6-19
一日に、二度もお姫様抱っこと言うものを体験するのは、きっとこれが最初で最後だと思う。ウィルの腕の中に収まりながら、トーマは必死に無心になろうと挑戦してみようとするも、やはり難しくて。ちらりと視線を上げれば、見るからにご機嫌なウィルの顔が見て取れた。先ほどの甘い雰囲気とは違い、これはこれで恥ずかしい。
なぜ、再びウィルに抱きかかえられているのかと原因を辿れば、ライアス達の元へと合流するために歩き出した所で、トーマが膝から崩れ落ちたのがいけなかった。過度な運動で馬鹿になってしまった膝に力が入らずに、それでも無理矢理に動かそうとした結果が目の前で倒れ込むと言ったものだった。普段のウィルであれば冗談っぽく抱き上げる事を提案をし、トーマが嫌がれば背負うなり、肩を貸すなりをするのだが…過保護になりすぎている今の状況で、トーマの意見など聞き入れてもらえるはずもなかった。有無を言わさずに横抱きをして歩き始めるウィルに、重いから、歩けるから、と抗議をしても笑顔で流されてしまい、せめて背負って…と懇願しても、貴方の様子が分からないからダメですと速攻で却下だった。故に、今トーマに出来る事は、目立たず騒がず大人しくウィルの腕の中へ納まる事ぐらいである。女性として生活をしていた頃にだって、こんな経験等ありはしないのに…まさか、男として男に抱き上げられ、しかもその相手はイケメンでどことなく嬉しそうだなんて…自信が無くなりそうで、自分でも知らぬ内に小さくため息を漏らしてしまっていた。
「すみません」
頭上より振ってきたウィル声に、何のことだか分からず不思議そうな視線を返せば、彼は前を見つめたままで。首を傾げると、ウィルは小さく苦笑を浮かべた。
「どうしても、不安なんです。一度離してしまっただけに…後少しで良いので…」
そう言ってこちらへ向けた顔を見て、トーマは思わず息を飲んだ。いつも綺麗な笑顔を浮かべている顔は、今は見ているこっちがつらくなるほど自嘲する笑顔を浮かべていた。なんて言えば良いのか言葉を探すトーマに、ウィルは更に嘲る笑いを浮かべる。
「気持ち悪い、ですね。すみません」
「なっ?!違うよ…!」
「気を遣わなくても、」
「違うって言ってるでしょ」
自嘲を続けるウィルの言葉を遮った声は、思っていたより鋭かった。今度はウィルが驚いたようにトーマへ視線を向ければ、見上げてくるトーマは少し怒ったような視線を寄こしていた。
「こんなに心配してもらってて気持ち悪いなんて思うわけないでしょ。今回に関しては、完全に俺が悪いんだし」
「トーマ…」
「ただ…恥ずかしい、だけだし…っていうか、こんなこと言わせないでよ、ウィルのくせに…!」
察しろ!と完全に顔を赤く染めてウィルの胸へと顔を押し付けるトーマに、言われた意味を理解するまでに時間を要したウィルだったが、意味が分かった瞬間にくすくすと笑いだす。それは一向に収まることは無く、時折漏れる笑い声に溜まらず睨みつければ、すみませんと笑いを噛み殺しながら謝罪の言葉を口にして誠意の欠片もなかった。
「本命に奥手なのは、私も同じようですね」
「本命って…それ、可愛い女の子に言ってあげてよ…」
「おや、心外です。トーマは十分可愛いですよ?」
「わぁ、出た、乙女ゲーモード…」
「そうですか、私の言葉は貴方には届かないのですか…こんなにも想いをぶつけていると言うのに…」
「ねえ、なんかキャラ変わった?」
「とんでもない、これが私の素です」
トーマにはそのままの姿を見て頂きたいので、と笑うウィルの言葉に、更に頬を赤く染めたトーマは、ズルすぎると呟きながら俯く。確実に思いを告げるのはまだ早い。もう少しだけど、この距離感でいたい。赤くなるトーマ反応に、ウィルは満足気に笑うと足取り軽く先を急いだ。
「あと少しです」
そう言えばどこで他のメンバーと落ち合うのかを聞いておらず、ゆっくりとトーマを地面へ降ろし告げるウィルへ質問をすれば、警ら隊の建物だと答えられた。ナルディーニの様子を見ていれば警ら隊までも味方につけているかと思っていたのだが…不思議そうな表情を浮かべていたトーマに、考えていた事が分かったのか、歩きながら話しますと口の端だけを上げる人の悪い笑顔を浮かべてみせた。
「お察しの通り、警ら隊はナルディーニの力が強く影響されていましたよ。国の資金とは別に、個人的寄付と言う形で金を払い、不祥事をもみ消して行く。反聖女派としての過激な行動は、全てここで食い止め市民の耳へは入らないようにしていたようです」
「なるほど。だから、あそこまで人望厚いわけだ。でも、ウィル達はナルディーニの事知ってたよね?」
「私はたまたま耳にしただけですよ。ライ辺りは、職業柄嫌でも情報は入ってくるでしょうが…しかし、そんな警ら隊でも、それを良しとしない人がいた。その人物がたまたま実動隊の隊長で、たまたまその情報を得て、お声掛けしたんですよ」
にこにこと笑いながら口にするウィルの様子を見るからに、穏便に進んだわけではないだろう。いつものようにレオルド辺りが暴れたのかと思うと、これからお会いするであろう警ら隊の方々に申し訳なさを感じてしまう。
「怪我人出てない…?」
「トーマ、何を言っているのです。私たちが誰の護衛をしていると思っているのですか」
とても楽しそうに告げるウィルに、お会いしたらまずは謝罪からだと日本人の心が告げていた。
港のすぐ近くにある大きな建物の周りは、警ら隊のメンバーが集まっていた。見覚えのある制服の人々は、この街に来た当初、花を渡そうと通りへ飛び出してきた子供を押さえつけた男と同じだった。そんな彼らは、ウィルの姿を見ると怯えたような視線を向けたり、尊敬の視線を向けたり、深く帽子を被り敬礼をしたり…様々ではあるが、一目置かれているのは確実だ。その視線を軽々と受け流して何事もない様にウィルが通り抜けると、小さくざわめき始める。その内容は、総じて後ろについている男は誰なのか、仲間の魔術師様ではないのか、自分は一緒にいた所を見たことがある、無事だったのかとトーマの事についてであり、注目されなれていないトーマにとっては拷問に近い。なるべく目を合わせないように下を向いて歩くトーマに気付いたウィルはくすりと笑うと、隣へと歩調を緩め腰に手を回し抱き寄せ、大丈夫ですよと耳元で囁いたりするため、更に悪目立ちしていたのは過言ではない。
一番大きな建物の前まで来ると、ウィルは遠慮もせずに扉を開けた。警護なのか、扉を挟むように立っている二人の男へ軽く会釈をして中へと入って行く彼に習い、ご苦労様ですと声をかけてからトーマも後ろへと続けば、そこは何かの作戦室のような所だった。広い室内の中央に大きな木の机と黒板のような板が立てかけられている。その奥の方では見覚えのある姿が座っているのを見つけると、向こうもこちらへ気付いたのか、大きく目を見開くと勢いよく立ち上がった。
「トーマさん!!」
悲鳴のようなアメリアの声で、ワンテンポ遅れて顔をこちらへと向けたレオルドも、驚きの表情を浮かべたのちに、泣きそうな表情で顔を歪めた。そんなレオルドの隣を駆け抜けたアメリアは、勢いを止めることなくウィルの後ろに立っていたトーマへと飛びついた。華奢な体を抱きとめてやれば、そのまま胸元へと顔を押し付けるようにして埋め、強くトーマを抱きしめてくる。彼女の髪を梳くように撫でると、彼女はぐずぐずと鼻を啜りながら顔を上げてきた。顔を歪め大きな瞳からポロポロと涙を零す酷い号泣だが、それを一切取り繕う事をしない姿に、それほど心配させたのだと思うと、こちらまで泣きそうになった。
「アメリア…」
「心配したんですよ…!トーマさん、いきなり居なくなるからぁ!」
「うん、ごめん」
「トーマさん、自分の事になると急に周りが見えなくなる!」
「うん、そうだね…」
「いくら探しても、トーマさん見つからないし…」
「うん」
「それに、それに…!私にとって、トーマさんは大切な人なんです…!」
しっかりと目を見つめ、強く言い切る彼女の言葉が堪らない。自分の軽率な行動のせいで、アメリアをここまで泣かせてしまうことになるとは…情けない気持ちもあるが、今は素直にその気持ちをぶつけて来てくれた彼女の言葉が嬉しい。喉まで熱いものが込み上げてくるのを噛み殺すと、トーマは勢いよく縋り付いてくるアメリアを搔き抱いた。
「ごめん、ごめんね、アメリア…ありがとう」
「もう、居なくなっちゃやです…!」
「うん」
「絶対なんですからね…!」
「約束する」
「ふぇえええ、良かったよぉ…!」
トーマの回答にやっと納得がいったのか、言葉にならない声を上げながら彼の胸元へ顔を押し付け泣き始めたアメリアを、涙を零さぬようきつく唇を噛みしめひたすら抱きしめてやる。そんなきつく抱き合う二人姿を、少し離れた所で見ていたレオルドの隣まで歩いてきたウィルは、小さく笑うと妬けますねと声を漏らした。
「良いのですか?」
人の悪そうな表情を浮かべたウィルに、レオルドはムッとした表情を作ったが、それも一瞬で。視線の先に2人を捉えるとすぐにそれを崩した。
「あんな状態で間に入れるかよ」
「昔なら迷いなく入ってましたよね」
「今は…いーんだよ。大体、あいつらニコイチみたいなもんだろ。あんな葬式みたいなアメリアの顔なんか…もう見たくねぇよ」
そう言ってガシガシと後頭部を掻きあげるレオルドの言葉で、トーマが失踪した後のアメリアの様子が思い出された。失態に苛つく護衛陣に向かい、絶対にここにいるはずだと、探そうと最初に声を上げたのは彼女だった。言わば対のような存在が突然消え、待つことしかできなかったにも拘わらず、彼女は最後まで涙を見せることはなく、大丈夫ですと無理にでも笑って見せていた。そう、彼女はトーマ失踪後から再会する直前まで笑顔しか浮かべていなかったのだ。聖女としてそうさせていたのかもしれないが、一番動揺し、心配をしていたのは彼女だったろう。
「ああしてくれた方が…安心する…」
ぽつりと漏れたレオルドの独り言に、ウィルも、そうですねと頷いた。
落ち着くまでトーマに抱き着いていたアメリアだったが、段々と冷静を取り戻してくれば今までにないほどの赤面を披露してくれた。頬を両手で隠すように押さえた彼女は、すみませんと蚊の鳴くような声で呟くと離れて行った。対してトーマは、先程までもらい泣きしそうだった顔を今は嬉しそうに緩めて微笑んでいる。デレデレしていると言うのが正しいだろう。部屋の中心にある机を囲むように座れば、気を利かせた警ら隊の一人が暖かい飲み物を持ってきてくれた。やっと落ちつけた所で、あと一人、ライアスがこの場にいない事に気付いたトーマは辺りを見回した。
「ねえ、ところでライは…?」
「あー、後始末に追われてんだろ」
「後始末…?」
「ウィル、お前ナルディーニん所に殴り込み行く事、ダマでやったろ」
「…一刻を争う事でしたので」
「ライだってよ、最終的にはお前が行くで了承しただろうが」
「時間がなかったんです…!」
珍しく歯切れの悪いウィルの様子に、レオルドはニヤリと笑う。いつもの言い争いではウィルの圧勝で終わるはずなのに、今日は押され気味のウィルの姿に、トーマは不思議そうな表情を浮かべた。待ってましたとばかりにレオルドは机に手をついて腰上げると、聞いてくれよ!と楽しげに声を大きくした。それを遮るよう慌ててウィルも同じように腰を上げた所で、タイミング良く入り口の扉が開いた。振り返れば、そこには数人の警ら隊と一緒にライアスの姿が見える。疲労が色濃くでた顔のライアスが室内へと視線を向けると、一番にトーマと目があった。
「ライ…!」
1日ぶりだというのに、酷く懐かしいような気がする。椅子から立ち上がり名前を呼んだトーマに、ライアスは軽く瞬きを数回すると、小さく名を呼ぶ。それから、こちらへと向かい速足で歩きだし、最後には軽い駆け足になり、そのままの勢いでトーマを抱きしめた。
「トーマ…!良かった…」
予想外の出来事に驚いて固まっているトーマを他所に、ライアスは何度も良かったと繰り返す。初めて聞く弱弱しい彼の声に、思わずトーマは彼の頭へと手を伸ばすと抱きしめるようにして軽く撫でた。
「うん、大丈夫。俺はここに居るから」
やっと引っ込んでくれた涙を再び堪えながら告げてやると、今度はすまない、とライアスが謝罪の言葉を口にし出す。こんな弱り切っている彼を離すことなど出来なくて。大丈夫だから、と何度も言い聞かせてやれば、次第に謝罪の言葉も小さくなっていき…それでも、トーマを離す気がないライアスに、とうとうウィルが大きなため息をついた。
「貴方方、いつまで抱き合ってるつもりですか」
その指摘で我に返ったライアスは、先ほどとは違うテンションですまないと叫ぶと、慌ててトーマを解放した。赤くなっている顔を隠すように片目を覆うライアスだったが、そんな彼がウィルと目が合えば、急に雰囲気が変わった。
「ウィル、お前には話がある」
「……はぁ…。分かってますよ」
「しばらく席を外す。レオルド、アメリア、トーマを頼んだぞ」
「トーマ、絶対に二人と一緒に居てくださいね」
「は、はい…」
単独行動禁止に釘を刺した二人は、重い空気を纏いながら連れ立って部屋から出て行く。後ろ姿が消えるまで見送った後に、何事なのかと残された二人へと視線を向けると、ニコニコしているアメリアとニヤニヤしているレオルドが居た。
「トーマさんの事が、お二人とも大切なんです」
「元々、ウィルはトーマの護衛だったんだぜ」
「え…?何、どういうこと…?」
衝撃の事実に食いつくけば、レオルドは更に笑みを深くする。聞けば、トーマが船内で見た夢の内容に疑問を覚えたのはライアスだった。夢の視点はトーマからだったのだから、今回もそうなのではないのか、であれば今回はトーマに危険が及ぶのではないのか。しかしトーマは戦えないわけでは無いが、プレッシャーに弱いタイプの彼に、危険が迫っていると告げるのも憚れるので、せめて一人が護衛をつけようと。その結果、ウィルが護衛として行動を共にすると言う話し合いが、ライアス、ウィル、レオルドの中でされていたとのことだった。ちなみに、アメリアがその事を知ったのはトーマが失踪した後、ウィルがナルディーニを締め上げると駆け出そうとした時だったらしい。ここまでの道のりで、警ら隊の人間が、ウィルに対して何がしかの感情を抱いていたのは、暴れたたのがレオルドではなく、ウィルだったせいなのだろう。
「お前が拉致られた後、あの二人大変だったんぜ。ウィルは吐くまでナルディーニ拷問するって聞かねぇし、ライは俺のせいだって凹むしよ」
「そうだったんだ…」
「アメリアが喝入れなきゃ、今頃どうなってたか」
「え、喝?アメリアなにやったの?」
「うふふ、何もしてないですよ、」
にこにこと笑顔を浮かべているアメリアに、これ以上追及することは出来ない。ちらりとレオルドへ視線を向けたが、彼はわざと目をそらしたので、もうこの話題には触れない方が良いのであろう。
「それより、トーマさん」
「はい!」
かけた声に、思わず声が裏返ったトーマだったが、そんなことは気にすることなく。アメリアは微笑んだ。
「おかえりなさい」
「…うん。ただいま」
自分の居場所はやはりここであり、戻ってこられたことに感謝をこめて。トーマもアメリアへ微笑み返した。




