思い出交差 4/14更新
家臣の謀反という形で押し込められている事になっている高橋鑑種だが、その押し込められた部屋で当たり前のように政務に励んでいた。
誰かのせいで東アジア有数の商都と化した博多はそれだけに色々な利権や仲裁があり、それを取り仕切れるのは彼しか居なかったのである。
面白いのは彼が監禁先から出した書状が効力を持ち続けている事で、それを博多商人だけでなく近隣の大友家家臣達も当然の事と受け入れていたのである。
「高橋鑑種は博多を守るために謀反に踏み切り、自ら腹を切る事で博多を守った」
という美談にすり返られているあたりがこの男のそつのなさと言えよう。
彦山川合戦の直後に発覚したこの事件は、情報伝達のラグによってこう周囲に認識された。
そんな彼の所に客人が来たと近習は言い、その客人の名前を聞いた高橋鑑種は当然のようにその客人を彼の所に通す。
修験者姿で入ってきた老人は腰をおろすと高橋鑑種が何か言うまえに嗤う。
「見事にやってくれたな。高橋鑑種」
「意趣返しの一つぐらい貴方ならば気にしないでしょうに。
二階崩れと小原殿の件があるので、まだ負けているのですよ。
毛利元就様」
今の主なのだが、敬意も何もあったものではない。
それは毛利元就も同じなのだが、不思議と殺気は無かった。
「で、それがしを斬りにまいったので?」
「ふん。
腹を切ると決めた男の首なんぞ落として刀を汚す気はさらさらあるまいと踏んでおるのだろう」
言い放って今度は楽しそうに笑う。
その笑みの理由は察しているのだが、高橋鑑種はわざとその質問をしてやる事にした。
「負けたのに嬉しそうですな」
「ああ。負けた。
これ以上なく、見事に負けた。
おかげで毛利は滅びずに済む。
少輔次郎も徳寿丸も否応無く西国探題に従わざるを得ないだろうよ」
毛利元就にとってこの負けは最高の負けだった。
何しろ、吉川元春と小早川隆景を生かして帰した上に、彼らに敗軍の将という土をつける事ができたのだから。
戦わずに西国探題となった毛利義元の権威は否応無く上がっていた。
「この負けで旧大内領や尼子領が寝返るかもしれないのに、ずいぶんと甘いことで」
「そういう風に仕向けたお主の烏帽子子にそれを言えばよかろうて。
わしの感謝の言葉を聞けば、いやな顔一つぐらいはするかもしれんな」
「それは良いことを聞きました。
ぜひとも耳に入れておきましょう」
毛利家は国人衆から成りあがったので、大友家以上に家中統制に難を抱えていた。
それが露呈しなかったのは、間違いなく創業者である毛利元就が生きているからに他ならない。
事実、吉川元春を旗頭とする山陰派と小早川隆景を旗頭とする山陽派で軋轢が起こっており、当主である毛利義元の鼎の軽量が問われる事態が発生していたのである。
「戦に負けて、周防長門の大内家残党を毛利義元の命で吉川・小早川に討たせる。
宗家と他の一門の序列が明確になるならば、博多を捨てても惜しくないという事ですか」
「捨てるには惜しい街だが、ここには必ず誰かを置かねばならん。
その誰かが義元に忠誠を誓えるかと言えば無理だろうよ。
おぬしの方が知っているだろうて。
この街の呪いをな」
毛利元就が言い放つ博多の呪いとは、商都博多が生み出す銭に他ならない。
この銭をめぐって古くは源平、最近までは大友・大内・少弐・毛利と大名達が争い血を流し続けていた。
信頼できる者や一門を置いても、博多はその銭と欲望で彼らを取り込み、お家争いの元に成り果てるのである。
「博多を失って毛利の懐具合はなんとかなりますかな?」
「するだろうよ。
あれが」
高橋鑑種のわざとらしい物言いに毛利元就が苦笑して答える。
彦山川合戦の敗戦で毛利家の戦争経済は破綻するが、毛利家の経済状況は問題が無いと毛利元就は読みきっていた。
毛利家が抱える石見銀山と瀬戸内水軍が銭を生み出すし、それを銭の化け物たる大友鎮成が見逃すはずが無かったからである。
笑えない話だが、第三次姫島沖海戦で村上水軍を仲介にした奴隷交易で得た銭が、毛利家にも流れ込み毛利家の急場を凌いでいたのだった。
現在の毛利領は流民の男達は石見銀山に送り込まれ鉱夫として地下で働き、行き場の無い女達は村上水軍経由で大友家に売り払い奴隷交易の商品となる事で経済をまわしていた。
売りたい物が有り買いたい者がいるからこそ商売で、その運用に瀬戸内水軍は外せる訳がなかった。
何よりも現在活況な奴隷貿易で利益を得ていたのは大友鎮成の宇和島大友家なのだから。
「それでもあなたはあれの首を狙うのですな?
あれは毛利も大友も滅ぼしませぬよ」
高橋鑑種は淡々とそれを口にし、毛利元就はただ頷くだけでそれに答えた。
そして天井を見上げる。
「分かっているさ。
そういうお方を知っていたからな。
最後は自ら腹を切るだろうよ。
介様のようにな」
そこで毛利元就はぽつりと己が見捨てた者の名前を漏らす。
介様とは周防介の事で、彼にとっては大内義隆を指す。
「あの方も優れたお方だったよ。
西国の主に相応しかった。
尼子に負けて太郎様を失ってから、あの方は変わられた」
太郎こと大内晴持が第一次月山富田城の戦いで戦死してから彼は政務を放棄し、文治派と武断派の対立激化を放置して最後は寵愛していた陶隆房に滅ぼされた。
大内家の内部対立を毛利家の勢力拡大に用いた毛利元就は自らは手を汚さずにこれを放置し、安芸国における覇権を確立したのである。
恩もあり義理もあった彼を見捨てた時、毛利元就は本当の意味で戦国大名に成ったのだろう。
「だから知りたいのだ。
己が何を捨てたのか。
それがどれほど大きかったのかをな」
高橋鑑種が大友鎮成の影に大内義長を見ていたのと同じように、毛利元就は大友鎮成と大友宗麟の関係に大内義隆に仕えていた己の過去を見ていた。
己の過去だからこそ、毛利元就にとっては大友鎮成は我慢できない。
なぜなら、大内義隆の下で安芸国一国で満足していたならば、十二分に繁栄し息子や孫に囲まれて幸せに暮らしましたなんて幻想を毛利元就は見せられているのだから。
「ずっと気になっておった。
何であれは、未だ九州探題の下についているのだ?
その気になれば何度でも大友を乗っ取れた機会は作ってやったはずだぞ?」
毛利元就は大友鎮成が大友家に残り続けるという自身の策を破綻させた根本的疑問を口にすると、高橋鑑種は軽く首をふって苦笑する。
「それがしも気になっておりましたが、結局答えは一つしか思いつきませなんだ」
その答えが馬鹿馬鹿しく到底許せるものでないから、高橋鑑種はこの苦笑を浮かべるまでに努力したなんて毛利元就に分かるはずもない。
だが、その答えを聞けば毛利元就が激怒するのは分かっていたからこそ、高橋鑑種はその答えを表向きはあっさりと口にした。
「つまり、あの方にとって国も侍もいらぬのでしょう。
だからこそ、平気で捨てる」
「ふざけるでない!
それでは何か?
我らは何のために戦い、我らの旗の下についた多くの者を死なせてきたか分からぬではないか!!」
己の人生の全てを否定され激高して立ち上がった毛利元就に、高橋鑑種は苦笑の笑みを貼り付けたまま。
一万田家から養子に入り高橋家を継いだ高橋鑑種は毛利元就の激高の方が分かってしまうからこそ、彼を怒らせた事に内心満足していた。
「その答えしか理が通らぬのですよ。
おそらく、あの方にとってはどれも同じなのでしょうな。
大友の名も、菊池の名も、宗像の名も、三好の名も、雄城の名も、田原の名も、戸次の名も」
だからこそ菊池復興の手に乗らず、宗像の祟り姫を奥に入れ、三好が天下から降りるのを傍観し、雄城や田原や戸次と平然と付き合っていられる。
彼にとって家の重さも侍の矜持も関係がない。
高橋鑑種は貼り付けた苦笑の顔のまま本当に苦笑する。
排除していたが、誰かきちんと彼に侍として教える者をつけておくべきだったと。
(いや。
きっと小原の名だったら名乗ったのかもしれんな)
大友鎮成の唯一の手綱。有明。
彼女が居たからこそ、高橋鑑種は彼女を危険に晒す事で大友鎮成をコントロールできたとも言える。
それも今では怪しくなっていたが。
「あれは殺さねばならぬ。
毛利の家ではない、儂の生き様としてあれを生かしておけぬ」
「お好きなように。
どうせもう合戦では首は落とせぬでしょうから、搦手を使うのでしょうが」
毛利元就が高橋鑑種の所に来た理由はこれだった。
彼が握っていた英彦山山伏をはじめとした修験者達の間者働きを利用するために。
それを高橋鑑種はあっさりと許可する。
「儂ではあれを殺せぬと顔に書いているぞ」
「いいえ。
あなたが足掻けば足掻くほど私としては嬉しいので。
九州探題様を狙う事をお勧めしますよ。
あの方の首が落ちれば、左兵衛督様は主計頭様を滅ぼさねばならなくなりますからな」
実際、高橋鑑種の内心はこれ以上なく心穏やかなものだった。
眼の前の毛利元就は追い詰められて家は残るように策は弄したが、その人生を全否定されたに等しい。
大友鎮成は伊予半国守護である大内義胤を傀儡に据えた事で大友家宗家の介入を合法的に拒否でき、実質的な独立を手に入れたに等しい。
大友宗麟の博多出陣は、彼自身が大名として功績を立てねば臼杵家・田原家・戸次家・佐伯家等の有力家臣達に見限られる可能性があるという事の裏返しでもあるのだから。
彼自身の復讐はほぼ達成している。
なお、毛利元就へのアドバイスである大友宗麟を暗殺して大友義統に大友鎮成を討たせるというのは、毛利元就から見ても筋が通ってかつ効率が良いからこそ否定できない。
もちろん、大友義統に大友鎮成が討たれるほど間抜けではないという信頼の裏返しでもある。
「ふん。
腹が立つがその策乗ってやる。
我が生涯一生の不覚よ。
そなたを策の駒に使ったことはな。
しばらくは立花山城に間者達とともに居る。
動きがあったら教えてくれ」
「ええ。
何しろ、今でもそれがしの主君ですからな。
あなたは。
今までと同じように、使ってくださいませ」
慇懃無礼に平伏した高橋鑑種に何も言わず、毛利元就は立ち上がって去ってゆく。
起き上がった高橋鑑種はそのまま控えていた近習に声をかけた。
「すまないが、障子を開けてくれないか。
空を見たいのだ」
近習が障子を開けると、そこには晴れ渡った空が広がっていた。




