7-2
気付かない内に疲れは溜まっていたようで、その日トーマはぐっすりと眠った。翌日起きた頃には、とっくに日が真上まで登っている頃で、寝過ごしたと慌てて部屋を飛び出し、提供してもらっている客間へ顔を出すと地図を確認していたライアスに笑われてしまった。アメリアも今朝方熱が下がったようで、あと一泊だけ世話になる予定だと告げられ、良かったと呟きながらトーマは力なく椅子へと腰掛けた。そこでやっと、この部屋中には向かいに座るライアスしかいない事に気付いて、首を傾げた。
「ウィルは外に出てる、レオルドはまだ寝てるんじゃないか?」
「寝てる?アメリアの部屋じゃないの?」
「ああ。アイツにまで倒れられては困るとベッドへ押し込んだよ」
「確かに、無理矢理寝かせないとずっと付いてそうだったね…」
アメリアが倒れた後の彼は、常にそばに付きっぱなしで、甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いていたのを思い出す。夜中に追加の熱冷ましを持っていった時にも、目の下にクマを作りながらも眠らずに傍に控えていたので、彼はこの数日殆ど眠っていなかっただろう。休んでくれたと聞いて安心したと笑えば、ライアスが眉を潜めた。
「トーマも、もう少し休んだ方が良い。顔色が悪いぞ」
「え、そう?結構寝たんだけど…」
「まあ、すぐには眠れないと思うが、今夜は早めに休めよ」
「あはは、分かりました。なんか、ごめんね…」
「何がだ?」
「色々と…迷惑とか、心配とか、かけちゃって…」
小さく呟くように言ったトーマの声は、静かな室内では充分な大きさだったようで。きょとんとした顔をしたライアスだったが、すぐに納得したように微笑えんだ。
「蹴りってやつは、もうついたのか?」
「あー…どうだろう、もうちょっとかな」
先送りにすればするほど、自分の首を絞める事になるのは重々承知だった。最初に思っていたよりも、この旅は楽しくて面子に恵まれていて…これからも、一緒に居たいと思ってはいる。しかし、一晩経って冷静になって考えてみえば、やっぱり当初から決めていた通り、気持ちに蓋をし離れる事が最善だと理解はできた。子供みたいな駄々をこね、決めかねている自分が情けなくて…困った様な笑いで取り繕うとしたトーマだったが、それは向かいに座っていたライアスの真剣な表情で失敗に終わった。
「ライ…?どうしたの?」
何か考え込むように机に置かれた地図を見つめていた彼は、トーマの声に顔をあげると、悪い、と苦笑を作るも、すぐに真剣な表情へと戻った。
「こんな事を言うのは不謹慎かもしれないが…アメリアが倒れてくれて良かったと思ってるんだ」
突然のライアスらしからぬ告白に驚き見つめる。間抜けな顔をしている自覚はあったが、そんな事に構うことなくライアスは続けた。
「今まで休み無く来たから、お前達に休憩をさせてやりたかった。それに、次の町へ立ち寄れば、この旅も終わる。それは喜ばしいことだが…旅が終われば、今まで通りでは居られなくなるのが…少し寂しくてな」
任務なのに、おかしいなと苦笑をするライアスの言葉に、トーマは息を飲む。彼も同じ事を思ってくれていたと思うと、嬉しかった。
「なんて顔してるんだ…」
「え…?」
「トーマを泣かすな、ってアメリアに怒られてしまいそうだな」
腰を浮かせて手を伸ばしたライアスは、トーマの頬を包み込んで、親指で目元を擦る。それでやっと、視界がぼんやりとしていたのは、涙が溜まっていたからなのか、と理解した。
「俺もね、寂しい」
「トーマ…」
「皆ともっと一緒に居たい。旅が終わったら、会えなくなるなんてやだ」
「会えるだろ」
当然だと返ってきた返答に、言葉が詰まる。
「でも…きっと、無理だと思うよ」
「無理でも、俺が何とかする」
やっと出た否定だったのに、やっぱり彼は譲る気がないのか即答だった。頑なな様子に、思わず笑ってしまう。
「…ライ、たまに強引だよね」
「そうか?」
「うん。でも、俺はそれに救われてきたよ…ありがとね」
潤んだ瞳で見上げきたトーマの視線の真剣さに、ライアスは撫でていた動きを止めてしまった。その隙に、驚いている彼の手を軽く撫でてから、トーマは立ち上がる。
「顔、洗ってくる。こんな情けないのアメリアに見せられないもんね」
呆然としている彼へ言い逃げるように廊下へと出れば、ひんやりとした空気が心地良い。目一杯息を吸い込んでからトーマは歩き出した。
ライアスに言われた通り、鏡で顔を確認すると酷い有り様だった。暗い表情に赤く腫れた目元と言う辛気臭い顔は、明らかに何かありましたと言っているようものだ。宣言通りに顔を洗いしばらく腫れが引くのを待ってから、トーマはアメリアの部屋へと向かった。
軽くノックをすると、中からどうぞと声が聞こえてきたのには驚いた。てっきり寝ているものだと思っていたが、扉の先にいたアメリアは大分元気そうだ。ベッドの上で起き上がっていた彼女は、トーマが顔を覗かせると嬉しそうに微笑んだ。
「顔色、昨日よりは良くなってきたね」
「はい、とても楽になりました」
「レオルドが、寝ずにずっと付いててくれたんだよ」
「…はい。うっすらと、手を握っていてくれた事を覚えてます」
少し照れながら話すアメリアの様子に、内心でおや?と思いながらも、表面上はいつものように柔らかい笑顔を浮かべ、トーマはそっかとだけ返した。
「一応予備の薬を作っておいたから、ここに置いとくね」
「有難う御座います。トーマさんのお薬、すごく良く効きました」
水差しが置いてある机に並べるようにして薬を置いてから、ベッド脇の椅子へと腰掛ける。
「俺の薬だけじゃなくて、アメリアの治そうって言う意識も必要だよ」
「…あの、すみませんでした。ご迷惑をおかけしてしまって…」
「迷惑なんかじゃないよ、俺の方こそごめん…言いにくい雰囲気作ってたのは俺のせい」
「そんなことありません。私なんか、もうすっかり元気です。そんな事よりも…」
そう言ってから口を閉じたアメリアは何かを考えこむように俯いた。もじもじと指を動かす姿には、見覚えがある。彼女が何か言い淀んでいる時の癖だったはずだ。根気よく待ってやれば、覚悟を決めたのかアメリアは顔を上げた。
「本当は、もっと早くに声をかけるべきだった」
「アメリア?」
「ねえ、トーマさん。ウィルさんと何かありました?」
「…え…?」
見当違いなアメリアの発言で、思わずギクリと肩を揺らしてしまった。それだけで彼女は確信したようで、やっぱりと頷いた。
「何があったかまでは私には分からないですけど、ウィルさんのトーマさんを見る目が少し変わってたから。それからトーマさんも悩みだしてたし、心配だったんです」
「そ、それマジで…?そんなにあからさまだった…?」
あまりの衝撃に、取り繕う事もせずに逸らしていた視線をアメリアへ戻せば、緑の大きな瞳もしっかりとこちらを見つめている。これでは何かあったと認めてるようなものだと気付いた頃には遅く、彼女はすぐにいいえと首を振った。
「ウィルさんの変化は本当に少しなので、普通の人だったら気付かないと思います」
「そ、そっか…」
「トーマさんの事だから、当然のように自分の希望を諦める結論を出すと思って…我慢しないで下さいって、伝えたかったんです」
なぜ彼女は、こんなにもトーマの事が分かるのか…状況について行けずぽかんと見つめていると、アメリアは悪戯っぽく笑って見せた。
「私、これでもトーマさんの聖女ですよ?この旅の中で、誰よりもずっとあなたの事を見てきましたから、それぐらい分かります。だから、諦めなくて良いような道を、一緒に探していきましょう」
「…似たようなこと、さっきライにも言われた…」
「本当ですか…!?」
「そ。無理だよって言ったのに、俺が何とかするって返されちゃったよ…まさかアメリアにまで同じこと言われるとは…」
ジンと目の奥が熱くなるのを感じ、昨日あれだけ泣いたと言うのに溢れ出そうになる涙をやっとのことで食い止める。ここにきて、新たな選択肢を出してくるなんて思いつきもしなかった。諦めるより他にないと思っていたのに、ことごとく否定されるとは…言われてみれば、性別がバレたら死ぬ理由だって、きちんと聞いていなかったような気がする。これだけ理不尽な条件で頑張っているんだから、無事成し遂げたら我儘の一つや二つ、聞いてもらっても罰は当たらないと、気が済むまで足掻いてやろうとなぜ考え付かなかったのだろう。前向きに考えることに定評のある自分だっただけに、悲劇のヒロインかよ、と頭を叩いてやりたい。嬉しいやら恥ずかしいやら…吹っ切れたようにトーマは笑った。
「あーあ、なんか悩んでたのがバカみたい。もっと早く話聞いてもらってれば良かったよ」
「ふふ、大好きなトーマさんの為なら、いくらでも力になります」
「俺さ、無理だと思って、希望も諦める事を前提として何事も捉えてたんだ。だから、しっかり向き合うこともしなかったんだけど…それは、もうやめようと思う。すぐに答えは出せそうにないけど、これからは逃げちゃいけないよね」
「ええ…そうですね」
「アメリアも、ね」
「ト、トーマさん…!」
思い当たる節があったのか、感慨深く同意してきたアメリアへニヤリと笑いながら付け加えると、彼女は顔を赤くする。うー、あー、と数回呻いてから、はい、と頷いた姿可愛くて。アメリア泣かせたら、俺許せないかも、と口にすれば、私こそトーマさんを泣かせた人は、許さないですから!と、さっきどこかのライアスが心配いていたような切り返しをされた。そんな話をしていたかと思ったら、今度はこの旅が終わったらトーマさんとやりたい事リストを作るとアメリアが意気込みはじめ、それは夕飯を手にしたレオルドが現れるまで続いたのだった。
次の日、すっきりとした表情のトーマとアメリアが顔を見せると、3人も表情を緩ませた。世話になった教会へ礼をして、治癒活動を行う。規模の小さい村は人口も少なく、朝一で開始をすれば昼前には全てが終わってしまう程度だった。未だに心配そうな神父に対し、アメリアの魔法で作った薬がどれだけ効くかの語りは、盛らないで!とトーマが止めに入るまで続いたりもした。
「おい、トーマ、大丈夫なのか」
村を出発して、声をかけてきたのは珍しくレオルドだ。いつも傍にいるアメリアはライアスとウィルと楽し気に何かを話している。
「レオルドこそ、結構無理してたんじゃない?」
「お前と一緒にすんな、体力の根本がちげーんだよ。んなことじゃなくてよ、ほら…」
「ん?何?他に何かあった?」
「その…護衛交換するとか、話あったんだろ?俺もよ、顔出すべきだとは思ったんだが…」
「ああ、そっちか。レオルドまでこっちきたら俺が張り倒してたよ。アメリアは、君が一晩中手を握っていてくれた事が嬉しかったみたいだよ」
「な…っ?!は?!な、んで、お前、知って…!?」
「さて、なんででしょう?」
ニヤニヤと笑い返せばますます慌てるレオルドが騒ぎ出すと、それにアメリアが気付き、2人の間へと入ってくる。心機一転、最後の町までの道のりも、楽しくなりそうだ。




