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第十七話 【ルナ視点】




 私は幼少期から駄目な子供でした。

 いえ、『駄目な子供である』と教え込まれていて、それを疑わずに成長してしまった子供でした。


 両親は私よりも優秀な姉と弟に期待をかけていましたし、実際私は何をやらされても姉や弟よりは上手くはできませんでした。

 それが与えられる教育の差によるものだなどとは、考えたこともなかったのです。


 たった一人好きになった方と添い遂げることも出来ないのだ、と、己の人生を呪いました。

 全ては私が未熟だから、出来損ないの使えない人間だから仕方ないのだ、とこの世を呪うばかりで、自ら立ち上がろうともしませんでした。


 そんな時、私は聖女様に出会ったのです。

 公爵家の御令嬢にして光魔法の使い手として期待されている聖女候補──リーザローズ・ロレリッタ様は、まさしくこの方以外に聖女に相応しい方は居ない、と思わせるような高貴な空気を身に纏っておりました。

 それは彼女が言葉を発し、その場にいるだけで気圧されてしまうほど圧倒的なものでした。天上から遣われた存在だと言われても、私はきっと信じてしまったことでしょう。


 リーザローズ様を初めて拝見したとき、私の胸の内に浮かんだのは確かな信仰と、安堵でした。

 この方と共にあれば幸福は約束されているのだと、本能で察したのです。それは私のみならず、周囲の人間もそうであるようでした。


 恐らくリーザローズ様はその類まれなるお力により、神からの恩寵を賜っているのでしょう。そして、それらはきっと、下々の民にはあまりにも強い毒ともなるのです。

 神の御使いとも言えるリーザローズ様に忌憚なく意見を申せる従者がついているのは、つまりはそういうことに違いありません。


 『リーザローズ・ロレリッタの従者は人成らざるものの力を持つ』という噂は、リーザローズ様の入学後一年もする頃には聞いたことがない者がいない程には流れておりました。


 神から遣わされた救世主とも言えるリーザローズ様の側には、いつ何時も従者であるカコリス様が付き従っております。異性の従者としてはあまりにも距離の近い二人に、心ない令嬢は下世話な噂を流したりしましたが、お二人の耳には全くと言っていいほど届いていないようでした。


 それはそうでしょう。聖女であるリーザローズ様とその従者たるカコリス様は、我々のような人間とは住む世界が異なるのです。下々の者の噂話など気にも留めないのでしょう。そしてきっと、私のような下賤な者を助けたことすら、リーザローズ様の記憶の片隅にすら残っていないのです。


 リーザローズ様に感謝の手紙を送ったのは、私が一人で戦う決意を決めてからのことです。このままでは駄目だと、本当に駄目になってしまうのだと、私は半ば恐怖に追い立てられるように自分の強みを探し始めました。

 取り柄など何も無いのだから黙って我慢していれば良いのだと諦めていた自分の選択が、今になって恐ろしくなったのです。


 これまでの人生を後悔しました。ですが、これから先の人生は後悔したくない、と強く願ったのです。


 私に出来ることは何か、必死になって探しました。愛した人の隣に居られるような、そんな私になりたいと思ったのです。そして、いつかはリーザローズ様の隣にも立てるような、素晴らしい女性になりたいとも。


 心からの敬愛を込めた手紙には、最初返事が返ってくることはありませんでした。もとより返事を期待したものではなく、ただ思いの丈を送りたいだけの私のエゴでしたので、むしろお叱りを受けなかったことに安堵すらしました。


 そこから半年ほど経ち、リーザローズ様から手紙が届いた日は、私は夢を見ているのだ、と信じて疑いませんでした。この夢の続きが見たい、と思って寝床に入り直した程です。

 実際は現実に届いていたお手紙でしたので、跳ね起きて返事の文面を書くのに右往左往することとなったのですが。震える手で書いた手紙はその先も続くこととなり、私はリーザローズ様と文を交わす仲となりました。


 そして私のような愚か者を友人だと仰ってくださったリーザローズ様は、なんとリィラル様との文のやりとりの手助けまでしてくださったのです。

 幼い頃に私が一方的に望んだ飯事のような婚約を今も守ろうとしてくださるあの方に、今の私の想いを伝えることができる日が来るだなんて、想像もしていませんでした。


 カカライアン家とウィステンバック家の問題は、リーザローズ様には関係のないことです。ご迷惑をおかけしていないか、と心配する私に、リーザローズ様は普段となんら変わらない、神々しい笑みを浮かべて仰いました。


 『手紙を運ぶだけなのだから、大した手間も無いわ。崇め奉られるべき聖女であるわたくしがやることに文句を言う者がいるはずもないでしょうしね。

  好きになった者同士は結ばれるべきだとは思わなくて? 身分の違いなど、乙女の恋心の前では些細な問題であるべきよ。わたくしは、ルナとリィラル様の幸せを願っていますわ』


 常に自信に満ち溢れた声音で紡がれるリーザローズ様のお言葉を聞いていると、私の中にも自信が満ちてくるので不思議です。リーザローズ様に祝福されているというだけで、なんだって成し遂げられるような気がしてきます。


 実際、魔法詠唱の短縮についての研究も、驚くべき速度で進んでいます。何百年と続く歴史の中で確立された詠唱を更に短縮するとなれば、高等魔導師ですら苦労する分野だというのに、一年の研究で一秒の短縮に成功しています。

 それも、個人に特別な技術を要求することなく、マジックアイテムを持つだけで、です。


 手紙によってリィラル様からの協力を得ている、というのも理由に上がりますが、それでもこれは驚異的な速度だそうで、多方面への影響を考慮して情報は伏せたまま研究を続けることになっています。研究の後ろ盾としてリィラル様の知り合いの魔導師様の名前をお借りしているので、私が家から何か言われることは、今のところはないでしょう。


 恐らく、私が魔法研究分野で何かを成したとなれば、お母様は黙ってはいません。

 ウィステンバック家では、私はいつまでも『出来の悪い次女』でいなければならないのです。


 リィラル様は以前、そのような家族の在り方は歪だと、私に家から離れるように言ってくださいました。

 慈悲深いリィラル様のことですから、恐らく、最初に幼い私と『婚約』を結ぼうとおっしゃって下さったのも、私の置かれた境遇を憐んでのことでしょう。

 そうでなければ、才能にも家柄にも恵まれたリィラル様が私のようなものを相手にするはずがありません。……などと卑下しすぎると、また叱られてしまいそうですが。



 手紙を交わす仲となったリーザローズ様は、下位貴族の暮らしぶりや令嬢同士のやりとりについて知りたがる中でも、とりわけ強くリィラル様と私の関係について興味を持たれました。

 聖女リーザローズ様は高貴なる神の御使いであり、また、聖なる乙女に相応しい『乙女』でもあらせられたのです。


 年頃の乙女が、恋の話題に興味を惹かれるのは自然なことでしょう。私にできることがこの身に抱えた恋情をお話しすることだと言うのなら、喜んで叶える所存でした。


 そうして私が素直に綴った恋慕の情を読み取ったリーザローズ様は、手紙に書かれた私の想いがやや卑屈なものであることを見てとると、叱咤激励のお返事をくださいました。


 『ルナ、貴方は素晴らしい女性よ。大体、わたくしの友人でありながら己を貶めるだなんて、信じられないわ。このわたくしが友に選んだ人間なのよ? その時点で己を卑下する部分など消し飛んで当然のはずだわ』


 声と同じく自信に満ち溢れた流麗な筆致は、読んでいるだけで此方に自信を与えてくれるようでした。確かに、私はあのリーザローズ・ロレリッタ様の友人なのです。何を卑屈になることがありましょう。


 頂いた手紙を大事にしまいこみ、丁寧な返事を書き綴りながら、それでも私はほんの少しだけ、リーザローズ様には言えないだろう想いを胸の内に留めておくことにしました。

 恐らく、リーザローズ様は未だ恋に溺れたことがないのです。抱き始めた淡い恋心は情念を含んだものへと育ち切ってはおらず、だからこそ、まだご存知ないのでしょう。


 好きな人の前では、乙女というのは驚くほど自信がなくなるものなのだと。


 何処か微笑ましい気持ちで見守ることを決めた私の胸には、それでもリーザローズ様への感謝と敬愛が満ちておりました。




     ✳︎   ✳︎   ✳︎




 『親愛なるルナへ

  手紙でこんなことを相談してしまうわたくしを許してちょうだい。これはあくまで、わたくしの友人の話なのだけれど、年頃になっても殿方に少しも意識されていない、というのは、やはりその令嬢に問題があるのかしら?

  女性的な魅力に乏しいだとか、そういうことなのかしら?』


 私が予兆により負傷した日から二月ほどが経った頃。リザ様からやや筆が乱れた様子の手紙が届きました。

 リザ様にはどうやら私以外の友人がいたようです、という冗談はさておきましょう。


 聖なる乙女であり、魔王との戦いを控えるリザ様にとっては、民の命を背負う身で恋にうつつを抜かしていると知られるわけにはいきません。これはそのための配慮なのです。

 私は既に『知って』いる訳ですが、やはりそれでも配慮は必要なのでしょう。おそらく。たぶん。


 しかし困りました。リザ様が『女性的な魅力に乏しい』かと聞かれれば、全くそんなことはないからです。

 入学当初は「令嬢にしてはふとましい」などと陰口を叩く者もおりましたが、成長に伴って背が伸びたリザ様は、戦う聖女に相応しい、健康的で素晴らしい体型を維持しております。

 男性の好みとしてはむしろ過度に痩せているよりも好ましい、と捉える方が多いことも知っています。何より、リザ様は『社交界の蒼き宝石』とまで呼ばれたロレリッタ夫人の血を引いているのです。

 その瞳は御父上譲りの赤い輝きを放ち、顔立ちはまさに御母上の美しさと御父上の凛々しさを引き継いだ、戦女神とはかくあるべき、という相貌をしていらっしゃいます。男女問わず、リザ様に憧れる者は非常に多いのです。


 ただ、『そんなことはありません、とても魅力的な方に違いありません』と答えるだけではこの問題は解決しないでしょう。

 この場合重要なのは、リザ様の想い人であるカコリス様がどのように思うか、でしょうから。

 それに、あくまでも『リザ様の御友人』のお話とのことですから、補強の為にリザ様の容姿を褒め称えるとなると、話がおかしくなってしまいます。

 さらに言うならば、このややこしいやり取りを文面のみで行うのは非常に困難なことでしょう。


 しかし、リザ様が手紙以外の方法で内密な話をすることは非常に困難です。カコリス様はロレリッタ家当主様の御命令で、ほとんど常にリザ様のそばについていらっしゃいます。

 仮に『リザ様の御友人』の相談として誤魔化しつつ話をしたとしても、恐らくリザ様はカコリス様の前では非常に心が乱れやすいご様子ですから、知られたくないタイミングで知られてしまうことにもなりかねません。


 何か、遠方から言葉を交わせる方法はないものでしょうか。

 乙女の悩みを解決するのは、世界の命運をかけた戦いにも匹敵するほどの重要案件です。愛する者を持つ乙女は強いのです。それが聖女ともあれば、尚更でしょう。


 リザ様の力になりたい、と考えること早半月。あれこれと頭を悩ませつつ魔術開発理論を捏ね回していた私は、ある発明に行き着きました。


『…………え、ええと、これでいいのかしら? ルナ? 聞こえている?』

「ええ、聞こえております。リザ様の方は如何ですか?」

『問題なさそうよ。すごいわね、遠方にいても言葉が届けられる魔法だなんて……』

「魔法詠唱短縮用のマジックアイテムの応用です。あれは厳密に言えばマジックアイテムを通して潜在意識下の魔法回路の回転率を上げているのですが、並列することによりさらに短縮することが可能ではないか、という仮説が出ていまして、その実験の途上で意識の混線が問題に上がったのですが、今回はこれを逆に利用して意図して『意識の混線』を起こせないか、と考えてマジックアイテムを触媒にして両者間の意識を交わらせてみたのです」

『専門外のわたくしにはよく分からないけれど、ルナが研究熱心なのは伝わってきたわ』


 つい熱くなって語ってしまった私が慌てて口をつぐむと、リザ様の方からは小さな笑い声が聞こえてきました。恥ずかしい失態ですが、試み自体は上手くいったようで、ひとまず安堵の息が溢れます。


 今現在、私の手元には琥珀色の宝石が収まっています。これはそれぞれの宝石を持った対象同士が会話を交わすことが出来るようになるのです。

 共鳴しやすい素材を探した結果、詠唱短縮の魔法とは異なり、宝石類を媒介にした方が良いという結論に至りました。


 リザ様の手元にも同じような宝石が握られているはずです。いずれはもう少し持ち運びのしやすい形に加工することも考えていますが、大きさや純度を考えるに、まだまだ先の話となることでしょう。


「さて、リザ様。テストも兼ねて少しお話しをしたいのですが、よろしいでしょうか?」

『ええ、構わなくてよ。きちんと通じるかを確かめたいのよね? 伝えた情報を後で確認できるような事柄の方がいいかしら』


 新開発の魔法の性能確認という意味合いではその方がいいでしょう。思考することで遠方に言葉を伝えられる、というのは便利な魔法ではありますが、それによって意識していない思いまで伝わってしまっては問題があります。

 リザ様は私を信頼して新しい魔法の試用に協力してくださっているのです。その日は安全確認の意味もあり、短時間で確認を済ませただけで終えることとしました。


 結果、やはり発声により文言を意識することが必要だという結論に至りました。自分が発した言葉を相手に伝える、という意識を持つことで、届けられる声が不明瞭になることも避けられます。


 そうして、あくまでもカコリス様には内密にしたまま何度か試した後、私はようやく、この魔法を作った目的の件へと踏み込みました。


「リザ様、以前お答えできなかった、『御友人』の件についてなのですが……」

『友人? どなたのことかし……あ、ああ、そうね、あの方ね!』


 慌てた様子で取り繕ったリザ様は、咳払いをひとつ響かせました。こういった場面での誤魔化しの拙さが、リザ様の魅力であると思っております。


『あれは、その……別に、も、もういいといえばいいのだけれど……』

「すでに解決なされたということでしょうか? それは申し訳ありません、特にお役に立てず」

『いえ、別に解決はしていないわ。でも、その……いいのよ、今は。もっと他に……大切なことがあるのだし』

「確かにそうかもしれませんが、『好きな人に意識してもらいたい』というのも、大切なことではないでしょうか? 例えば、そう、大変な使命を抱えている方であったとしても、その使命を遂げるためにも愛する人とどう向き合うかを考えるのは重要なことであると思いますし……」


 どうやら私が変な遠回りをしている間に、リザ様の中では何か意識の変容があったようでした。悩み事、というのはその時に聞かねば形を変えてしまうことがよくあります。

 もしかしたら、私は努力の方向性を間違えてしまったのかもしれません。情けない話です。


 幾許かの後悔と共にリザ様の言葉を待っていると、脳内に響くようにして、ややか細い声が聞こえてきました。


『確かに、もし想いを通わせることが……できたなら、そう、強い信念を持って物事に向き合える、とは思うわ。でも……なんていえばいいのかしら、それは何もかもが上手くいって、想いを通わせ合うことができたらの話よね? もしも意識してもらうために努力をして、それが実らなかったりしたら、その、自暴自棄になって全てを捨ててしまったりしないかしら?

 もちろん、そんな不名誉で無様なことはしないと誓えるわ。でも、誓ったとしてもそれを破ってしまうほどのショックを受けてしまったら、どうすればいいのかしら?

 前に踏み出すことで何かを壊してしまうかもしれないのならば、ここで踏みとどまるのもいいのではなくて? だって、少なくとも、女性として好かれてはいなかったとしても、嫌われているとは思えないのだもの。もっと、なすべきことは他にあるのだし、今はそれに集中するべきなのだわ。

 その、だから、もういいのよ』


 それは私に向けて、というよりは、何処か自分自身に言い聞かせるような、独り言じみた物言いのようでした。リザ様は私が答えに迷っている間にもお一人で考えて、自身の心を向き合い、現状維持という結論に辿り着いたようです。


 なんと呼びかけようか迷い、口を開きかけた私が最初の言葉を探すことも出来ず呼びかけようとしたそのとき、


『────と、わたくしの、友人は! 言っていたわ!』


 限りなく慌てて勢いのついた言葉が付け足されました。

 そうでしたね。これはリザ様の御友人のお話なのでした。うっかりリザ様へと呼びかけてしまうところでした。


「そうだったのですね。ええと、実のところ、私はその御友人を存じ上げないので、具体的なアドバイスをするのに迷ってしまっていたのです……」

『そ、そうよね。ルナは会ったこともない令嬢のことだもの、答えられなくても当然の話だったわ。わたくしの気遣いが足りなかったのよ、気にしないでちょうだい』


 リザ様は努めて明るい調子で告げると、これでこの話はおしまい、というように話題の転換をなさいました。リザ様の中で結論が出ている以上、私に口を挟む権利はありません。


『それにしても、この発明はすごいわね。魔法史に残る発見なのではなくて? 共に歴史に名を刻めるだなんて誇らしいわね、流石はわたくしの親友ですわ』

「リザ様に褒めていただけるなんて光栄です。ですがもしも残るとしたら、リィラル様のお名前を借りるか、研究室の教授のお名前で発表するかになるでしょうから、私の名は歴史には残らないかと……」

『……なんですって?』


 パージリディア国の歴史にリザ様と共に名を残すことができるのなら、こんなに嬉しいことはありません。そうなれば良いのに、と願わないと言えば嘘になります。

 ですが、私は富も名声も必要ありません。むしろ重荷にしかならないでしょう。背負いきれない重圧に押し潰されてしまうのなら、いっそ何も持たずにいる方がいいのです。


 どんな名誉ある方に認められたとしても、リザ様に認められる以上の喜びなどありません。これは心からの本心です。それゆえに特に頓着もなく告げた私に、リザ様は眉を顰めているのがありありと伝わってくる声音で短く問いかけました。


『ルナの名前が歴史に残らない? こんなにも素晴らしい発明をしておいて? そんなのはおかしいわ。大体、ルナは功績を認められてリィラル様と結ばれるために努力をしているのでしょう? それでは意味がないじゃない』

「ええと、その、この魔法を提供することで私個人の後ろ盾になっていただけるとのことで……何より、前例がなさすぎて、今後この魔法によって不都合が起きたとき、私一人が責任を負うことになる恐れもある、と魔法学会の責任者の方が庇ってくださる意味合いもありまして……」

『その配慮は確かに必要なのでしょうけれど。それでも、少しも名前が載らないなんてことはあってはならないはずよ』


 決して手柄を全て手中に収めるためだけではないのです。この点に関してはリィラル様も口添えしてくださいましたが、確かに一介の男爵令嬢にすぎない私にはこれといった後ろ盾もありません。


 強いていうならばリザ様の存在がそうだとも言えますが、親友として心から私を信頼してくださっているリザ様を、私の事情に巻き込むことなどあっていいはずがございません。ゆえに、私は開発者としての権利を放棄しました。最良の判断とは言えませんが、それなりに良い結果になるはずだとは思っています。


『それに、そんな大事な話を私が少しも聞いていないなんて、頂けないわ』

「も、申し訳ありません。極秘事項で、これまでお伝えすることが出来ず…………それと、これ以上も……」

『全く、わたくしの周りは口外できない秘密を持つものばかりのようね』


 軽く鼻を鳴らして呟いたリザ様の口調は、何処か拗ねていらっしゃるようでした。そこに含まれているのは、私が努力の末に手に入れた結果を理不尽に奪われていないか、という心配と、親友である私に隠し事をされていたことへの寂しさのように思えます。

 何と返せばいいのかもわからず口をつぐむ私に、リザ様はややバツが悪そうに小さく吐息をこぼしました。


『別に構わないわ。わたくしだって、いつまでも聞き分けのない子供ではないのだもの。信頼した相手だからといって全てを話せるわけでもないし、ルナやあのウスノロが好きで隠し事をしているなんてこともない、とね。それでも、寂しいものは寂しいから、少し嫌な物言いをしてしまったわ。……ごめんなさいね』

「いえ! そんな、リザ様が謝るようなことではありません」


 本当はリザ様には伝えてしまいたかったのです。ただ、それでリザ様を困らせるようなことはしたくありませんでした。

 気遣いといえばそうですが、隠し事をされていると知ったリザ様がある種の疎外感を感じるのも確かでしょう。私だって、きっとリザ様に隠し事をされていたら寂しく感じるに違いありません。


 何か弁解をしたいような気持ちにもなりましたが、これ以上この話題を広げても謝罪を繰り返すばかりになってしまうでしょう。

 私は先ほどリザ様がそうして話題を転換したように、それまでとは違う会話の枝先を伸ばすように言葉の端を拾い上げました。


「そういえば、リザ様はカコリス様を一度も名前ではお呼びにならないのですね」


 少し重くなってしまった沈黙を裂くために選んだのは、以前より頭の片隅にあった疑問でした。私の知る限り、リザ様がカコリス様を名前で呼んだことは一度としてありません。


 もしかしたらお二人でいるときは名を呼んでいるのでは、という何処か甘酸っぱい想像をしたこともありますが、カコリス様の反応を見る限りはそのようなこともなさそうです。

 やはり幼少の頃から続いている好敵手じみた関係性のために照れくさく、素直になれないのでしょうか。少しばかり微笑ましい気持ちも持ちつつ訪ねた私に、リザ様は意外にもあっさりと、拍子抜けするほどに軽い調子で同意なさいました。


『ええ、そういえばそうね。別に、呼びたくない訳ではないのだけれど……呼ぼうとしても、なんだかしっくりこないのよ。何故かしらね』


 予想していた反応とは少し違います。

 目を瞬かせる私が想像との差異に驚いている間に、リザ様は自身の中から答えを探すような口振りで続けました。


『確かに、初めはあんな無礼者の名など呼んでやるものですか、と思っていたわ。でも、その、ある程度関係が良く──いえ、どうかしら……まあ、いいわ、とにかく、今になっても呼ぶ気になれないの。なんて言えばいいのかしらね、あの男は毎度律儀に訂正するけれど、態度から感じる限り、あの男自身、それを自分の名前だと認識していないのではないかしら? そんな気がするわ。

 多分、お父様があの男を貧民街から拾ってきた時につけた名前か何かなのよ。だから、本当はきっと別の名前があるのでしょうね。それをあの男から教えてくれることはないでしょうし、わたくしが教えろと迫るのも違うでしょうし────これといって不自由していないのだから、別にこのままでも構わないのよ』

「……リザ様は、呼ぶならば本当の御名前で呼びかけたい、と思っていらっしゃるのですね」


 愛する人の名前ですものね、という思いが笑みとなって溢れたのが伝わったのか、リザ様から一分ほど返答が来ませんでした。


『────わたくしをミートローフ呼ばわりする無礼者など、ウスノロで充分ということよ!』

「確かに、それは聖なる乙女に対してあまりにも無礼ですね。信頼する主なのですから名前で呼んでは如何でしょうか、と私から提案してみるのはどうでしょう」


 口を突いて出た提案が、愛するリザ様のお名前への侮辱を許せぬ心からの敬愛と、ほんとちょっとの悪戯心から来ていることには、どうやら気づかれてしまったようでした。

 

『……ルナ、あなた最近、少し意地が悪くなったのではなくて?』


 一体誰の影響かしらね、とぼやくリザ様は、そのあとしばらく照れ隠しに邁進していらっしゃいました。全然隠せてはいないあたりが、リザ様の可愛らしいところである、と思っています。


 そして、そんな愛らしいリザ様のため、ある時、私はカコリス様に手紙を送ることを決めたのです。

 少しでも、大切な人が愛しく思う方の手助けになれば、と。




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