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第十話 前


 三学年も終わりを迎え、学期末試験の成績発表の時期となった。

 試験が終われば休みとなる学期末に浮かれるのは、何処の世界でも変わらないようである。各学年ごとに上位十五名まで掲示される成績優秀者の張り紙を前に、お嬢様は渾身のドヤ顔で俺を振り返った。


「ごらんなさい、セバスチャンッ! わたくしの勇姿を!」

「なんと、素晴らしい。流石ですお嬢様、いつまで経っても執事の名前を覚えられないとは、全く学年五位とは思えないほどの記憶力でございますね。このカコリス、心の底から感服致しました」

「そう! 五位よ! わたくしが! 五位ですのよ!!」


 おーっほっほ、と高笑いまで響かせそうな勢いではしゃいでるお嬢様は、俺の嫌味など右から左に聞き流している様子だった。まあ、聞き流されていても効果はあるので問題は無い。


 どうやら、初めて成績優秀者として貼り出されたのが余程嬉しいらしい。お嬢様も努力に努力を重ねて勉強に励んでいるものの、上位クラスというだけあり、勉学に関しては化け物レベルの生徒がごろごろ居る。入学当初から今まで、上位十五名の掲示にお嬢様の名が並んだことは一度もなく、今回が初の快挙である。

 最上位クラスのまま進級出来るだけでも大健闘といったところで、旦那様もお嬢様の努力は充分に認めていた。そこで更に成績優秀者として貼り出された、ともなれば、なるほど確かにこの喜びようも分からなくもない。


 まるで童女のように目を輝かせながら自身の努力の成果を見上げていたお嬢様は、しばらくしてからようやく周りの生徒の視線に気づいたのか小さく咳払いし、普段通りの高飛車な態度で鼻を鳴らした。


「お前にも試験を受ける権利があれば、公的に叩きのめして地に這い蹲らせてやれたというのに、全く残念ね!」

「僭越ながら申し上げますが、仮に権利があったとしても生徒として入っていれば今年卒業の年齢ですから、結局お嬢様と対等に争うことはありませんね」

「…………」


 他に返しようもないのでただ単に事実を述べて返した俺に、お嬢様は何事か言いかけるように口を開き、軽く眉を寄せると、きゅ、と唇を引き結んだ。

 そのままふいと顔を背けて去って行っていくお嬢様を、いつも通り斜め後方に控えるように追う。相も変わらず、淑女としてはどうなのか、という勢いで足音を響かせるお嬢様は、中庭が見える廊下に出た辺りで、どこか決意を固めたように口にした。


「やはり、お前はわたくしが直々に倒さなければならないようね……!」


 どういう理屈でその結論に至ったのかはよく分からんが、とりあえず少年漫画の主人公みたいなことを言っているな、と完全に他人事のように思った。

 もしくは最初は敵にいるタイプのライバルみたいな。お嬢様はいつでも自分を主人公だと信じているから、多分主人公の方だと思うが。


 何やら燃えているらしいお嬢様の背を追いながら、明日の予定を脳内でなぞる。試験が終わり、危なげなく進級を決めた生徒たちには、約二週間程度の休暇期間が与えられる。夏場と違い帰省が許されないが、学園を囲む都市内では自由に過ごすことが出来るのだ。


 王城を中心とした王都に比べれば華やかさには欠けるが、学園周辺にも素晴らしい店は沢山ある。それこそ旦那様が俺との定期会議に使うような店から、庶民の味方とも呼べる親しみやすい定食屋のような店まで様々だ。

 魔法学園を中心とした都市は、もはやそれそのものが産業として成り立っている。


 俺とお嬢様は、試験後の『ご褒美』として、学園近くで食べ歩きをすることになっていた。ちなみに、発案者は俺ではなく、お嬢様である。


 聖女認定式典の際に渋々『庶民の味』に触れたお嬢様は、薦めた俺すら驚く程に食べ歩きにハマってしまった。生来美味いものには目がないお嬢様なので、まあ分からなくもない。そして俺もまた美味いものには目がないので、そんな素敵な提案を断る筈がないのだ。

 念の為旦那様にも許可を取り、あくまでもお忍びかつ短時間で済ませるように、との指示通りにめぼしい店を回ったら戦利品を片手にさっさと帰って、自室で土産を広げる方式を採っている。食べ歩き、というよりは食べ比べみたいなものだ。何方にせよ楽しいことに変わりはないので問題は無い。


 買い食いを通して様々な店の者と知り合ったお嬢様は、庶民にも人格があることを認めつつあるようだった。

 (お嬢様曰く)下々の者にも様々な主張や考えがあり、日々を良くする為に生きているのだ、と肌で感じているらしい。相手を一個の人間として認めた上でも尚、自身がこの地上で最も優れた誉れ高き存在だとは疑いもしていないが、少なくとも他者を道端の石ころや自身の手足の如く動く下僕だとは感じていないようだ。

 行きつけの店の主人やおかみさんからは結構気に入られているようで、最近ではおまけまで付けられている。貴族令嬢や聖女へおもねるというよりは、単純に面白いから気に入られているようだった。


 こういうところを見ると、たまに『事情を説明しても大丈夫なのでは?』という気にもなってくる。

 お嬢様は俺や旦那様が当初抱いていた懸念を打ち消すかのように、徐々にだが真っ当な聖女として成長を遂げているのだ。このまま行けば、本当に『素晴らしい聖女』とやらになるかもしれない。


 ただ、俺の安易な判断によってお嬢様が自身の力に気づき、それを悪用し始める、といったような事態は避けなければならない。どんなに真っ当に見える人間でも権力を手にした途端に……ということは往々にして起こりうることだし、お嬢様相手ならば慎重すぎるくらいで丁度良いだろう。


 故にこの一年、俺はこれまでと変わりなくお嬢様を適度に罵倒してきた。何一つ頑張っていない人間が頑張っている人間を罵倒する、というのはやはり据わりが悪い部分はあるが、やむを得まい。


 ああだこうだと悩んだ時期はあったものの、結局のところお嬢様が気にした素振りを見せない為、表立っての態度は現状維持を貫くと決めた。

 代わりに、と言ってはなんだが、お嬢様を喜ばせるものについて考える時間が増えた気がする。

 現状どうしたって罵倒せざるを得ない訳で、俺の都合では変えようがないのなら、それはそれで仕事として割り切って、慎ましやかではあるがお嬢様の為になることをしよう、と考えることにしたのだ。


 まあ、実際の所は俺が喜ばせようとした時の方が毛虫に遭遇したみたいな顔をされることが多いのだが。

 その点に関しては言い訳不能なので特に異論はない。俺だってお嬢様が突如淑女らしく振る舞い高飛車な態度を突然改め始めたらぎょっとするに違いないので、お互い様だ。


 顔馴染みの店で幾つか新商品を買い、定番人気のホットサンドを片手にご満悦で歩くお嬢様の後を追う。目深に被った帽子の奥で目を輝かせるお嬢様の姿は、ごく普通の、食べるのが好きなだけの女の子にしか見えなかった。


「それから、そう、アレね。お前の下手くそなべっこう飴も食べて差し上げても宜しくてよ? せいぜいわたくしの栄誉を讃えながら見劣りする代物を献上することね」


 こうしていると可愛げがあるように見えるな、という一種の感慨にも似た想いを秒で打ち砕いてくるので、お嬢様はやはりお嬢様であった。しかしこの一年本当に頑張っていたことは確かなので、俺も出来る限りの品を贈るつもりではある。


 俺もただ日々を過ごしていた訳では無い。最近はべっこう飴で犬やら猫やら作れるようになったのだ。旦那様からは飴職人にでもなるつもりか、と呆れられてしまったが、まあ楽しかったので趣味の一つとして続けるのもいいんじゃないかと思っている。


 妙にご機嫌なお嬢様に雑な嫌味を返しつつ、俺は学園に戻ったあと、この一年の成果を初披露した。小馬鹿にするつもりだったらしいお嬢様は面食らったように俺の作った猫を見て、しばらくの間、食べるか否か迷っていた。珍妙な見目に対して警戒しているのかと思ったが、どうやら『かわいいので食べづらい』という悩みだったらしく、絵を描くのが得意な侍女にスケッチを取らせていた。

 妙にテンションの高いお嬢様の光魔法の余波にあてられた侍女のため、やむを得ず雑に罵倒する羽目にこそなったが、そこまで喜んで貰えるというのは、割合嬉しいものだった。




   *  *  *




 そんなこんなで、基本的にやることはいつもと変わらないまま、四学年目が始まった。

 たびたび調子に乗って光魔法を拡散し始めるお嬢様を適当に罵倒しつつ授業にお供し、シャンデリアエクストリーム・ゴージャスデュエル(何故か浸透して『シャンデュエ』と呼ばれている。なんだそれ)に付き合い、演習の疲れをねぎらいつつ罵倒し、お嬢様の就寝を見送って自分も眠りにつく。その繰り返しだ。


 今日も、そんな変わらない一日の筈だった。


「リーザローズ様! 聖女リーザローズ様はいらっしゃいますか!」


 もはや退屈と同義とも言える平穏な午後の授業中、お嬢様を含め欠伸を噛み殺すのに苦労している生徒達の耳に、悲鳴にも似た呼びかけが届いた。

 教科書に鼻先を埋めるようにして眠たげな表情を誤魔化していたお嬢様が、張り詰めた声に勢い良く顔を上げる。

 授業中であるにも関わらずノックも無しに飛び込んできたのは、学園専属の医療魔導師──要するに保健医の女性だった。


「わたくしに何か?」


 お嬢様は、学園内では基本的に他の生徒と同じくファミリーネームで呼ばれている。教師陣は聖女といえど過度に特別扱いはしないように努めており、保健医もまたそうである筈だが、青ざめた顔で教室に飛び込んできた彼女は、今にも跪かんばかりの勢いでお嬢様へと駆けよった。

 汗を拭った保健医が、乱れた呼吸混じりに、震える声で言葉を紡ぐ。


「裏山のヴィジャの泉で実習中の五学年が、小規模ながら顕現した魔王により負傷しました。駆けつけた騎士団員により対処は出来ましたが、避難時に教師二人、生徒一人の三名が被害に遭いました。聖女様には至急、治療に当たって頂きたいのです」


 聞くや否や、教室内の殆どの人間が顔色を変えた。


 これまで、聖女であるお嬢様の生活圏内で予兆の顕現が起こったことはなかった。

 光魔法の使い手に顕現を食い止める力がある、ということではなく、統計的に精霊の宿る土地(学園は一級精霊地である)には出現しづらい、というだけのようだったが、それでも皆、頭の何処かで『聖女がいる学園内ならば安全である』という意識があるように見えた。今回、その安心が破られたのである。狼狽は当然だと言えた。


 保健医の話を聞いたお嬢様は、僅かに怯えの滲んだ顔を引き締めると、閉じた教科書を脇に寄せて立ち上がった。教室後方で授業参観よろしく控えていた俺も、それとなくお嬢様の隣へとつく。


「すぐに向かうわ、負傷者は何処に?」

「それが……動かすこともままならない為、ヴィジャの泉の側で待機して貰っています」


 授業中断への詫びを短く告げた保健医は、焦りをそのまま表したような足取りで廊下を急ぐ。平地ならば真っ先に馬小屋に向かうのだが、裏山は人の足でなければ入りづらい。お嬢様と俺は黙って彼女の後に続き、校舎の裏門を出た。

 併設された学生寮の影を進み、中庭を通って山へと向かう。負傷した者以外は無事に避難出来ているようで、安全な場所で寄り添い合うように固まる生徒のグループがちらほらと見えた。


 あの人数が集まった箇所に予兆が顕現して、負傷が三人で済んだのは奇跡と言ってもいい。

 魔法学園の教員は当然、自身の属性に適した魔法を習得しているが、基本的には戦闘のためではなく知識と教養、研鑽の為に身につけたものだ。

 騎士団所属の人間とは対応の力に差が出てしまうのは無理も無かった。


「彼方です!」


 山に入ってから十五分後。息を切らせ先を走っていた保健医は、鮮やかなターコイズブルーの泉に辿り着くと、横たえられた三人を示した。その周囲には、見張りとして数人の騎士団員が控えている。

 彼らはお嬢様の顔を見ると、張り詰めていた顔に僅かな安堵を浮かべた。駆けつけてくれた聖女への感謝を述べ、負傷者の元へとお嬢様を案内する。


 その中に、見慣れた色の髪を見つけた瞬間から、嫌な予感はしていた。


 緊張からか素っ気なく答えを返しつつ三人の横に膝をついたお嬢様は、身体の半分ほどが黒く焼け爛れ、呻き声を上げる教師二人と────その横で細く息を吐きながら痛みに喘ぐルナ嬢の姿を目にすると、息を飲んで身体を強張らせた。


「ルナ……」



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