彦山川合戦 【地図あり】
敵の意図は簡単だ。
俺の首を獲りに来ている。
俺の意図も簡単だ。
それをさせない。
シンプルだからこそ、ひねりが無い毛利元就との戦いの序盤は、矢戦から始まった。
「放てい!」
「放て!!」
彦山川を挟んでの飛び道具での殴りあいに変化が発生する。
毛利軍先陣の宍戸隆家が渡河しだしたのだ。
もちろんそれを防ぎたいこちら側は両翼の端に陣取っている高田鎮孝と古庄鎮光に挟むように迎撃を指示するが、秋月種冬隊と菊池則直隊が矢で牽制して動けない。
このままだと中央で激突が発生するが、大鶴宗秋と宍戸隆家ならば、宍戸隆家が勝つだろうとうっすらと考えていた。
大鶴宗秋の不幸は、隠居した事で大鶴家郎党と切り離されたという事と、陣代として全体を見なければならないという点だ。
普通の人間ならば、戦略面戦術面の指揮に飽和してしくじる。
で、対処として信頼できる足軽大将に戦術面を任せてしまう訳だ。
今回、彼につけられた足軽大将は、内通疑惑がある野中鎮兼で、これは疑惑をはらすという事で自ら最前線に志願したから間違いはないだろう。
で、大鶴鎮信が率いる大鶴家郎党も居るから戦術面では任せてしまえばいい。
問題は、対岸でじっとタイミングを計っている毛利元就馬廻の動向だ。
騎馬隊編成だからここ一番の突破力があり、俺の首を獲るならば敗走時の追撃で投入されたらまず逃げられない。
また、戦局をひっくり返せる威力があるから、宍戸隆家が開けた穴を一気に走破して俺の所になんて使い道もできる訳だ。
「中央はもう少し手当てしておくか……
野崎綱吉はいるか!」
「はっ!
お呼びでございましょうか?」
俺の声に即座に反応して野崎綱吉が前に出る。
こいつ本当に当りかもしれん。
「大鶴宗秋の陣に行き、足軽大将として働け。
そこからは、大鶴宗秋の指揮に従え!」
「承知いたしました!」
嘘防止の為に俺の花押を書いた紙を持たせて野崎綱吉を送り出す。
兵数が似たようなものならば、足軽大将の質が最後は物を言う。
中央はこれで持つと信じたかった。
「他の戦況はどうなっている?」
俺の質問に井筒女之助が御陣女郎姿で答える。
色々突っ込みたいが、真面目に報告しているので我慢する事にした。
「こちらの先陣と中陣が吉川元春隊が、本陣と小早川隆景隊と交戦中」
後詰は期待できそうに無いかと思った瞬間、戦場がざわめく。
その理由を俺は早馬の報告で知った。
「申し上げます!
敵菊池則直隊の攻撃に古庄隊総崩れにございます!!
菊池隊は古庄隊を追撃せずにこちらに向かってきております!!!」
状況が連鎖的に動く。
鶴翼の陣を敷いていた大友軍は、端を崩されたら本陣までがら空き。
魚燐の陣で攻めていた毛利軍は、そもそも牽制攻撃で敵が崩れるなんて思っていなかったから、次の攻め手が居ない。
如法寺親並が迎撃に陣を動かそうとし、それを宍戸隆家隊が邪魔する。
菊池隊の後ろを慌てて麻生隆実隊が駆けて行ったその時、轟音が戦場に轟いた。
「申し上げます!
お味方の鉄砲により、敵秋月種冬隊総崩れにございます!」
雑賀の鉄砲隊が敵将を射抜いたらしい。
らしいというのは、飛び道具の戦いだから相手の生死が分からないのだ。
だが、これで敵の片側が使い物にならなくなった。
それは、突っ込んでくる菊池隊を何とかすれば危機を脱するという事を意味する。
「殿。
馬廻を半分連れて菊池隊を防いでまいります」
「構わんが、残りは誰が指揮するんだ?
俺はできんぞ?」
佐伯鎮忠が俺に言い、俺がその疑問を口にする。
残すならばせめて足軽大将クラスが欲しいのだが、柳生宗厳にその指揮をさせると俺の身の回りが少し危険になる。
果心は間者を使った情報収集で手が離せず、野崎綱吉は大鶴宗秋の所に出したばかりだったのだ。
「それでしたら一人推挙したい者が」
そう言って佐伯鎮忠が旗持をにらむ。
旗持の薄田七左衛門は顔色一つ変えない。
「貴様と殿との間に何があったかは知らんし知りたくもない。
だが、貴様が旗持としてずっと殿についていた事は皆が知っている。
馬廻大将として……頼む。
殿を、八郎様を守ってやってくれ。
八郎様は我らの希望なのだ」
佐伯鎮忠はそう言って旗持に頭を下げて、馬廻の半分を連れて菊池隊の迎撃に向かう。
旗持はぽつりと任された大将の重みを愚痴った。
「勝手に頭を下げて出て行きやがって……俺が引き受けないと考えても無いじゃないか」
「人ってのはそんなもんさ。
勝手に託して託されて、こっちの思いなどお構いなしだ。
で、どうだ?
大将の重みは?」
「まぁ、その託し託されの果てに大名なんてもんになって、今首が落ちかかっているお前よりは軽いだろうよ。
聞けい!
我が主君大友鎮成の馬廻は一時この俺、薄田七左衛門が預かった!
主君に傷一つつけさせたら、主君が許しても俺が許さぬ!
そう心せよ!!」
「「「応!!!」」」
人は才能も見るが、それ以前に資格を見る。
『それが出来る人』では無く、『それをする事を納得する人』を見る。
大鶴宗秋が陣代なのと同じく、薄田七左衛門も旗持として馬廻の支持を集めていたのだろう。
そんなドラマが終ると、今度は女達が俺の前に出てくる。
「八郎様。
御陣女郎を率いてまいります故、失礼を」
お蝶が頭を下げ、それにお色と政千代も続く。
遠距離から飛び道具を放つだけでも足止めになるし、スタイリッシュな彼女達の体に敵が目的を変えてくれたら俺の身の危険が減る。
本来の意味からして正しい投入のタイミングだった。
去る三人に声をかけようとしたのを留まらせたのは有明の手だった。
その手が震えていたから、それでも有明が俺を見る顔が笑顔だったから俺はそれを我慢したのだ。
ここにおいて俺ができる事は信じる事しかできなかった。
「申し上げます。
大鶴様より、『高田隊を後退させ、本陣の守りとして使う』との事!」
「任せる!」
双方片翼が崩壊。
こちらは浮いた高田隊を後退させて本陣の守りに使おうとし、崩壊した秋月隊の将兵はかなりの数が毛利元就隊に吸収された。
それは一時的に毛利元就隊が切り札の騎馬隊の突撃ができなくなった事を意味していた。
だが、こちらに切り込んできている菊池隊の攻撃は鋭く、状況は予断を許さなかった。
大友軍 二千百二十
大友鎮成
有明・果心・井筒女之助・柳生宗厳・石川五右衛門
馬廻 三百 薄田七左衛門指揮
佐伯鎮忠 二百 馬廻
御陣女郎 五百 田原お蝶・お色・政千代指揮
大鶴宗秋 四百 大鶴鎮信・野崎綱吉合流
上泉信綱 五百 雑賀衆
野仲鎮兼 二十 郎党+浪人衆
如法寺親並 三百 田原家郎党
高田鎮孝 四百 郎党+浪人衆
毛利軍 二千二百
毛利元就 八百 秋月種冬隊合流
宍戸隆家 九百
麻生隆実 四百 麻生家郎党
菊池則直 百 キリシタン
「申し上げます!
こちらの馬廻、敵菊池勢を良く防いでおります!」
「伝令!
中央は今だに持ち堪えております!
野中隊は大鶴隊と合流するとの事!」
持ちこたえている。
その意味が分かっているのだろうか?
川を渡って三方向から攻撃を受けかねない宍戸隆家隊が未だ戦闘を続行しているどころか、押しているという事実に俺は衝撃を受ける。
こうなったのも、菊池則直の突撃で攻勢正面が端にずれた事と、雑賀衆を率いる上泉信綱隊が動けなかった事にある。
鉄砲の射撃は威力は凄いがそれゆえにどうしても隙ができる。
川向うの秋月隊を潰走に追い込んだ代償に、少しの時間方向転換の時が必要だったのである。
本来ならば、その間大鶴隊を支援するはずの如法寺親並隊が麻生隆実隊に邪魔されており、その空白を宍戸隆家は見逃さなかった。
正面に攻撃を集中し野仲鎮兼隊を壊滅に追い込み、大鶴宗秋隊に大打撃を与えていたのである。
「高田隊!
こちらに向かわずに大鶴隊の後詰に向かいます!!」
中央が抜かれたら俺の本陣まで一直線である。
だからこそ、俺の後詰になるはずだった高田鎮孝隊はそのまま大鶴宗秋隊の支援に回る。
「敵菊池隊はまだ潰せないのか!」
状況の緊迫化にさすがに俺もいらつきを隠せない。
ただでさえ、肥後兵というのは精強で有名である。
その上、キリシタンになった連中だから死を恐れない。
御陣女郎達からの支援射撃を受けてかつ兵力差で有利なのに、菊池隊はまだ潰せない。
「申し上げます!
敵本陣より中央に後詰らしきものが送られています!」
秋月隊を再編できたらしい毛利軍は踏ん張っている宍戸隆家隊に後詰を送る。
そのタイミングで上泉信綱率いる雑賀衆の方向転換が終わり、激しい轟音と共に宍戸隆家隊に射撃を開始するが宍戸隊は崩れない。
「伝令!
こちらに後詰が向かってきております!
多胡辰敬殿の隊です!!」
その報告に本陣が湧く。
味方の到着まで持ちこたえれば勝てると士気が奮い立ったのだ。
もちろん、その後に続く報告は俺以外に聞き取れない。
「また、毛利側も二隊ほどこちらに後詰を送っており、兵数は多胡隊と同じぐらいかと」
毛利軍も馬鹿ではない。
こっちに後詰を送ったら、向こうも後詰を送るぐらいの事はする。
そして他方面の戦局が段々と分かってくる。
その衝撃は、こちらの士気を容赦なく叩き落とす!
「煙が!
城が燃えているぞ!!」
「香春岳城が燃えているぞ!」
「見ろ!
諏訪山城も燃えているぞ!!」
この手の分からないけど凶報というのが一番士気を叩き落とす。
事実、大友軍の前線に動揺が走る。
「狼狽えるな!
諏訪山の敵は撃退した!!
木付殿が後詰を連れてくるから耐えろ!!」
俺の一喝に伝令が走り、動揺を沈静化させようと駆け回る。
鷹取山城の情報が逐一伝わっていなかったらかなり危なかった。
だが、その状況を毛利軍が見逃すわけがなかった。
「申し上げます!
如法寺隊総崩れにございます!!」
「大鶴隊!
宍戸隊に崩されて後退してきます!!」
高田隊が穴を埋めて上泉信綱隊が必死に射撃をしなかったら、この後退はできなかっただろう。
見るも無残な状況で、残兵数は二百あるかないかという所だろう。
ボロボロの姿で大鶴宗秋が俺の前に現れるが、どうやら命に別状は無いらしい。
他の将もどうやら無事みたいだ。
「派手にやられたじゃないか」
「申し訳ございませぬ。
やはり向こうは戦上手。
その責は全てそれがしに」
「やめろ。
責も何も負けたら俺もお前もこの首が落ちる戦だ。
そして、まだ負けてない」
空元気で声が若干上ずっているが、なんとか笑顔を作る。
まだ本陣馬廻と合わせれば一戦戦える兵力は残っているのだ。
「大鶴宗秋。
本陣の指揮をお前に預ける。
俺と有明の命が賭け札だ。
遠慮なく持ってゆけ」
ああ。なるほど。
その言葉が自然と出るのは、俺と大鶴宗秋の長い付き合いのおかげ。
たとえここに吉弘鎮理が居ても、戸次鑑連が居てもこの言葉は口に出ない。
強い弱いじゃない、『これで負けたら仕方ない』という納得の言葉。
だから、自然と笑顔が作れた。
そして、俺と同じように大鶴宗秋も笑う。
「この賭けは勝たねばなりませんな。
それが無理なら、お二人が逃げる時は稼がねば。
皆の者!
なんとしても八郎様と有明様を守るのだ!!」
本陣の将兵が湧く。
だが、それと同じくして、大友軍全体が湧く。
「東に『平四つ目結』の旗印!
多胡辰敬隊が現れました!!」
大友軍 二千九百五十
大友鎮成
有明・果心・井筒女之助・柳生宗厳・石川五右衛門・薄田七左衛門
大鶴宗秋 五百 大鶴鎮信・野崎綱吉・野仲鎮兼・馬廻合流
佐伯鎮忠 百五十 馬廻
御陣女郎 五百 田原お蝶・お色・政千代指揮
高田鎮孝 三百 郎党+浪人衆
上泉信綱 五百 雑賀衆
多胡辰敬 千 多胡家郎党+尼子家旧臣
毛利軍 二千六百五十
毛利元就 五百 騎馬隊
宍戸隆家 八百 秋月種冬隊合流
麻生隆実 三百 麻生家郎党
菊池則直 五十 キリシタン
仁保隆慰 五百
飯田隆朝 五百
大友軍と毛利軍の援軍はほぼ同時に現れた。
だが、毛利軍の援軍は彦山川を渡らないと行けないのに対して、多胡辰敬隊は川を渡らなくて良いという所が違っていた。
多胡隊と最初に当たるのは菊池則直隊と麻生隆実隊だが、消耗した兵力で千もの大軍を相手にできる訳もなく、宍戸隆家隊に合流しようとする。
この時点でとりあえずの脅威は去り、佐伯鎮忠指揮の馬廻が本陣に戻ってくる。
「戻りましてございます」
「よく戻った。
と言ってもここも戦場でな。
大鶴宗秋の指揮に従ってくれ」
こちらの本陣再編の時間を高田鎮孝隊が必死に稼いでくれたおかげで、本陣でもう一合戦できる兵力が残っていた。
もっとも、その高田隊が宍戸隊の猛攻を受けてボロボロになっていたのだが。
「申し上げます!
諏訪山城よりお味方が到着!!
木付鎮秀様率いる数百がこちらに向かっております!!!」
ギリギリ耐えきった。
そう思った時、宍戸隆家隊から上泉信綱隊に向けて数十人の足軽が飛び出る。
そして、石でも投げるように何かを上泉信綱隊に向けて放り投げた。
「八郎様!
あれは八郎様が使った……」
果心の悲鳴に俺の記憶から、己がやった策を思い出す。
あれは確か久米田合戦だったか……
(鉄砲の欠点その一。
火を使うって事。
鉄砲の欠点その二。
強過ぎる所。
ああやって、封じがある程度成功してしまえば、前に出るのに勇気がいる)
違うな。
投げられた油入りの竹筒が鉄砲の種火や火縄について、上泉隊が大混乱に陥ったのを見ながらおれは最後の一つを思いだす。
(鉄砲の欠点その三。
優れた武器と技量ならば、相手の手の内が読める。
確実にしとめるならば、待ち伏せないといけない。
という事は、殺し間に敵を誘導する必要がある。
つまり、鉄砲の射程を考えたら、どこで待ち伏せするか同じ鉄砲使いならばわかってしまうって事さ)
そういう事か。
西国随一の水軍衆という火器集団を抱える毛利軍ならば、鉄砲の威力も射程も戦術も理解している訳だ。
その火力を今俺たちが失った場合、毛利元就が率いる騎馬隊を止める者が誰も居なくなる。
多分俺の本陣を確実に突く為に、混乱している上泉信綱隊の裏を通るつもりだ。
上泉隊は混乱しているから毛利元就を狙えないし、宍戸隆家隊を防いだ高田鎮孝隊はもうボロボロ。
そして、後詰としてこっちに向かっている木付鎮秀隊が来るにはまだ時間がかかる。
「毛利本隊動きました!
彦山川を渡河して上泉隊の裏を回ってゆきます!!」
これは詰んだな。
手を額にかざして思わず空を見上げる。
その空の青さを俺はきっと忘れないだろう。
その空に放たれた鏑矢についた『十二日足』の旗--竜造寺家の家紋--を俺はきっと忘れないだろう。
鍋島直茂が到着したのだ。
この次の鏑矢で大友か毛利についたかを報告する手はずになっている。
次の矢につけられた旗が『杏葉』ならば大友、『一文字に三つ星』ならば毛利という訳だ。
「八郎!あれ!」
有明が指差す方向に二本目の鏑矢が空を駆ける。
戦場の真ん中で引力に引かれ、落ちる瞬間にその運命の旗を両軍に晒したのだった。




