8-6
出された豪勢な食事の味が全くわからなかった。昨晩知り合った金髪が眩しいイケメンは、近寄るなと注意されていた第一皇子で、その人は今日から自分の直属の上司なのだと告げられて、そんな人の自室へ連れ込まれ食事をとっているだなんて…考えるだけで破裂しそうな頭は、とうとう考える行為をやめた。
無心で食事を口に運んでいれば、気に入ったのかな?これからは個人的に食事に誘わせて、とアルフレッドがとんでもない事を言い出す。そう言った意味ではないし、できればあまり近寄りたくないんですがとは口に出せず、曖昧に笑い返せば相手も柔らかく笑って返事をしてきた。だが、眼光だけは鋭く今の状況を楽しんでいるようで…トーマの意思を把握した上で、狙った獲物は逃がさないと言った強引な視線を返された。
食事が終わりお茶を頂いていると、扉から控えめなノックの音が聞こえた。アルフレッドが返事を返すと、ゆっくりと扉が開かれ、頭を下げた初老の男性が立っている。発言許可をもらってから、男性が口にしたのは会議について。そこれ初めて思い出したのか、アルフレッドはああ!と大きな声を上げると勢いよく立ち上がった。
「ごめんね、トーマちゃん。もっとゆっくりとしたかったんだけど、会議があるの忘れてた。ライは置いていくから今日一日好きに使って構わない」
「え?!そんな、」
「ああ、それとも僕との逢瀬の方が良い?なら、今夜窓を開けておきなさい」
「アル!」
「やだなぁ、怖い顔しないでよライってば」
軽く手を振って部屋を出て行ったアルフレッドがいなくなれば、部屋の中は途端に静かになる。呆然としているトーマの向かいに座っていたライアスが、小さくため息を吐くと悪いと呟いた。
お茶のお代わりを入れようとするメイドへ、片付けるようにと声をかけたライアスは、城内を案内しようと部屋からトーマを連れ出した。ライアスにも仕事があったのではないかと不安げに尋ねれば、先ほどのアルフレッドの発言ですべての予定はキャンセルされ、トーマの近くに居ることが仕事に変わったと告げられる。申し訳なくて頭を下げれば、トーマが謝ることじゃないだろうと苦笑されてしまった。それにこう言った事はよくあるらしく、中々に彼も苦労をしているようだ。軽い雑談を交えながら城内を歩き出したライアスについて回る。先ほどライアスと出会った渡り廊下を抜ければ、沢山の人が行き来する棟の中へと入る。騎士、文官、魔術師、メイドと忙しく動き回っているので、先ほどまでの端へ避けて通り過ぎるの待つと言うVIP対応は無くなり、通り過ぎる際に軽く会釈される程度に変わった。有り難い反応に肩の力が少し抜けるが、やはり視線が痛い。イケメン同行の副効果として視線を集めることは少し慣れてきたつもりだったが…。アルフレッドの側近であるライアスと一緒に行動をしているのだ、嫌でも視線を集めるのは仕方ないと自分を納得させて、なるべく顔を晒さないように下を向くようにした。
すべてを回っても覚えられないのは分かり切っていたので、中央棟の必要最低限のみを回っていく。隣り合っている兵舎についての説明もそこそこに、ライアスはこっちだと外へ向かって歩き出した。
兵舎から少し離れた所には、古びた棟が建っている。中へ入るのかと思いきや、入口を通り過ぎると棟の裏手へと進んでいく。大人しくついていけば、そこには不思議な花が咲いている庭が広がっていた。きちんと作り込まれていないそれは、庭として楽しむものでは無く栽培目的のように見える。なにより、この独特な匂いには心当たりがあった。
「薬草…?」
「流石だな、この後ろの建物が宮廷魔導師の仕事場兼住居、そして、この庭はミラージュ殿が管理している薬草畑」
「仕事場?師匠は研究棟だって言ってたけど、使ってるのは私達だけなの?」
「研究する程の知識があるのは、トーマ達ぐらいだからな。一般の魔術師は利用する必要が無いんだ」
そういう物なのかと首を傾げるトーマに、魔法を自己流アレンジは普通しないのだと言われ、納得した。チートでトリップしてきたからこそ、全属性の魔法が使え、それをアレンジしようと思えたが、普通ならば一属性使えれば御の字なのだ。スタートラインが違うのだから、研究をしようとも思わないだろう。
ここがこの世界での第二の拠点になるのだと思えば、感慨深い。穏やかに春の風を受け揺らめている薬草畑を眺めるトーマの目は自然と柔らかくなった。そんな畑を眺めるトーマと、横目で彼女を見ていたライアスの間にも暖かい風が吹き抜けた。それはトーマの髪を遊ばせ、ローブを翻させる。夜の妖精とはよく言ったもので、全身黒を着込んだ彼女は昼間でも何処か神秘的な雰囲気を纏っている。そんなアルフレッドの言葉に関心したのも束の間で、先ほど彼の私室で告げられた事実を思い出すと悔しさで思わず奥歯を噛み締めた。
「…ライ?どうしたの?」
ふいにかけられた声に、思考が浮上する。旅の途中であれば少しばかり気を抜いていたところもあったが、今は城内だ…周りは敵だらけの場所で、考え込んでいた事に驚いた。そして、その原因が隣に立っているトーマなのだという事もすぐに気付いた。どうも自分は彼女の隣にいると気を許してしまいがちになる。なんとも情けなくて隠すように苦笑を浮かべるが、心配そうにこちらを見上げてくる黒い瞳と目が合うと、すぐに笑顔は剥がれ落ちる。辛そうに眉を寄せると、ライアスは体ごとトーマへと向き直してから深く頭を下げた。
「第一皇子の件…すまない」
突然の謝罪に戸惑うトーマは、驚き下げられた頭を見つめた。呆然としている間もずっと頭を下げ続ける相手に、声をかけない限りは上げるつもりがないのだと分かると、トーマも体が向き合うように立ちなおした。
「ライ…頭、あげて」
静かに告げられた声に、ゆっくりとライアスが頭を上げれば、困ったように笑うトーマの顔がそこにはあった。
「解除者としての役目を終えても尚この世界に残りたいと言ったのは私。そして、この職を望んだのも私です。この選択を間違えたとは思わないし、後悔もしない。むしろ、興味本位だとしても、私に権限を与えてくれたアルさんには感謝しています」
トーマの発言は予想外すぎて、ライアスは思わず瞳を大きく見開いて見つめてしまった。そんな彼の様子に、トーマはくすりと笑う。
「だから、ライが気に病むことはないんだよ」
「トーマ…だが…」
「それに、旅が終わっても会えるように何とかするって言ってた張本人とだけ会えなくなるなんて、絶対に嫌だった。だけど、今日からは私とライは同僚みたいなものでしょ?」
「まあ…そうだな」
「だったら、避ける必要もないよね。少し強引だけど、いつでも私達のために動いてくれる…やっぱり、ライには救われてばっかり」
有難う、と微笑むトーマを目にして気づけばライアスの体が自然と動いていた。大した力を入れずとも簡単に胸の中に納まった体は少し痩せたように感じる。髪へ手を差し込めば、石鹸の香りに交じり何か甘い香りがする。胸元からライアスの名を呼ぶ戸惑いの声にすら幸せを感じた。最初から気持ちは変わらなかったし、誰よりも一番最初に彼女の事を思っていたと言うのに…気持ちを認める事から目を背けていたのは、自分以外の何者でもない。
「遅すぎたし、言葉にしなかった俺がいけなかったんだ」
低く囁くライアスに、抱きしめられたままのトーマは心配そうに見上げてきてきた。暴れることもせず、嫌がることもせず受け止めてくれるのは、トーマのライアスに対しての信頼によっての態度なのだと分かるが…今はそれが何よりも辛い。突き放してくれれば諦めがつくが、こうやって甘い態度を取られれば、望みがあるのかと勘違いをしてしまう。割り切ったつもりではいたが、やはり渡したくないと体が中々いう事を聞かず、トーマの抱く力は強くなる一方で。そんなライアスの行動に異変を察知したのか、トーマが弱弱しくライアスの胸を押した。
「ラ、ライ、あのね…私、ウィルと…」
少しばかり空いた二人の距離と、頬を赤く染め目を逸らし別の男の名前を口にしたトーマの姿に、図らずも嫉妬を覚える。何故今目の前にいるのは自分なのに、それ以外の男の名を呼ぶのか、自分以外を見ないで欲しいと黒い感情が押し寄せてくるが、はっきり言葉にして気持ちを伝えてもいない自分にそんな権利すら無いと思いを打ち消すと、口角を上げてみせた。
「トーマが、ウィルを選んだ事は知ってる」
「え…?!」
意外だったのかひどく驚いて見上げてくる様子にライアスは苦笑をすると、指の腹でトーマの頬を撫でた。
「最後になって、トーマと自分では分不相応だと悩んでいたあいつの背中を押したのも、俺だよ」
「何、その話…」
「トーマが目覚めた日の夜だったか…あれだけトーマの事が好きで仕方ないと言っていた癖に、いざとなったら身分違いだから自分が身を引く、トーマの事を頼んだと頭を下げてきてな…頭に来たから、全力で殴ってやった」
「えぇ?!」
「あの綺麗な顔を思いっきりだ。気持ち良かったぞ」
見舞いに来た日のウィルの顔を思い出したが、顔が腫れてる様子はなかったが…ぽかんとしているトーマにライアスはくすくすと笑いだすと、その後アメリアに泣いて止められたのだと告げられた。聖女まで引っ張り出し、自分を巡っての痴情のもつれがあっただなんて死ぬほど恥ずかしい。何それ、と口をパクパクさせ、赤面して動揺したトーマのお陰で、先ほどまで漂っていた甘い雰囲気は消え失せていた。触れば離したくなくなると分かっているので、ライアスはこのタイミングしかないとトーマを解放してやる。動揺している姿も可愛いが、今度はきちんと言葉で気持ちを伝えておかねばならない。名前を呼んだ声は思ったよりも硬かった。
「お前たちが想い合っているなら、俺はそれで良い」
気遣うようなトーマの視線に、ライアスは浮かべていた笑顔を取り去らうと、しっかり見つめ返した。
「だが、最後の夜に誓った事だけは譲れない。守る役目は、トーマが誰の物になろうとも、俺の役目だ。これだけは、奪わないでくれないか」
「…条件がある」
逸らすことなく見つめかしたトーマは、目を細めると口を開いた。
「ライにいずれ好きな人ができたら、迷わずその人の手を取って」
「トーマ…すまないが、俺は、同じ危険にさらされた時に、迷わずトーマを取る。そんな男を好く奴がいると?」
「いるかもしれないでしょ。好きな人じゃなくても良い、私の為に自分の可能性を潰さないで。私が言いたいのはそういう事」
「俺は騎士だ。一度建てた誓いは破らない」
「建てた相手は異世界人だよ。その人が是としないのに、押し通すのが騎士の流儀?」
「な…っ」
「お願い、ライアス」
厳しい光を灯したライアスの瞳を怯むことなく見つめ返す。数秒だったのか、数十秒だったのか、視線を先にそらしたはライアスで、それと共に彼は目を細めると前髪を掻き上げた。
「…そうだな、トーマはそう言う奴だったな」
「有難う」
嬉しそうなトーマを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。この人が、好きで堪らないのだと自覚をして、アルフレッドの件も落ち着いている今なら、きっと簡単にこの思いも口に出せる。そう思ったライアスだったが、彼女の笑顔から逃げる様に背を向けた。日も落ち始め、肌寒い風へと変わってきたので、中に戻ろうと適当に言い訳をすれば、トーマも素直に従う。自然と隣を並んで歩き始めたトーマの名前を呼べば、直ぐに視線を返してくれた。
「好きだ」
「え…」
「…ウィルを好きだと思ってくれるのは、凄く有り難い。地位を捨て、必死にのし上がってきたのに、未だに家に囚われてる奴だが…俺にとっては、可愛い弟分だからな…ウィルの事、頼んだぞ」
「…うん、分かった」
「勿論、ウィルがトーマを泣かすようなことがあっても、俺が許さないがな」
爽やかに微笑むライアスの背後に何か黒いものを感じ、引き攣りながらの笑顔で頷き返すのが精一杯だった。
最後にトーマにとっては大切になる場所へ案内しようと言われ、再び中央棟まで戻ってきた。最初に比べれば人が減ったように見えるが、それでも人通りは多い。階段を上りすぐの扉の前までくれば、ライアスが振り返った。何の部屋なのか視線を上げると、魔法騎士のプレートが掛かっているのが目に留まる。まさか、彼がここを案内してくれるとは思っていなくて、驚くトーマにライアスはなんとも言えない表情で笑った。
「魔法騎士は緊急時に出動する事もあるから、常に人がいる。一番外にも出やすい場所にも位置しているから覚えやすいだろう?」
「うん…有難う、ライ」
トーマの感謝の言葉にも複雑そうに笑い返したライアスは、そのまま遠慮なく扉をあけた。ノックすべきなのではと驚いたが、何食わぬ顔で中へ入っていくので、慌てて後を追う。大きなソファーと、ローテーブルが真ん中に設置されており、周りは天井まである本棚に囲まれている。窓の前に大きな執務机、その右に小さな執務机が置かれていた。
「ちょっと!ライアス副隊長殿!入室時のノックぐらいなさったらどうなの?!」
右の執務机から甲高い声が上がる。が、積み重なっている本や書類で声の主を特定できない。首を傾げるトーマの様子は相手側からはバッチリ見えていたのか、あなた!と厳しい声が再び聞こえた。
「何ですの、その身なり、気軽に宮廷魔導師様の格好をなさるのは許せませんわ」
「え、す、すみません」
「まあ!殿方ならもっとしっかりなさいませ!なよっとした方は嫌いですわ!」
「…すみません……」
「ですから!!!」
勢いに押され反射的に謝ってしまった所で、更に甲高い声は続き、我慢ならなかったのかガタンと物音が上げながら本の向こうから赤い頭が現れた。肩まで伸びた内巻きの赤い髪と、つり目がちの明るい緑の瞳が印象的な華奢な少女がそこにいた。
「わ…美少女…」
思わず漏れた本音をしっかり聞き取ったのか、目の前の美少女は一気に赤くなると、大きく靴音を鳴らしながらトーマの前までやってきた。
「な、何を仰ってるの?!」
「やばい、口に出てた…?」
「わ、わたくしの事などどうでも良いのです!それよりも、あなたのその身なりについて注意をしていますのよ!」
「身なりと言われても、これが制服だって…」
「その制服が着れるのは、尊敬すべき導師の方のみですわ!」
「カノン副班長、そのくらいに。この方は、本日より就任した宮廷魔導師のトーマ殿だ」
ライアスの言葉に固まったカノンと呼ばれた少女は、トーマの顔をじっと見つめた。小柄なせいでトーマの胸程度までしかない身長だが、ウィルと同じ軍服に剣を携えて居るのを見れば、彼女も騎士なのだと察しがつく。この部屋に居たと言う事は、魔法騎士なのだろう。ぽかんとしている彼女に、なるべく人当たりの良い笑顔を浮かべ、よろしくと声をかければ相手は我に返ると共にきつく睨みつけてきた。
「信じられませんわ!」
「彼女はカノン・エルザード。第二部隊魔法騎士班の副班長だ」
「ライアス副隊長殿!勝手にわたくしを紹介ならさないで!突然現れて宮廷魔導師だなんて、認めませんわよ!」
「聖女と共に旅をしてきた魔術師の話は聞いたことがあるだろう。その方こそ導師トーマだ」
「魔法を使えぬ者からすれば、どんな簡単な術でも偉大なる魔術師と成り得ますわ」
「カノン副班長、口を慎め。それ以上は導師トーマを承認したアルフレッド殿下への言葉と受け取る」
「レディーに対してその物言い!貴方も少しは班長のように振る舞えないのですか?!」
「あ、あの、二人とも、落ち着いて…」
ヒートアップしていくカノンの言葉に、淡々と事務的に返すライアス。しかも彼の表情は抜け落ちており、真顔で答える様はまるでロボットの様だ。今日一日一緒にいて分かったことだが、どうやら職務中の彼はこの無表情が基本であり、ライアス特有の爽やかか、困ったような笑顔は滅多にお目にかかれないようだ。そんな仕事モードの彼の態度が更に癪に障るのか、カノンの声は次第に大きくなっていく。殴りかかってしまうのではないかと心配していた言い合いは、部屋の扉を開いた第三者によって止められた。
「副班長、何事ですか。声が廊下にまで漏れて…」
数冊の分厚い本を抱えて入ってきたウィルは、疲れた表情をしながら口を開き、室内を見て動きを止める。自分の部下であるカノンが、遥かに位の高い近衛部隊の副隊長に食って掛かっている上に、間に挟まれおろおろとしている宮廷魔導師の制服を纏った恋人がいれば、驚きもするだろう。
「班長!申し訳御座いません」
慌てて敬礼をするカノンには目もくれず、本をソファーへと投げおくとトーマの元へとウィルが歩み寄る。助かったと眉尻を下げていたトーマの両肩に手を置くと、まじまじと全身を見てから恍惚な表情でため息を吐いた。
「宮廷魔導師、就任おめでとう御座います。ローブ姿も素敵ですよ、トーマ」
「ウィル…有難う」
「正直安心しました。ミラージュ様の事ですから、貴女に際どい物を渡しているのではないかと…貴女の綺麗な白い肌を、私以外の者が目にするなど、到底耐えられません」
「あ、あはは…」
ここでそう言う服も渡されていました、とは言ってはいけない気がして曖昧に笑って返すだけにする。昨日会ったばかりなのに、長く会ってなかったような錯覚に陥るのはなぜだろうか。目の前で甘く微笑むウィルに年甲斐にも無くふわふわした気持ちになってしまい、目が合うと嬉しくてトーマの顔は自然と緩む。
「トーマがこの部屋にいる事はすごく嬉しいのですが、どうしたのですか?」
「あ、ライが城内を案内してくれてたんだ」
「トーマ、彼とは…」
「その件だが、アルフレッド殿下が宮廷魔導師の管轄をご自身へ移行した。すでに殿下とも接触済みだ」
「そんな…では、アメリアに代わり…」
「明確にそこまでの執着は目視出来てはいない。恐らく、新しい…」
本人を目の前にして玩具とは言えず、言葉を濁したライアスだが、ウィルにはそれだけで十分に伝わったようで、不愉快そうに眉を顰めた。アルフレッドの人となりなど知らないトーマは、不安げに二人のやり取りを見つめるしかない。同じように内容について行けず戸惑いがちに見守っていたカノンと目が合う。何となく居た堪れなくなり、ごめんねと声に出さず口を動かすと、やはり睨み返されてしまった。
「とりあえず、部屋まで送ります」
「あ、うん、有難う」
「…ウィル班長、貴殿はまだ勤務中では?」
「そう仰るライアス副隊長はどうなのです?」
「俺は、殿下より導師トーマを案内するよう申し使っている。部屋に送り届けるまでが俺の任務だ」
「チッ」
隠しもせずライアスへ舌打ちをしたウィルは、別人のような甘い視線をトーマへと戻すと今度は頬を両手で包み込んで上を向かせた。
「すみません、本当ならば私が貴女を送り届けたかったのに…」
「ううん、仕事だもん。ウィルも頑張ってね」
「ええ…有難う御座います」
ちゅ、と音を立てて頬に口づけを落としたウィルに一瞬固まったトーマは、真っ赤になってウィルの胸板をたたき始める。全く動じずご機嫌で解放すれば、皆の前なのに!と怒るトーマに、皆の前じゃ無ければ良いのですか?と嬉しそうに聞き返され、知らない!とそっぽを向くと言う痴話喧嘩を披露し始めた。ウィルもトーマも、空気が読めて周りを気遣える子だったのに。そんな気配全くを見せなかったのに、二人一緒になるとダメになるヤツだと察したライアスは、ため息が漏れないよう我慢するのでいっぱいになった。




