第25話 マグノリアの花の露、ついに完成!
学園に通っていた頃、好きだとか愛してるとか、簡単に口にして言い寄る男たちを見てきたからか。愛の言葉は何て安っぽいものかと思っていた。でも、そこに綴られる心というものは、とてもずしりとしている。
これは……好意を抱いてもらってると、勘違いしても良いのかしら。もしそうなら、この手紙って、俗にいう恋文というやつになるのかしら。いや、待って、さすがにそれは考えすぎよね。うん、きっと真面目な春之信さんだから、私を純粋に心配しているだけよ。
ますます頬が熱くなってきた。
嗚呼、せめて、和歌の意味が分かれば良いのに。
「なんて書かれていたのですか?」
手紙を睨むように見ていた私が気になったのだろう。エミリーが尋ねてきた。
「……倒れた私を心配しているって」
「それだけですか? もっといっぱい書いてあるように見えますけど」
「うーん、まぁ……意訳するとそんな感じよ」
もう一度、手紙に視線を落とし、エミリーにどう話したらいいのかと悩んだけど、心配されていると説明する以外、何ていえば良いのかしら。
「そうなんですか。私はてっきり、ラブレターを戴いたんだと思っちゃいました」
「ラ、ラブ──!?」
突然の単語に心臓が跳ねあがった。
「だって、マグノリア様、さっきから頬染めて真剣に読んでるんですもの」
「ち、違うわよ。これは、その……ほら、エミリーは恒和の言葉が分からないし、伝言を頼むより手紙が良いと思ったのよ!」
「そうですかね? でも、好きでもない異性に『あなたを心配してます』なんて手紙を残したりしないと思いますよ」
首を傾げたエミリーは意味深な笑みを浮かべた。それを見て、私の顔はますます熱くなっていく。
穴があったら入りたいとは、正にこのことね。
「で、本当のところ、何て書かれているんですか?」
それは、私が聞きたいわよ。
この添えられた和歌の意味を、誰か教えて頂戴!
◇
体調が戻ったある日、屋敷をドワイト商館長が尋ねてきた。
霊孤泉の水を使って新たに作った二つの化粧水を差し出すと、想像以上のものだといって大いに喜んでくれた。
「商館長、私にはどちらと決められません」
「その理由は?」
「万人に売るものであれば、柚子の香りの方でしょう。しかし、譲渡品とするなら華やかさのある茉莉花が良い。そう、意見をいただきました」
「意見? 藤倉様からですかな?」
同席する藤倉様が首を横に振るのを見て、ドワイト商館長は春之信さんを見た。でも、彼はうんともすんとも言わずに姿勢を正している。
「春之信さんです。彼が、贈るのであれば、そちらが良いと。私も、大名の奥方様に贈るのであれば、華やかなものの方が好まれるのではと考えています」
「なるほど、贈答品か。確かにこちらの方が華やかで強い印象を与えるだろうが、しかし……」
二つの瓶を見比べたドワイト商館長は、柚子の化粧水の出来の良さも捨てがたいという。それを見て、藤倉様はうむと頷く。
「女中たちも、特に柚子を気に入っておったそうだ。毎日でも使いたいとな」
「……献上品は一品でなくともよいかもしれませんな」
「どういうことだ、ドワイト?」
「例えばですが。こちらの名を朝の露とでもしましょう」
そう仮の名を与えられたのは、柚子の化粧水だった。
夏の青空の下で花を咲かせる柚子だ。その香りを朝の露と呼ぶのも、なかなかに洒落ているではないか。とすれば、もう片方が夜の露となるのは道理。茉莉花の香りは梔子と似ており、恒和の人々には馴染みのある香りかもしれない。甘く艶っぽい香りは、夜のひとときに花を添えてくれるだろう。──したり顔で語る商館長が胸を張った。
そんな様子から、彼の商売魂のようなものを垣間見たような気がした。
「甲乙つけがたいのであれば、共に使えばよいのです」
「なるほど。考えたな、ドワイト」
「勿論、気に入った一方のみを使うことも可能ですが、贈答とするなら、少し特別感を出すとよろしいかと思います。桐の箱に二つ並べて献上するも良いでしょう」
さらに、瓶のラベルも朝と夜、分かりやすいデザインのものを貼ればよいだろう。それぞれの香りのイメージで、柚子を持った女や茉莉花、あるいは梔子の花に囲まれた女を描くのはどうか。──次々とアイデアを打ち出したドワイト商館長は自信満々な様子だ。まさに立て板に水。
一通り、商館長が提案を終えると、藤倉は頷きながら「面白いな」と賛同した。
「泉の水を使うものは生産量が確保できません。その点においても、この二つはどちらも贈答品に相応しいと思われます」
「して、井戸水で作った品を安価にし、市中で売るのだな。さしずめ、廉価版といったところか」
「はい。姉妹品とでも銘打って頒布すれば良いかと思います。実はその特上品が大名にも献上されたと、口伝に触れ込むのです」
「はははっ、やはりお主は商人だな」
膝を打って笑った藤倉は、まずは献上品の用意を進めようと、すっかり乗り気だ。
「藤倉様、一つお願いがあります」
「何だ?」
「瓶には札を貼ります。商品の名を記すものですが、そこに絵を入れたいと思います」
「おお、良いではないか! せっかくだ、美しい女子でも描くのはどうだ」
「私もそう思いまして、ここは恒和とエウロパ、二つの良さを合わせた絵を描くことは出来ないでしょうか?」
「ふむ? それはどのようなものだ」
「浮世絵にて、ドレス姿の女子を描くのです。その髪に簪を挿し、手には恒和の植物をもつ」
にっこりと笑ったドワイト商館長は、ついと私に視線を向けた。それに釣られるように、藤倉様もこちらへ顔を巡らせる。
すっかり蚊帳の外になっていた私は気を抜き、出されていた菓子を口に運んだところだった。
口の端に白い粉をつけたまま動きを止め、慌ててお菓子を飲み込む。
「……はい?」
「モデルはお前だ!」
「なっ、何でそうなるんですか!?」
顔を引きつらせながら嫌だと訴えてみたものの、すっかりその気になってしまった二人は、私の訴えをあっさり却下する。そうして、話はとんとん拍子で進んでいった。
◇
モデルとなることが決まって数日後。
静かな朝を引き裂くように、私の悲鳴が轟いた。恒和の言葉じゃない。慣れ親しんだエウロパの共通語で、私は全力で訴えた。
「無理ー! もう、それ以上は無理!! 吐く。ぜーったい、は──うぷっ」
「何を仰いますか! だから、あれほど日頃からドレスをお召しになって下さいと、申し上げているんですよ!!」
「だから、ドレスは嫌なのよ!」
「ほら、しっかり柱に掴まって下さい!!」
語尾に力を込めたエミリーがコルセットの紐をぐんっと引っ張る。さらにウエストが絞られたことで、私は声を上げる余力を奪われた。
これって絶対、お腹の中で内臓が行き場を失っているわよ。なんでこんな体に悪いことをしないといけないのよ。一種の拷問だわ。そう長年思ってきたけど、久々のドレスを身に纏い、改めて思う。やっぱり、私はエウロパでの貴族生活なんて無理!
抗議の声すら上げることを止め、私はただ耐えるしかない。
エイミーの成すがままになる私を見た藤倉家の女中さん達は、はらはらとした様子だった。大丈夫だから心配しないでともいう気力は、残念ながら残っていなかった。
そうして出来上がったドレス姿を見た藤倉家の女中さん達から、感嘆の声が上がった。
艶やかな緑色のドレスにあしらわれた銀糸の刺繍が、夏の日差しを跳ね返してキラキラと輝く。私がそっと動くだけでも、裾のドレープが優雅に波打つ。
見た目だけなら美しいでしょうね。
自分の姿だから鏡に映さないと分からないけど、ドレスの生地ひとつにしても上等品だから、そのくらいのことは想像つく。
「さぁ、次は髪を梳きますよ!」
「……もう、好きにして」
商館から運ばれた椅子に腰を下ろした私は、水を得た魚の如くてきぱきと動くエミリーにされるがままとなった。救いは、視界に入るお庭がとても美しいことくらいね。
次回、明日8時頃の更新となります
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