おまけ 第2話
自慢じゃないが、俺は決して知り合いの多い方ではない。
前世では勿論のこと、今生でもあまり交友関係は広い方ではないので、『知り合い』と言われて思い浮かぶような顔は自然と限られたものになる。
俺の知り合いだと名乗り、その上空中から現れるような男となると、可能性はほとんど一つに絞られた。
まず間違いなく、カコリスである。定義上は永松秀久であるとも言えるのだが、ややこしいので中身で判別するのが良いだろう。
『お前さんの知り合いだって言う不審な男が突然空中から現れたんだが、会いに来るつもりはあるか?』
この文面をそのまま受け取るのだとしたら、日本で生活している筈のカコリスが、貧民街の空中から突如として現れたことになる。
更に、その身柄はどうやらボスの手元にあるらしい。となると、十中八九拘束されているに違いない。
……どう考えても不味いな。
「お嬢様、これは少々厄介な事態かもしれません」
どうして別世界の日本で暮らしている筈のカコリスが此方に来ているのかだとか、どんな方法を使ったのかだとか、気になる点はまあ複数ある。
だが、この場で最優先で解決するべき問題は、彼の身柄が『ボスの手元』にある、という部分だ。
急いで向かわなければ。このままではカコリス(と思しき存在)が『適当に処分』されてしまう。
具体的には、大ぶりの刃物で均等に分断された後に綺麗に焼かれて美味しい野菜の実る庭に撒かれてしまう。それだけは絶対に避けなければならなかった。
食事もそこそこに立ち上がった俺に、お嬢様は少し呆れたように片眉を上げた。
「全くお前ときたら、いついかなる時も厄介事を持ち込まなければ気が済まないようね」
「誤解無きよう申し上げておきますが、呼んでもいないのに厄介の方から飛び込んでくるのです。私が持ち込んでいる訳ではありません」
むしろ俺は極力平穏に暮らしたい派の男である。美味いもんを好きなだけ食って、幸せに暮らすのが目標の男だ。だというのに、何故か超弩級の厄介事が向こうからやってくるのである。
そもそも言ってしまえば、そもそもお嬢様──リーザローズ・ロレリッタそのものが厄介事代表みたいなお人である。俺の遭遇した厄介事の中でもまず間違いなく、上位三位には入るくらいには厄介事の塊である。お嬢様といる限り、俺の人生はおそらくあらゆる厄介事に見舞われることになるだろう。
だがまあ、大事な妻をわざわざ厄介事呼ばわりするのもどうかと思ったので特に口には出さずにおいた。
が、思考の寄り道はしっかり伝わってしまったらしい。テーブルの此方側に回ってきたお嬢様は、俺の手元にある手紙を覗き込みつつ、無言で俺の脇腹を小突いた。
別に怒っている様子ではないので、そのまま話を続ける。
「私の考えている通りの事態ならば、早急にこの『知り合い』に会いに行かねばなりません。二日後にトレヲワイス侯爵家当主をお迎えすることを考えると、少なくとも今日か明日には片付けておきたいところです」
希望を言うのならば昼頃までにはカコリスの身柄を引き受けて、安全を確保したい。名家の当主を迎え入れての会食だ、準備はしすぎるくらいでちょうど良い。ここ二週間ほど、俺は侯爵家当主アラガンタス・トレヲワイスを迎え入れる準備であちこち駆け回っていた。
ちなみに、昨日の飲み会はアザンからトレヲワイス家当主の人柄や好悪の最終確認を取る意味もあった。歴史のある上位貴族のことなら、アザンに聞くのが一番良いからな。
あいつは平民と下位貴族相手にはあの最悪な態度でいるだけで、同家格以上の人間を相手にすると途端に人当たりのいい優秀かつ愛嬌のある青年になるため、大抵の上位貴族にはやたらめったら気に入られているのである。
まあ、その福次結果として『貴様めちゃくちゃ嫌われてるな』の情報がバンバン入り込んで来た訳だが。別にトレヲワイス当主は俺に悪感情を持ってやってくる訳ではないので問題はない。
トレヲワイス侯爵家は、家格ではロレリッタ公爵家よりも下ではあるが、我が国では最も古い歴史を持つ名家である。何せ、パージリディア国に公爵という身分が生まれるより前に存在する家だ。
歴史は長く貴族社会でも上位の立ち位置にいるが当主は代々温厚な性質が選ばれ、与えられた潤沢な領地で思う存分魔法研究に勤しめるのならば幾らでも忠誠を捧げる。そんなタイプだそうだ。
確か遡るとカカライアン家とも何代か前に血縁的繋がりが出来ていた、と思う。多分。貴族名鑑と歴史を叩き込まれてしばらく経つというのに、俺は未だにごっちゃごちゃになる。暗記物苦手なんだよな。
元々は、陛下が俺の身分を保障しようとした際に此処の分家筋の戸籍を与えられることになっていた家だ。
それをトンチキ理論で突っぱねてから既に六年が経っている訳だが、俺が次期当主という立場になったことで一度顔合わせを、という話になったらしい。
……恐らくだが、トレヲワイス家の狙いは俺を通じて『ウィステンバック所長』と繋がりを持つことにあるのではないかと思う。
独立機関として立ち上げられた某研究機関は、恐ろしいことに現在どの貴族との接触もほとんど断ち切っている。特にカカライアン家への冷え切った対応は凄まじく、技術革新の波に乗る中で名家がひとつ取り残されることになるのでは、と魔法史記録課は緊張と興奮を持って見守っているらしい。
そしてトレヲワイス家もまた、カカライアン家と血縁的繋がりや金銭的補助関係にあることからあまり好意的な対応はされていない。しかし、最先端の魔法を凄まじい速度で発表し続ける研究所に興味を引かれないわけがなく。
様々な伝手を使って接触を試みた結果、ウィステンバック所長は聖女リーザローズとその婿であるカコリスには特に心を許している、と知った可能性が高いそうだ。
現当主である旦那様を介してではなく、貴族社会では妙な立ち位置にいる俺に直接会食を申し込んできた辺り、あながち外れた予想でもないだろう。胃が痛い話だ。
だがしかし、他の家ならまだしも、トレヲワイス家から直々に言われて断れるような立場にはない。何せ、公爵家を除けば殆ど貴族社会の最高位にいる家だ。
ちなみに、そこまでの信頼を置かれているトレヲワイス家出身の男が我が国の宰相である、という点を、俺は出来る限り見ないようにしている。突っ込んだ日にはそれはそれは恐ろしいことになるのが確定しているからである。
多分陛下だったら『私は御主に脅されているからな、話せばなるまいな』などと茶化して話してくれるかもしれないが、絶対に聞きたくないので全く突っ込んでいない。触らぬ何に何とやらだ。
宰相殿は長兄でありつつも当主の資格無し、と家に言い渡され、しかしてその優秀さで宮廷内で瞬く間に出世した男であるらしい。『能力は本物だ』とは旦那様の言である。
『限りなく有能だが、野心にその身を焼かれる類の男だな』と、いつぞや呆れたように溢していたのを知っている。野心に焼かれた結果、北の大国と繋がってしまった訳だ。陛下は知った上でその能力を買って上手く使っている訳だ。そんで、何でか知らんがグリフォン貸し出しの頃から宰相殿は目に見えて憔悴しているらしい。なんでか知らんが。マジで俺は知らない。が、旦那様は知っているだろうし、もちろん陛下も知っているだろう。俺は絶対に知りたくないので知らないままでいる。
万が一にでも知らされそうになったら両耳塞いで逃げ出す所存だ。……まあ、なんか、この先を思うと多分逃げ出せない気がするが、先のことは先になったときに考えれば良いのである。
色々な記憶が駆け巡ってなんだか胃が痛くなり始めた俺の横で、お嬢様は結い上げた髪をまとめ直しながら納得したように頷いた。
「貧民街に向かうつもりならば、わたくしは今日の討伐依頼は断った方が良いわね。距離的には微妙な位置だもの。シエラ、お父様に手紙を送るから、ギルドに代わりの人員を送れるように手配してくれるかしら?」
「ああ、ついでにこれを屋敷に一番近い屋根で待っているだろう伝令鳥に持たせてください。宛先はこのままで問題ありませんので」
「かしこまりました」
殆ど走り書きじみた筆跡で書き上げた返事の手紙を、そのまま送られてきた封筒に入れて封を閉じる。
ボス宛の手紙は、基本的に向こうから送られたものを使わない限り届かないのだ。此方から連絡を取るのはかなり難しい人だと言える。
俺から封筒を受け取ったシエラが、手筈を整えるべく退室する。
どうやらお嬢様は予定をキャンセルしてくれるつもりらしい。今日の討伐依頼は王都近くのガトゥア湖であることを考えればそこまで用心しなくとも問題はない距離なのだが、念には念を、と言うことだろう。
俺とお嬢様は魂の同一化により、極度に離れると互いに仮死状態に陥ってしまう。
いずれはこの距離的問題も解決したいと研究が進められているが、今のところは解決不能の状態だ。
まあ、貧民街に向かう程度ならば、お嬢様には屋敷にいて貰えば問題はない。
「ご不便をおかけして申し訳ありません。あまり長くはお待たせしないように致します」
「待つ? 何を言っているのかしら、わたくしも共に向かうつもりなのだけれど」
「は? お嬢様こそ何を言っているのです、絶対になりません。屋敷でお待ちください」
自分でも分かるくらいに心の底から渋面を作ってしまった俺に、お嬢様は予想していなかった、とでも言うように目を瞬かせた。シンプルな驚きを持って此方を見上げる瞳には、すぐに不満の色が乗る。
「お前の大切な『知り合い』が少々危険な立場にいるのでしょう? ならばわたくしも同行するのが必然ではなくて?」
「そのお優しいお心遣いには感謝致します。ですが今回ばかりは必要ありません、どうか屋敷でお待ちください。そうです、確か料理長が新作の菓子の味見役をお嬢様にお願いしたいと言っておりました。随分と悩んでいるようでしたからお嬢様の明晰な助言を与えて差し上げるべきではありまませんか?」
「どうしてもわたくしを連れて行きたくないようね? まるで何かやましいことでもあるかのような態度ではないの」
「別に、やましいことは一切ありませんが。そのように見えましたか」
「ええ、見えるわ。何やら誤魔化して煙に巻こうとしているようにね! やましいことがないのならばわたくしを連れて行っても問題はないはずよ。妻であるわたくしが夫の用事に同行することの何に問題があって?」
「妻だからですよ。誰があんな破落戸の巣窟に大事な妻を連れて行きたいものですか」
溢れ出たのは紛れもない本心だった。
絶対に連れて行きたくない。もし連れて行かなければならないとなったなら、俺はお嬢様を大きめの麻袋に包んでから担いで運ぶだろう。
貧民街の中央街に繋がる通りには、一通り関門が用意されている。外側から見た寂れた街並みと、賑やかな中心部を隔てる壁のようなものだ。
入り口は四箇所。東西南北に設置された関所には、腕の立つ見張りが複数立っている。全員がボスの信頼を勝ち得た実力者な訳だが、どういう訳か、揃いも揃って美女には目がない。
特に、今回俺が使わなければならないだろうルートの門番は気の強い金髪の美しい女性が好みと来ている。
好みに合った女性が関門を通ろうとすると、あいつらは何かと理由をつけて身体チェックをしようとするのだ。世紀末の破落戸か何かか、と言ってやりたいが、実際世紀末の破落戸みたいなものなので何を言っても聞きやしない。殴って止めてもいいが、争いが起きたとなればそこかしこから嬉々として暴力沙汰が好きな輩がわんさか沸く。やってられん。
その上、関所を超えたところでボスの屋敷には『門番』がいる。
俺が貧民街を離れて七年経ったが、多分あいつらは代わっていないだろう。それこそ、規格外の侵入者が現れて殺されてでもしない限り。
……考えるだけで気分が沈んできたな。
殆ど無意識に、それはそれは深い溜息が溢れる。
俺がお嬢様を貧民街に連れて行きたくない理由だなんて、少し考えれば分かるだろうに。
知らず床に落ちていた視線を戻せば、今一つピンと来ていない、という顔でこちらを見上げるお嬢様と目が合った。溜息は更に深くなった。
「よろしいですか、お嬢様。幸いにも今までお嬢様の周りには極めて紳士的な男性しかおりませんでしたのでそのようなご経験はないかと思いますが、世の中には魅力的な女性を見れば力づくでも物にしたいと考える下卑た男が存在するのです。
もちろんお嬢様がそんな輩に遅れを取るような方ではないことは理解しておりますし、お嬢様が相手をするまでもなく私が始末いたしましょう。ですが、直接的な接触以前の害というのは避けきれぬ物なのです。
お嬢様は御自覚の通り、極めて魅力的で美しい、麗しの聖女様であらせられますから、当然あんな無法地帯で三歩も歩けば下卑た野次が飛んで来ることは必至です。私はその度にそいつらを縛り上げて適当に吊るして進まねばならない訳ですが、この大事にそんな手間を取らされるのは勘弁願いたい訳です」
「……そんな輩は無視すれば良いのではなくて?」
「俺だって無視できるものなら無視しますよ。出来ないから大人しく待っていてくださいと言っているんじゃありませんか。どうしても着いて来たいと言うのなら頭から麻袋を被って身体を甲冑で覆ってからフード付きの外套でも被って来てください」
極めて真剣な顔で言い放った俺に、お嬢様はちょっと面食らった顔をしたのち、考え込むように顎に手を当てた。
多分だが、公爵家の屋敷にある甲冑のことを考えている顔である。途中、ちょっと渋い顔をし始めたので、恐らくは装備を整える面倒臭さが勝ったものと見える。
時間にしては一分ほど考え込んだお嬢様は、やがて幾分か納得のいった様子で俺を見上げて頷いてみせた。
「……分かったわ、わたくしは屋敷でお前の帰りを待っていれば良いのね。ついでに、……そうね、客室の用意でもしておこうかしら」
「非常に助かります。では、私は早いところ彼を迎えに行って参ります」
不満げな様子を見る限りもう少し粘られるかと思ったが、案外素直に聞き入れてもらえたようだ。
了承は得られたので、俺は手早く出かける準備を済ませる。手をつけ損ねた朝食はいつの間にやら持ち運びしやすい軽食へと差し替えられていたので、有り難く頂戴しておいた。
出立は裏門からだ。馬を使えれば早いが、貧民街近くには停めるような場所がない上に、放っておけば三分で盗まれるので徒歩で行くのが無難である。
それこそ転移魔法でもあれば便利なのだが、魔法研究の長い歴史の中でも、『人体の転移魔法』だけは未だ実現する兆しすら見えていない。
物体はまだなんとかなるのだが、『命を持ったもの』を運ぼうとすると必ず肉体か精神どちらかか、あるいはどちらにも支障が出るらしい。詳しいことは禁則事項で王族か正式な研究機関でなければ閲覧不可なのだが、まあ、間違いなく生命の維持に関わる重大な『支障』である。
転移魔法と言えば、カコリスは一体どうやって転移してきたというのだろうか? 世界を跨ぐような転移だ、身体や精神に異常が起きていないといいんだが。
手紙を読んだ当初から並行して念話を試みているのだが、返答がないのだ。
カコリスと俺の間にある念話は世界を跨いで連絡を取るためのものだ。魔法形式の問題なのか、それとも意識を失っているのか。理由は定かではないが、通じる気配は微塵もなかった。
やはり急がねばならないだろう。
何処か呆れたような困ったような、なんとも言えない顔で此方を見送るお嬢様に簡単な挨拶だけ返してから、俺は足早に屋敷を後にした。
◆ ◇ ◆
「────おやまあ、こいつは驚きだぜ。リシィがこんなに焦った手紙を寄越してくるなんてなあ」
貧民街中心部の屋敷にて。開いてもいない窓を突き破るような勢いで飛んできた伝令鳥から手紙を受け取った男は、広げた紙片を片手に室内を振り返った。
便箋の裏面に、ほとんど走り書きじみた字で簡潔な返事が記してある。
『すぐにでも引き取りに行きます。間違っても傷はつけないでください』
やや右上がりになる癖の残った字は、間違いなく見慣れた『右腕』のものだ。拾い上げてから数年、随分と覚えのいい少年を気に入って字まで教えてやった時の記憶が薄らと蘇る。
男は楽しげな様子で受け取った手紙を魔法で燃やすと、床に転がしたままの青年を見下ろした。
「朗報だよ、ナガマツ。どうやら俺様はお前さんをわざわざミンチにしないで済むらしい」
毛足の長い絨毯に転がされているのは、一八〇センチは超えているだろう背丈を持つ年若い青年だ。
ナガマツと名乗った彼は、今から半日ほど前に、突如として貧民街首領である男の部屋に現れた。
裂かれた空間から落ちてきたようにも見えたが、記憶は定かでは無い。日頃、人間が落ちてくると思って中空を見るような予定はないので、気づいた時にはそこにいた、というのが感覚としては正しかった。
首領は落ちてきた男を瞬く間に拘束すると、迷うことなく魔導杖を突きつけた。
正当な手続きもなく来訪した人間に容赦は必要ない。しかも、よりにもよって貧民街首領の私室に現れるような男だ。手足の二、三本は折られても文句は言えないだろう。
何か面白いことの一つでも言えたら話を聞いてやる、と言われた青年は、少しばかり迷った後に『自分はカコリスの知り合いだ』と告げた。
異国の者のようだが、どうやら言葉は通じるらしい。だが、依然として怪しいことに変わりはなかった。『ボス』と呼ばれるこの男は、怪しいものはとりあえず、出来る限り穏便に始末することに決めている。
面倒事を避けるには、最初から無かったことにするのが一番手っ取り早い、というのが、彼の短くはない人生の中での教訓の一つだった。
だが、それでも転がったままの青年がどういう訳か『カコリスと首領の間でしか話していないこと』を知っていたものだから、一応は確認を取ることにしたのだ。可愛い右腕の数少ない友人だというならば、バラし方にも配慮が必要だろうと思ったので。
「…………それは、何よりですね。人間一人を始末するのは案外手間でしょうから」
「ああ、その通り。基本的に無駄と面倒が嫌いなもんでね。いやあ、良かった良かった」
首領は笑いながら告げると、杖の一振りでナガマツの拘束を解いた。
「北東の茶葉と焼菓子くらいなら出せるが、どうする?」
「……有り難く頂戴します」
ナガマツは、年の割にはひどく落ち着いた物言いをする男だった。顔立ちを見れば二十歳そこそこだろうに、命の危機に瀕しても冷静さを失うことはない。
その目には、かつての右腕と同じ、ある種の諦めを持った凪いだ水面のような光を宿している。「俺はカコリスの知り合いだ。彼に連絡を取って欲しい」などという言葉を信じたのは、この男にカコリスと似通った物を感じ取ったからだろう。
何処か懐かしさを覚えつつナガマツを見下ろした首領は、そこで引っ張り出した思い出に小さく苦笑した。
いやまあ、あいつは初対面の頃はそれはそれは、とってつけたような小物っぷりで平伏して来たのだけれども。
散々靴どころか地べたすら舐める勢いで取り入っておいて、すっかり立場を得た後には澄ました顔で『此処に来たなら美味いものが食えると思っていましたよ』と食品庫にばかり興味を示していた男だ。
縄張りを無視した挙句大した賄賂もなく領分を通ろうとした阿呆どもの貨物をひっくり返した際には、宝石には目もくれずに『ボス! こいつは当たりですよ! よく肥えてやがります!』と嬉々として宝物箱に紛れ込んだ珠玉蛙を両手に抱えて戻ってきた男でもある。
『ボス、炎出してください炎。ボスの炎魔法で焼くのが一番美味いんですよ』などと宣いながら割と頻繁に捌いた魔物を持って来たりもした。
首領は生まれてから数十年、自分の炎魔法は魔物を美味く焼くのに適しているのだとあの歳になって初めて知った。別に知りたくはなかった。全く。
七年前、大金と引き換えに公爵家に身柄を引き渡してからというもの、首領は一度としてカコリスに連絡を取ることはなかった。売った品物に興味はない、というのもあるし、契約不履行で公爵家に目をつけられるのも困るからだ。
カコリスが貴族籍を持つ成人になり、その上でこの男が降ってくるようなことがなければ、わざわざ連絡を取るような真似はしなかっただろう。どうせ、何処に放り込まれようと元気でやっていることなんて分かりきっている。
「向こうでも馬鹿やってんだろうなあ、リシィのやつ」
使用人を呼びつけるベルを鳴らしながら、首領は窓の外へと楽しげな視線をやった。




