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大きな魔力を持つ魔術師は、その力の脅威から守るために国は個別に契約を結び始めたと言う。魔術師には宮廷魔導師と言う職につき国の管轄下に入ってもらう。力ある者の証しとし、魔術師の目指す職として国が掲げる栄誉ある称号として宮廷魔導師を発表する。そうすれば、身分の証明と給与が与えられる。昔から普通と違った力を持った者が迫害されてきたのは変わりなく、生きる術を失っていた力ある魔術師達はこれに縋るしかなかった。この世界の人間ではないトーマにも同じことが言えた。麓の小さな村と山の中にある小屋とで形成される小さな生活範囲ならば真実を隠しながらも生きてこれたかもしれないが、今はそうではない。トーマと言う魔術師の存在は聖女と行動を共にすることにより国中に広まってしまっている。それならば、国の後ろ盾をもらえた方が動きやすいのは当然であり、住むところも、職も、身分でさえもこの紙一枚で手に入るのだから、これほど有難い契約は無い。
「要約すると、この国の法に従う事。生活の補助をするので、何かあったらこの国のために働けって事だ」
ミラージュらしいばっさりとした説明に苦笑を浮かべながら誓約書へ目を落とすトーマに代わり、レオルドが端折りすぎだろうと呆れ気味にため息を吐く。間違っておらんだろうに!とむくれるミラージュを横目に名前を書き込もうとすると、待てと止められた。
「サインは自国の文字で書いてくれ」
「漢字で…?何でですか?」
「ここまでが自国民に対する優遇だ。だが、お前は異世界人だろうに。扱いとしては国賓だ」
「国賓…」
ぽとりと手にしていたペンを取り落とす。予想以上のVIP対応に、まさかと顔を引きつらせるが、ミラージュは顔色一つ変えずに国賓だ、と繰り返す。あまり迷惑を掛けず慎ましく生きていく予定だったが…大事になっていることにようやく気付けたトーマは、顔を青くしながら首を振った。
「むむむむりです…!国賓って…!嫌です…!!」
「仕事などせずとも好き放題暮らせるのだぞ?繁忙期も残業もないスローライフサイコーって言ってただろうに」
「ここに来る前は繁忙期あけだったの!新人君の教育係りと日々数千単位で落ちてくる新規案件精査と手配と…あの時期にシステム総入れ替え判断した上層部のせいで、毎日午前様だったの!終電間に合わずにタクシーで帰ってたの…!!」
「お前の言っている単語の意味が何一つ分からん。なんだ?死ぬほど忙しい生活を送りたかったのか?」
「いや、死ぬほど忙しいのはちょっと…適度にと申しますか…」
「…トーマ…お前、ドMか…?」
「ちっがーう!ただの貧乏性なだけです!」
興奮して叫びすぎた為か、突然眩暈を感じ体がぐらりと揺れる。横へと倒れ込みそうになったトーマの体を一番近くにいたアメリアが慌てて抱き留めた。やっと止まった二人の口論に蚊帳の外だった元護衛達の代表とし、ライアスがどういう事かと問えば、訝し気な表情を浮かべたミラージュが数秒間かけて考えた後に、納得した様にポンと手を叩いた。
「そうか!男どもは知らぬのだったな!聖女は知っておったので、うっかりしておったわ」
恐ろしい程軽いノリで、スマンと謝られこんな人物とずっと一緒に暮らしていたと言うトーマの器の大きさをライアスは改めて再確認した。
「先ほど言った通り、トーマはこの世界の人間ではない。異世界から召喚されてきた」
「はぁ?おい、魔女、頭大丈、」
レオルドが全て言い切るよりも早くパァンと小気味よい音が部屋に響く。みれば頭を押さえ蹲るレオルドがおり、彼が尊い犠牲となったのは明らかだ。ライアスとウィルは哀れみと呆れが混じった視線を送りつつ、黙ってミラージュの話の続きを聞いた。
「解除者とは不思議な存在でな、この世界では絶対に生まれないのだ。必然的に別の世界、異世界より人を連れてくることとなる。そして、今回選ばれたのが、トーマだった。ああ、異世界人だからと危険分子扱いはするなよ、解除者としての能力以外は我々と変わらない至って普通の人間だ」
「よろしいですか」
「なんだ」
「トーマは、異常な程の魔力保持が可能ですが…それは、彼固有の能力だったのでしょうか」
「その通りだ。解除者だからと言って、全ての者が魔力を持っているわけでもない。魔法については、トーマ個人の能力が高かった、それだけだ。現地に着くまでただの荷物だった者もいたのだから、歴代解除者の中でも大変優秀だったのは間違いないだろう」
思いがけない所で褒められ、くすぐったくて笑ってしまう。同じようにアメリアも嬉しそうに笑うと、トーマさんは私の自慢の解除者さんです、と囁き胸を張った。素直に礼を述べれば更に嬉しそうにする。仲睦まじい二人の様子に、ミラージュはやれやれと肩を竦めた。
「これだけ仲の良いペアもそうそうおらんがな。大抵同性同士だと男を巡っての争いが起こったり、自分の待遇が悪いと不満が起こったりと面倒なものなのだが」
「そんな!私よりも、トーマさんの方がずっと凄い方です、私の憧れです」
「憧れって…」
「本当ですよ!私もトーマさんみたいな素敵な方になりたいです」
トーマの両手をきゅっと握ってキラキラと眩しいぐらいの眼差しを向けてくるアメリアに、なんと答えればいいのか分からず曖昧に笑い返す。そんなさらっと流れた会話の中で、違和感を感じたのは護衛達だ。だから、異世界より召喚され国を救った解除者にはそれ相応の~と話し始めたミラージュへ、今度は殴られないように少し距離をとったレオルドが遮るように声をかけた。
「ちょっと待てよ、トーマは男だろ。なんだよ同性同士って」
「何を言っておるのだ?春になったのだから、こやつは元の性別通り、女で相違無かろうに」
その瞬間、部屋の空気が止まった。護衛として同行していた三人はミラージュの言葉を受けじっとトーマを見つめ、トーマは信じられないと言った表情のままミラージュを見つめて固まっている。何かまずいことを言ったのだと、そこまでは悟れたミラージュは、頭に?を浮かべながらトーマと護衛達へ交互に視線を向ける。誰一人言葉を発しない中、きょとんとしていたアメリアは、ミラージュの言った意味が分かると、まあ!と歓喜の声を上げると嬉しそうに手を合わせた。
「もう大丈夫なんですか!」
「え?あ、ああ…むしろ、この世界に居るのならば、今度は逸早く殺さなければ」
「師匠!!」
「は、はい!」
「貴女が…私の事、そんな風に思ってたなんて…!」
怒りを通り越した感情は、裏切られたと言う思いと共に悲しみへと変わる。アメリアとミラージュの会話の上から被せた声は、酷く震えていた。視界が滲み、また溢れだす涙を拭うことなくミラージュを睨み付ければ、彼女は途端に動揺ししどろもどろに言葉を漏らしながら、最終的には、泣くなとおろおろしてベッドの端へとしゃがみ込み、俯いてしまったトーマの顔を懸命に覗き込んだ。
「最初から、残らずに還れって言ってくれれば、良かったのに…」
「何を言っておるのだ、私はお前に残って欲しかったのだぞ」
「っでも、いま、殺すって…!」
「す、すまぬ、お前がそこまで力を大切にしているとは思わず…見通す力を殺さずとも生きていけるよう、私の方でも工面をしよう」
「……は?」
「だからもう、泣くでない」
「…師匠」
「な、なんだ?」
「男に女ってバレたら死ぬって言ったのは…最初から、解除者の能力の話…?」
「ん?そうだが…」
「…師匠の…師匠の、言葉足らずーーーーーー!!!!!」
その日、興奮による絶叫で、トーマの二度目の眩暈に襲われアメリアの胸の中へと倒れて行った。
全ての原因は見解の相違。トーマの事を心配しての発言と取らせた行動だったが、それはトーマが捉えていた意味とは少し違っていた。
解除者のみが持つ解除をする能力と見通す力と言う物は、別の世界に存在する者にのみ備わっている力。異世界人全てが解除者としての適性があるのかと問えばそう言うわけでもないらしいが、はっきりとしていることはトーマがその適正者であり、今回の解除者として召喚された事だった。そして、その力は混り気の無い清らかな状態で居ることで発揮が出来る。混り気と言う条件は、文字通り交じる…性行為を示す。初めてトーマを見た日よりミラージュが感じていたのは、押しの弱さ、危機感の無さ、警戒心の薄さ…加えて、人当たりの良さ。どう考えても春を迎える前に、最悪の場合聖女発見前に、能力を喪失する可能性が高かった。その為に、男として生きろと伝えたのだ。女として他人に接するよりも、格段とリクスは減るし、自身は女の体の為、すぐに女との性行為に踏み切ろうとはしない。その読みは見事的中をし、幸い身長も平均よりは高かったために中性的な男性として生活を送ることに成功した。
異性との性行為をしないようにと注意をしてくれれば、自分の身は自分で守れる。せめて一緒に旅した仲間には真実を伝えたかったと反論したトーマに、場の雰囲気に流されたり、絆されたりしないか、万が一見知った仲間に襲われた時に、本気で抵抗が出来るか、自分が懸想している相手にされたらどうだ、と言われれば押し黙ってしまった。性格を考えれば、万が一が起こってもおかしくないのは明らかだ。大人なのだから、一回ぐらいならいいだろうと許してしまうかもしれない。自分の性格を汲んだ上でのミラージュの判断だったために、完全に彼女のせいにもできず、最終的にはお互いがすみませんでしたと頭を下げ合う事となった。
最初こそ動揺をしていた護衛達だが、ミラージュとトーマが落ち着きを取り戻した頃には、すっかりと納得をしていた。ライアスは蒼白になって、酒の勢いだったが…責任を取ると頭を下げ、性別など関係なく、トーマはトーマですからとウィルが微笑み、だから柔らけーし、いい匂いしたんだなぁとその後に続き納得したレオルドの肩を、ミシっと言う音が出るほど強く掴み先ほどとはまた違う微笑みを浮かべたウィルを止めたり。アメリアはと言えば、王都で熱を出し倒れたトーマを治癒をした時から、女性だと知っていたと爆弾を投下してくれたりした。聖女は治癒の力を発揮した際に、相手の事が見えるのだと言う。だから、当初男だと名乗った際に不思議に思いはしたが、理由があるのかもしれないと黙っていたのだと。ずっと、姉のように慕ってました…!と恥ずかしそうに告げられ、トーマはアメリアの事を抱きしめられずにはいられなかった。
そして話は振り出しに戻り、解除者としての仕事が終わった後のトーマの身分についてとなる。ミラージュの説明通り、解除者の扱いは残留するのであれば国賓となるのは納得できた。現に、歴代聖女は全員旅を終えれば王族との結婚と言う末路を迎えている。解除者はどうなのかと聞いてみれば、表向きには王族の末端として迎えられるらしい。王の隠し子、王位継承権は捨てた王族とし王宮に迎えられ、王族としての責はない。解除者自体が公に出来ない存在なのは分かっているにしても、良く言って未来を約束されたニート、悪く言って穀潰し。それは嫌だと首を振り続けるトーマに、ミラージュは不思議そうにするが、精神衛生上大変良くないと言うのは、他四人には痛い程分かるので、トーマの拒否にも頷けた。
「王族にはなりたくないです、安定した職が欲しいです」
「だがなぁ…宮廷魔導師としてだけでは、破格すぎるだろうに。お前の価値はそこまで安いものではないのだぞ」
「いいじゃねぇか、本人がやりてぇって言ってんだから」
切実と訴えるトーマと渋るミラージュの間に助け船を出してくれたのは、レオルドだった。
「宮廷魔導師としての食客で良いんじゃね?」
「ううん…トーマ、言っておくが宮廷魔導師と響きは良いが、有事の際は切り札として前線へ送り込まれる可能性がある。それでも構わんのか?」
「ミラージュ殿、トーマを脅さないで下さい」
「ぐ…」
「安心しろ、トーマ。宮廷魔導師が戦争に駆り出されたことは一度も無い。むしろ、魔導師は内地で守りを固めてもらう必要があるので、前線には行かせられないんだ」
「前線は、私達魔法騎士が受け持ちます。後方には魔術師団が付きますので、魔導師様方には、防衛の要になって頂くんですよ。と言っても、国を挙げての戦争など200年ほど起きてませんが」
ライアスの説明に、ウィルが更に詳細を付け加えてくれた内容は、ミラージュの発言とはかけ離れてすぎている。ジト目でミラージュを見つめれば、分かったよと頷いてくれた。実際の宮廷魔道師としての主な業務は、自分の得意分野で貢献をすれば良いらしい。ミラージュで言えば、薬の調合と魔術師への新魔法の落とし込みと言う。未だ詠唱が解読されていない魔法について、彼女は独自の解釈で訳し多くの者が利用を出来るように呪文を普及する事を仕事としていた。だから、家にはたくさんの本が積まれていたと納得が行く。
「お前は、私の調薬の補佐が主な仕事になるだろうが…まあ、仕事内容については追々決めていこう」
「有難うございます!」
頭を下げ、やっと誓約書に名前を書き込もうと再びペンを持った所で、トーマと再び声をかけられる。視線だけをミラージュへ向ければ、予想外に彼女は真剣な表情を浮かべており、思わず手を止めてしまう。
「本当に、元の世界へ還らずとも良いのか。後悔はしないか」
「師匠…」
「お前にも、家族や愛する者が居たのではないか?この機を逃せば本当に還れなくなるぞ」
まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。居なくなった後の世界について、気になっていたのは事実だった。散歩と告げ戻ってこない自分は行方不明になっているのか、死亡扱になっているのか。家族に心配や迷惑をかけているのではないか、一人娘だったのに、結婚もせずに消失だなんて、とんだ親不孝者だとトーマ自身も思っていた。
「…元居た世界での扱いは…どうなるんですか?」
「初めから無かったものとなる。それだけだ」
「…そっか」
小さくそれだけを返したトーマは、誓約書へと顔を戻す。インクをつけていない羽ペンだが、紙に押し付けると水色の発光した染みができる。特殊な魔法をかけられているペンに、しっかりしてるなと内心苦笑を漏らしながら、書き込んでいった。
藤間千尋、久しぶりに書く本当の名前。仲間に見守られながら元の世界と決別した日は、とても穏やかな春の日だった。




