
ただ話すだけで心が解れてゆくし、警戒心が無くなって秘密がこぼれ出るのを俺は素振りでごまかした。
「もしかして、あの売られた人たちの事を考えていた?」
「それもあるが、もう少し広いかな。
この畿内、あんな光景があちこちにある。
それを考えていた」
末法の世戦国時代。
あんな光景はあちこちにありふれていた。
ある意味有明はそんな光景から這い上がった当事者だ。
「助けられたらなと思った。
だが、それをすれば更に厄介事に巻き込まれる。
迷っていたのはそんな所さ」
積善寺城で得た捕虜と女達のその後だが、捕虜は案の定和泉国国衆が相場より高めで買い取っていった。
その額千貫。
更なる支出に国人衆も頭が痛いだろう。
で、女達の方は数日間足軽たちに使わせた後に堺で売り払った。
こちらも俺が直接持ってきた事もあって、相場より高い九百貫という高値がついた。
その銭の半分近くを気前良く将兵にばら撒いたので、今の所将兵の士気は高く、大きな問題も発生していない。
「助けたら良いじゃない。
八郎が私を助けてくれたように」
迷い無くあっさりと有明が言う。
その即答に振っていた木刀が乱れて地面に刺さる。
そんな俺の間抜けな姿を有明は笑う。
「私ね。
八郎について行くつもりだけど、八郎の重りになりたくはないし。
天下の名将の器を私のわがままで隠したくは無いわ」
「とは言ってもなぁ。
また教興寺合戦みたいな大規模な戦に参加するって事を意味するんだぞ?
勝敗は戦の常とはいえ、負けたら俺は首を刎ねられて、お前は足軽の慰み者だ。
何でわざわざそんな危険を繰り返す必要がある?」
前世において、何も得る事無く何も成す事も無い穏やかな生だったのは、つまる所その危険を避けたからに他ならない。
リスクを避けてそこそこの学校を出て、リスクを避けて出世を望まず、リスクを避けて恋愛や結婚を望まない。
穏やかで乾いた生がそこにあった。
それと比べるとこの末法の戦国乱世は野心が溢れ、誰もが血に飢えている。
「八郎。
言っておくけど、私を理由にして、したいことを辞めるってのは無しにしてよね」
有明がぴしゃりと言い放つ。
それに俺は言葉が返せない。
(……俺は死ぬんだぞ!この数年後、今山で鍋島直茂の策にはまって!!)
言えたらどれほど楽だろう?
だが、それは未来の事で、未来はまだ決まっていない。
黙ったまま有明を見つめる。
有明は笑顔のまま俺を見返す。
「なぁ。
合戦で俺が死んだらどうする?」
「どうしようか?
尼になって菩提を弔うというのは無理ね。
元の遊女に戻って、残りの短い生を男に組み敷かれて終ると思うわよ」
あっけらかんと有明が言う。
そういう女でないとあの世界は生きて来れないし、そういう世界の頂点に立っていた彼女だからこそ、己が壊れている事を自覚している。
「だからね。八郎。
私を理由にしないでいいの。
私はね、八郎が迎えに来てくれただけで十分幸せだから」
その笑顔が眩しくておれは視線をそらしてしまう。
そして、敗北の言葉をこぼした。
「きっと、穏やかに生を送るならば、太宰府の寺から出なければ良かったんだろうな」
「そうね。
時々寺を抜け出して私を抱いて、そんな日々でも良かったのかもしれないわね。
けど、時は恋愛と同じで、前に進めても昔には帰れない。
ここは太宰府ではなく和泉国岸和田城。
さあ。どうします?
今趙雲さま」
時にわざとらしい挑発に俺もわざとらしく乗る。
こういう掛け合いが楽しくて、俺は有明に惹かれて助けてしまったのだ。
ならば、その責任、未来を変える事も未来が分からなくなる事も全て俺の責任である。
「そりゃあ、そう煽られたら頑張らんといかんだろうが」
「よしよし。
自分に優しくしてくれる男も大好きだけど、女って生き物は上に駆け上がる男も大好きなのよ♪」
そして二人して笑う。
庭先であられもない姿で大笑いするが、今の二人に周りなんて見えていない。
「じゃあ、ちょっと畿内を救ってみるか。
けど、そのまえに……」
俺は有明を抱きしめる。
抱きしめられた有明の襦袢ははだけ、褌ごしの感触で察したらしい。
「呆れた。
あれだけしたのに、まだしたいの?」
「最近は果心の怪しげな薬や術のおかげで大分楽になったしな。
それに、畿内を救おうという野心ある男は嫌いか?」
「あら。
女って野心ある男に惹かれるのよ♪」
そのまま有明を抱きかかえて閨に戻る。
途中で大鶴宗秋や篠原長房が仕事で俺に会いに来たのだが、二人とも見なかったふりをして去っていった。
結局その日は、当たり前のように参加する果心と明月を入れた四人で閨に篭る事になった。
「この状況を何とかする事にする」
翌日。
諸将を集めた場にて俺はそう宣言する。
皆、頭の上に「?」が浮かんでいるだろうが、それが狙いなので俺は何をしたいのかを告げる。
「教興寺合戦が終わった後で、和泉国国人衆が完全にこちらについてないのは分かっている。
まずは和泉国をまとめる必要がある」
「具体的にはどうするおつもりで?」
篠原長房がお手並み拝見という顔で俺に尋ねるが、俺はあっさりとその手段を口にした。
それが予想外だったので皆固まってしまう。
「積善寺城で得たお宝を本来の意味で使うのさ。
あれで雑賀衆と根来衆を雇う」
「お待ちを。
先の戦の後というのに、敵側についた雑賀と根来を雇うというので?」
篠原長房の確認に俺はわざとらしく頷く。
こういうのははったりも大事なのだ。
「だからだよ。
何らかの罰を考えていただろう雑賀と根来の二つはこれで表向きは動けない。
そして、和泉国国人衆は銭も米も足りていない。
彼らには笑顔で銭と米を貸し付けてやれ。
和泉国で火がつかずに雑賀と根来が動かないならば、畠山がいくら煽っても大和国も小火で終わる。
和泉国と大和国が穏やかなら、河内国も必然的に治まる」
理路整然と説明した上で、俺は篠原長房に譲歩したふりをする。
もちろんはなから計画した上の事だ。
「とはいえ、これだけの事を岸和田城代の一存で決めるのも悪かろう。
三好殿に確認を取ってもらって構わない」
まぁ、あの人の事だ。
あちこちに手を入れないといけない現状で、三好家南部国境が安定化するこの策に確実に乗ってくるだろう。
何より素晴らしいのが、案の実行者を三好長慶に譲り、失敗したら責任は俺という形で切り捨てる事ができるローリスク・ハイリターンな所だろう。
多分乗ると踏んでいるから俺の顔は笑顔のままだ。
「篠原殿。
覚悟なされよ。
御曹司はこんな御方ですが、それで良くない方向に行った事がござらぬ」
大鶴宗秋が諦めた顔で篠原長房をたしなめている間に後ろを振り向いたら、後ろで座っていた有明もいい笑顔で俺に微笑んでくれた。
なお、三好長慶はこの策を追認しただけでなく、畿内の回復協力を一向宗を率いる石山本願寺に頼むという離れ業をやってのけて俺を含めて周囲の度肝を抜く。
これによって、教興寺合戦の後始末は急速に進むことになる。




