おまけ 第3話 【後】 [カコリス視点]
────そういう訳で、俺は突如として現代日本から、ウルベルトシュへと異世界転移する羽目になった。
結果、貧民街首領の部屋目掛けて落下したのだが、何故そうなったのかは分からない。
そもそもが、これは俺の意識をウルベルトシュ側に移すための魔法だった筈で、違う機構で働いてしまった時点で何もかもが俺には把握不能だった。
状況全てがイレギュラーなのだ。そもそも俺という存在もそうだし、新製魔法だってそうで、更に今回は世界間ですら異常が起きている。
そんな状況で魔法が発動して仕舞えば、とんでもないエラーが起こっても仕方がない。
そもそもこれは無事に戻れるんだろうか。帰れなかったとして、羽仁村が気に病まないといいんだが。それに、ああ、そうだ。俺が消えたと知ったら姫舞はとんでもなく心配するだろう。
そもそもこの方法で本当に世界を助けられるんだろうか? 今更不安になってきた。取り組んでいた時はこれで間違いがないと思っていたのだが、あれはただ不安を誤魔化すためにそう信じていただけなのかもしれない。
勧められて口にした紅茶も、名のある職人の作ったという菓子も、何一つ味が分からなかった。
それは沈み切った思考と不安感からでもあったが、何より、目の前に座る彼の存在感に気圧されていたからでもある。
名乗る名を持たない、と告げて無名のまま自己紹介を終えた彼は、前世の俺では会話をすることもできなかった立場の人間だ。
俺が『カコリス』として貧民街にいた頃は、彼にとって俺は道端のゴミか、あるいは価値さえつけば売れる商品でしかなかった。人身売買として摘発されないように丁寧に誤魔化された商品の中の一つ。公爵家に売られた時ですら俺は彼の顔を知らなかった。全ては俺の意思とは関係なく、預かり知らぬところで結ばれた契約だ。
だから、俺は貧民街出身でありながらこの街にあまり詳しくはない。なんならヒデヒサの方が詳しいくらいだ。
だが、たとえ俺が何も知らずに此処に来ていたとしても、この男が恐ろしい存在であることくらいは肌で分かる。
赤毛というより緋色と表すのが相応しい髪に、全てを見透かすような黄褐色の瞳。複雑な色合いのそれは、ちょうど虎眼石に似ている。
首領に相応しく厚みと上背のある身体つきは並大抵のものでは相手にならないと一目で分かるが、所作は粗野に見せつつも洗練されているので貴族相手にも通じる品があった。
四十は超えているだろうが、年齢は読みづらい顔立ちだ。口振とは裏腹に穏やかに見える笑みを浮かべているところが、尚更不祥に見えるのだろう。
こういう類の人間は、警戒してかかった方がいい。気の合う友人だろうと、理由の一つでもあれば殺せるようなタイプだ。甚振るためでもなく、優越を覚えるためでもなく、ただ利になるか否かで人を判断する。
だが、警戒しすぎるのも疲れるだけだ。『ボスは無駄を嫌うからなあ、よっぽど不味いことしなきゃ大丈夫なんだ』とは、ヒデヒサの言だが、その本人が『ボスに肉焼いてもらったぜ! うめぇ〜!』などと言っていたから。それは無駄には含まれないのか? 何をやってるんだろうな、あいつは。
少しの緊張感を抱きつつも、当たり障りない対応を取る。ヒデヒサの知り合いということもあってか、あるいはもとより誰にでもそうしているのか、首領は俺に対しても親しみを持った態度で語りかけた。
大体は、表層を撫でるだけの会話だ。俺の人となりなど、彼から見れば最初の印象で十分だっただろうから。
「旦那様、正門前にカコリス様がいらっしゃいました。余計な付属品が多いのでまだお通ししておりません。如何致しますか?」
「お、来たな? 全く遅ぇなあ、久しぶりすぎて道にでも迷ったか?」
出された菓子がすっかり腹に収まった頃。待ちくたびれたように書物を手に取っていた首領が、扉の向こうから呼びかける使用人の声に顔を上げた。
出来る限り早くくるつもりだと書いてあったが、ヒデヒサも今は立場のある身だ。言葉ほど『すぐ』には来られないだろうと思っていたのに、どうやらかなり急いで来てくれたらしい。
申し訳なさを抱えつつ、首領に促されるままに扉を出る。他人に背を見せるのは好まないようで、首領は一定の距離を取ったまま付いてきた。どうやら、主人自ら門まで出迎えるつもりのようだ。
おそらく俺を引き渡せば用件は済むので、屋敷に上げるつもりはないのだろう。
使用人が正面玄関を開ける。丁寧に整えられた庭園の真ん中を真っ直ぐに白い道が通っている。その先にある豪奢な作りの黒い門の前では、遠目からも分かる程に屈強な男たちが、ヒデヒサを取り囲むようにして団子のようになっていた。
「……おーおー、ぞろぞろ引き連れてえらいこったな」
首領が呆れたように呟く。未だ遠いために何を言っているのかまでは聞こえないが、どうやら彼らは相当騒がしくしているようだった。
つい、判断を仰ぐように振り返ってしまう。軽く首を傾けた彼は、芝居がかった仕草で肩を竦めてみせると、片手を差し出すようにして前方を示した。
どうやら進んで良いらしい。恐ろしくもありがたいことに、靴下で落下してきた俺には靴まで与えてもらっていたので、外を歩くにも困ることはなかった。
門に近づくにつれて、喚きあう男たちの言葉が鮮明になる。
「いいかげん諦めたら如何ですかこの馬鹿野郎ども!! 先を急いでおりますと言っているでしょうが!!!」
「誰が離すかよォ!! 七年も顔出さずにのうのうと戻ってきやがってこの野郎がァ!!」
「しかも美人の嫁さん貰って公爵家でウハウハだって話じゃねぇか!! アァ!?」
「兄貴ィ! その上おっぱいがデケェらしいですぜぇ!!」
「金髪でスタイルも良くて魔物もボッコボコにできる強ぇ女らしいですぜぇ!!」
「なァ〜にィ!? 生意気な野郎だ!! こりゃあ有り金全部置いてって貰うしかねぇわなぁ!!」
「さっき丸っと渡したでしょうが!! 大体俺はボスに呼ばれて来てるんですよ!! 身の程を弁えては如何です!?」
「身の程だァ!? いつまで右腕サマでいるつもりでいんだか!! ローディ、リーディ!! こいつやっちまいな!! 不審者を追っ払うのが門番の役目だろうが!」
「我々はボスの命令」「のみで動きますので」
「相変わらず妙なところで言葉を繋ぎますね。ところで私はボスの客人なんですが、助けてはいただけないのですか?」
「我々はお前のことが」「至極嫌いですので」
「…………そうですか」
黒く光る筋肉を持つ屈強な男たちに四肢を掴まれたヒデヒサは、無機質な態度で立つ門番に助けを求めるもすげなく断られていた。もはや一歩も動けそうにはない。捕まえてくる男たちがやたらめったら頭を掴んで髪をかき回すせいで、周囲の状況判断すら難しいだろう。
中々に暑苦しい光景だな……と状況も忘れて眺めていると、後方から気の抜けた声が響いた。
「あーらら、全員ついて来やがって。東門空っぽじゃねえか、何やってんだか」
「……久しぶりにヒデ…カコリスに会えて、嬉しくなってついてきてしまったのではないでしょうか」
「…………関所ってもんが何のためにあるのかあいつらに叩き込んだと思ったんだがなあ?」
頭を掻いた首領は呆れたように溜息を落とすと、俺を傍に寄せ、やや力ない様子で門を開けた。
扉が開く音に、揉めていた者たちの視線が一斉にこちらに集まる。ヒデヒサの四肢を押さえる男たちは首領の姿を目に留めると、口々に叫んだ。
「お頭ぁ!! 信じらんねぇ、信じらんねぇですよこの野郎! 俺たちのことなんざ忘れて綺麗な嫁さんとイチャイチャする日々送ってやがんですぜこの野郎!」
「綺麗で美人でおっぱいのでっけぇ嫁さんといちゃついてやがるんですぜこの野郎!!」
「しかも俺たちには見してくんねえんですぜこの野郎!!」
「当たり前です、こんな魔窟に連れて来る訳がないでしょうが」
まるで先生に言いつける小学生のような素振りで主張が始まる。耳元で喚かれているヒデヒサが心底呆れた様子で呟くと、その頭を男たちが順々に叩いた。
「わかったわかった、とりあえず持ち場戻れ。可哀想なお前らには、やさしいやさしい俺様からご褒美をくれてやっから」
「でもよぉ、お頭……」
「ん?」
「いえ、戻りやす! テメェら、走って帰るぞ!! 急げ!!」
首領はあくまでも笑顔だった。が、隊列を組んだ男たちは可及的速やかにその場を後にした。筋肉の塊が四つ、綺麗に並んで去っていく。
心底鬱陶しそうに手足を払っていたヒデヒサが小さく礼を口にすると、首領は何か面白いものでも見るかのように笑みを深めた。……多分だが、ヒデヒサが魔法を使えば簡単にふり解けるのに付き合ってやったことに気づいているのだろう。そしてきっと、ヒデヒサも気づかれていることに気づいている。
両者の間には、付き合いが長いからこそのある種の気安さがあった。
「許してやってくれよ、お前さんの結婚式が見れねえんで拗ねてんだあいつら」
「……女性に飢えているだけでは?」
「ま、そうとも言うな。とりあえず、お望みの品は此方だ。持ち帰るか? 此処で話つけてくか?」
「持ち帰ります」
「あいよ。代金は後払いで公爵家に請求しとくぜ」
「なんと、心優しいボスが私から金を取る日が来るとは驚きです」
「俺様の可愛い右腕だったらタダでもいいんだがなあ、次期公爵家当主様だからなあ」
「……分割でよろしいですか?」
「もちろん。何回払いだ? あとはナガマツを回数分に分割する時間をくれ」
「………………一括で」
溜息混じりに告げたヒデヒサに、首領は笑いながら俺の背を押した。促すように押し出されただけだというのに、背に感じる手のひらの感触に身体が強張る。
あくまでも優しい手つきなところが妙に恐ろしく、嫌な汗が頬を伝った。
「じゃあな、ナガマツ。暇だったらリシィと一緒に遊びに来いよ、歓迎するぜ」
「……ええ。機会があれば、また」
最上級に当たり障りのない声音で言葉を紡いだ俺に、首領は浮かべていた笑みを少しばかり人の悪いものに変えた。そのままひらりと手を振られる。
ヒデヒサは簡単な挨拶を口にすると、そのまま踵を返した。それとなく腕を引かれるので、できる限り自然な仕草でそのあとを追う。詰めていた息を吐き出せたのは、屋敷が遠く離れ、彼の姿が扉の中へと消えてからのことだった。
「……悪い、ヒデヒサ。厄介なところに呼び出してしまったようで」
「いいよ、気にすんな。あの人もあいつらも相変わらず元気そうだって分かったしな……それより、一体どうなってるんだ? どうして、いや、どうやってこっちに?」
気になるのはやはりそこだろう。隣を歩くヒデヒサは身を寄せるようにして、声を落として尋ねてきた。周囲への警戒がある様子だ。俺も声量を控えて答えを返す。
「それが、少しややこしい事態になっているんだ。落ち着いて話せる場所で伝えてもいいか?」
「じゃあ急いで戻った方がいいな。あんまり遅いとお嬢様が俺の言葉を無視して迎えに来るかもしれんし」
「…………ヒデヒサ、お嬢様のこと未だにお嬢様って呼んでるのか?」
「………………今そこ重要か?」
「いや、ちょっと気になっただけだ」
結婚してしばらく経つのだからお嬢様呼びは変ではなかろうか。そんなちょっとしたことが気になってしまったのは、多分異世界でヒデヒサの顔を見てほっとしたからだろう。
元は自分の身体だった訳だが、成長過程が違うせいか、それとも前世では鏡を見るのは少ない生活だったからか、『カコリス』として存在するヒデヒサを見ても、かつての自分だったという印象はあまりなかった。恐らく、ヒデヒサも俺に対して同じように思っているのは目を見れば分かった。
「公的な場とか社交の際にはちゃんと呼んでるぞ。まあ、家だとたまに指摘されるんだが……」
「ずっとお嬢様呼びだったものな。急に変えるのも難しいのか」
「うん、ほら、いや……まあ、もう良いだろ、この話」
切り替えがちゃんとしているのなら別に問題はないだろうと思って頷いたのだが、ヒデヒサは何処か続けづらいのか、雑に話を切り上げた。俺もそこまで深く突っ込む気は無いのでそのまま流しておく。若干耳が赤い気がしたが、見ないことにしておいた。
ちなみに、ヒデヒサは帰りは土魔法で呼び出した蔦を使い、境界線として配置された廃屋を乗り越えて外へ出た。無断で中に入ると見張りがついたり魔法妨害があったり場合によっては警報が鳴って面倒だが、外に出る分には問題はないらしい。
帰りもあいつらに会うの嫌だからな……とぼやいていたヒデヒサは、特に悪びれることなく俺を抱えて境界を越えると、問題はないと言っていた割にはものすごく早い速度で貧民街を離れ、駆け込むようにして馬車を捕まえた。
走り去る際、遠くから例の屈強な声が聞こえたような、聞こえなかったような。気のせいかもしれない。気のせいだったということにしよう。
乗り込んだ馬車に揺られながら、一先ず俺は緊張感からの解放に深く息を吐いた。




