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解除者のお仕事  作者: たろ
解除者のお仕事
75/78

8-4


「体が重い、腰が、下半身が痛い…」

「チヒロ、機嫌を直して下さい」


 後ろから抱き締めてきたウィルが動くせいで、張られた湯がちゃぷんと揺れる。トーマは、ため息をつきながらぐりぐりと頭をウィルへと押し付けた。


「もう無理って言った、本当に無理だって何度も言った」

「それは…チヒロが可愛すぎるのがいけないんです」


 幸せにしますから、と囁きながら、ちゅっと首元に口付けを落としてくる銀髪の美形に、トーマはため息をつく。思いが通じ合ったまでは良かった。情熱的なキスも良かった。その後が問題だった。騎士の体力を舐めていた。しかも相手はこの旅の間ずっと禁欲してきて、一途に思い続けてきたのだ。箍が外れるぐらい、簡単だった。歩くことが出来ずに、風呂にまで一緒になんて初めてで…既に羞恥心など夜の内に捨て去っていたのだけは幸いかもしれない。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるウィルにされるがまま、再び服を着せてもらい、横抱きで抱き上げられる。バスルームから戻った部屋は、朝の光に包まれていてとても気持ちいいのに、乱れたシーツと散らばる衣服のせいで清々しい朝とは言えない。明らかな、昨日はお楽しみでしたねな雰囲気に、こんなのを誰かに見られたら言い訳が出来ないだろう。そして、そんな日こそ、滅多に訪れない部屋の扉にノック音が響いた。びくっと肩を揺らし、動揺するトーマとは違い、はいと軽々しく答えたウィルのせいで扉は無常にも開かれる。


「……おい、マジか…」


 そこに立っていたのはレオルドで、紙束片手に固まった。呆然とする彼に、おはようございます、とキラキラな笑顔で挨拶するウィルのせいでまさかの予想は確信に変わる。


「おいおいおい…ウィル、手出すの早すぎだろう…」

「私もそう思います。ですが、昨晩のトーマは可愛すぎて…」

「あああ、おおお下ろして、下ろしてウィル…!」

「駄目です、先程だって立てなかったのだから」

「大丈夫!!元気!超元気!!」


 顔を真っ赤にしてウィルの腕の中で騒ぐトーマに、そうですか?と心配気な表情で返したウィルだったが、トーマの言う通り床へと下ろしてやる。足がついて、自分で立ち上がろうとした瞬間に、かくんと膝が折れその場で座り込んでしまう。後ろから両脇に差し込まれたウィルの腕のお陰で、上半身だけを吊り上げられた状態のトーマは、引き攣った笑いを浮かべたまま入口に立っていたレオルドと目が合った。大丈夫ですか?と膝を折り後ろから縮んだ距離で掛けられた声を聞きながら、数秒見つめあったレオルドが突然上着を抜ぎだすのを眺めていれば、すぐにそれを投げ付けられた。頭に被せられた軍服に、何をと言う前に、レオルドは紫の瞳を意地悪げに細め、自分の首元をトントンと叩く。


「アメリア呼んでくっから、それで隠しとけ」


 そう言い残し部屋を去るレオルドに、全身の血の気が引いていく。


「やめてーーー!!!それだけは勘弁してー!!!」


 切羽詰ったトーマの悲鳴は、部屋中に響き渡った。



「なにこれ…名簿?」


 レオルドから渡された紙束を捲ったトーマは不思議そうにページを捲っていく。並んでソファーに腰掛けていたレオルドは、カップを傾けながら頷いた。


「今度のパーティに参加する面子だ、その中でも抑えとくべき奴らには、名前の前に印をつけてる」

「…げ、殆どについてるけど」

「それでも絞ったんだ、文句言うな」

「名前と顔一致させるの凄い苦手なんだよなぁ…」

「俺だって、男の顔なんざ覚えたくねーよ」


 良いから覚えとけ、と言いながらトーマの両頬を掴むと引っ張るレオルドに、いひゃい!と文句を言うトーマだったが、彼は一向に放す気配が無い。ぐりぐりと遊ぶようなレオルドの腕を離そうと掴みかかってみたが、力の差は歴然でびくともしない。ニヤニヤとしていたレオルドの腕は、突如トーマの後ろから現れた第三者の手によって引っぺがされた。頬に手のひらをあてがわれ、背中へ覆いかぶさってくるのは、先程まで部屋の片付けを行っていたウィルだ。


「私の許可なくトーマに触らないで下さい」

「お前に独占欲なんかあったのか」

「後にも先にも、トーマにだけですよ」

「おい、トーマ、本当にこいつで良いのか?今からでも他に乗り換えた方が良いんじゃね?」

「レオルド…黙りなさい」

「お前の前だと猫被ってるけど、こいつ相当エゲツねーぞ。あ、俺の側室とかどうよ?」

「貴方にはアメリアと言う正室がいるでしょう」

「そんだけトーマの事は俺だって気に入ってんだよ。それに、コイツならアメリアとも上手くやってけんだろ」


 間に挟まれ続く会話に言葉が挟めずにいたトーマだったが、なっ?とレオルドに話を振られ、勢い任せに頷く。それからすぐに何かがおかしいと気付き、待ったをかけた。


「なにそれ、側室とか正室とか…王子様みたいじゃん」


 トーマの発言に、今まで言い合ってた二人はピタリと動きを止めると互いに見つめ合い、そう言えばと頷き合う。一人訳が分からずのトーマが、どうしたのかウィルを見上げると、知らなかったんでしたね、と困ったような笑いを浮かべられた。


「レオルドは、この国の皇子なんですよ」

「…は?え?いや、何言ってんの、今更そんな冗談引っ掛かるわけ…」

「冗談でんな面白くもねぇ事言うか」

「…マジ?」

「ええ、我ブリアント国の第二皇子、レオルド・ラン・フォース・ブリアント。長ったらしい名前ですよね」


 今日の晩御飯のメニューでも言うような気軽さで笑うので、いつも通り笑い返してしまいそうだが、とんでもない事を言われている。ぽかんとしているトーマに、レオルドは文句あるのかと、ジト目で返されてしまった。


「なんで…皇子様なんかが護衛してるのさ…」

「俺は既に継承権を放棄してんだよ。王になんかなりたくねーし、そういうのは兄貴の方が向いてんだ。今は騎士団第四部隊に籍置いてる」

「へぇ…信じられない…」

「この城の中で、レオルドの事を知らなかったのは、トーマとアメリアぐらいでしょうからね。仕方ありません」

「そっか…あれ?でも、そんなレオルドとすごい親しげだったって事は…ウィルもライも、実は凄い偉い人…?!」


 勢い良く振り返り、ウィルへ体ごと向けて見上げていたトーマに、驚いたウィルだったが、すぐに苦笑を浮かべると首を振った。


「ライは、第一部隊、エリートのみが入れる近衛騎士の副隊長であり、第一皇子の専属護衛兼側近ですが、私は第二部隊の魔法騎士班の班長なので…そこまで高くないですよ」

「現宰相の息子だけどな」

「家とは縁を切っているので、関係ないでしょう」


 ムッとしながら即座に言い返すウィルに、レオルドはハイハイと適当に返事をした。宰相の息子ならば、幼い頃にレオルドの剣の稽古に混ぜて貰っていたと言うのにも肯ける。自分の身の上を語れない為、敢えて避けてきた話題だったが、まさかこんな秘密が隠されていたとは…聖女がどれだけ重要な人物なのかが窺えた。


「所で、ライって見舞い来たのか?」

「ううん、来てないけど…私も起きていられるのは最近になってからだから、それ以前については分からないけど…」

「そうか。やっぱ警戒してんだろーなぁ…本当、ライが近付けない時に既成事実作るとか、えげつない男だ」

「本当に貴方は失礼ですね。それに、合意の上ですよ」

「へぇ…トーマ、お前本気でウィルに惚れてんのか?」

「え?!あ、その…っ、」


 突然の質問に頬を赤く染め視線を逸らしたトーマは、もごもご言いながら俯く。ぎゅっとワンピースの裾を握った彼女は、こくりと首を縦に振った。


「うん…好きだよ」

「っ、トーマ!」


 照れながらも、蕩けた表情できちんと言葉にしたトーマに驚いたレオルドだったが、感極まったウィルがトーマの背中から抱きしめる姿を目の当たりにして、ドン引きの表情を浮かべた。いつでも追いかけられる側で、女とは一線引いた態度をとる彼がここまでデレるとは…恋は人の性格すらも変えてしまうらしい。いちゃつき始めた旅の仲間を前に、アメリアが恋しくなり、思わず遠い目をしてしまったのは仕方ない。



 午後からは仕事だというにも関わらず、最後まで今日は一日休むと意地を張っていたウィルをレオルドが引っ張って連れていくのを見送れば、部屋は一気に静かになる。立場が逆転したような二人に緩んでいた顔を引き締めると、トーマはレオルドが持ってきてくれた名簿を開いた。大量の名前を前に眩暈すら覚えるが、自分のためなのだと言う事は分かっている。ここは、レオルドの厚意に応えるのが礼儀だろう。ぱらぱらと捲りながら、告げられたことを思い出した。

 これからは、権力者との関係が大事になってくる。トーマの地位は高いため、誰かに媚びる必要はないが、トーマに媚びてくる人間は腐るほど現れるだろう。更には女性なので、結婚を狙ってくる男共も増えるのは確実だ。それを排除するために、婚約者としてウィルの名前を上げるべきだと言うレオルドに、トーマが反対した。決して嫌だからと言う理由ではなく、ぽっと出の女が、人気のある第二騎士団魔法騎士班の班長の婚約者だなんて言えば、ウィルへの負担も大きい。世間のトーマへの認識は、解除者としてではなく、突然現れたただの魔術師が、何の実績も無く宮廷魔導師という高位についたという程度なのだ。努力をしている人間にとって、これ程までに気に食わない相手も居ないだろう。まずは、実績を残し、世間に認めてもらうのが先だと強く主張トーマに、結局はレオルドが折れた。

 そして、次に注意を促されたのはライアスに対してだった。先程の会話でもあったように、ライアスは第一皇子の側近なのだという。今回同行したのも、旅が終わったら妻となる女なのだから、護衛を兼ねて聖女を見て来いと言う、第一皇子の指示だった。ライアス個人の感情や考えはあるだろうが、彼は第一皇子の物であることを忘れないようにと、強く言ってきたレオルドには驚いた。聖女はレオルドが横取りをしてしまった為、次の目標となれば、トーマは充分過ぎる程条件を満たしている。皇太子妃、次期王妃を希望するなら構わないが、望んでいないのならば不要に近付かない方が良いだろうと、レオルドもウィルも口を揃える。おまけに、トーマが宮廷魔導師になることを望んでいると知っているからこそ、ライアスもトーマの為にこの部屋には近寄らないのだと言うのも教えてくれた。旅の間は彼個人として接していたが、王都へ戻ってくれば、肩書き通りライアスは専属護衛兼側近なのだ。突然空いてしまった距離に寂しさを感じて、気が付けば自然と溜息が漏れた。



 気が付けば、もう深夜と言う時間だ。読んでいた名簿を閉じるとトーマは背筋を伸ばす。ぽきっと音を鳴らしてから、ランプを消すと部屋は暗くなった。窓から入り込む月の光が、今日はやけに眩しい気がする。ベッドへと潜り込もとしていた体を起こし、毛布から抜け出すと、光に誘われるまま窓辺へと足を進めた。窓は簡単に開き、バルコニーへ出れば冷たい空気がまとわりついてきた。春になったとは言え、夜になればまだ冷え込む中、目の前に広がっていたのは薄く光を放ちながら地面いっぱいに咲く白い花、そして、空には沢山の星と満月。幻想的なその光景に、トーマはただ息を飲み見つめた。明るいと感じていたのは、花のせいだろう。


「綺麗…」


 暫く見つめ、やっと出た言葉は感嘆のため息と共に出た一言。ぼんやりと見つめていたせいで、気付けなかったが、少し距離の離れた隣のバルコニーから、くすりと笑い声が聞こえ、ハッと我に帰る。驚いて隣へ顔を向ければ、腰あたりまである濃い金色の髪を緩く一つに纏め、肩から前に垂らした長身の男が立っていた。


「こんばんは、素敵な夜ですね」


 誰にもバレないように、身を隠す為にこの部屋に籠っていたのに、まさかこんなところで知らない人間に会うとは…だらだらと背中に冷や汗をかき固まったトーマの反応を、警戒していると捉えたのか、長身の男はすみません、と苦笑を浮かべた。


「月の光を浴びて、月光花で溢れる中にいる貴女が、まるで夜の妖精のようで…見蕩れていました」


 物腰が柔らかく低く優しげな声で恥ずかしそうに笑う男に、面食らう。鳥肌が立つような台詞だが、目の前の男が言うと様になっているのは、やはり美しい見た目と纏っている雰囲気、そしてこの幻想的なシチュエーションのせいだろうか。


「この月光花はね、滅多に咲かないんだ。今まで冬だったから、尚更」

「…そうなんですか」

「うん。だから、春を迎えてくれた聖女たちには感謝してる。きっと、僕には想像出来ないぐらい、辛い旅路だったと思うけどね」


 にこりと微笑みかけられて、答えが見つからず曖昧に笑い返すだけに留めた。トーマの反応に、男も笑い返すと背をバルコニーへ預け顔だけを庭に向ける。


「僕は、ここが、この国が好きなんだ…春になってくれて、本当に良かった」

「…そうですね。私もここが好きです」

「おや、夜の妖精さんもそう思う?」

「はい。素敵なところですからね、この国は」


 悪い人間もたくさん目にしてきたが、やはりこの旅を通し、人の温かさに触れてきた。見ず知らずの人間にも優しくしてくれる人が住んでいる国、大切な仲間が住んでいる国…聖女関連の人間以外から、春を喜ぶ声を直に聞けて嬉しくなるのは当然だ。微笑み返したトーマに、一瞬驚いた表情を浮かべた男は、そうだね、と嬉しそうに笑った。


「ねえ、素敵な夜の妖精さん、名前を教えてくれない?僕はアル」

「あ、えっと…」

「ありゃ、やっぱりダメかぁ」


 残念、と笑ったアルと名乗った男に申し訳なさを覚える。名前ぐらいとも思えたが、ここで迂闊な事をしない方が皆のためにもなるだろう。まだ胸を張って名乗れるような立場じゃない事が悔しくて唇を噛んだトーマに、アルは気にしないでと微笑んだ。


「でも、貴女はそろそろ部屋に戻った方が良い。僕がこのテラスを飛び越えて妖精さんの秘密を解き明かそうとするかもしれないからね。夜に、そんな格好で男の前に立ってはいけないよ?」


 人当たりの良い笑顔で物騒なことを伝えてくるアルに、トーマは引きった笑いを浮かべながら頷くと背を向けた。入院着のような白いワンピースは、何も問題が無いと思うのだが…男として生活してきたらそう感じるだけなのか、悩みながら歩き出そうとした所で、妖精さんと声をかけられ振り返る。相手は、振り返ったトーマに向かい何かを投げてきた。慌ててそれを受け止めれば、キラキラと輝く透明な石を金で囲うように装飾されたピンブローチが手元にあった。訳も分からずアルへと視線を向ければ、妖精さんのだよ、と返された。


「そんな…受け取れません」

「僕達が今夜ここで出会えた奇跡に、と贈りたいけれど、それは妖精さんに必要な物だ」

「必要…?」

「そう。とても役に立つから持っていなさい。怪しいと思うなら、明日魔女にでも問うてみると良い」


 手に乗っているピンブローチに嵌め込まれている石は魔石のようで、透明な石の中でくるくると光が渦巻いている。不思議な魔石とアルとを交互に見て戸惑うトーマに、アルはおやすみとウインクをしてバルコニーから消えていった。一人取り残されたトーマは、暫くアルが消えて行った先を見つめる事しかできなかった。



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