7-6
魔石の灯りを落とし暗くなった室内を横切り、トーマはベッドへと入った。枕へ顔を擦りつけるようにして横になると、自然と欠伸が漏れる。隣のレオルドはまだ起きているようで、仰向けの状態で天井を見つめていた。寝つきの良い彼にしては珍しい光景に、じっとトーマが見つめていると、レオルドは一緒に寝たいのか?とニヤつきながら声をかけてきた。珍しいと思っただけです、としかめっ面を作り、トーマも仰向けへと体勢を変える。窓から差し込んでくる街灯をぼんやり眺めていると、レオルドが声をかけてきた。
「アメリア、逞しくなったよな…」
「…そうだね。あの子は変わったよ。最初に会った時はすぐ泣き出しちゃうんじゃないかって心配だったけど…今では、俺が励まされてるぐらいだもんなぁ…」
情けない、と苦笑したトーマに、レオルドも頷いた。意外とこの面子の中で、打たれ強いのは彼女なのかもしれない。
「ふわふわしてることは今でも変わんねーけど…聖女らしくなってくアイツ見てたら、俺も変わんねぇとって思ってよ…」
「仰る通り…」
「アイツの隣、俺は胸張って立てるかとか…不安になる時あんだよな…」
世にも珍しいレオルドの弱音に、トーマは驚いて顔を横へ向けると、しっかりと天井を睨み付けているレオルドの姿がある。予想以上に悩んでいる彼を見れば茶化す言葉など出てこず…代わりに真面目に答えようと体ごとレオルドの方へと向けた。
「何言ってんの。今のレオルドなら大丈夫でしょ」
思っていたよりも優しい声が出た気がする。意外そうな視線をこちらへ向けたレオルドに、トーマはにこりと微笑みかけた。
「アメリアが変わったように、君も変わったと思うよ」
「…そうか?」
「うん。この旅からの付き合いの俺でもそう思うんだもん、間違いないよ」
「そう、なのか…」
痒そうに笑うと、レオルドはどこか安心したように頷く。いつでも自信満々で少し強引な彼でも、悩んでいたんだと思うと可愛く思えるのは贔屓目かもしれないが、誰がどう見てもお似合いのカップルなのに、気づかないのは当人達だけのようだ。
「今のレオルドだったら、安心してアメリアを預けられるよ」
「…お前、本当アメリアの兄貴だよなぁ…血繋がってんじゃねぇの?」
「かもねぇ」
片肘をつき、手のひらに頭を乗せてこちらを向いてきたレオルドは、大層真面目な顔をしていた。その顔を見たトーマは、くつくつと肩を揺らすようにして笑いながら頷く。自分の顔を見て笑ったトーマへジト目をしていたレオルドだったが、小さく息を吐くと表情を変えた。
「真面目な話、これが終わったら聖女は国に取り込まれるだろーな」
「……やっぱり、そうなる…?」
突然の言葉に、笑いも収まる。驚いたような、不安そうなトーマの視線を向けられ、レオルドは気だるげな体勢とは似つかわしく無い険しい表情を浮かべていた。
「間違いねぇな。保護を名目として、他国へ渡さないように…手っ取り早いのが、第一皇子との結婚だろ」
「皇子様と結婚?!」
「んな驚く事か?大抵の聖女が王族と結婚してんのは、お前でも知ってんだろ」
不思議そうにするレオルドに、曖昧に笑い返す。まさか、元々この世界の人間じゃないからそんなお国事情など知らないとは、とても言えない。そんなトーマの反応に、彼は、彼女を聖女ではなくアメリアとして見ているのだと思ったレオルドは、お前にとっちゃ妹だからなぁ、と勝手に納得すると頷いてくれた。
「俺、あんまり外の事って詳しくなくってさ…その第一皇子って、どんな人なの?」
「容姿端麗、成績優秀、頭脳明晰のわりには変人で、女遊びが激しい」
「うわぁ…」
「婚約者も取らずプラプラ遊び歩いて、気に入ったモノは手に入れなきゃ気が済まないタイプだな。戦闘はからっきし駄目だが、政治の手腕は宰相お墨付きってな…性格は難ありだが、聖女との結婚にはこれほど都合のいい相手はいねーわな」
純粋なアメリアが、そんな相手と一緒になって幸せになれる未来が思い描けない。それは、しっかりと表情にもでていたようで、トーマの顔をみたレオルドは、安心しろと口角を上げた。
「みすみす手放すかよ、掻っ攫うに決まってんだろう」
「掻っ攫う?!」
「根回しは必要だろうが、あんなヤローに渡すか。アメリアは、俺の女だ」
予想以上の過激発言に声を裏返すトーマだったが、レオルドは人の悪い笑顔で自信満々に頷いてみせる。皇子からの略奪愛なんて、なんて言う二次元…結婚式の最中、颯爽と現れるレオルドがウエディングドレス姿のアメリアを姫抱きして走り去る所を思わず想像し、絵になる姿にため息を漏らす。
「ああ…いいねぇ…夢いっぱいだねぇ…」
「は?夢…?」
「あ、ごめん、何でもない。カッコイイなって思っただけ」
「当たり前だろ。お前も王都帰ったら面倒くさくなりそうだし、一緒に攫われとくか?」
「ん~、考えとく」
「おう、そん時はライとウィルどうにかしとけよ。争奪戦に交じるのは勘弁な」
本気で嫌そうな顔をするレオルドに、吹き出してしまう。俺モテるねぇ、と冗談っぽく笑えば、お前本当躱すの上手いよな、と関心したように見つめ返してくる。
「トーマ、お前本気でライと何かあっただろ?」
「昨日も言ったけど、見通す力で見た夢の話をしてただけだってば」
「それだけで、ライがあんな行動するかよ…ウィルは分かってたけどよ…何があったか知んねーけど、ライも結構マジだぜ、あれ」
「マジって…」
「男同士だから有り得ないとか思ってんなら、考え直した方が良いぞ」
いつものからかう様な口ぶりではなく、本気で心配をするようなレオルドの言葉を受け、トーマは考え込む。それを見届けてから、レオルドは体勢を崩し仰向けになった。腕を伸ばし伸びをすると漏れた欠伸を噛み殺すことはせず大口を開ける。そんじゃおやすみ、と告げると一方的にレオルドは目を閉じた。暫く頼りなさげにレオルドを見つめていたトーマだったが、諦めたような小さく息を吐くと同じく天井へと体を向けた。
ベッドへ入れば秒速で寝つけるトーマだったが、今日に限ってそれは訪れなかった。隣からはレオルドの寝息が聞こえているのに、未だに冴えてしまっている頭にため息を漏らす。明日、魔石を受け取ればこの旅も最終段階へと入る。だからこそ、休んで体力を回復させておきたいのに…もぞもぞと寝返りを打ち眠ろうと思えば思うほど寝れなくなる。
「…寝れない…」
ぽつりと呟きながら目を開ければ、丁度窓から月が見えた。ぼんやりとそれを眺めていたトーマだったが、カタンと言う音と共に、光が遮られる。それに驚き、思わず体を起き上がらせた所で窓枠に人の影が現れた。思わず声を上げそうになった所で、慌ててトーマは口を押えた。月明かりで逆光になってはいるが見覚えがあるそのシルエットに、ベッドを抜け出し窓枠へと駆け寄るれば見慣れた銀髪が揺れた。
「こんばんは」
窓の外で挨拶をしてきたのは、数時間前に部屋の外で別れたウィルだった。急いで窓を開けてやると、彼は嬉しそうに笑った。
「ウィル?!何してるの、そんなところで…!」
「眠っていては悪いと思いまして…起きていて良かった」
「そんな、普通にドアからやってくれば…」
「それでは起こしてしまうでしょう?」
くすりと笑いながらウィルはトーマの頬へと手をあてる。思いのほか暖かい彼の指は、彼が外へ出て間もない事を教えてくれた。
「トーマ、少しよろしいですか?」
「あ、うん。とりあえず中に、」
「有難うございます。では、失礼しますね」
部屋の中へと招き入れようとしたトーマの前へ音もなく降りてきたウィルは、小声でそう告げるとトーマを横抱きにする。
「え…?!」
突然浮かび上がった体に驚くトーマに、起きてしまいますよ、とウィルが囁くと、大人しく口を噤み胸に収まる。従順な彼に嬉しそうに微笑んだウィルは、再び窓枠へと足をかけ軽々と外へと飛び出した。二階と言えど高いそこに目を瞑れると、体に再び浮遊感が襲う。必死にウィルの胸元へしがみつくトーマだったが、すぐに動きは止まった。恐る恐る目を開ければそこは宿屋の屋根上のようで…不安げに見上げると、大丈夫、と微笑みながらウィルはトーマを降ろした。屋根上の雪を払うと、どこから持ってきたのか厚手の布をひき、どうぞと声をかける。言われるがままにそこへと座ったトーマの隣へとウィルも腰を下ろすと、彼が身に付けていたマントを広げるトーマの肩へとかけた。一つのマントに包まり、必然的に近くなった距離と共に暖かさが体を包み込めば、詰めていた息をやっと吐けた。
「ウィルが窓からくるなんて…なんか…意外」
「ふふ、私も昔はやんちゃでしたから」
素直に述べた感想に、ウィルは悪戯っぽく笑う。意外な一面ではあるが、掻っ攫う発言をしたレオルドと付き合いが長いと言われれば納得が出来てしまう…大人しい優等生だけではレオルドとは付き合えないだろう。見た目だけで言えば、見紛う事無き優等生なのだが。
「今、良くない事を考えてました?」
「そんな事無いよ、レオルドの友達やってるだけはあるなって思っただけ」
「やはり、良くない事じゃありませんか」
不貞腐れるウィルに、思わず吹き出してしまう。くすくすと笑いを噛み殺しながらごめんと言えば、釣られるようにしてウィルも笑った。
笑いも落ち着いて息を吐いたトーマが隣を見上げると、ウィルは微笑んでから空へと視線を向けた。雪はやみ、空には星が瞬いている。昼間よりも明るいのではないかと思うほどの星の数に、視線を追って見上げたトーマは星の見事さに息を飲んだ。言葉なく見つめるトーマの横顔を盗み見たウィルは、甘えるように下にある黒い頭へと顔を寄せる。擦り寄るように寄りかかれば、ふわりと匂いが香る。ひどく落ち着く香りに、目を閉じた。ウィルの行動に声をかけることはせず、同じように彼の肩へと頭を預ける。やはり目だけを空へと向けていると、片手が伸びてきてトーマの手を握る。手のひらを握ったり、指を触ったりとトーマの手を弄り始めるがそれも最初のうちだけで、暫くすれば動きは止まり、ただ手を握りしめるのみで止まった。
「明日で終わりですね」
ようやく発したウィルの言葉に、いつの間にかうつらうつらとしていたトーマは目を開けた。そのまま顔を上げると、真っ直ぐにこちらを見つめた青い瞳がある。ふわふわとしていた気分が一気に覚めるような視線を向けられれば、逸らすこと等出来はしない。
「…旅が終わってしまっても、私の隣に居て欲しい」
告げられた言葉に、息が止まる。それは、友達としてではなく、もっと特別な関係で…考え直した方が良いとレオルドに言われたばかりだっただけに、何も言えずにいるトーマを前に、ウィルは更に言い募った。
「ねぇ、トーマ、私は貴方が好きなんです…誰にも譲りたくないんですよ…」
ライにも、と言えばピクリとトーマの肩が揺れる。何か言おうとして、口を開くも言葉にならずにぱくぱくとしていたが、決心したように小さく息を吐くとウィルの視線から逃げるように顔を俯かせた。その行動の意図が全く分からず、不安が募るのを感じた。同性の気持ちには答えられないと拒否されるのか、ライアスが良いと断られるのか…何にせよ考えつくのは悪い予想ばかりで、沈黙でさえも辛い。しかし急かすことも出来ずに大人しく返答を待っていれば、俯いたままのトーマが、あのね、と小さく声を発した。
「…何時までここに居られるか、分からないんだ」
今、目の前にいる人物は誰なのか…先ほどまで隣にいたトーマとはまるで違う雰囲気を纏い話し出したトーマに、ウィルは息を飲んだ。それには気付いていないのか、俯いたままのトーマが続ける。
「それなのに、この世界には大切なものを作りすぎたの…役目が終わったからさよならなんて、もう、出来ないよ…でも、自分の気持ちだけでどうにかなるなんて分かんない」
声は僅かに震えていた。握っていた手に力を込めてやれば、細く華奢な肩がピクリと揺れる。黒髪が流れ落ち、現れた白いうなじは情欲をそそるが、今は話を聞いてやるべきだとウィルは邪念を払った。その判断は正解だったようで、トーマがゆっくりと顔を上げると、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「それにね、貴方に、本当の事なんて少しも言ってない。自分の為に嘘をついて生きてる。貴方が思うより、狡くて汚いよ…」
トーマが空いている方の腕を伸ばすと、ウィルの頬を包み込むように添えられる。
「だから、今すぐに答えられない。それでも好きだと言ってくれるなら…答えが欲しいなら、解除者の役目が終わるまで待って欲しい」
青い瞳をじっと見つめる。何か言いたげな表情に、お願いと続けて声を掛ければ、彼の口は閉ざされたままだった。数秒だっただろうが、ひどく長く感じる時間見つめ合った後に、ウィルはゆっくり瞬きをすると目を細める。
「貴方は…焦らすのが上手い…」
分かりました、と苦笑を浮かべながらも頷いてくれた彼に、詰めてしまっていた息を吐くとトーマも、ありがとうと笑う。頬に添えていたトーマの手の上へ自分の手を重ねたウィルは、愛おしそうに顔を擦り寄せた。
「惚れた弱みです…ですが、きちんと待てが出来たら、御褒美は頂けるんですか?」
「御褒美って…」
「…例えば」
そっと掴み、頬からトーマの手離したウィルは指先を遊ぶように撫でながら口元へ持っていく。手の甲へキスを落としながら上目遣いでこちらを見上げてくる視線は、酷く熱い。
「トーマ自身、とか」
ちゅ、ちゅ、と音を立てて手の甲から指先へと唇が移動していく。唇が手へ触れる度に震えるほどの痺れが体に走るようで、思わず漏れそうになった声を噛み殺す。軽い力で掴まれているのだから、手を引いてしまえば良いだけなのにそれが出来ない。困った様な、照れている様な表情を浮かべ視線を逸らしたトーマを見て、ウィルは、ゾクリと背筋鳥肌が立ったような気がした。征服欲をくすぐる反応が堪らない。トーマ、と低く名前を呼べば、頼りなさげにこちらへ視線を向けてくれる。今まさに待てを言いつけられたばかりなのに…忍耐強さを試されているようだと、ウィルは心の中で苦笑した。
「こら、反論をしないと本当に食べてしまいますよ?」
「っ、ダメ…!」
我に返ったのか、慌てて声を荒げたトーマに、クツクツと喉の奥で笑う様にしながらウィルは抱き寄せた。ふわりと香る甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んでから、トーマを横抱きにして立ち上がった。
「帰したくはないですが…戻りましょうか」
銀髪を揺らし青い目を優しく細め見下ろしてくる彼に、微笑み返しながら頷く。ウィルの胸へ頭を寄せたトーマに小さく笑ってからウィルは歩き出した。




