香春岳城攻防戦 その5 【地図あり】
その日の夜。
俺の閨からは嬌声は聞こえなかった。
薄明かりの中、女たちと共にいる大鶴宗秋と吉弘鎮理の顔色は、俺と同じく暗い。
決定的な答えが出ると、次々とピースがハマってゆく。
そこから見えるおぞましい何かに俺たちは言葉を失った。
「昔の香春岳合戦を覚えている人を見つけました。
香春岳城主だった千手家は、落城後に本家の秋月を頼って落ちていったと。
その際に、城主の首が晒されたそうですよ」
この時代、正確な情報なんてある訳がなく、噂話は必然的に風化し記憶から消えてゆく。
だが、その断片をかき集めたならば、おぼろげながら見えてくるものがある。
「城主って千手惟隆か?」
俺の言葉に、近くの村を探っていた果心は静かに首を横に振った。
出てきた名前は、俺の想定外の名前だった。
「いいえ。
秋月文種の子で養子に入った長野種信にございます」
「はあ!?
長野祐盛じゃないのか!?」
長野家は秋月家から養子をもらっていた事は知っていた。
で、この時代名前がころころ変わっていた事も知っている。
だから、その背景を俺は見落としていた。
「はい。
実は長野家は昔から本家含めて数家に分裂して争っており、そこに豊前をめぐる大友と大内・毛利の争いで家が……」
「もういい分かった」
果心の話をまとめると要するにこういう訳だ。
門司の真南という立地に当たる長野家は必然的に大友家と大内・毛利家の争いに巻き込まれ、家が分裂。
両方に尻尾を振って生き残りを目指した訳だが、そうなると今度は分裂した家同士で殺し合いが発生して共倒れになりかねない。
で、第三者として養子を迎えて、家の再統合を目指し選ばれたのが、筑前の名家秋月家。
「秋月家が選ばれたのは大蔵一族の本家というだけでなく、秋月家の領地に彦山がある事も大きかったと聞いています。
秋月家は彦山を守り、その修験者達は修行のためにこの辺りまで出てきていたのです」
このあたりの事情に詳しい小夜が補足する。
人の流れが道を作り、宿を作り、銭を生む。
香春岳城をはじめとするこのあたりの山岳地形は信仰を生むのに十分な偉大さを醸し出している。
長野家の領地には英彦山六峰の一つである晋智山がある。
英彦山と長野家が秋月家と繋がったのはある種必然だったのだろう。
豊前長野城に長野祐盛が、香春岳城に長野種信がそれぞれ養子に入った秋月家は、長野家を支配下に置いたというより同君連合に近い形の統治を取らざるを得なかった。
秋月家による乗っ取りを長野家家臣団が全て賛同していた訳でもなく、秋月家の強大化を大友家や毛利家が黙ってみている訳が無かったからだ。
事実、秋月家は秋月文種の謀反によって滅び、秋月種実が再興を目指す等苦しむ羽目になり、香春岳城も大友家に落とされて、場所的に中立しか選べなかった長野祐盛のみが残った。
大友家はそう思っていたのだ。
「で、だ。
その長野種信がどうして千手惟隆に変わったのだ?」
少し苛つきながら大鶴宗秋が催促をする。
とはいえ、このあたりの事情を知らないと全貌が見えないので、声はあくまで抑えめである。
「千手家は本家が嘉麻郡にあるのは八郎様に言ったと思います。
その分家が長野種信の家臣として香春岳城に付き従った」
小夜の話に補足をするのは今度は果心だ。
彼女は嘘を言っていない。
相手が言わなかった事があるのに気づいていなかった。
「彼らは譜代として扱われ、香春岳城の出城である障子ヶ岳城をもらった。
そして、香春岳城も障子ヶ岳城も共に大友軍によって落とされています」
「なるほど。
一連の戦でまぜられた事を良い事に都合よくごまかした訳だ」
最後のピースがはまる。
千手惟隆の正体。
俺を香春岳城で討ち取るならば、香春岳城の構造をよく知る者でないといけない。
おまけに小夜を信用させる為に千手一族が納得する将でないといけない。
立ち上がって、周りを見渡す。
気分は名探偵だが、あくまで実行犯であり、主犯の毛利元就は俺の手の届かない場所にいる。
淡々と、その犯人の名前を告げた。
「千手惟隆の正体は、長野種信だ」
「そううまくすり替われるのでしょうか?」
黙って聞いていた吉弘鎮理が疑問の声をあげる。
彼からすれば、この閨での展開が妄想かもしれないと考えているのだろう。
俺もそれだったらどれだけありがたかったかと言いかけてそれを飲み込む。
「城主の首検分は縁者か、地元に根付く僧等にさせるだろう?
元々、反大友の風潮がある上に、このあたりの僧は彦山の影響を受けている。
素直に違うと言うと思うか?
おまけに、ここの戦いはあくまで門司の戦の前哨戦だった。
門司を目指した大友軍は先を急いで、身代わりとなった千手惟隆の首を長野種信と言った縁者か僧の言葉を鵜呑みにしたあたりが真相だろうよ」
そして、俺は、運命を翻す。
「出陣は中止だ。
しばらくここに滞在するぞ」
「殿!」
大鶴宗秋は慌てて口を抑える。
井筒女之助や上泉信綱や柳生宗厳が警戒しているとはいえ、間者働きで負けている現状、何処に間者が居るか分からないからだ。
まっすぐ俺の方に向かってきたのは吉弘鎮理だった。
「ご説明して頂けるのでしょうな?」
「ああ。
香春岳城に後詰に向かう事、そのものが罠だよ。
それに気づいたからこそ、出陣は無しだ」
「その証拠は?」
まさに決戦で将兵の士気もさあこれからと散々煽っての出陣中止である。
今にも斬りかかりかねない表情で説明を求める彼の為にも、俺は立ったまま探偵よろしく口を開く。
「さて。
俺の一声で出陣を中止した訳だが、皆に尋ねたい。
今回の目的は香春岳城への後詰で、城を囲む毛利軍を撃破する。
そこは皆分かっているな?」
まず前提条件の確認。
気分は探偵だが、立場は被害者役なのだから探偵物だとそのまま被害者か犯人が捕まるかのどちらかだろう。
「では、質問しよう。
何で毛利軍は香春岳城を襲ったんだ?」
「我らが猫城を奪還する為に兵を出したからでしょう?」
大鶴宗秋の疑問形な答えに俺は首を横に振った。
俺もそこを間違えていたのは内緒だ。
「おかしいだろう?
それならば何で遠賀川を渡るんだ?
俺達が渡河する所を叩けばいいだけじゃないか」
俺はそのまま、わざとゆっくりと部屋の中を歩く。
こういう説明の仕方をする探偵ドラマがあったなとなんとなく思ってそのまねをしているのは、説得力があるかもと考えたからだ。
「おかしい所はまだある。
猫城に後詰として小早川隆景が来たそうだ。
毛利両川の揃い踏みだが、この二将がそろって落とす価値が香春岳城にあるのか?
いや。この言い方ではないな」
肩をすくめてわざとらしく首を振る。
寸前での出陣キャンセルなんて荒業をかますのだ。
異常者みたいな特異な空間を作って彼らを納得させなければならない。
「この二将が揃って落とす場所を、まだ落としていないんだよ。
それが俺が感じた違和感だ」
「何処です?」
吉弘鎮理の質問に、俺は不敵に笑う。
彼こそ納得させられるならば、あとはどうとでもなる。
「帆柱山城さ。
三度に渡る姫島沖の海戦で、毛利水軍は打撃を受けた。
九州の兵を維持するのも苦労しているはずだが、門司城は俺の策で南蛮船の大砲でぶっ飛ばした。
毛利軍は九州で活動する為にも、芦屋は絶対に守らないといけない。
そこに、芦屋から目と鼻の先にある猫城奪還を掲げて俺が攻めてくる。
おかしいだろう?」
手を広げて問いかける。
気づいてみればあまりに不自然な違和感。
「毛利は水軍が強い。
その水軍が活用できる場所でどうして戦をしないんだ?」
「!?」
「姫島沖の海戦で打撃を受けただろう。
その打撃は大友水軍の方が深刻なのが、水軍の戦に長じている毛利は勘付いていないとおかしい。
なのに奴らは内陸の香春岳城を襲った。何故だ?」
香春岳城を落とせば、遠賀川西岸の防衛は楽になる。
だが、それが正しい選択かどうかはまた別問題だ。
この城を攻める事で確実に起こる事こそが毛利元就の狙い。
「答えは簡単。
香春岳城が大友家にとって要衝で、守らねばならぬ、つまり俺達が後詰に出なければならない城だからさ。
実際、こうして出てきているからな」
ここで区切り、再度質問する。
朗らかな声で、笑顔のまま。
「どうして、その後詰決戦を帆柱山城でやらなかったんだ?
答えは簡単。
俺が大将なら、水軍が使える毛利軍との決戦を避けるかもしれないからだ」
ここで顔を真顔に戻す。
犯人暴露とその目的を口にする。
なるほど。
探偵は止められないな。
「つまり、毛利元就の目的は、厳島合戦の再現。
要するに、俺を香春岳城で殺す事なんだよ」
香春岳城はその構造から要衝ではあるが堅城では無い。
実際に大友軍に城を落とされているから、その脆さは毛利軍の方が分かっているだろう。
ここにどうやって俺を送り込むか?
いや、送り込む状況を作り出すか?
毛利元就の心理誘導はこの時点で既に始まっていた。
「殿。
毛利元就は既に死んでいるはずでは?」
「生きているよ。
間違いなく。
これも気づいた事だが、『兄』の吉川元春が前に出て、『弟』の小早川隆景が後詰だ。
兄の吉川元春が納得するか?
普通はしないだろう。
そうなると、それを納得させる命令を出す人間が九州に、多分立花山城に居る。
毛利家の序列から考えると、高橋鑑種ではあの二人は納得しない。
できるといえば、ただ一人、毛利家当主の毛利義元しか居ない。
で、家督を継承したばかりで本拠地の安芸から離れられない彼が、博多から命令を出せるか?
無理だ。
だとしたら、答えは一つだ」
状況が全てを物語っていた。
それは、彼が出さざるを得なかった犯行の尻尾。
出しても問題がない所まで俺を追い込んだ故の、必然の隙。
「毛利元就は生きている。
そう考えると色々見えてくる。
島津家との提携もそうだ。
薩摩国と安芸国でやり取りなんてこちらが勘付くだろう?
博多だからこそ、あんなに早くまとまった」
大鶴宗秋も吉弘鎮理も何も言わない。
彼らも俺と同じく、『毛利元就なら仕方ない』と思っているのだろうか?
戦国の英雄、国人衆から西国十数か国の大大名へのサクセスストーリーは、彼らが侍だからこそ俺以上に重たいのかもしれない。
「竜造寺がノロノロと攻めているのもこれが理由さ。
あれ相手に真正面から攻めろ?
俺ですらお断りだ。
ましてや、俺を潰す策ぐらいは竜造寺あたりにはそれとなく漏らしているだろうよ」
毛利元就の生存を前提に、現在の俺達の死地ぶりを俺は説明する。
厳島合戦もかくやと言わんばかりの戦術的、戦略的包囲網を。
「改めて、現在の大友家の現状を説明しよう。
毛利元就が死んだと思っている上に、肥後国にて島津家の北上に神経を尖らせている。
博多の奪還は行わねばならないが、博多を戦火に焼くことは避けねばならない。
そして、姫島沖海戦の後、毛利は門司合戦前の状況に戻すことで和議を結びたいなんて言ってきている。
府内の視線は、北ではなく南に、毛利では無く島津に向いていた訳だ」
これの何が致命的にまずいかというと、積極的に俺を助ける理由が府内に無い事だ。
現状肥後情勢が落ち着かず、首脳部の視線は肥後に傾いている。
それは、対毛利戦が最重要で無くなった事を意味し、現状以上の後詰が期待できない事を意味する。
府内の連中の大多数は、俺が死んだ所で南予の分捕りができる程度にしか考えていない。
「で、姫島沖海戦で南蛮人の助力を求めた事が大友家にとって悪手となった。
宇佐八幡宮と彦山が毛利家側についたからだ。
これは、府内との陸路が途絶される事を意味する。
香春岳城攻めと連動して小早川隆景が畑城や帆柱山城に圧力をかける」
分かるわけが無い。
この畑城や帆柱山城の後ろには、香春岳城から小倉に繋がる道がある。
つまり、畑城や帆柱山城を落とす理由は、門司城との連絡という理由に隠れて、香春岳城から逃れる俺の退路を塞ぐことにあったなんて。
もちろん、これはセカンドプランで、本命は千手一族が入るだろう障子ヶ岳城なのだろうが。
「後詰めが期待できず、兵数では同数か毛利の方が上。
ここまで仕掛けて、俺を香春岳城に誘い込む。
寡兵で合戦する愚は俺は避けるだろうと読んだわけだ。
で、入ってしまえば綺麗に蓋をされる。
吉川元春の兵は戸代山に送ったやつが寝返るなり、彦山の僧兵が加勢に来て多分増えるからな。
おまけに香春岳城を知り尽くしている長野種信が居て、攻め手の大将は吉川元春だ。
香春岳城は堅城では無いから、多分落ちて、俺の首も落ちると。
こうなったら豊前国衆は大友を見限るな」
説明してつくづく感心する。
やられるのが俺で無かったらならば、拍手したいぐらいだ。
「多分だが、入らなかったら『臆病者』と流言を流す手はずも整っているだろうよ。
それが府内に聞こえたら、また俺の首が落ちかねない。
見事だ。
あっぱれだな」
「感心してどうするのですか!
このままでは、入れば死、入らなくても死ではございませぬか!」
大鶴宗秋の悲鳴に俺は一番いい笑顔を見せる。
毛利元就よ。
あんたの仕掛けた罠は見事だ。
実際はまりかけたのだから、素直に賞賛しよう。
だが、一歩、ほんの少しだけ俺が死地に入る前に気づけたのが運の尽きだ。
その罠、盤そのものからぶち壊させてもらう。
毛利元就の罠が精緻だからこそ、その罠の欠点が見える。
明るく、朗らかに、俺は反撃の一手を皆の前で披露した。
「そうだな。
杉殿を使わせてもらおう。
毛利に使者を送り、『杉殿を返して頂けるならば、香春岳城を差し上げる』なんてのはどうだ?」
長野種信 ながの たねのぶ




