宗像鎮撫 その2
遠賀川の世紀の一騎打ちの翌日。
俺たちは遠賀川を渡って芦屋に到着する。
この地を巡って、宗像家と麻生家が何度も争ってきたのだが、高橋鑑種謀反から始まる一連の戦いで宗像領扱いになっている港町である。
そんな芦屋の商家を宿にしたのだが、出迎えが実に派手だった。
「名高い大友主計頭様にこの家を使っていただけるのはありがたい限りにて」
この屋敷の主である末次平蔵が若旦那風の揉み手で俺を歓迎する。
末次家は博多の豪商の一つであり、末次船の名になった船を大量に建造して大陸交易で莫大な富を得ている家である。
当初ならば、神屋なり仲屋なりの屋敷を借りるつもりだったのだが、かなり強引に末次平蔵が持っていったらしい。
その証拠に、彼は俺たちを屋敷にあげると即座に貢物を差し出す。
「よろしければこちらを。
主計頭様に喜んでいただこうと手を尽くして用意した品でございます」
という訳で、奥に居た花魁が静かに頭を下げる。
絢爛豪華な衣装に儚げな美少女がそこに居た。
あ。
後ろの有明が何か対抗心を出して俺に抱きついてきやがった。
「窪屋与次郎一秋の娘で、お秋と申します。
八郎様に夜の名をつけて頂きたく」
ふーん。
つまりそこまでの仕込みは終わっている訳だ。
俺が有明を生き残らせるために広めてしまった遊女調教……げふんげふん。育成プログラムだと初物にたいする価値を認めずに、名付けの方に価値を作り出していた。
理由は簡単。
大体売られるにせよ攫われるにせよ、その前に使われてしまうからだ。
案の定彼女の過去話を聞くと、ろくでもないものだった。
備中国の名のある家の娘だったのだが、一向一揆に参加した父が亡くなり、その留守を守っていた母も死に。
許嫁と共に許嫁の敵討ちの為筑前国までやってきて、敵討ちは果たしたけど許嫁は敵と相打ちで果て。
生きていても仕方ないと海に身を投げた所を海賊に拾われて遊郭に売られたという。
で、人形みたいな彼女はその容姿と無抵抗ぶりからどんどん売れっ子になり、俺への貢物となったと。
「そっか。
もうあなたも行き場が無いのよね」
あ。
有明が同情した。
こうなると、もらうしか選択肢がなくなってしまう。
西国有数の遊び人であるらしい俺が受け取りを拒否した遊女など、価値が大暴落するからだ。
「まぁ、今更か。
一人抱こうが二人抱こうが。
名についてはどうするか……」
「でしたら、私の名を」
控えていたお色が口を挟む。
それは、遊女としての逃げを断つ意味もあるのだろう。
「いいだろう。
お前の名は明月だ」
「ありがとうございます。
これからは八郎様に閨でお喜び頂けるよう頑張りたいと思います」
そんなやり取りの後、俺たちは昨日の河原者達の掃討の報告を受けたのだが、腑に落ちない報告が耳に入る。
「釣川長太郎の首が見つからないだと?」
河原者に突っ込んだ佐伯鎮忠が首をひねりながら報告する。
「はっ。
あそこに集まったのは、毛利の落ち武者に遠賀川の河原者で食い詰めた者ばかり。
集めたと言われている釣川の長太郎の首は誰も知らぬらしく……」
ある意味当然と言えば当然の報告だった。
釣川長太郎が大将ならばあんな戦になるはずがない。
そうなると、必然的に別の疑問が頭に浮かぶ。
「なぁ。
何で『釣川』の長太郎が『遠賀川』で俺を狙ったのだろうな?」
つまる所、ひっかかるのはそこなのだ。
川の名前を名乗る事の意味は、その河川の流域に絶大な影響力がある証拠。
その絶大な影響力がある釣川でなく、遠賀川で彼は仕掛けた。
その意味は、もっと考慮する必要があるのだが、一同首をひねるばかり。
「そうですな。
憶測で良ければいくつか理由は作れますが」
飄々とこういう場所で口を開く末席に居た佐々木小次郎に皆の視線が集まる。
もちろん彼相手には周りがちゃんと殺意と警戒を忘れないように俺からも繰り返し言っているが、この泰然自若ぶりにいつの間に慣れている俺達がいる。
そのうち気を抜いてズンバラリンがありそうで怖い。
「申せ」
「はっ。
一つは釣川長太郎が遠賀川で仕掛けねばならぬ理由がある場合。
その一つにあげられるのは毛利の落ち武者でしょう」
『七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな』なんて言葉が残っている戦国時代。
多くの落ち武者が河原者になったとしても当然食える訳が無い訳で、何が起こるかと言うと大規模な略奪の発生である。
そして、移動手段でもある河川交通に密接に絡んでいる河原者がそれを行うという事は、この略奪範囲の拡大を意味する。
遠賀川流域、後の世で筑豊と呼ばれるこのエリアで既に大規模な略奪の報告が届けられており、飯塚宿どころかその先の内野宿周辺にまで略奪が拡大。
新領主である戸次勢やおとなしく沙汰を待たねばならない高橋勢が兵を派遣して、彼ら野盗の掃討に乗り出していた。
まだここについてはある意味救いがある。
そういう報告が上がらずに、祟りまで発生して完全に行政が死んでいる家が一つあるからだ。
これから俺が行く宗像家である。
「かろうじて兵が出せる河津勢をこっちに寄越しているのは、領内に置いておくことで八郎様に『徹底抗戦の恐れ有り』と判断されるのを避けるため。
それは河津殿自らの口でお聞きになったと思いますが」
だからこその宗像鎮撫である。
早急にあの家の行政機構を立て直さないと、祟りと絡んで落ち武者問題がいつまでも解決しないからだ。
「次に考えられるのが、祟りの仕掛けで釣川の河原者が動けぬ場合。
たしか、お色様がらみで祟りが蠢いているとか?」
そこで佐々木小次郎は殺気を俺ではなく後ろに居た有明に向ける。
けど、有明の笑みは崩れない。
「それがしが祟りの仕掛け人だったら、お色様の祟りのせいにして有明様を狙いますな。
で、祟りを鎮めるために、お色様を生贄に」
「そこまででいい」
聞いてて気持ち良いものではないので俺が佐々木小次郎の口を閉じさせる。
佐々木小次郎は口を閉じて少ししたら第三の理由を告げた。
「最後の一つは少しそれがしも荒唐無稽と思っているのですが。
そもそも、釣川の長太郎なる輩は存在しているのですかな?」
「何?」
その一言に場が固まった。
そんな空気などお構いなしに、佐々木小次郎は笑みを浮かべて言い切った。
「河原者の大物。釣川の長太郎。
こういう仕掛けを組んできた以上、存在はしているのでしょう。
ですが、そんな者がどうして今まで捕まらなかったのでしょうな?」
ぞくりと空気が下がった。
うかつだった。
その可能性は完全に抜けていた。
香春岳城攻防戦で似たような手で騙されかけた事をすっかり忘れていた。
「宗像家に縁がある者か?」
「さぁ。
彼は毛利が接触しようとしても接触できなかったお方ですからな。
それがしから言えることはお気をつけをとしか」
おい。
さらりと毛利側の機密情報出してきているぞ。こいつ。
明らかに毛利元就と小早川隆景の間で、齟齬が発生していると俺は感じずには居られなかった。
草木も眠る丑三つ時。
こっちは閨にて盛りの中なのだが、ふと気になったので有明に昼のことを聞いてみた。
「佐々木小次郎の殺気怖くなかったか?」
「全然。
あの人の殺気、綺麗すぎるのよ」
天下に名が残る剣豪の殺気を『綺麗すぎる』と言い切った有明もかなりの者だと想うのだが。
そんな事を考えている俺の下で有明が笑う。
「ほら。
私達ってもっとドロリとしたものをぶつけられるから。
あれに比べるとわかりやすいから、かえって安心なのよ。
戦場での足軽達なんて相手してみなさいな。
分からない感情だからこそ怖いわ」
「あ。
それ分かります。
祟りへの恐れを私にぶつけている間はいいのですが、恐怖でわからなくなった時は殺されると思いましたから。
段々抱くことで落ち着いてくるんですよ。男は」
有明の隣で実に生々しい報告ありがとう。お色。
期待の新人加入という事で、今この閨には有明とお色と明月の他に、果心と政千代と小少将と小夜も呼んでの大乱交中である。
地味に明月がドン引いているが気にしてはいけない。
なお、子供の親を確定させるためにも、明月を抱くのは月のものが来てからということにしている。
「せっかくだから色々教えましょう。
名前を継いだのだから、私達の全てを与えてあげるわ」
人は老いる。
そして家の存続には子供は必要なのだ。
いずれ子供が産めなくなった事を考えて、その次を有明は俺のために育成しようとしていた。
「八郎様」
次の番だった果心が真顔に戻る。
大体こういう顔をする時の顔は侵入者なので、即座に刀を取る。
それに合わせて、閨の女たちも裸で小太刀を手に持つのを見て明月が唖然としてるのに少し笑いたくなる。
「ご主人。
今、僕の前に佐々木小次郎が居るんだけど、斬っていい?」
「やめとけ。
斬られるのがオチだ。
佐々木小次郎。
お楽しみ中なんだが、何の用だ?」
襖越しの井筒女之助の不機嫌極まりない声を俺が制止して訪ねてきた佐々木小次郎に尋ねる。
姿は見えないがあの佐々木小次郎のニヤケ顔が目に浮かぶ。
「申し訳ございませぬ。
どうしても押してお話せねばならぬ事があり申して」
「こっちが着物を着る時間は無いのだろうな。
裸でいいのなら構わぬぞ」
「八郎様!」
果心の悲鳴に俺は彼女の耳元で囁く。
優先順位を。
「万一は有明を守れ」
「だめ。
八郎を守って頂戴」
俺の耳を引っ張ってそれを拒否する有明。
むーっと怒っているあたりこれは本気らしい。
「遅くなっ………八郎。
お前、凄いな」
「色を好むは男の性とは言え……これは……」
佐々木小次郎対策で篠原長秀が呼んできたらしい薄田七左衛門と伝林坊頼慶が、裸の女たちを見てから俺に対して白い目を向ける。
とはいえ、女たちも薄絹で身繕いはしたのだが、かえって卑猥になっているなんて言ってはいけない。
「いいぞ。
襖を開けろ」
井筒女之助が襖を開けると佐々木小次郎が刀を抜いて踏み込んでくる。
即座に薄田七左衛門と伝林坊頼慶が佐々木小次郎を斬ろうとするが、その前に佐々木小次郎の刀はそのまま床に突き刺さる。
そして上がる第三者の悲鳴と血しぶき。
その血しぶきを一身に浴び、目の前に薄田七左衛門と伝林坊頼慶が迫ったのに佐々木小次郎は刀を引き抜いて笑った。
「待てっ!」
ギリギリで二人の刀が佐々木小次郎をかわす。
そして状況を理解した薄田七左衛門と伝林坊頼慶が大声を出す。
「曲者だ!
床下に曲者が居るぞ!!
殿の命が狙われた!!!」
「屋敷を固めよ!
怪しい奴は一人として出すな!」
俺はそんな騒ぎの中すとんと座り込む。
ここまでやった上で佐々木小次郎が俺の首をはねるとも思えなかったからだ。
「礼を言うべきなのだろうな」
「それがお役目にて。
果心殿にはご迷惑をかけ申した。
曲者を探っていたのでしょうが、それがしの気配が強すぎたらしく」
いけしゃーしゃーと言いのけるがマッチポンプの可能性があるからタチが悪い。
とりあえず尋ねてみる事にした。
「これ、毛利元就の仕掛けだと思うか?」
「まさか。
雑過ぎます。
あの方は策を好みますが、八郎様を仕留めるために十重二十重と策を弄していたのをお忘れですか?
いくら戦に負けたからと言って、その辺りを雑に作る人ではありませぬ」
納得せざるを得ない毛利元就評である。
刀を刺した場所を見る。
その先に寝ていたのはお色と有明だった。
苦笑しておちついたら、ふと己の下を見る。
「誰か、湯を持ってきてくれ。
続きは一度体を洗ってからだ」
「……この状況で、まだするんですか?八郎様?」
「何しろ女の数が多いからな。
朝までせねば女が喜ばぬよ。
さすがに部屋は変えるがな」
呆れ果てた佐々木小次郎と明月の目を見て、とりあえず一矢報いた気になったのは内緒だ。
なお、その後ちゃんと朝までしたのだが、不安だったらしい有明が一番ねだりその次はお色だった。
床下の曲者は佐々木小次郎の物干し竿で絶命しており、曲者の持ち物から長い針と毒らしい液体が発見された。
何よりも厄介なのが、箝口令を敷く前に襲撃の一件が芦屋の町に広がってしまい、祟りの信憑性が増したという事だろう。
宗像の地に入り、祟りが本気を出してきた。
俺はそれをはっきりと感じざるをえなかった。
末次平蔵 すえつぐ へいぞう
窪屋一秋 くぼや かずあき




