おまけ 第3話 【前】 [カコリス視点]
────世界の異常に気づいたのは、三週間前のことだった。
一月前。ヒデヒサに念話をかけたところ、繋がる気配がなかった。
これに関しては異常というほどでもない。念話というのは割とデリケートな代物で、相手に意識がなかったり、思考を割く余裕がなかったりする場合には繋がらなかったりする。
色々と多忙だろうヒデヒサに念話に出る余裕がないことは十分に予測がつく話だった。
別段急用だった訳でもないので、次の機会にかけ直すことにした。元々単なる安否確認のようなものだ。
今から思えば繋がらないのだから確認が取れていない訳なのだが、魔王戦前ならともかく、あの世界に平和が訪れた後に何を心配することがあるのか、と気が緩んでいたのだろう。
ともかく俺はそれから一週間、念話のことは忘れて日々を過ごしていた。学業もバイトもやるべきことはそれなりにあったし、気を抜いても上手く事が運べるほど俺は器用な人間ではない。
だから俺は、その違和感に気づくのに少し遅れてしまった。
ある日、スマートフォンに登録した連絡先から、母親の名前が消えていた。
おかしな話だった。いくら不仲であるとはいえ登録した番号をわざわざ消すほど嫌いな訳ではない。機械やアプリのバグのようなものだろうか。
分からないことは調べるに限る。此方で過ごして二十年は経つとはいえ、扱い方を完全に把握している機械の方が少ない。素人が変に弄くり回すのは難しい点は、最新機器も魔法もあまり変わらないのだ。
そういう訳で、スマホの異常について少しばかりネットで調べてみたのだが、出てきたのは機械やアプリについてではなく、一種の『怪奇現象』と呼ばれる事象についてだった。
どうやらこのところ、連絡先から肉親が消えている、と主張する人が増えているらしい。不審に思って更に調べていく内に、恐ろしい事実が判明した。
どうやら消えているのは連絡先ではなく、その人の存在そのもの、のようなのだ。
対象は肉親だけではない。知人や恋人、友人なども含まれるそうだ。
近しい人の連絡先が消えたことに気づいた人間は、当然、消えた連絡先を再登録しようと共通の友人や家族に連絡を取る。
しかし尋ねた相手からは必ず、『そんな人は元からいなかったけど』と返されるのだという。
知人程度ならばまだ思い違いだとも言えるし、実際気のせいや記憶違いということにしていた人もいるそうだ。だが、母親がいないというのは明らかにおかしい。もしそれが事実なら、その人はどうやって生まれてきたと言うのだろう。到底有り得ない話だ。
確認を取ろうにも、会話の中では相手の中で違和感が勝手に修正されてしまうらしい。よって、近しい人がいなくなってしまった人間は、ネットで情報提供を呼びかけていた。
悪ふざけや冗談だと思っていた人々も、徐々に信じ始めている。オカルトや超常現象に懐疑的な人ですら、だ。
相談者の中にはこの異常事態で精神を病んでしまい、精神科に通っている人もいるそうだ。
科学が発展したこの世界では、オカルトや超常現象は現実の事象として捉えられてはいない。無論、面白がってまとめる人はいるし、フィクションとして楽しんでいる人だって大勢いる。
けれどもそれらはあくまでもフィクションであって、現実に物理的に干渉してくると本気で信じている人など殆どいないのだ。
実話を謳う怪談の体験とて、蒐集家は『主観的には真実である、という点を尊重するべきだ』としていることが多い。体験談の共有において客観性の話をする必要はない。その点については俺も同意する。何せ、俺自身が人には信じてもらえないような経験をして此処にいる人間だ。
故に、現実に『存在の消失』が起こり、それが複数間で共有されている現状は正しく異常事態だった。どう考えてもおかしい。少なくとも俺の知るこの世界の理には合っていない。
だが、実際に母親は消えた。存在そのものが無かったことになった。ちなみに、父親が気づいている様子はない。
愛した人が消えてしまったと言うのに随分と薄情だな、と思ったが、どうやらこの異常事態は『自分が気づくこと』が重要で、他人から指摘された場合には意識に上らないようだった。
気づいている人間と、気づいていない人間がいる。両者の間にそれほど差はないようだった。愛情の有無も、執着の有無も、当事者にとってその対象が大事かどうかさえ関係がない。ただ、気づくか気づかないか。それだけの違いだ。あまりに些細で、それゆえに認識の齟齬を解消するのは難しい。
俺はすぐさま信頼できる友人に連絡を取った。こんな突飛なことを聞いてもおかしく思われないような友人はそう多くはないので、数人程度のものだったが。
まずは同級生だった猪岡。それから後輩だった姫舞。幼馴染の湯々谷に、バイト仲間で付き合いの長い千草。あとは同じ大学に通う雛屋先輩と、最後に俺のほとんど唯一の男友達と言える羽仁村だ。
「もしかして、親しい人や知り合いがいなくなってたりしないか?」
などという、俺の不審極まりない連絡にも、皆真剣に捉えて答えてくれた。
姫舞はどうやらネットで調べて既に知っていたらしいが、まさか本当のことだとは思っていなかったらしい。随分と不安になってしまったようで、焦った様子で半泣きになりながら俺の家まで来た。
「やっぱり本当に消えちゃってるんだよね? ひさ兄も? ひさ兄も消えちゃう?」
誰が消えるか消えないか、選ばれる要素に共通項はなさそうだ。今のところは完全にランダムとしか思えないので『消えない』とは言い切れなかった俺に、姫舞は青ざめた顔で俺を見上げて呟いた。
「もしひさ兄が消えたらヒメも死ぬからね」
「いや、そんなこと冗談でも言ったら駄目だ。消えたとしても戻れる可能性はあるだろうし、もし無事に戻った時に姫舞が死んでたら俺は悲しい」
「悲しい? ヒメが死んだら悲しいの? 泣いちゃう? 本当に悲しい?」
「当たり前だ。せっかく同級生からの誤解も解けて楽しく過ごしてるんだろう? 姫舞にはこれから先ももっと楽しい思い出をたくさん作ってほしいと思ってるんだ。だから死ぬなんて言ったらダメだ、次に言ったら本当に怒るからな」
「……分かった。ひさ兄が死ぬなって言うなら、ヒメ死んでも生き返るね」
姫舞は納得した様子で頷いてから、困ったことがあったら言ってね、と笑顔で帰って行った。相変わらず先輩思いのいい後輩だと思う。やや不安症のけがあるのだが、過去を思えば仕方の無いことだろう。
猪岡からは少し遅れて電話が来た。スマホの充電が切れてしまっていたらしい。相変わらず、バレー以外ではちょっと抜けている。
『秀久は誰かいなくなってるの? あ、でも聞いても意味ないのか。本人以外には分からないんだもんなー』
『相互に把握するつもりで話題に出すとダメなんだと思う。ネットの呟きや日記なら一方方向の情報だから大丈夫そうなんだが……』
『まあ突然食べ歩きブログで話す訳にもいかないもんね。ちなみに私は今のところ心当たりないかな』
『そうか。なら良かった』
『なんかあったら連絡するよ。秀久は、あーっと……大丈夫?』
『俺か? うん、大丈夫だ』
『無理すんなよ? 感情なんて、嘘ついたってしょうがないんだからさ』
『嘘じゃないって。本当に、大丈夫なんだ。いなくなったのもあんまり、いてもいなくても困らない人……って言い方は良くないか……とにかく、大丈夫だから』
『ふーん? ところで秀久、お昼は何を食べたのかな?』
『お昼? えーと……なんだったかな……シリアル的な奴を少々……?』
『…………あー、なるほどね。分かった、晩飯は私が奢るよ。ご飯食べに行こう』
『え、いや。悪いだろう、何もないのに』
『外に出て誰かと話した方がいいよ。出来るだけ能天気な奴とね。という訳で私が助太刀しよう』
ちょうど割引券があるんだ、と告げた猪岡は、そのまま俺を近くのファミレスに呼び出した。多分だが、俺は案外、母親が消えたということがショックだったのだろう。あんな人でも、いなくなるとそれなりに動揺するらしい。
猪岡は割引も意味がないくらいの量を食べ切ってから、『まあ、頑張りすぎない程度に頑張りなよ』と肩を叩いて去っていった。
猪岡は、俺が異世界から来たと知っている数少ない人間だ。卒業の頃、少しだけ話したことがある。
進学先が変わっても付き合いは続いていて、たまに相談にも乗ってもらっているし、逆に俺が猪岡から相談を受けることもあるし、何にもない用事で遊びに行くこともある。
猪岡には、俺がこの異常自体を『別世界』由来の現象だと思っているのが伝わったのだろう。伝わった上であまり深く触れずに、俺の不安だけを取り除きに来てくれた訳だ。
いい友達だ。普通だったら、俺は異世界転生したんだ、なんて言ってるやつがいたら距離をとるだろうに。猪岡は『へー、すごいじゃん』で済ませた。……いや、それもどうかとは思うんだが。
湯々谷からは、割とすぐにメッセージアプリで返事が来た。やっぱり何人か消えてしまっているらしい。教えてくれたのは人数だけだったが、湯々谷の反応を見るに、それが一番伝えるのに困らないと思っている様子だった。
恐らく、何人かに伝えているのに『そんな人いないはずだけれど』と返されて、言い出す勇気がないのだろう。それはそうだ。湯々谷は昔から気弱な性質で、自分の大事な人がいないもの扱いされて平気でいられるようなタイプではない。
きっと、俺のメッセージに返信するにもものすごく勇気を出してくれたことだろう。
【わたしに手伝えること、ある?】
【今のところは解決法も分からないからな……】
【そ
祖
そうだよね
ごめん】
【いや、俺の方こそごめん。何も役に立てないのに変な連絡だけして】
【そ
そわ
so
そんなことない
ありがとう 不安だったの
秀くんから連絡もえて世かった】
【頑張って情報集めるよ
また何か分かったら連絡する】
ありがとう!と笑顔の青色の芋虫の動くスタンプが十連続くらいで来た。
湯々谷は元気を出したい時にはスタンプを送ってくれることの方が多いから、彼女なりに頑張ろうとしているんだろう。
少しでも不安がなくなったならよかった。ネットで知らない人と共有できてこそ解消できる不安もあるが、知り合いに話を聞いてもらえた方がいい場合もあるからな。
ちなみに、この元気よく跳ねている青色の芋虫は、厳密には芋虫でないらしい。では何か、と聞かれると少々困るんだが。スタンプ名を調べると『芋虫、あるいはそれではないもの』と付いている。なんなんだろう。分からない。ちょっと怖い。
バイト仲間の千草からは『特にない』と端的な文面で返事が来た。ついで、『シフト代わる?』とも。
気を遣わせてしまって申し訳ないが、時間が欲しいのは確かだったので少しの間代わってもらうことにした。
同い年だが、バイト歴は千草の方が長い。この通りとても頼りになる優しい先輩なので、バイト先でみんなに慕われるのも当然だった。
【忙しい時期なのにごめんな】
【別に】
【今度埋め合わせするよ
千草も休みたい時には俺に言ってくれ】
【大丈夫
好きだから
バイトが】
【あんまり働きすぎると店長がまた心配するぞ】
【好きだから
バイト】
【そっか。でも無理だけはするなよ】
代わってもらっておいて俺が言えた義理じゃないのだが、千草は働きすぎるきらいがあるので心配だった。仕事が大好きなのはいいことだと思うが、身体を壊しては元も子もない。
仕事の疲れを温泉プールで癒すのが趣味だと言っていたから、今度入場券でもプレゼントしようか。近場にもおすすめのプールがあるらしい。何度か誘われたことがあるから覚えていた。まだ行ったことはないけど、千草のおすすめならきっといい場所なんだろう。
『秀久くんも調べ始めていたのかい? 流石だね。
私も気になっていてね、今サークルの人間と色々と調査していたところなんだ』
同大学別学部の先輩である雛屋先輩からは、メールでそんな返事が返ってきた。オカルト研究会の代表をやっているだけあって、その手の情報には耳が早いようだ。
添付ファイルには先輩が調べたらしいこの現象に付いて、俺が調べたよりも詳しい状況が載っていた。
それによると、『いなくなった』人間を覚えている当人も、時間が経つにつれて周囲の人間と同じように忘れてしまうらしい。
最近ようやく表面化し始めているだけで、現象自体はもっと前からあったのではないだろうか、というのが先輩の推測だった。みんな、忘れてしまったことすら忘れているだけではないか、と。
文面を読みながら、俺の背には冷や汗が伝い始めていた。知らないうちに、大切な誰かが消えてしまっているかも知れない。そして、それを覚えておくことすら出来ない。
死は肉体の喪失だ。だが、本当の意味での死は、忘れ去られた時にこそ訪れるのではないだろうか。
恐ろしい話だった。できる限り早急に対処しなければならない、と思うほどに。
俺がこの状況に対して何かしよう、と動いているのは、本能的にこれがウルベルトシュ──引いては女神が関わっているだろうと感じ取っているからだ。
この世界には超常現象などない。言ってしまえば俺こそがその超常の現象であるのだが、世界そのものには物理法則を超えた現象は起こらないはずだったのだ。
世界そのものに歪みが生じている。
そして、俺はその原因に心当たりがあった。
魔王討伐後、ヒデヒサは俺に、この世界も『複製された世界』なのだと教えてくれた。厳密に言えば、話を聞いた俺が予想して問いかけたのだが、まあ細かいことはいいだろう。
ここは本来の日本から複製された世界だ。そして、ヒデヒサのいるウルベルトシュも本来の世界から複製されたものである。
……そして、本来の女神ミアス・ルーゲンスティアは、複製された世界を支える存在として新たにラピス・ルーゲンスティアを真なる女神として定めた。
ヒデヒサに名を付けさせ、信仰を集めることによって、二つの世界を支える存在としたのだ。
ミアスはそれらを説明する際に、『支えるべき世界』に複製された日本を含めなかった。
恐らく、この世界は既に彼女の管轄外にあったし、何より、彼女が大切にしているのはウルベルトシュであって、それ以外の世界は思考の優先度が低かったからだろう。
だが、含まれなかったからといって、この世界に女神が必要でなかった訳ではないのだ。
この現代日本にも、女神の信仰を広める──あるいは実在を信じてもらう──必要があった。世界の崩壊を防ぐために。
しかして、此方側でラピス・ルーゲンスティアを知る者は少ない。まずは俺、それから猪岡、そして最後に羽仁村である。数えて三人。圧倒的に足りていない。
俺の仮説が正しいのならば、早急にラピス・ルーゲンスティアへの信仰を集める必要があった。しかして現代日本で突然新たな『女神』なる存在について信仰を集めようにも、十中八九怪しい人扱いされてしまう。
ならば応急処置として、信仰とまでは行かずとも存在を広めるのはどうだろうか?
現在、都市伝説的に広まっている『人間の消失』に付随して、それを解決してくれる存在として彼女の名を広める。要するにラピス・ルーゲンスティアそのものを都市伝説とする方法だ。
雛屋先輩曰く、有名どころの怪異たちはほとんどが噂話によって広まり、いつしかその存在を盤石のものとしている。例えば八尺様だとか、くねくねだとか、古いものでは花子さんだってそうだし、新しいものとなればサイレンヘッドやスレンダーマンなども当てはまるだろう。
個人の制作物でしかなかったはずのものが語り広められ、まるで実在するかのように扱われる。信仰とは異なるが、『無いものを在る』ことにするという点において、都市伝説は案外有用なのだ。
悪くはない案だと思う。だが、本当にこれで上手く行く確証はない。できれば魔法存在の専門家──例えばルナさんだとか、彼女の研究室だとか──に話を聞きたいと思って念話を試したのがこの辺りで、噂を知ってから十回ほど試した。
そして俺は、念話が繋がらない理由が不調やタイミングの問題ではないことに、此処で気づいた訳である。ウルベルトシュとの間に、超えられない壁が出来たような感覚だ。
嫌な予感がした。それは言うなれば、世界間の断絶を肌で感じるようなものだ。このまま二度とウルベルトシュと繋がらなかったら、寄る辺をなくしたこの世界はどうなってしまうのだろう。
ぞっとした。脳に嫌なストレスがかかるのを感じる。最悪の事態を思い浮かべかけて、その想像にすら耐えきれなくなってぼんやりと思考が停止する。こんなに気分が悪くなったのは白の間で光魔法の依存性から解放された時以来だった。
とりあえず俺に出来ることをする他ない。
羽仁村から連絡が届いたのは、思い詰めた俺がネット上の相談者に一人一人メールを送りつけようかとし始めたタイミングだった。
【返事が遅れてすまん
弟が消えてる。ありえん
どうにかなるのか?】
【分からない
けど今試そうとしてることはある】
詳細が知りたい、と言う羽仁村に俺はウルベルトシュにいる女神に信仰を集める必要があるかもしれない旨を伝えた。事情を知っている人間なので、説明もしやすい。
羽仁村は中学の同級生で、どうにも友達が出来づらい俺と唯一上手く関わってくれた男だった。若干無愛想で皮肉屋なところが周囲からは扱いづらいと思われているのだが、不躾に距離を縮めてくることもなく気遣いができるし、根は優しくて情のある人間だ。
優秀な双子の弟がいることで一時期荒れていたりもしたのだが、上手く折り合いをつける術を見つけたようで卒業の頃には幾分落ち着いていた。『俺に期待しない人間に、俺から期待するのはやめた』と何処かすっきりしたように言っていたのを覚えている。
その弟がいなくなってしまった挙句、どうやら家族は認識していない様子なのだという。客観的情報として伝えることで気づいて精神を病むのも困る、と静観しているようだが、羽仁村自身もやや気が滅入っている様子だった。
元から一人っ子のように扱われていて薄気味悪い、と愚痴を付け足しつつも俺のメッセージを読んでくれた羽仁村は、『正直信じ難いが』と前置きをしながらも協力すると言ってくれた。
【ネット上で適当に情報をばら撒いておく
効果は薄いだろうが何もせんよりマシだろう
それから念のため確認したいんだが、前に「友達の結婚式を見る」とか言ってなかったか?
念話とは違う魔法だと言っていたがそれは使えないのか? お前の方から試せないとかか?】
【あ】
【あ ってなんだ あ って】
そのメッセージを見た時、俺は割と真剣に自分に呆れた。なんでウルベルトシュ出身の俺よりも羽仁村の方が魔法に関して覚えているのだろう、と。
素直に忘れていた旨を伝えると呆れたようなメッセージが返ってきた。返す言葉もない。
ヒデヒサとお嬢様の結婚式を挙げるとなった際、俺の存在を聞いたルナさんから『是非御友人にも式を見ていただきませんか?』と提案されたのだ。
俺の意識と語感をウルベルトシュ側に用意した依代に一時的に移し、まるで実際にそこにいるかのように体験できる魔法だ。俺はルナさん製作のぬいぐるみ(生体を用意するのは条件的にも倫理的にも問題があったので)に意識を繋いで結婚式に参列した。良い式だった、……うん、まあ、良い式だった、な?
とにかく、狭間の世界にいる女神ミアスとの念話にすら可能にする構築式を見出した、稀代の天才の魔法である。こちら側に伝えられた魔法式と、彼方側で用意した魔法式によって存在を紐付ける、新たなる深淵魔法だ。
書きとめた魔法式はまだ手元に残っている。使えるかは分からないが、試す価値はあった。向こうの俺の体……ぬいぐるみが何処に置かれているかは分からないが、とにかく繋がりさえして意思表示をする方法さえあれば向こうと連絡が取れるし、世界の存亡に関してはおそらくウルベルトシュ側から働きかけた方が圧倒的に早いはずだ。
例えば、聖女リーザローズならば神殿で女神と話ができるのだから、より効率的に、かつ現実味を帯びた方法で存在を信じさせることが出来るかもしれない。無論、混乱を招かない範囲に抑える必要はあるだろうが。
俺は大事にしまい込んでいた魔法式を取り出すと、以前ルナさんに言われた通りの手順でそれらを行使することに集中した。向こう側からの働きかけがない今、使えるのはウルベルトシュ人としての俺の魂が持つ力だけだ。
ワンルームの部屋で幾何学模様と大陸公用魔法語で書かれた魔法式と陣を前に祈るのを繰り返すこと数日。
誰かに見られたら厨二病まっしぐらの扱いを受けるだろうな……などと頭の片隅で薄ら思っていた俺は、とある日の深夜、突如として発光し始めた魔法陣の光に包まれるようにして意識を失った。




