第41話 とんでもない災厄と、被害者たちの絶叫
「お願いです。どうか素直になってください」
「す、素直も何も」
「アイリーン様、寂しく思ってるじゃないですか!」
「え!? いや、別に!」
「素直になって、ください!」
「え、なになに、楽しそうな話?」
ふわりと部屋に入ってきたのは、レオだ。窓から入ってくることに、何も思わなくなってしまった自分が怖い。
「アイリーン様に、素直になってくださいとお願いしているところです!」
「待って、俺からもお願い。ほんとにお願い」
珍しく真剣な表情を浮かべたレオが繰り返す。待ってほしい。状況が理解できない。
「本当に、毎日毎日アイリーンアイリーンって、気が狂いそうなんです。お願いします」
「ジェクター殿下ってば、自分で言い出したくせにアイリーンちゃんに触れられない苛立ちを全部こっちにぶつけてくるんだって! ほんとにもう勘弁してほしいの!」
「待って、本当に状況が理解できない」
「気づいてなかったんですか……そうですよね、アイリーン様ですからね……」
ぐったりとするライアン様と、隠しもせず溜め息をつくレオ。本当に何事。
「例の58条を覚えていますか」
「忘れるわけありません」
「それなら、殿下が死にそうになっているのも理解していただけますね?」
「私には、普段通りに見えていましたが……」
「アイリーンちゃん、本気で言ってるの!?」
心底理解できないものを見る目で見つめられる。解せない。
「殿下、変なところで意地っ張りですからね……。自分であの58条を受け入れた手前、自分からやめると言い出せないんでしょう。全力の虚勢ですよ、それ。本当に、迷惑極まりない人です、本当に」
「きっとアイリーンちゃんが音を上げて甘えてくるのを待ってるんだろうけど、その前に言い出した本人が駄目になってんじゃん。ほんと、ジェクター殿下、普段は余裕ぶってるくせに、どうしてアイリーンちゃんが絡むとこうも壊滅的になるかな」
「それでいて皺寄せが全部こちらにくるのが、心の底から納得できません」
「あの」
恐る恐る言うと、二本の視線が私に注がれる。
「つまり、今ヴィクター様は私にその、触れたくて死にかけていて、そしてライアン様やレオ達がとばっちりを受けているということで合っていますか」
「そう! だから、なんとかしてお願い!」
「僕からも、お願いします」
「お願い、と言われましても……」
どうやらとんでもない災厄を生み出してしまったらしいことは理解した。けれど、解決するためにはもちろん、私から触れるしかないわけ、で。
「私から、ヴィクター様に触れてほしいということですか」
「はい。2人きりには、しますから!」
「…………すみません、無理です」
蚊の鳴くような声で答えた瞬間、レオが叫ぶ。
「無理でもお願い! 俺も無理! 仕事で死にそう!」
「……すみません」
「なんでもするから! 協力するから、アイリーンちゃんが素直になれるように!」
「いいことを思いつきました」
突然、ライアン様が呟いた。その顔に抑えきれず広がる微笑みは、なんだか黒い。例えるならば、何かよからぬことを企んでいるときのヴィクター様のような。
「誘惑、しましょう」
「……誘惑」
「アイリーン様からは触れられないんですよね? だったら、向こうが触れたくて堪らなくなるようにすれば良いでしょう?」
「それだ、苦労性先輩!」
「ちょ、ちょっと待ってください。それ、普通に触れに行くより恥ずかしくないです!?」
「安心してください。これでも僕は殿下との付き合いが長いです。殿下の好みは熟知しています」
「俺も、女の子のことならなんでも話せるよ? 男がどういうときにぐっとくるか、教えてあげるから」
「アイリーン様、やってくださいますよね?」
「力になるからさ。アイリーンちゃんだって、なんだかんだ寂しいんでしょ?」
「また前のように触れてほしくはありませんか?」
怒涛の勢いで畳みかけられ、思わず頷いてしまった。決して、別に前のように触れてほしいからではない。これ以上、ライアン様とレオ達に迷惑をかけまくるのが本意ではないからだ。誓ってそうだ。
けれど。頷いたは良いけれど。これから、何をさせられるのだろうか。
「まずですね、一番大切なのは普段との落差です」
「落差」
「はい。アイリーン様はいつでもヴィクター様に対して尖って、いや失礼しました、素直じゃなく、いや……とにかくその、普段はしない甘えをすることが大切なんです」
「しれっとたくさん悪口を言われた気がします」
「分かる! 普段は見せない一面を見せてくれる瞬間って、ぐっとくるものがあるよね」
「しかも、アイリーン様の場合それが甘えですから。殿下には効き目が強すぎるくらいだと思います。機能停止したら教えてください。運びます」
「さすがにそれは……」
「あるね」
「あります」
真顔で断言されて、その勢いに思わず引いてしまう。
「いいですか、照れさせたら勝ちです。絶対に殿下がアイリーン様に見せようとしない顔ですから。それが出たら勝利を確信してください」
「は、はい」
「とどめを刺すのが甘えです。問題は、その前までの流れですね」
なんだか、ライアン様が生き生きしている。少しばかり危ない目をしている気もする。
「アイリーンちゃんなら、無防備、もいいんじゃない?」
「確かに。アイリーン様、強いですからね」
「私、褒められてます?」
「普段より少し無防備。これで行きましょう。殿下の虚勢を完膚なきまでに破壊してきてください」
「……ライアン様、楽しんでません?」
「さあ、どうでしょう?」
「そういうところ、ヴィクター様に似てますね」
「前言撤回します。全く楽しんでません」
堪えきれず吹き出せば、真剣な表情を作ったライアン様に見つめられる。
「アイリーン様。お願いします。僕たちの未来がかかってるんです」
いくらなんでも大袈裟すぎる、と思ったけれど、その表情が怖すぎて言い出せない。
そこから、3人でさらに詳細を詰めた。3人で、と言いつつも、ほとんどライアン様とレオが盛り上がっているだけだったけれど。そうして大量の情報を詰め込まれたところで、ライアン様が宣言した。
「ではアイリーン様。行ってきてください」
「い、今ですか!?」
「明日になったら、無理と言いそうですので」
「…………否定できません」
「ので、今しかありません。行ってきてください」
「アイリーンちゃん、行ってらっしゃい!」
「……わかりました。行ってきます、行ってきますから押さないで!」
ぐいぐいと私を扉の方へ押していくレオ。そうして半ば追い出されるようにして私は部屋を出た。
廊下を歩いて、私の部屋、ヴィクター様が寝ている部屋の前に立つ。
心臓が痛い。ユースタス殿下と話した時だって、こんなに緊張はしなかった。ふう、と息を吸い込む。
「入りますね」
一言声をかけると、私は部屋の扉を開けた。




