6-18
隠しようのない…ホモ、です…ハハ…ッ
「――― っ!!!!」
恐怖が頂点まで来ると、悲鳴がでないと言うのは本当らしい。すぐ近くにあったウィルの上着を指が白くなるまで握りしめる。絶叫系の乗り物が苦手と言う訳ではないが、高所は怖いし、それなりに速度が出るのだって怖いが我慢はできる。だが、それは乗り物に至っての話であり、これは安全バーが付いているような乗り物ではない。だからこそ、早く魔法を発動しなければいけない事は分かってはいるものの、体全身で感じる浮遊感に頭が真っ白になってしまう。
「トーマ、私の指示で発動を」
このまま意識を飛ばしてしまえればどんなに楽だろうか。背中と膝裏へ回っている腕に力を込め、大きく張ったウィルの声で、正気を失いかけていたトーマは我に返った。はっとしたように見上げれば、青い瞳がこちらを見つめていた。こんな状況だと言うのに優しく緩められた瞳に、釣られるようにトーマも表情を緩め頷いて見せる。眼下には雪が残る地面がもうそこまで迫っていた。
「トーマ!」
鋭い声に、トーマは腕を下へと振り下ろす。
「 ――― 重力解除!」
トーマの掛け声の後に体がふわりと軽くなるのを感じた。地面まで後数メートルとまで迫った所で、2人の体は宙に浮いて止まっているような状況となり、それに耳元でウィルが息を飲む音を聞きこえる。全神経を集中させ重力操作を始めると、ゆっくりと体は降下して行った。初めて使う重力操作の魔法は予想以上に難しいもので、ギリっと歯を食いしばる。ウィルの命まで預かっていると思うと、更に力が籠ってしまうのは仕方がないことだろうが、彼の集中力は無限ではない。扱える魔力量が多くとも、集中力が続かねば、意味は無く…
「ッ、ムリ…!」
後1メートル弱程度の所で小さく零した弱音の後に、ズンと体に重圧がかかったかと思うとそのまま地面へと投げ出される。衝撃に恐れ、思わず強く瞑ってしまった瞳だったが、訪れたのは地面を踏みしめる音と軽い衝撃のみだった。予想外の状況にゆっくりと目を開けてみれば、きつく睨み付けているウィルの顔がすぐそこにある。ふうと息を吐いた彼は、トーマの視線に気付いたのかこちらへ顔を向けるとにこりと微笑みかけてきた。そう言えば、棟の最上階から飛び降りた時から彼に抱きかかえられていたのだと思い出すと一気に顔が赤く染まった。
「ウ、ウィル…!」
「歩けますか?」
彼の問いかけにコクコクと大きく頷いて見せると、ゆっくりと地面へと降ろされる。所々雪の残る地面を踏みしめながら立つと、緊張を解くように、恥ずかしさを誤魔化す様に息をついた。そこまで高くない所から落下だったため、着地をしたウィルにも目立った外傷はないのを確認すると、こみあげてくるのは怒りだった。
「もう、無謀すぎる…!」
詰め寄るように言い放ったトーマに、ウィルは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐににこりと微笑んだ。
「ええ、久しぶりに覚悟を決めました。ですが、私はトーマを信じていましたので」
ありがとうございますと、睨みつけるトーマの頬を微笑みながら指で撫でてくるウィルに、返す言葉等なく。ただ口をパクパクとさせる姿に、ウィルは笑い声を漏らした。しかし、そんな和やかな雰囲気も一瞬だった。頬を撫でていた指を離し、さて、と切り替える声を上げれば、頭上へと視線を上げた顔はすでに厳しいものへと変わっていた。釣られるようにしてトーマも見上げてみると、先ほど飛び降りてきた時と変わらない風景が広がっている。あんな高い所から飛び降りてきたのかと思うと、地面に足を付けている状況でもゾっとした。そんな時、最上階から何か叫び声が響き、灯りが揺れ始めた。
「何…っ?!」
悲鳴のように小さく声を漏らしたトーマの隣で、ウィルは小さく舌打ちをするとトーマの腕を掴む。突然触られ驚くトーマはビクリと小さく肩を揺らしながら振り返れば、すでにウィルは森の方へ体を反転させていた。駆け出すウィルに引っ張られるようにしてトーマも足を動かした。
「走りますよ!」
そう叫んだウィルの後に、もう走ってるよ!と突っ込んだトーマの声は、真後ろで上がった突然の轟音によってかき消された。驚き振り返れば、つい先程まで立っていた所の地面が抉れている。先程最上階で揺れた灯りは、もしかしなくても魔法道具の類であり、目の前の惨状はそれによって引き起こされているのは間違いないだろう。高く舞う土を頭から被りながら、ウィルに手を引かれ死にもの狂いで駆け出したのはすぐだった。
近くにあった森へと逃げ込み、とにかく全速力で走る。騎士のウィルと引きこもりだったトーマの体力であれば、比べることも無くトーマの方が先に尽きる。暫くは食らいついて頑張っていたトーマも、次第に元気が無くなっていき、最終的にはウィルに引きずられるようにして走る彼は、すでに酸欠でふらふらな状態だ。ウィルは走りながらも素早くあたりを見回し、大人二人が入っても余裕で頭上が隠れる程窪みのある岩の下へと体を滑り込ませる。突然の動きににへろへろのトーマはされるがままに引っ張られ、勢いよくウィルの胸元へと突っ込んだ。やっと止められた足は縺れ、自力で立ってはいられない状況のトーマを軽々と抱きとめてやれば、彼は大きく咳込みながらウィルの腰へと腕を回ししがみ付いた。ここまでくれば大丈夫だと告げると、トーマの頭の位置は下へと下がっていき、ウィルの体伝いにゆっくりと地面へと座り込んでいった。
「…っ、気持ち、わる…」
きつく目を瞑り、耐えるように眉を寄せ、大きく肩で息をしながらと言う一見すると少しぐらいは卑猥に見えても仕方ないと言った表情を受けべたトーマは、余裕なくぶち壊しの言葉を口にする。それは相当な程だったようで、うっと堪えるような声を出すと、慌てて口元を両手で抑えて下を向いた。ウィルも乱れていた呼吸を整えようと大きく息を吐きながら、トーマと同じ視線の高さになるよう片膝を付けてしゃがみ込んだ。苦しそうにしているトーマの背中を軽く擦りながら、ここまで頑張ってくれた彼に、最初から防御魔法を張るよう指示を出していればここまで走らせることも無かったかもしれない、等と今頃になって思いついた事は、告げないでおこう。
「大丈夫ですか?」
問いかけに頭を縦に振る事で答えるトーマに、ウィルは小さく笑ってから、ひたすらに呼吸を整える。割とすぐに整ったウィルが無言で背を擦っていると、しばらくしてからトーマが大丈夫と苦笑を浮かべながら顔を上げた。顔色は良くはないが、確かに呼吸は整っているようだ。予想以外に元気そうなトーマに一安心すると、ウィルは全く、と愚痴を零しながらも頬を緩ませる。
「…無事で、良かった」
自然と伸びた手は包み込むようにトーマの頬へと触れ。親指で唇を撫でると目を細める。普段と違うウィルの態度に内心驚いていたトーマだったが、嬉しそうな、泣き出しそうな笑顔を向けられればそんなことはすぐにどうでも良くなる。どれだけ彼に心配をかけさせたのか、その顔を見れば一目で分かった。
「…ごめん、心配かけたよね…」
「本当ですよ…貴方に何かあったら、私は…」
「うん…ごめんなさい…」
迷惑をかけたと言う申し訳なさと、逃げ出せたと言う安心とで潤む瞳を隠す様に俯く。その細く小さい肩が震えるのを見て、思わずウィルは息を飲んだ。喜怒哀楽を素直に表す彼だったが、自分の事で悲しいと言ったことはなかったはずだ。そんな彼が、目の前で泣くのを我慢するように震えていると言う滅多に見られない姿に、とんでもなく高揚しているのが分かった。だから、トーマとかけた声にも、隠しきれない熱が籠ってしまった。
「トーマ、顔を、もっとよく見せて下さい」
昂っている状況で、箍を外すのなど簡単で。頬を包み込むように両手でトーマの顔を覆い顔を上げさせれば、案の定目のふちに涙を溜めた姿が現れる。ウィルはそんなトーマの頬を軽く撫でてから目のふちへと唇を寄せた。ちゅ、と音を立てて涙を舐めとる。ぴくりとトーマの肩が震えたが、それ以降は動かずにいるのが嬉しくて、何度も目のふちへと口付を落とした。そのまま口付の位置は移動していき、こめかみ、頬と下へと降りていく。それでもじっとしているトーマに、とうとう口の端へと口付た。ぴくっと動く肩を無視してちゅ、ちゅっと何度か啄むと、やっとトーマはウィルの服を軽く掴んできた。裾を軽く摘むそれに、戸惑いを感じ、流石にやりすぎたかと反省をしながらも苦笑の表情を乗せて顔を離す。謝ろうと口を開こうとしたが、目の前でこちらを見上げているトーマの表情を見て声が出なかった。
「ウィル…」
声や動作は戸惑いがちだが、困ったような表情を浮かべたトーマの目は物欲しげな色を浮かべていた。そんなものを見せられたら、取り繕えるわけがない。
「困ったな…煽らないでください」
笑いを含んだ声でそう告げるウィルだったが、表情には余裕の欠片もない。困ったと口にしながらも、目は確実に獲物を狙うそれで。コツンと額を合わせると、焦点が定まらない程近くにある青を細めたウィルが、止められないと低く掠れた声で囁いた。その色香ときたら凄まじく、流されるなと言われる方が無理な話だろう。唯でさえ安心感で力が抜けているトーマは、目の前に迫るウィルに身を委ねるように目を閉じた。触れていなくても、近くに感じる熱が唇へと近付く。このままでは引き返せなくなると分かっているのに止められないのは、自分が彼に好意を寄せ始めているからだろうか。微かに触れたかと思った口付けは、深くなる前に突然の爆発音によって遮られた。鳴き声を上げて鳥たちが飛び立つ中、いち早くウィルが立ち上がると窪みの外へと駈け出した。数拍遅れウィルの隣へと並んだトーマも音のした方角へと視線を向ける。それは、先程まで囚われていた棟のあった方角で、灰色の煙が高く空へと昇っている。
「何が…」
「先程の塔での爆発でしょうね…」
「そう、だよね…」
「…自爆、の可能性が高い」
「そんな…」
言葉を失うトーマに、正直ウィルは驚いた。何をされていたかまでは詳しく把握はしていないが、少なくとも監禁されていたのだ。そんな相手を憎く思いはすれど、自殺に心を痛めたように眉を寄せ悲しげな表情を浮かべるとは…今の今まで優しくしてあげたいと思っていたのに、トーマの表情を見た瞬間に渦巻くこの黒い感情は嫉妬なのだろう。
「…貴方を監禁していたと知れたら無事ではいられなかった。早いか、遅いかの問題です」
だから、思わず八つ当たりように冷たい物言いをしてしまい、言葉にした後で心の中で舌打ちをした。そんなつもりはなかったのだが、どうにも抑えがきかない。そんなウィルの様子にトーマは少し驚いたような表情を浮かべてから、そっか、と悲しげに笑って見せる。自己嫌悪に陥りそうなのを何とか留め、すみませんと素直に頭を下げれば、トーマから小さな笑い声が漏れた。
「帰ろう」
ウィルの頬を両手で包み、顔を上げさせてきたトーマは、すでにいつもの柔らかな笑顔を浮かべていた。絆されるようにウィルは苦笑を浮かべると、はいと包んでくる両手を撫でながら頷く。安堵したり、触りたくて溜まらなくなったり、嫉妬したり、落ち込んだり、でも笑顔を見るとそんなこと等どうでも良くなったり…こんなに感情が揺れ動くのが、幸せだと思える日が来るとは思わなかった。
「トーマ」
「ん?」
「 」
「…え?」
「いえ、無事で良かった」
「…うん」
声に出さず呟いた言葉に首を傾げたトーマに、ウィルは微笑む。やっといつものような綺麗な笑顔だった。まだ、この思いを伝えるのは早い。




