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第二十三話 【リーザローズ視点】



 わたくしは幼い頃から、両親に幾度となく『特別な力を持っている』のだと教えられてきた。


 ロレリッタ公爵家の一人娘。お身体の弱いお母様がやっとの思いで授かった子供であるわたくしには、類い稀なる光魔法の才能があった。

 まさしく女神に選ばれた子。いつか『魔の王』を打ち倒し、ロレリッタ公爵家のみならず、パージリディア国の誇りとなるべき存在。


 お父様とお母様は手放しでわたくしを褒めそやし、欲しいとねだったものはなんでも与えてくれた。

 際限のない欲を満たしてくれる愛すべき両親と、手足のように働く下僕たち。幼少期のわたくしの世界はまさに甘美な『幸福』で満たされていた。

 幼いわたくしは、与えられた『幸福』が永遠に続くのだと疑いもしていなかった。


 無論、その砂糖細工のように麗しい『幸福』は八歳の時にとある執事の手によって粉々に打ち砕かれた訳だけれど。

 それから繰り広げられたわたくしとあの男の戦いについては、今更語る必要もない。


 ともかく、わたくしの思い描いていた『幸せな生活』は、あの日から一変してしまった。

 勉強は嫌いだし、運動なんてもっと嫌いだった。努力なんてしたくもないし、好きなものを好きなだけ食べたかったし、手に入れたものは満足すれば捨てればいいと思っていた。この世のものは全てわたくしに消費されるためにあるのだと、信じて疑っていなかった。


 あの時の生活は、今でも甘美な思い出として残っている。何もかもが自分の思い通りになっていた、素晴らしい日々。わたくしは今でも、あれと同じ状況が与えられるのなら喜んで受け入れるだろう。

 けれど、今のわたくしは同時に理解している。きっと、あの『幸せな生活』の先にあるのは、『幸せ』と呼べるものではないということを。


 わたくしが好き放題に振舞っていた時、お父様は愛情と庇護を与えてはくれたけれど、きっとそれを積み重ねたところでそこには『信頼』という関係は生まれなかったに違いない。お母様も限りないほどの愛情を与えてくれたけれど、過剰な愛はわたくしの身体もお母様の精神も蝕み、いずれはどちらも堕落に腐り果てるしかない状況に追い込まれてしまっただろう。


 苦しいことや辛いこと、納得できないことがあったとしても、きっと本当の意味では今の方が『幸せ』なのだと、わたくしはもう分かっている。

 七年前、お父様があの男を拾ってこなかったのなら、恐らくお父様がこんな決断をする日は来なかったのだろう、とも。




 ————あの愚か者の執事が倒れて、意識を手放したまま反応を示さなくなって五日。

 対応手順通りの手筈を踏んで自室で待機するわたくしを訪ねてきたお父様は、手にした書類の束を差し出し、努めて焦りを堪えるような抑えた声音で『内容を把握し、落ち着いて理解するように』と言い含めた。

 簡潔な説明をする際、わたくしの光魔法には『特別な力』があるのだと口にしたお父様の顔は、確かに強張っていた。


 わたくしが光魔法を持つ聖女であり、特別な存在であることなんて元から知っていた。

 何故今そんなことを説明するのだろう、と困惑するわたくしに、お父様はお仕事の時と同じく真面目な声音で、淡々と、そして手短に説明した。


 曰く、光魔法には『他者に幸福感を与え、依存させる特性がある』のだという。強い影響を受け続ければ、周囲の者は使い手に隷属するようになってしまう。

 そして、わたくしの下僕である執事にはその依存性を打ち消す効果を持っているのだと。


 最初は何を言っているのか分からなかった。こんな時に何を言っているのかしら、とも思っていた。

 だが、頭の何処かでは薄々感じ取っていたのだろう。わたくしは完璧にして最強の聖女である。あのボンクラの下僕が何か隠し事をしていることは察していたし、わたくしの学園生活が一般の生徒とは異なる状況にあることも理解していた。選ばれし特別な聖女なのだから当然だと思っていたが、その『特別』にはわたくしが思う以上の意味があったらしい。


「リザ、これだけは信じてほしい。私はお前を本当に愛しているよ」


 お父様は最後にそれだけを言い残し、去っていった。どうしてそんな分かりきったことを告げたのかは、魔法研究所の報告書を読んだ時に察した。

 光魔法の依存性というのは、術者への印象を捻じ曲げ、過度に好意的に見せる効果があるのだという。魅了のようなものに近く、あらゆる意思を無視して隷属状態に置くことも出来てしまう。


 お父様は、自身の愛情が光魔法によって作られたものではない、とわたくしに信じて欲しかったのだろう。そんなこと言われなくても信じている────と、この状況でなかったなら果たして言い切れただろうか。分からない。

 だって、わたくしの光魔法の依存性を打ち消されているのは、不敬にして無礼な物言いを続けていた執事が側にいたからなのだもの。


 あの執事が来てから、お父様は少し変わった。わたくしに注ぐ愛情はそのままに、貴族としての誇りを持つように言い含め、以前のように際限なく物を与えるのではなく、わたくしがねだった時には欲しがる理由を尋ねて、納得してから買い与えてくださるようになった。


 小さな頃のわたくしはそれをあの男の陰謀だと思っていたけれど、きっとお父様は本当はずっとそうして娘に接したかったのだろう。子供というのは躾けなければとんでもない愚か者に育ってしまうのだと、厳格なお父様ならよくご存知だろうから。


 あれこそがお父様の本当の愛情だ。それ以前が偽物だったなどとは断じて言わないが、それでも、捻じ曲げられていたことは確かである。

 そしてそれは今も、この男がいなければ容易に変容してしまうものなのだろう。幼少期と違って、わたくしの光魔法は更に強力なものになっている。周囲の人々がわたくしを正しく崇めることが出来ているのは、光魔法の依存性をあの愚か者が打ち消しているからこそなのだ。


 寝息すら微かにしか聞こえない一室で、渡された報告書を読みながら思い返していたのは、いつぞやのあの男の言葉だった。


『お嬢様は聖女だから素晴らしいのではなく、素晴らしき聖女である為に努力しているからこそ素晴らしいのです』


 『光の加護とやらで事を成したように褒め称えられるのが気に食わない』と溢していたあの男の脳裏には、多少なりとも光魔法の依存性に対する思いがあった筈だ。

 事実、お父様から共に渡された報告書には、光魔法による隷属の感情で評価されるのではなく、お嬢様の努力そのものを評価するべきである、といった旨の文言が幾重にも書き連ねられていた。ちなみに、アタガリヤの串焼きが美味しいなどという、どうでもいい日記も同時に書かれていた。……この男は報告書をなんだと思っているのかしら?とも思ったけれど、これはこれでウスノロらしい、とも思った。


 わたくしの能力への懸念から、陛下は真実を知らせるのを『魔王討伐後』に回したかったのだという。詳細は記されていないが、魔王を倒した後ならば、光魔法の依存性を永続的に打ち消す方法があるらしい。


 逆にいえば、魔王を倒すまでは光魔法の依存性を警戒し続けなければならないということだ。確かに、そんな状況ならば使い手であるわたくしに真実を告げるのは躊躇うだろう。

 だって、こんなに便利なことってないもの。わたくしは選ばれし聖女なのだから、本来は何も頑張らずとも誉めそやされ、崇め奉られて当然なのである。


 その『当然』を享受する道に躊躇いが生まれたのは、あの男がわたくしの『努力』自体を認めているからだ。

 不敬で無礼な愚か者の下僕にて、正々堂々、真正面から打ち倒し越えるべき壁。そんな男が、わたくしが努力して勝ち得たものこそが褒め称えられるべきだと、そうでないものには価値はないと言うのなら、わたくしは、己の力でこそ賞賛と勝利を得なければならない。


 もちろん、完全無欠な聖女であるわたくしならば、そんなことは容易いことだ。だってわたくしは光魔法を備えているから優れているのではなく、わたくしそのものが優れているのだから。

 それに、わたくしには、……わたくしの側には、


「…………お前がいるもの」


 この愚かな男にはわたくしの光魔法は効かない。それは依存性も同じくであり、故に、この男だけはわたくしのことを過不足なく評価することができる。こんな愚鈍な下僕がわたくしを『評価』しようなどとは烏滸がましいにも程があるが、寛大な主人であるわたくしはそれすらも受け入れてより高みを目指してみせよう。


 だからこそ、この愚か者がわたくしの側を離れるなどということはあってはならない。

 忠誠を誓ったとはいえ、この男は実力ではわたくしよりも上にいる。本人はそんなつもりではいないところが更に腹立たしい。完全なる勝利を収め、わたくしこそが誰よりもこの男に相応しい、完璧な主人であると認めさせねばならないのだ。


 わたくしの持つ『特別な力』がなんであろうと、目的は変わらない。この男にわたくしの力を認めさせ、永遠の忠誠を誓わせ、そして、未来永劫わたくしの側にいるようにと命じるのだ。


「…………早く目を覚ましなさいよ、このウスノロ」


 呟いた声は情けないほど震えていたけれど、此処にはわたくし以外に聞いているものはいないから構わなかった。





     ◆   ◇   ◆





「────それで? お前は一体わたくしに何を隠し立てしていたのかしら?」


 ヒデヒサが運ばれてきたパン粥を腹に収め、身を清めて一息ついた頃。目の腫れを光魔法でさっと治して誤魔化しつつ、わたくしは再度ベッド脇の丸椅子へと腰を下ろしていた。


 そういえば調度品を運ぶのが面倒だったから使っているけれど、高貴な聖女であるわたくしをこんな粗末な椅子に座らせるだなんてどうかしているわ。後で適当に椅子を運ばせるべきね。


「それについては後ほど説明させて頂きます。恐らくはお嬢様に説明するよりも先に陛下にお話しするべき案件かと思われますので」

「……ウスノロ、お前が忠誠を誓ったのは国王陛下ではなくわたくしであるはずよ」

「仰る通りで御座います。ですが真実を知る場合にはある程度の前提知識が必要になるものなのです。専属執事である以上、お嬢様の正気を失わせるのは本意ではありませんので、しばしお待ちいただければと」


 お父様の部下である人員からの連絡によれば、夜には陛下と共に話を聞く場が作れるとのことだった。それはこの男が多忙な国王陛下に当日無理矢理時間を作らせるような存在である、という証明に他ならない。

 本人はこれっぽっちも意識していないけれど、最重要人物として扱われているのだ。もしかすれば、わたくしよりも重要な存在だと考えられているようにも見える。……こんなところでも差を見せつけてくるだなんて、全く本当に忌々しいわね。


「……正気、ね。何かしら、冒涜的な深淵魔法にでも関わる事態だとでもいうつもり? ふん、わたくしを舐めないでちょうだい、聖女であるわたくしがそう易々と正気を失う訳がないじゃない」


 この後に及んでわたくしを知識不足の若輩者扱いして話に入れないというつもりかしら?

 腹立たしさからやや高圧的に先を促そうとしたわたくしに、ヒデヒサは一瞬視線を他所へとやると、いつも通りの澄ました顔で問いかけてきた。


「左様でございますか。では、お嬢様はこの世界の成り立ちについて思いを馳せたことはおありですか?」

「はあ? 何よ、唐突に」


 世界の成り立ち? どうしてそんなことが関わってくるのよ。

 訳も分からず小首を傾げたわたくしに、身なりを整え終えたヒデヒサが続ける。


「このウルベルトシュという世界がどのようにして生じ、どのような意味を持って存続し、そして何処に向かおうとしているのか、考えたことはございますか?」

「……それは、大陸の歴史ということかしら?

 パージリディア国は山奥から生じたイェメルの民が『女神様のお告げ』により安寧の地を求めてより多くの精霊が住まう土地を目指して旅し、この地に辿り着いたことから始まるとされているわね。

 山岳を挟んだ北の大国フェールメルズとは長く冷戦状態にあるのと、同じく精霊等級の高い土地を持つナナヴァラ国とも四十年前から続く国境線を巡った争いであまり友好的とは言えない関係で周辺国に気を配る必要はあるけれど、資源に恵まれている上に加工技術も申し分なく、魔術的海路の確立に成功しているから南の大陸ウィラパンとの交易も盛んで非常に豊かで素晴らしい国であると言えるわ。

 ウルベルトシュで魔王の顕現が確認されたのはパージリディア国が領土とする土地だけだそうだけれど……今のところはそこに魔法学上の法則はない、とされているわね。

 まあ……この程度のことはお前も知っていることでしょうけれど」


 問いの意味は今ひとつ掴めなかったけれど、ウルベルトシュの歴史についてなら授業で学んでいる。ただ言葉にした通り、この程度の知識にならばヒデヒサも持ち合わせている筈だ。

 正気を失うかもしれない、というのならば、広く知られている歴史とは異なるものについて話しているのだろう。

 ウルベルトシュそのものの成り立ち……というと、つまりは神話の時代の話をしているのかしら?


 そういえばこいつは『女神様と話をする』などと言っていたのよね……などと思いながらヒデヒサを観察していたわたくしは、ふと目の前の男が何処か呆けていることに気づいて片眉を上げた。何か無礼なことを考えている気配を感じたので。


「ちょっと、何を黙り込んでいるのよ」

「お嬢様…………パージリディア国の歴史を覚えておいでだったのですね……」

「どういう意味かしら!? わたくしは学年五位を取った成績優秀者ですわよ!?」

「四学年の中間辺りまではいつもは試験が終わるとすぐにお忘れになっていたではありませんか」

「それは四学年までの話でしょう! わたくしは日々成長していますのよ!!」


 魔王顕現の気配は強まるばかりだというが、勉学にも手を抜くつもりはない。魔王を倒した後にも生活は続くのだから、何事に対しても研鑽を怠るわけにはいかない。これもまた、いずれこの男にわたくしの力を認めさせ、下僕として傍に置き続けるための布石!


 優れた才女にして魔王を打ち倒した聖女ともなれば、国王陛下とて願いの一つや二つを叶えない訳にはいかないのだから、この厄介な男を未来永劫わたくしの側に置くことも可能な筈…………と、こんな話はどうでもよくて。ええ、どうでもいいのよ。『それってつまり実質、××じゃないかしら?』などというのもどうでもよくてよ!


「それで? お前は結局何を言いたいのかしら? もしや未だにわたくしを欺こうと適当な言葉を連ねているのではないでしょうね?」

「まさか。ここ数年散々欺き倒しましたので、最早疲弊すら覚える始末です。当分は遠慮したいくらいですね」


 胡乱げな視線を向けたわたくしに返ってきたのは、常日頃からよく聞く胡散臭い響きではなく、割合心の底から吐き出したような声音だった。

 苦笑い混じりのその表情は、共に過ごした中でもあまり見た覚えのないものだ。大体、この男は基本的に常時無駄に爽やかな──見慣れたわたくしからすれば胡散臭いこと極まりない──笑みを浮かべていて、感情が表情に出ることが殆ど無い。まあ、わたくしの前では比較的崩しやすいようだけれど。……ふん! 別に、その程度の変化、嬉しくもなんともないけれど!!

 

「……確かに、そうでしょうね。この完全無欠の高潔な聖女たるわたくしに難癖をつけなければならないだなんて、お前の苦労は察するに余りあるわ」

「ええ、完全無欠の高潔なる聖女であらせられるお嬢様に日々の摘み食いや淑女としてのマナー、獣の如き獰猛な足音、口の端にソースをつけるなどという並外れたはしたなさについて指摘するしかない日々は非常に心苦しいものがありましたね」

「…………………………」


 思わず無言で睨みつけていたわたくしに、ヒデヒサは軽い調子で肩を竦めてみせた。


「冗談ですよ。お嬢様が私の罵倒のネタを作るためにある程度迂闊な行動を取って下さっていることは理解しております」

「え? ……んんッ、ええ、そうね。勿論、その通りよ、わたくしの心遣いに感謝することね!」

「…………お嬢様?」

「精々平伏して感謝することね!!」

「お嬢様…………」


 心底呆れた声で落とされた呟きが胸に刺さったような気もしたが、丸っと無視しておいた。気心の知れた相手(ルナやパーティの方々のことよ!! あくまでもね!!)の前でどのように振る舞おうとわたくしの勝手よ。式典や夜会の場ではきちんとした礼節を守っているのだから、文句は言わせないわ。

 それに、わたくしがある程度の失態を見せた方が指摘がしやすいのは事実でしょう? そう、日々見せる不出来な部分はわたくしの心遣いなのよ。断じてここ最近は前よりも距離が縮んでいる気がして羽目を外していた訳ではないわ。断じて違うわ。わたくしはロレリッタ公爵家の嫡子にしてパージリディア国の誇る最良の聖女。断じて恋、こ、なんちゃらにうつつを抜かしていた訳ではないわ。


「だ、大体わたくしは稀代の聖女と名高い、この世で唯一無二の存在なのだから、そんな些細な問題は欠点にすらならないのよ! そこのところをよく承知なさい!」

「残念ながらこのままでは奇怪な聖女として名を残すことになりそうですが……まあ、お嬢様がそれでよろしいと言うのであれば無理には止めません。大方、後世の歴史では都合よく改竄され、麗しき聖なる乙女として書かれるに決まっておりますし」

「あら、一体何処に改竄の必要があるのかしら? わたくしは美貌と知性に溢れた、疑いようもなく清廉な聖女でしてよ」

「清廉という言葉の定義を一度話し合いたいものですが、此処は置いておきましょう。そもそも、聖なる乙女として相応しく改竄されたお嬢様の名が残るべき歴史の存続自体が危うい状況にありますからね」


 肉体的な疲労もあるのだろう、いつもよりも深く重い溜息を落としたヒデヒサは、一度瞼を下ろし、微かに眉を顰める。

 数秒の沈黙が、何故だか妙に居心地が悪い。

 体調が万全ではないのだから座り直したら、と場を繋ぐためが半分と、もう半分は本心からの心配で口にしかけたわたくしの前で、ヒデヒサはゆっくりと目を開いた。


「この世界を作った女神と話をしてきた、と言ったら、お嬢様は信じてくださいますか」

「…………それは、例のルナが作った魔法で、ということ?」

「ええ。この一週間倒れていたのはその通話……会話を交わしたことによるものだと言ったら、お嬢様は──」

「信じるわ。それで? 女神様とはどのような話をしてきたのかしら。聞かせなさい」


 何を迷っていたのか知らないけれど、わたくしはお前がどうして倒れたのかさえ分かればそれでいいのよ。そして二度とそんなことをしないと誓えば何の問題もない。このわたくしと結んだ誓いなのよ、例え神に背こうとも破ることなど許されない筈だわ。


 で? 何だったかしら? 女神様とお話をしてきた、だとか?

 どうして『女神』と会話をしてきた筈なのに闇の魔法の気配がしたのかは分からないけれど、そこも含めて説明するのでしょうね?


 恐らくだけれど、このバカ執事は未だにわたくしへの隠し事を残している。それを無理に暴こうだなんて気は──わたくしだって知られたくないことの一つや二つはあるのだから──無いけれど、せめて今回の不始末を償えるだけの情報は話すべきだとは思わなくて?


 疑念がそのまま表情に出ているだろう顔でヒデヒサを見上げる。視線の先のウスノロは、どういう訳かひどく呆けた顔でわたくしを見つめ返し、たっぷり五秒の間を空けてから、顔と同じく間の抜けた声を出した。


「……随分あっさりと信じて下さるのですね」

「信じない方が良かったとでも?」

「いえ、そのようなことは。しかし、ウルベルトシュでは女神信仰はあれどその実在は信じられておりません。研究によって実証されている魔法とは異なる、現象としての観測はできていない存在ですからね。正直、頭がおかしくなったかと疑われる覚悟をしておりましたので、少々面食らってしまいました」

「ふん、お前の頭がおかしいのは今に始まったことではないもの。慣れたわ」

「はあ、お嬢様ほどではありませんがね」

「呆けていてもわたくしへの侮辱を欠かさない辺り、不敬が骨まで染み付いているわね……」


 この無礼者、の気持ちを込めて前方に立つヒデヒサの足を軽く蹴り飛ばす。すぐ足が出るのは貴族令嬢として如何かと思いますよ、などと軽くあしらったヒデヒサは、気を取り直すように咳払いを響かせると、折れた話の腰を戻すように言葉を紡いだ。


「実のところ、私をこの世界に使わしたのは他ならぬ女神…様なのです」

「そんなのはウルベルトシュに生まれたもの皆がそうでしょう」


 幼い頃から読み聞かせられた絵本にも書いてあるし、学園でも習うことだ。この世界では皆、女神様の祝福を受けて生まれてくるとされている。貴族ならば教会で洗礼を受け、どのような魔法適正を持っているのかを調べてもらうのが習わしだ。

 無論、平民でも魔法適性を調べてもらうことはできる。ただ、魔法適性があったとしても一級精霊地にある学園に入学させることが困難なので、大抵は無意味な料金を支払うことを躊躇ってそのままにしていることが多い。


「それはそうですが、そういう意味ではなく」

「ではどういう意味よ」

「神話や信仰の話ではなく、実在としての女神…様に喚び出され、この世界に生まれ落ちたということです。ウルベルトシュに生ける者の中で、女神と言葉を交わした存在は歴史上存在しないとされています。ですので魔法研究の進んだ今では女神の実在を信じている者はいません。ですが、女神……様は実在しますし、この世界に直接ではなくとも干渉しています。いえ、ある意味では直接干渉していると言っても良いですね」

「……お前、先程からやけに女神様に敬称をつけるのを嫌がっていないかしら?」

「失礼致しました。あまり良い印象が無いものでして」

「少しも否定しないのね……」


 どうやらこの男が不敬を働くのはわたくし相手だけでは無いらしい。世界を作りたもうた女神様にすら不敬なのだから、まあ、わたくしに不敬を働くのも自然と言えるわね。断じて当然にはさせてやらないけれど。


「この世界には女神の采配により歴史に干渉する為に新たに作られた人間というものが存在します。私はその全てを知っている訳ではありませんが、少なくとも私や、お嬢様のような人間がそうです。

 恐らくは聖女パーティに組み込まれている人間は殆どが同じでしょう。歴史・・を踏まえて最適とされる人材を陛下が選定している、というのもありそうですが……ともかく、魔王とは異なりこの世界に直接干渉して来ることはなくとも、女神は実在します。

 私はこの世界に生を受けるより前、女神と直接話をしてから生まれ落ちた人間です。そこで私に与えられた役目は聖女パーティに加わり、光魔法の効力を高め、魔王を打ち倒すことだったのですが……どういう訳か、依存性を打ち消す力も持ち合わせていることが判明して今のような状況になっている、というのはお嬢様の知る報告書の通りですね。

 ここからが更に厄介な話なのですが、最近そこに新たな役目が加わりまして。それがまた、どうにも説明が面倒と言いますか、むしろ全てを説明しない方がいいと言いますか」

「ちょっと待ちなさい、ウスノロ」


 とうとう敬称をつかなくなっていたけれど、そんなことはどうでもよかった。わたくしの気に留まったのは、その語られた内容の方だ。


「お前は最初から、それこそ生まれる前から、わたくしの率いるパーティに加わるつもりでいたということ? そうした使命を持ち合わせているという自覚はあったのよね?」

「そうした役目を与えられているという認識はありましたね。十三歳の時に旦那様が貧民街に私を迎えに来ることも知っておりました」

「でも、女神様から与えられた役目はわたくしの力を高めることで、依存性を打ち消す効果は後から生じた副次結果に過ぎないということよね?」

「ええ、まあ。そうですね」

「つまり、お前は聖女パーティに加わらなければならないのに、当初大した後ろ盾もない状況であの態度だったということかしら?」

「ええ、まあ。そうですね」


 あの態度。言うまでもなく、雇われてから半年のあの日、わたくしを『豚』と罵った時の態度のことだ。いつものように下僕に用意させた料理を好きなだけ食べ、味付けにも飽きたから新しいものを用意させようと皿ごとテーブルから退けたわたくしに、この男は皿を引っつかんで口に押し込みながら怒鳴りつけたのである。

 『貴様は食を愚弄している! 食べる喜びも知らぬまま肥え太りおって! デブる資格もないわ!! 残さず食え!! 残すなら食うな!! 貴様の食った皿を見てみろ!! どれもこれも醜く薄汚れているぞ!! この恥晒しの豚が!! 使用人に靴を舐めさせている暇があるなら貴様がこの皿を舐めろ!! 今すぐにな!!』……思い出したくなくなってきたからこの辺でやめておくわ。


 ともかく、拾われてきた執事としては信じ難いほどの無礼を働いた訳である。聖女パーティに加入して、魔王を倒さなければならないと知っていながら。

 考えれば考えるほど、この男の神経が分からなくなる。こんな碌でなしの思考回路なんて分からない方がいいはずだから理解する気もないけれど。


 しかもあのあとお父様に地下に連れて行かれて罰を与えられた筈なのに翌日からも平然とした顔で働いているものだから、あの場の惨状を知る使用人は顔面蒼白になるほどに怯えていたのよね。懐かしい話だわ。


「よくもまあ、クビにならなかったものね……罰まで受けておいて……」

「…………………………まあ、旦那様にも色々と思惑がありましたので」

「まさか、本当にお父様の弱みを……?」

「ある意味では弱みと言えなくもないですが、まあ、こんな話に時間を割く必要はないでしょう。思い出話に花を咲かせるのも、もちろん別の機会ならば構いませんが、今は現状の話をするべきでは? 旦那様には深いお考えがあったのですよ、ええ、その采配のおかげで今まで比較的上手くいっている訳ですからね。まさしく的確なご判断だったかと」

「何か誤魔化そうとしているわね」

「私にも気遣いという感情はあるのですよ、お嬢様」


 何にどう気遣っているのよ、と思ったが、確かにもっと重要な話が待ち受けているので素直に流すことに決めた。普段の会話もそうだけれど、引っかかること全てにいちいち突っ込んでいるとキリがなくなる。

 言葉を飲み込んで先を促す。何処か遠くを見やっていたヒデヒサは、促されるままに話を続けた。


「お嬢様も知っての通り、私は女神と会話をするために魔導書を読み漁り、ルナ様の協力も経て高位の存在との接触を図っておりました。そしてつい一週間ほど前にそれが叶い、あまりにも高次元の存在と接触したがために意識を失う羽目になった訳です」

「ええ、お前の見通しの甘さによって生じた不祥事ね」

「返す言葉もございません。しかし、その接触によって、そうですね……まあ、『お告げ』とでもしておきましょうか。魔王以外にも世界を脅かしかねない事態について聞くことが出来たのです」

「…………………」

「そのような顔で見ないでくださいませ。自分でも過去最大に胡散臭い物言いになっている自覚はあります」

「まあ、否定はしないけれど。とりあえず続けなさい」


 ヒデヒサの顔には自嘲じみた笑みが浮かんでいた。そもそも『信じてもらえる』とすら思わずにいた話なのだから、そんな顔にでもなるのだろう。

 ただ、わたくしは信じると言ったし、事実、どんな話だろうと信じるつもりでいる。わたくしはこの男の主人なのだもの。

 信じるか否かと胡散臭いと感じるか否かはまた別の話、というだけのことだ。


「私が会った女神によると、彼女はこの世界を作った存在なのですが、……事情によって世界を司る役目を別の女神に譲らなければならないそうです。新たな女神の名前は『ラピス・ルーゲンスティア』であり、彼女への信仰を集めることができなければ、魔王を倒したとしてもこの世界を支えることそのものができなくなってしまい、いずれは世界ごと滅びてしまうと聞きました。故に私はこれからその女神への信仰を集めなければならないのです」

「ふうん……成る程ね。陛下へ話を通して新たな女神様への信仰を集めよう、というところかしら」

「ええ。そもそもこれまでの歴史では女神の真名を知るものがいませんから、まあ、例えば聖女であるお嬢様が女神よりお告げを受けた、などとして陛下を通して広く真名を流布するのが手っ取り早いかと思います」

「それは確かにそうね。なんなら魔王を討伐した後に女神様への感謝を込めて祭を開くのはどうかしら?」

「感謝祭ですか……、……良いとは思います」

「露骨に嫌そうな顔をするわね。全く、お前は一体女神様に何の恨みがあるのよ」

「私が、というよりは私の友人の恨みがあるだけですので気にしないでくださいませ」

「ゆ、友人? お前に?」

「そんな狼狽えることあります?」


 驚きのあまり声がひっくり返ってしまったわたくしに、ヒデヒサは心外だとでも言いたげな顔で軽く首を傾けてみせた。わたくしからしたらそんな顔をされること自体が心外だわ。

 お前の友人ですって? 一体どこに存在が実在するというのよ。


「もしや自分の頭の中に作り上げた架空の友人ではないでしょうね」

「実在はしますよ。まあ、居場所は何処とは申し上げませんが。というかお嬢様、先程から話の根幹とまるで関わりのない部分にばかり驚かれていらっしゃいませんか? かなり重大な、世界に関わる話をしていると思うのですが」

「世界の行く末なんて、わたくしがこの世に生まれているだけでこの先一生安泰に決まっていますもの。確約された希望が命を得た存在こそがわたくしなのですわ、何を心配することがあって?」

「相変わらず豪胆でいらっしゃいますね。傲慢と紙一重な部分はありますが、まあ、お嬢様のそういうところは決して嫌いではありませんよ」


 小さく笑ったヒデヒサは、そこでひとまず話を切り上げることにしたようだった。ある程度説明されたわたくしが納得し、満足したことに気づいたのだろう。

 今夜の陛下との会合にはわたくしも共に行くことになっている。時間を見れば諸々の支度を始めても良い頃合いになっていたので、素直に席を立って自室に戻ることにした。




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