第十一話
昨日旦那様に向けて出した手紙の返事は、まさに驚くべき早さで俺の手元に届いた。
元より、校内で起こった事態の連絡は受けていたのだろう。やや乱れた筆跡で記された手紙には、『明日の夜、王城にて』という文言と、入城許可証が同封されていた。
やはりそうなるか、という思いで手紙を見下ろしそっと溜息を吐く。と同時に後ろで、ノックに次いで間髪入れず、勢い良く扉を開かれる音が響いた。
振り返れば、身支度を調えたお嬢様が雑に括った髪を靡かせながら立っている。大体予想通りだったので、俺は特に驚きもなく出迎えた。
「いつまで寝てるのよ、ウスノロ! 今日はルナの様子を確認しに行くと言ったはずでしょう!」
「おはようございます、お嬢様。現在時刻は午前五時半ですが、時間を二時間ほどお間違えではありませんか?」
「メルザ先生は朝になったら療養室に来ても良いと言っていたのだから、今から行っても構わないはずだわ」
「まあ、そうかもしれませんが。せめてその斬新なヘアスタイルをどうにかしてから参りましょうか」
朝──というより日の出だったが、友人を心配する気持ちからの行動なのは分かっていたので、一先ず控えめに時間稼ぎをするに留めることにした。
手紙を一旦しまい込み、今にも走り出しそうなお嬢様を宥めつつ、俺の部屋を出てお嬢様の部屋に向かう。本当に鏡を見たのか怪しくなるような出来の頭を披露していたお嬢様は、自分でも自覚があったのか、渋々といった様子でいつものように自室の三面鏡の前に腰掛けた。
お嬢様に用意された部屋は、一般生徒の使用する寮部屋とは少し異なる位置にある。
六階建ての女子寮に付属する備品庫を兼ねた塔の最上階に、使用人である俺の部屋とセットにして用意されている。女子寮との連絡通路として作られた橋を通って左がお嬢様の部屋、右が俺の部屋だ。
出来る限り一般生徒と距離を離そう、という思惑と、女子寮に俺の部屋を置くにはこうするしかない、という配慮から作られた部屋のようだが、カコリス曰く、前回もこの仕様だったらしい。あまり思い出したくはない様子だったので、詳しくは聞かなかったが。
前回と違うのは、この世界ではお嬢様の身の回りの世話をするのは俺しか居ない、ということだ。この世界でも十二歳の終わりまでは侍女がついていたのだが、どうしても罵倒のノルマと光魔法の成長との兼ね合いが取れなくなり、やむを得ず俺だけで世話をすることになった。
パーティで着るようなドレスならば問題があるが、学園の制服は貴族令嬢でも一人で着替えが出来る程度には着替えやすい作りをしているし、なんならお嬢様はしょっちゅう演習着と制服を着替えまくるので、貴族令嬢にして驚くほど自分で着替えることに慣れている。
俺がするべきは着替えを終えたお嬢様の身なりを整えることと、室内の清掃と、あとはお嬢様に罵倒を浴びせることくらいなので、慣れれば案外、楽なものだ。
ところで、長年側に居るせいで感覚が麻痺しかけていたが、『お嬢様に四六時中ひっつき、私室すら隣同士で世話をしてくる執事』というのは、割と距離感がおかしいのではないだろうか。侍女ならばともかく。
あと、それに対し文句を言わないお嬢様も、少しおかしいような気がする。いや、文句は当然言われるのだが、それは俺の仕事の質についてであって、『俺が四六時中側にいること』に対しては、もはやそんなもんだと思っているようだった。いやはや、慣れとは恐ろしい。
早いところ魔王を倒して、魂の共有だかなんだかを済ませてお嬢様に自由な時間を作れるようにしたいものだ。今のままでは、お嬢様は友人との茶会にすら俺がくっついてくるのだから。
二人とも、俺に聞かれたくない話は手紙でやりとりしているようだ。お嬢様は手紙を書く時、絶対に俺を部屋には入れないので、よほど見られたくないことがあるらしい。年頃の女子としては当然だろうし、その辺りの配慮もできるようになればいいのだが、こればかりは此方の都合ではどうしようもなかった。
研究所の予測では、顕現はやはり二年後、という判断のようだ。
現状、予兆の顕現は一月に一度あるかないか、というところだが、近づけば近づくほど増加する傾向にあるらしい。聖女パーティも今までよりは多く現地に赴き、実地経験を積むことになる筈だ。
そうなるとやはり、此処でお嬢様には事情を話しておくべきだろう。長年の付き合いで俺の罵倒や嫌味には慣れっこになっているお嬢様だが、一番側で見ているのが俺である以上、自身の成長を軽んじられるのはそれなりにショックを受けるようだったし。
王城に呼び出された以上、陛下も話し合いには参加するに違いない。立場のある人間二人をどうにか説得できるだけの力が俺にあるだろうか。
今ひとつ怪しいが、それでも、努力を続けるお嬢様の頑張りに報いるだけの結果は出したい、とは思う。
「今日の髪飾りはどれになさいますか」
「別に、どれでもいいわ」
威勢良く俺の部屋を訪ねてきた時とは打って変わって、鏡に映るお嬢様はひどく浮かない顔をしている。やはり先程のは空元気だったらしい。療養室で眠り続けているルナ嬢を思ってのことなのは、容易に想像がついた。
負傷した三名は、結局昨日のうちには目を覚まさなかった。
光魔法は闇の存在による負傷は治すことが出来るが、それによって消耗した体力を回復させる訳ではない。勿論、高揚感や依存性の効果により『回復した』かのような気分にすることは可能だが、あまり健全な解決法とは言い難いし、何よりその効果は俺の罵倒が打ち消している。
よって、負傷した三名はそれぞれが怪我の度合いに応じてしばらくの間眠り続けることになる、というのが、保健医であるメルザ先生からの説明だった。
その後、ルナが目覚めるまで側に居る、と療養室に居座ろうとしたお嬢様を先生と二人で説得して自室へと戻ったのが午後八時。そこから就寝準備を終え、床に入ったのが十時だっただが、お嬢様の顔を見るに、あまりよく眠れたとは言えない様子だった。
「大丈夫ですよ、お嬢様はきちんとすべきことをこなしたのです。きっと今日には目を覚ますでしょう」
「………………そうね」
ここで、『お前に慰められると気持ちが悪いわ』と返ってこないあたり、万全には程遠いようである。
もう少し真っ当な慰め方はないだろうか、と思案を巡らせてみるが、日頃嫌味と罵倒ばかり吐き出している口からは、上手いこと相応しい言葉が出てこなかった。
よって無言で髪を梳き、丁寧に整えることで敬意を示すくらいしか出来なくなった俺に、お嬢様がぽつりと呟きをこぼす。
「……ルナは、わたくしに失望したかしら」
「ルナ様が? まさか」
「だって、起きたらきっと事態の説明を聞くわ。わたくしが、自分が好ましいと思う相手だけを優先する、聖女に相応しくない人間だと知ったら、あの子はがっかりするかもしれない」
「結果全員助かったのですから、何をがっかりすることがありますか。お嬢様は自分の役目を果たしたのです、堂々と胸を張っていればよろしいのでは」
「でも、それはお前が居たからそう判断しただけじゃない。わたくしが聖女として未熟であることに変わりはないわ」
「ではこれからも私が側に居りましょう。そもそも私はお嬢様の執事ですので、お側を離れることは滅多にありませんし、当然主の不手際は私が補うべきです。おや、何ひとつ問題はなくなりましたね」
中央の髪を後ろに一つでまとめ、両脇に垂れた髪を編み込みつつ団子を作る。学園内では流行りの髪型というやつで、お嬢様は大体いつもこのように髪をまとめている。演習時にも邪魔にならないのが良いそうだ。
最初は手間取り、時間がかかっていたヘアセットも、今ではすっかり手慣れてしまった。大して時間稼ぎにもならなかったな、と未だ薄暗い窓の外を見やってから視線を戻せば、鏡の中とお嬢様と目が合った。
「…………」
「……どうしましたお嬢様、やり直しましょうか?」
鏡越しに何処か呆けた様子で俺を見つめるお嬢様が、少しの間をおいて二、三度目を瞬かせる。
髪型に不満でもあっただろうか。反応が今ひとつ鈍い。訝しみつつ、鏡越しではなく座るお嬢様の顔を覗き込めば、それまで真っ直ぐに前を見つめていた赤く輝く瞳が、勢い良く右方向に逸らされた。
「そう、そうよね! お前を追い出すのは、もうしばらく先にする、必要が、あるかもしれないっ、わね」
「ああ、そういえば、そんな話もありましたね」
そうだった。お嬢様は俺を公爵家から追い出す為に日夜努力しているのであった。
どうやら今回の件で一時休戦とするつもりになったらしいが、そもそも最近は俺を這い蹲らせ平伏させることに注力していて、あまり叩き出そうという意思を感じていなかった気もする。
人間、やはりどんなに嫌な相手でも付き合いが長くなればなあなあになる部分があるのだろう。
しかし、『しばらく先に』どころか、俺とお嬢様は一生を共にする必要があるかもしれないのだが。その点に関しては一体どのように説明したものか。
現状維持も無論困るが、状況を変えようとするのもそれなりに困ったことになる。悩ましいものだ。
出来る限り良い方向に向かえばいいのだが、なんて何処か他人事のように思ったり、そうやって他人事精神でいるからこんなことになってんだぞ、と思い直したりしつつ、俺は髪飾りを選ぶのに迷ったふりをして今しばらくの時間稼ぎに努めた。
* * *
結局、朝に様子を見に行ったときにはルナ嬢が目を覚ます気配は無かった。今日は授業を欠席すると言い張るお嬢様を引っ張って一先ず食堂へ向かい、朝食を取ってから再度戻るも、やはり眠ったままだった。
その後は昼食の後に一度、いつもは午後の茶会をしている時間に一度覗いたが、メルザ先生からの返答は『まだ目を覚まさない』から変わることはなかった。
そうして、しまいにはとうとう『ウィステンバックさんが目を覚ましたらご連絡します』と、先生の方から言われることになってしまった。
先生にも保健医としての仕事があるのだし、あまり邪魔するわけにもいかない。お嬢様は素直に引き下がり、一旦自習室の端に腰掛け、今日の復習とレポート課題に臨むことにした。当然、一向に進んではいない様子だったが。
学園指定の用紙にペン先を置いてから一分近く黙り込んでいたお嬢様は、頬杖をついていた顔を俯かせると、細い溜息を落とした。
「……騎士団の方はすぐに目を覚ましていたように思うのだけれど」
「彼らとは鍛え方が違いますからね、仕方の無いことでしょう」
「本当に大丈夫なのかしら……」
小さく、恐らくは返事も求めていないだろう呟きを零したお嬢様は、ふと、何かに気づいたように目を上げると、僅かに眉根を寄せる。
「ねえ、セバスチャン」
「私の名前はカコリスで……いえ、なんでしょうか、お嬢様」
「もしかして、これまで私が治してきた方々にも、こうして安否を思って不安を抱いている人が居たり、したのかしら」
「…………それは、そうでしょうね」
当然、という言葉は、一旦飲み込んでおいた。お嬢様にとっては、自分と、自分の大切に思う人間以外は全てが脇役、NPCのようなものだった。市井の民との交流により少しは変わっていた意識ではあるが、根本の所で実感したことはなかったようだ。今ここで、我が身をもってそれを感じ取ったらしい。
「だからみんな、不安を解消したくて聖女を求めるのかしら」
「まあ、そうかもしれませんね」
実際、聖女の側に居れば不安も何も感じなくなる──という害にも似た効能はさておき、民衆の心理としてはそう思うことで日々の不安を和らげている面も確かにあるだろう。
「セバスチャン、わたくしは、求められるに相応しい聖女で居られると思う?」
「……勿論です。お嬢様は日々研鑽を積んでおられます、必ずや魔王を打ち倒し、民に讃えられる素晴らしい聖女になれることでしょう」
「…………今の間は何よ」
「いえ、認定されるより先に声高に聖女を自称していたお嬢様が真っ当にお育ちになられたことへの動揺が少々」
無言で足を蹴られてしまった。反論出来ないと暴力に訴える聖女はやや問題があるのではありませんか、お嬢様。まあ、無為に従者を虐げる暴君よりはマシですが。
「お嬢様は確かに自信過剰ですが、聖女という大役を担うのならばそのくらい胆力があった方がよろしいのではありませんか」
「うるさいわね、わたくしが自信過剰なのはそれに見合うべき実力があるからよ。この世の誰にも文句は言わせないわ」
「そうそう、その調子で御座います。この世で一人、私だけは文句を並べ立てますので、どうぞご安心なさってお好きなだけ自尊心を肥大させていってくださいませ」
「……お前って本当に嫌な執事だわ!」
膨れっ面でペンを走らせるお嬢様は、それでも先程よりは調子を取り戻した様子だった。
そこからしばらくして。ルナ嬢が目を覚ました、と連絡が来たのは、お嬢様がレポート課題の最終ページにかかるのと同時だった。伝令猫が廊下をかけ、自習室の扉の下側に開いた専用入り口から身を滑らせて入ってくる。
物音に気づいて振り返ったお嬢様は、足下に控える猫から手紙を受け取ると、すぐさま課題を放り出して自習室を飛び出した。廊下を走るな、と何度言わせれば気が済むのだろうか。
「お嬢様! お待ちください! その速度と勢いで見舞いに突っ込む気ですか!」
病み上がりに付き合わせていいテンションでは無い。放り出された課題と教科書を手早く纏め、小脇に抱えて素早くお嬢様を追う。廊下ですれ違う皆々は、もはや心得たと言わんばかりの態度でさっと廊下の端に寄っていた。全く、揃いも揃ってお嬢様の奇行に慣れすぎである。
というより、友人が傷ついたとあって落ち込んでいた聖女様が元気に走っていることに対し、妙な微笑ましさを覚えている生徒すらいる気がする。動物園のパンダが元気を取り戻した時と同じような顔だが。『求められる聖女に相応しい人間』かどうか、ちょっと怪しくなってきたな。
貴重な珍獣の方がお似合いかもしれませんよ、あたりを罵倒ノルマに使おうか、なんて考えながら走ること三分。尋常ではない速度で療養室まで戻ったお嬢様は、俺が止める間もなく、両開きの扉に勢い良く突っ込んだ。
「ルナ!」
「リザ様」
お嬢様の後を追って中に入ると、すぐにベッドの上で身体を起こしたルナ嬢が見えた。負傷した三人の中で最も軽傷であった彼女は、一番に目を覚ましたらしい。ヴァルガ先生とロイン先生は未だに眠ったままのようだったが、この分ならじきに目を覚ますだろう。
メルザ先生の制止も聞かず、そのまま淑女らしからぬ速度でルナ嬢に飛びつきそうになるお嬢様を、距離を詰め、腰の辺りに腕を回すことで引き留める。襟首を掴んでもよかったのだが、流石に自身の主をそこらの野良猫のように扱うのはどうだろう、という一瞬の葛藤から身体ごと抱えて止める方を選択した。
「ちょっ、ちょっと! この無礼者!」
「ええ無礼者ですとも、そしてお嬢様は無作法者でございます。病み上がりの女性に勢い良く飛びつこうとなさるなど。お嬢様の腕力にかかってしまっては、ルナ嬢のたおやかな首がへし折れてしまいますよ」
「失礼ね! ちゃんと加減するわよ!」
飛びつくのをやめる気はないのか。全くとんでもない御転婆聖女様である。
ルナ嬢が意識を取り戻したのを目の当たりにした安堵からか、普段のように光魔法の拡散が始まっている。適当に嫌味を混ぜつつ処理した俺がお嬢様をベッドの脇の椅子に安置するのを見たルナ嬢は、未だ少しばかり疲労の残る顔に、それでも笑顔を浮かべた。
口元に手を当て、小さく笑うルナ嬢の様子を見て、お嬢様は安心したかのように軽く鼻を鳴らす。腕を組み、ついでに足も尊大に組み替えたお嬢様は、ようやく自分の淑女らしからぬ所作に思い至ったのか、やや誤魔化しを込めて澄ました顔で問いかけた。
「それで? どうなの、体調は」
「はい。リザ様のおかげで全く問題ありません」
「あらそう、良かったわね。聖女であるわたくしが直々に治療したのだもの、当然だけれどね」
「はい、ありがとうございます。いくら言葉を尽くしても足りないほどです」
先程まであんなにも思い悩んでいたのに、何故当人を目の前にすると態度がでかくなるのだろうか。謎である。が、リーザローズ・ロレリッタとはそういう人間である、という納得も確かにあったので、俺は適当に、『聖女というより貴重な珍獣の方が向いておりますがね』を使っておいた。
「申し訳ありません、リザ様。今回は私の不手際で、リザ様のお手を煩わせてしまって……」
「別に、気にすることじゃないわ。わたくしはこの世で最も尊い聖女であるのだもの、負傷した民を救うのは当然の……当然のことだわ」
「ですが……私が手間取らなければ、ヴァルガ先生ももっと軽傷で済んだ筈なのです」
「…………それは、……そんなのは、ルナのせいではないでしょう。気にする必要なんてないのよ」
負傷の経緯は、他の生徒からも聞いている。
予兆の顕現により、生徒内には混乱が生じた。引率していた二人の教師は真っ先に生徒を庇いつつ避難を呼び掛けた訳だが、その際、ひとり足が竦んで動けなくなってしまった女子生徒がいた。
この女子生徒を誘導しようとしたのがルナ嬢であり、そして、ヴァルガ先生は襲われかけたルナ嬢を庇って無防備な状態で攻撃を受けてしまった──というのが今回の経緯だ。
負傷した際の恐怖やヴァルガ先生の怪我の状況を思い出しでもしたのか、青ざめた顔で俯くルナ嬢の手を、椅子を引き、身を寄せたお嬢様がそっと握り締める。
「ルナは立派なことをしたのだから、何も恥じることは無いのよ。自分を虐げていた愚か者を助けるだなんて……そうそう出来ることではないわ」
そう。その足が竦んで動けなくなってしまった女子生徒、というのは、ウォンバート家の御令嬢の一派に所属していた人間なのである。
ルナ嬢は自分を手酷く虐めていた人間を助けるために、我が身を顧みずに手を差し伸べたのだ。
恐らく、俺やお嬢様には出来ない芸当であろう。俺はやるとするなら安全を確保した上で恩を売るために実行するし、お嬢様は自分を虐げた人間を絶対に助けたりはしない。いや、今はどうかしらないが。少なくとも、『お助けくださいリーザローズ様』とは言わせるに違いない。何故だろう、イメージ図が俺で再生されてしまっている。
まあ、そんな話は置いておいて。ともかく、ルナ嬢は人として立派なことをしたのだ。褒められこそすれ、叱られるなんてことはない。
「それに……恥じるべきはわたくしだわ」
「リザ様が? そんな! リザ様に恥じるべきところなど、ただの一つもございません!」
「だって……貴方は聖女の友人として讃えられるべき行動をしたのに……わたくしは、私情を優先させてしまったのだもの」
言葉を紡ぐ内に徐々に勢いを失ったお嬢様の様子を見て、心配そうに眉根を寄せていたルナ嬢が、あまり飲み込めていない様子で目を瞬かせる。
もしや、と思って後方に控えるメルザ先生を見やれば、彼女は身振りで『詳しいことは話していません』と示してきた。
恐らく、彼女の中では全員が無事に治った時点で、治療時のお嬢様の言動は胸に留めておくことに決めたのだろう。そっと耳打ちでそれを伝えてみたが、お嬢様は緩く首を振り、言葉を続けた。
「わたくしは……負傷した貴方たちを見た時に、最も傷の深かったヴァルガ先生よりも、ルナを優先したわ。貴方の苦しみが一刻も早く取り除かれるならば、ヴァルガ先生がどうなっても構わないと、そんな、自己中心的な考えで治療に当たりかけたのよ。とても、貴方に尊敬してもらえるような、立派な聖女ではないわ」
「……でも、実際には先生達も私も無事に治療が済んでいます。リザ様が素晴らしい聖女であることに変わりはないです」
「それは、このウス……執事が、わたくしを諭したからであって、その……わたくしの判断ではないのよ」
「……カコリス様が助言してくださったのですね。ならば、それでいいではありませんか。
ただ一人の判断で全てが上手く行くのならば、臣下など必要なくなります。あの聡明な国王陛下も、お一人で全てを判断されている訳では無いのです。
道を共にしてくれる方が過ちを正してくれるのならば、それに頼ってもよいとは思いませんか。一人で何もかも完璧にこなせる方など、それこそ女神様でもなければ存在しないのではないでしょうか」
大変素晴らしい言葉だとは思うが、実際の所はその女神様も大概失敗してるけどな──などと何処か冷めた思いを抱いてしまった。
久方ぶりに、もはや半分忘れかけている女神の顔が脳裏に浮かんだ。同時に、あの女神にも補佐とかいないのかね、という思いも過る。一人で判断し続けたせいでこんなことになってんじゃないのか? どうなんだ。
「……そう、かしら」
「ええ、そうです。それに、リザ様は今回のことをきちんと受け止めて、自身を正そうとなさっているではありませんか。そのお心こそが尊敬に値すると、私は思います」
声音こそはいつも通り柔らかいものだったが、ルナ嬢の言葉には決意を抱く者の芯が通っていた。真っ直ぐな彼女の言葉を聞いたお嬢様が軽く俯き、ごく自然な仕草で目元を拭ってから、普段の勢いを取り戻したかのように胸を張る。
「そう! そうね、わたくしほどの素晴らしい聖女であれば日々成長を重ねるのは必至ですもの! 仮に未熟だったとしてもそれは今の話! 近いうちにより強く、美しく、聡明な聖女となって、この愚か者のウスノロに口を挟む隙も与えないほどの完璧な存在となってみせますわ!」
「おお、なんと素晴らしい。御友人の気遣いを糧に存分に増長なさってくださいませ。まあ、現時点でシャンデュエで私に勝つことも出来ていない訳ですが、その程度は些細なことでございましょう」
「やかましいわね! 今に勝つわよ!」
「おやおや、お気づきになられていないようですが、極めてやかましいのはお嬢様の方ですよ。病室ではお静かに願います」
さっきからメルザ先生がそれとなく『お静かに』オーラを出している気がするので口にした俺に、お嬢様は何事か言い返そうと口を開きかけてから、なんとも悔しげに閉じた。
此処で素直に周囲を慮って声を潜める辺り、やはり随分と真っ当に成長してはいるのだ。
何処か微笑ましい気持ちで見下ろした俺に、お嬢様はなんとも不気味なものを見るように顔を歪めてから、助けを求めるが如くルナ嬢へと抱きついた。結局抱きつくのか。
へし折られやしないだろうか。冗談と心配を半分で見守る俺に、抱きつかれていたルナ嬢がそっと視線を送る。
数秒見つめられ、何か言いたいことでもあるのかと軽く首を傾げた俺に、ルナ嬢は小さく微笑みながら呟いた。
「私、分かっております。カコリス様は、きっとリザ様の力になってくださる方だと」
「まあ、一応は専属執事ですからね」
無難に答えたつもりだったのだが、ルナ嬢は更に微笑みを深くするばかりで特にそれ以上言及することはなかった。
何故だろう。何らかの誤解を解いておいた方が良いような気がしてくる。が、そもそも何も言葉にされていない為、一体何に対し弁明をすればよいのかも分からなかった。
ひとまず、これ以上の肯定も否定もせず、適当に受け流しておこう。そう判断し、表面上は同じように穏やかな笑みを返しておいた。




