第45話 「殿下、それより――
「アイリーン・エルサイド前皇太子妃! お前を、前皇太子ヴィクター・エルサイド暗殺の罪で、投獄とする!」
「…………はい?」
静まり返った会場の中で、高らかに響き渡ったヴァージル殿下の声。
その中で思わず溢れた私の声は、想像以上に間抜けに響いた。少し、恥ずかしかった。
と言うか待ってほしい。どうしてこうなった。
祝勝の式典に呼ばれ、エルサイドとガーディナが協力関係にあったために断るわけにもいかずやってきたところまでは良い。
最初は警戒していたけれど、特に何事もなく過ぎ去り、後は本題の式典に参加して帰るだけ、だと思っていたのだが。
突き刺さる数多の視線。私の周りからさっと人が離れた。ぽっかりと空いた空間の中に、兵士が無遠慮に踏み入ってくる。
抵抗はできなかった。あっという間に後ろで手を縛られた。遠くから、人でも殺しそうな目でこちらを見ている、かつてなく目立っている地味眼鏡を目にした瞬間、やっと現実が認識できた。
抵抗しようと身を捩った。それが予想外だったのか、兵士の手が私から離れる。けれど両腕を縛られたままではうまく身体が扱えず、床に膝をついた。
そのまま、口元に薄い笑みを貼り付けているヴァージル殿下を見上げた。
「どうして、私なのですか」
「事実だからだ」
返事が返ってきたことに、少し安堵する。話が聞いてもらえるのであれば、なんとかなるだろう。逆に、反撃の機会にしてやろう。このまま事実が暴けたら、それほど楽なことはない。
予想が外れている可能性もある。けれど、あの後の情勢や、ガーディナで見たいくつかの事実、この場の状況、そして私が手にすることになった情報によって、予想はほぼ確信に変わっていた。
地味眼鏡の方へ視線をやった。その灰色の目が、ぴたりと私を捉えた。そうして、その薄い唇が楽しげに上がったのが遠目でも分かった。
お許しが出た。ここからは、反撃の時間だ。
面倒ごとは、絶対に叩き潰す。
「事実といえば、私はひとつ事実を知っているのですが」
「は?」
「ガーディナがスレニアと繋がっていて、ヴィクター様の暗殺に関わっていたという事実です」
ざわり、と空気が揺れた。目の端で、ユースタス殿下が立ち上がったのが見えた。
「ヴィクター様の暗殺が、スレニアの独断なわけがありません。ご存知の通り、スレニアは小国ですから。ヴィクター様を暗殺したら未来がないことくらい、誰にでも分かるでしょう。そう思って調べていたのですが、どうやら主犯、ああ実行犯という意味ですよ、のエリザと王太子が、ガーディナに保護されているという事実を耳にしたのです」
「確かにそれは、事実です」
ユースタス殿下に、一気に視線が集まった。私もヴァージル殿下から、ユースタス殿下に目を移す。
「順番を違えてしまったのは申し訳ありません。けれど、最初から、我がガーディナは、エルサイド帝国と共にあるつもりでした」
「それと2人の保護に、関係があるのですか?」
「私たちも、事実を知りたかったからです。アイリーン殿下の仰ることはもっともで、私たちも気になっていたところでした。そこで、独自に捜査をしようと、協力を装って受け入れました」
「そこでエルサイドに引き渡すのではなく、ですか?」
「はい。それについてはお詫びします。私たちも目まぐるしく動く情勢に対処しきれず、エルサイドの味方になることが得策かどうか、最後まで判断できませんでした。ご理解、いただけますか」
深紅の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。
「だから、ヴィクター様の暗殺にも関わっていない、と。そういうことですか」
「はい。そもそもガーディナに、ヴィクター殿下を暗殺する意味がありません。そこになんの利益があるでしょうか」
「今回のガーディナの自治は、ヴィクター様の暗殺によって成し遂げられたようなものでしょう。それが利益でなくて、なんでしょうか」
私を見つめる深紅の瞳が、少しだけ見開かれた。
「楚々とした綺麗な人かと思っていたけれど、少しばかり違うようですね」
「あら、人を見分けるのは得意なのでしょう?」
皮肉で返せば、その視線が変わる。値踏みするようなものから、確かな敵を見る目に。いいだろう。勝負してやる。
「ただの偶然です。我々は、時代の流れをうまく利用しただけのこと」
「そうでしょうか? 今回のガーディナの目的は、エルサイドとスレニアの戦争に介入し、自治を獲得すること。に見せかけて、エルサイドとスレニアを煽って戦争状態に持ち込み、そこでエルサイドと交渉すること。私には、そうとしか思えないのです。時代の流れを利用したにしては、何もかもが、ガーディナに上手く行きすぎているとは思われませんか?」
「違います。我々はヴィクター殿下の暗殺には関わっていない。そうですね、仮にそうだとしましょう」
俄に鋭さを増した瞳に射抜かれる。
「矛盾がありませんか。ただスレニアとエルサイドを戦争状態にすることが目的なら、ヴィクター殿下を暗殺するなどという恐ろしい手に出る必要などありません。もっと良い手があるでしょう。むしろ、我がガーディナより、もっとヴィクター殿下を廃したい人が、いらっしゃるのではないですか?」
ユースタス殿下に映っていた視線が、再びヴァージル殿下に突き刺さった。
「……ヴァージル殿下、ですか」
「言いがかりだ! 根拠は」
「確かに、ヴァージル殿下が私を犯人としたことにも違和感はあります。罪を押し付ける相手として、私などよりもっと相応しい人がいるでしょう。私はヴィクター様の妻で、彼を深く愛しています。そんな私を疑うというのは、少しばかり無理がある理屈と言えばそうなのでしょう。皆様も、私が犯人だとヴァージル殿下が仰った時に、多少なりとも違和感を覚えられたのではないですか?」
そう聞けば、ちらほらと頷く気配があった。
「ヴィクター様の意思を継ぎ、その資産を抱え込んだ私を最も廃したい人物もまた、ヴァージル殿下、ですか」
「違う! こいつが――」
「アイリーン殿下、こちらで預かります。衛兵!」
ゆるりとユースタス殿下に視線を戻した。
「……というのが、あなたの書いた筋書きですか、ユースタス殿下?」
「え?」
「私の考える可能性は、もう一つあるのですよ。ヴァージル殿下と、ガーディナ、いえユースタス殿下、あなたが繋がっていた可能性です」
「……は?」
「そうだとすると、様々なことに納得がいくんです。今回の交渉、少しばかり優位な立場にいるとはいえ、いざエルサイドが本気になればガーディナは制圧できます。脅しではなく、事実です。誰もが理解していることです。その状況で、足元が不安定なままガーディナが交渉に走った理由は何故ですか? エルサイドが多少の犠牲を覚悟に、ガーディナごと支配下に置く選択をする可能性を考えなかったのですか?」
初めて、ユースタス殿下の表情が崩れた。
油断なく光っていた赤い瞳に、一瞬動揺の光が揺れたのを、私は見逃さない。
「交渉が間違いなく成立するという確信が、あったのではないですか?」
「……何を証拠に」
「そうですね。今回のガーディナの自治は、ほぼヴァージル殿下の独断で決まったことと聞いています。他の人間の進言も聞かず、強引にヴァージル殿下が話を通したと。少しばかり、不自然なくらいに」
「……」
「使う人間を間違えたのではないですか? ああ、間違えたと思ったからこそ、こうして全ての罪を押し付けようとした、ということでしょうか」
「証拠がない。全て憶測です」
そう言われてしまえば、確固たる証拠はこちらから提示できない。いくつかそれらしきものはあるが、小さすぎて簡単に握りつぶされるだろう。
この場で吐かせるしかないのだ。策としては少しばかり心許ないが、私が断罪されかけ、ことが動き出した今、もう止まれはしない。
「もう一つあります」
「今度はなんですか」
「なぜ、ここガーディナで、ヴァージル殿下は私の断罪を始めたんです?」
「……」
「私がヴァージル殿下だったら、他国なんて選びません。何が起こるか分かりませんから。ユースタス殿下が、味方してやる、と言ってガーディナを選ばせたのではないですか? 協力関係にあった、唯一弱みを握られているヴァージル殿下を処理するために、です。私が反論し、ヴァージル殿下に罪が行くように仕向けましたね? 思い返せば、ヴァージル殿下を疑うように誘導されていたようですが」
反応が無い。言い訳を探しているのか、何か策を考えているのか。
「そういえば、ユースタス殿下、衛兵を呼ぼうとされましたが。随分近くに準備のできた衛兵がこんなにたくさんいましたね? どうやら猿轡のようなものを持っているようですが、普通そんなもの衛兵に持たせますか? 余計なことを言われる前に、口封じしたかったのでは? ガーディナで預かっている間に、ヴァージル殿下が暗殺されないと良いのですが」
はあ、とユースタス殿下が大きな溜め息を吐いた。
今までの丁寧な態度をかなぐり捨てたユースタス殿下が、冷たくこちらを見る。
「随分と、好き勝手仰ってくださいますが。どこまで行っても、それはあなたの憶測です。いっそヴァージル殿下と繋がっていたのはアイリーン殿下で、我がガーディナを貶めようとしていると言われても納得できます。全て自治を認めたくないエルサイドの策略、と。随分と夫の死を悲しんでいないように思われますが」
「私がヴァージル殿下と繋がっている? そんなまさか」
薄い笑いを浮かべると、私はユースタス殿下を見つめた。
「殿下、それより『皇太子』の隣で、地味眼鏡のふりをしている本物に気づかれたらいかがでしょうか?」




