第12話 藤倉家の奥様からおもてなしをされる
便箋を持つ指が震える。文字を目で追いながら私は息をひそめた。
『貴女に求婚をしてきたヘドリック・スタンリーですが、こちらで少々動きがありました。ヘドリックは若い娘を軟禁し、手荒いことをしていたことが発覚しました。娘たちは解放され、ランドルフ家で預かることになりましたが、こちらは大騒ぎです。』
手荒いこととはどの程度を言っているのだろうか。想像するも恐ろしい内容に、息がつまった。
「マグノリア様?」
心配そうなエミリーの声にこたえる余裕もなく、私は手紙を読み進める。
姦通は極刑だ。ヘドリック・スタンリーはまだ未婚ではあったけれど、私に求婚しておきながら数多くの女性を囲っていた事実が明るみになったとすれば、相応の処罰が与えられるだろう。彼はどうなったのか。
『ヘドリック・スタンリーの処遇が気になるところでしょう。結論からいいます。ヘドリックは国外追放となりました。』
その一文が、私の背筋を凍らせた。
「マグノリア様、大丈夫ですか? お顔の色が優れませんが」
「……ヘドリック・スタンリーが……国外追放されたそうよ」
「その方って、マグノリア様に求婚されてたご子息ですよね?」
「スタンリー家といえば名家じゃないか。国外追放とは穏やかじゃないな」
驚きの色を隠せないエミリーとドワイト商館長に頷きつつ、私は手紙を読み進めた。
「娘たちを軟禁して酷いことをしていたみたい……」
「なるほど。しかしそれで追放とは、ずいぶんと甘い裁きだな」
「……スタンリー家が仕えるバレンティン公爵家から、救いの手がさしのばされたようです」
「公爵家が口を挟んだのか」
「スタンリー家は北の地で土地開発を担っています。そこを他の貴族に取って代わられたら、バレンティン公爵としては都合が悪かったのでしょう」
「息子を切り捨てることで家にはお咎めなしとしたか」
ランドルフ侯爵様をはじめ、多くの諸侯がスタンリー家から称号のはく奪を唱えたらしい。でも、どの家が代わりに魔獣の多く生息する北の地を治めるのかという話になったそうだ。
ランドルフ侯爵家がこれ以上、力をつけるのを良しとしないバレンティン公爵様としては、問題を起こしたとしてもスタンリー家を切り離さない方が、都合がよかったのだろう。幸いにも、ヘドリック・スタンリーは末の息子だ。
「国外追放って……どこに行ったかとか分かるんですか?」
「えっと待って、書いてあるわ……ええっ!?」
「マグノリア様?」
読み進んだ先に書かれていた事実に、手が震えた。
「……ヘドリック・スタンリーは船に乗った、と書いてあるわ」
「船? それって、まさか」
嫌な予感がしたのだろう。エミリーの唇の端がひくひくと痙攣する。
私の声も震えていた。
『気をつけて、マグノリア。ヘドリック・スタンリーは恒和国へ向かう船に乗ったそうよ。』
何度読み返しても、そこには恒和国と書かれていた。
◇
リンデンの収穫もだいぶ進み、薬の在庫が減るのもずいぶん緩やかになった頃。
藤倉家当主の奥様──春之信さんのお母様に、私はお茶へと招待された。エミリーもぜひといわれ、ドワイト商館長と女性の通訳も伴って藤倉家を訪ねた。
久々の藤倉家は変わらずに賑やかで、庭木が青々と茂って美しい花々で彩られていた。
私とエミリー、それに通訳の女性はドワイト商館長と別の部屋に通された。そこで待ち構えていた女性たちの中で、ひときわ気品を漂わせる女性が私たちに微笑んだ。
ロゼリア様とは違うけど、何か通じるものを感じる。きっと彼女が、春之信さんのお母様だろうとすぐに察しがついた。
「お初にお目にかかります、薬師様。春之信の母、銀と申します」
「初めまして、マグノリア・プレンティスです。この子は私の手伝いをしてくれているエミリーです」
「いつも春之信がお世話になっております。とても美味しいお茶をいただいたと聞きました」
たおやかに微笑むお銀様は、さあこちらにと私を手招く。その先に進むと、襖が静かに開けられた。
目に飛び込んできたのは、何とも美しい装束だった。白地の生地に艶やかな牡丹が刺繍されている。蝶や文様の彩りがまた艶やかで、一つの美術品のようだった。
「あの、これはいったい……」
不思議に思い尋ねると、一人の女性が前に出て頭を下げた。
「はじめまして。高羽弥吉の家内、菊にございます」
「え? 高羽弥吉……って、あの、軟膏を買いに来た?」
「その節は、大変お世話になりました。高羽から、薬師様が振袖に興味をもっているとお聞きしまして、お銀様にご相談したところ、こうしてご挨拶をさせて頂く場を設けて頂ける運びとなりました」
「春之信も世話になっているようですし、ここはぜひ、心ゆくまで振袖を楽しんでもらおうと思いましてね。お着替えを手伝わせていただきます」
にこにこと笑うお銀様は、さあさあといって私を手招く。
どうしたらいいのか分からず、通訳の女性に視線を送ると、二人の話を要約してくれた。つまり、私が振袖に興味があると知ったから、ぜひ着てほしいということらしい。
いや、確かに見てみたいとはいったけど、着たいと言った覚えはないんですけど。
着飾るのは苦手だし、お断りしたい。
だけど、私の横で話を聞いていたエミリーは黄色い声をあげてはしゃぎ始めてしまった。着方を学びたいとまで言い出しているわ。
私が愛想笑いで必死にお断りの言葉を探していると、お菊さんが始めさせていただきますと言って、近づいてきた。そうして、エミリーまで当然のように私のシャツに手を伸ばす。手伝う気満々だわ。
ああ、どうしてこうなるのよ!?──気付けば叫ばずにはいられない状況に追いやられ、私は精一杯口角を引き上げた。
結局、私は微動だにすることを許されず、豪勢な花柄の衣装に身を包むことになった。
「マグノリア様は、何でもお似合いになりますね!」
「えぇ、本当に。私も今日、ご一緒できて本当に良かったですわ」
私の横でキラキラと目を輝かせるのは、エミリーと通訳の女性だ。うんうんと頷き合う二人に反して私は、解放してと心で叫びながらも、声一つ上げることが出来ずにいた。
きゅうきゅうに締め上げられた胸元あたりに触れ、深く息を吸う。
あぁ、恒和の女性はなんて辛抱強いのかしら。こんなに胸を締め付けて歩いているなんて、信じられないわ。
コルセットほど締め付けられてはいないけど、日頃、身軽な格好をしている私にとって、この帯締めだってなかなかの拷問だ。苦しくて笑顔を維持するのも忘れてしまいそうだ。
「私が若い頃に着ていた振袖ですが、丈があってようございました」
満足そうに微笑むお銀様は、お菊さんと頷き合っている。
そんなお二人の着物もまた上品だった。お銀様は夏の山を思わせる深い緑の着物だし、お菊さんはシックな鳶色の小袖姿だ。それぞれ着ている打掛と呼ばれる上着のような着物も、華やかではないけど小花や蔦の柄で、大人の色香を感じさせてくれる。落ち着いた風合いが、二人の美しさを引き立たせている。
やっぱり見る分には、ため息が出るほど素敵な衣装だし、恒和の女性は本当に美しいわ。でも、こんなに苦しい衣装だったとは思いもしなかった。
「恒和の女性は、こんなに苦しい格好をしているのですか? 眺めるにはとても綺麗な衣装ですが、これでは仕事になりません」
通訳を介して尋ねると、お菊さんは目を丸くした。
「薬師様は、本当に仕事熱心だこと。振袖は若い娘が着飾るためのものでしてね。少しでも殿方によく見てもらおうとするためのものですから、これで働いたりはしませんよ」
「夜会のドレスと一緒ということですか。……私は遠慮願います」
「あら。弥吉さんから、薬師様が振袖を着たがってると聞いたのですが、お気に召しませんでしたか?」
思わず苦笑を見せてしまった私に、お菊さんは残念そうな顔をした。慌てていいえと答えた私は、通訳に視線を送った。
「恒和の衣装にはとても興味があったんです。でも、着なれないので……」
「マグノリア様は、日頃からドレスも嫌がるくらい、地味なのが好きなんですよ。こんなにお似合いなのに、もったいないですよね」
「……エミリー」
あながち間違ってはいないけど、それって、ちょっと酷い言い草じゃないかしら。
少しだけ傷ついて眉をひそめると、通訳の人が可笑しそうに笑いを堪えながら、感謝はしているけど、着なれないため戸惑っているだけだと、やんわり伝えてくれた。さらに、エミリーの喜びようまで伝えたことで、お銀様とお菊さんはほっと安堵したようだった。
髪も丁寧に結われて出来上がった私の姿は、別人のようになった。
鏡に映った姿を前にして、私は言葉を失う。長い赤毛は大きく横に広がるよう結い上げられ、華やかに飾られている。これから夜会にでも行くようだ。
「綺麗な髪ですね。恒和にはない色ですが、とても艶やかで、手入れもしっかりされていて」
「……恒和の方のような黒髪に、憧れてました。この色は派手過ぎて……」
「あら、牡丹の花のようで素敵ですよ」
髪を整えてくれたお菊さんは、恥ずかしげもなく褒めてくれた。
牡丹の花か。母には薔薇の花のようといわれていたけど、恒和の人も花に譬えるのね。
照れくさくて思わず俯くと、お銀様が「照れていらっしゃるのね」と、微笑まれる声が聞こえてきた。はい、とっても恥ずかしさでいっぱいです。
「頬も牡丹のように染まってますわ」
「せっかく咲いた牡丹ですから、殿方にもお披露目しませんとね」
穏やかに微笑むお銀様とお菊さんの会話は、通訳を介さなくても何となく分かった。
今から、別の部屋で待っている藤倉様やドワイト商館長、弥吉さん、それに春之信さんにお披露目しようと言っているのだろう。
こんなの、いい見世物じゃない。出来れば今すぐ、いつもの服に着替えたい。
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