6-16
グロいと言うか、痛いと言うか…そんな描写があります。
起きると陽が昇っていた。真上とまではいかないが、それなりに高い日差しは昼前頃かもしれない。ぼんやりと窓のを外を眺めながら考える。起き上がれば言われた通り眩暈は引いており、体がすっきりしていた。熟睡していたのだろうか…薬の影響だとは言え、こんなところで熟睡する自分に信じられず、唇を噛みしめた。ベッドから出てそのまま窓辺へ移動し、外へ目をやれば夢と同じ景色が広がっている。建物の下を取り囲むような木々と、その向こうに広がる港と、見覚えのある船。今頃、皆はどうしているだろうか。突然消えた自分を探しているのだろうか。できる事なら自分など切り捨てて旅を進めてほしいが…自分が居なければ祭壇へたどり着けても解除することが出来ないから、そんな訳にもいかないだろう。
「何やってんだろ…」
思わず漏れてしまった独り言と共に、壁に背を預けずるずると床へ座り込む。自分の為に、皆が無理をしなければいいが…夢で見た血まみれのライアスの姿を思い出すと息が止まる。死にたくはないが、助け出すために誰かが傷つくのは嫌だ。ましてや、自分の不注意が招いた結果なのだ。どうしたらいいのか分からなくて、悔しくて…泣いてもどうしようもないのだけれど、自然とこみあげてくるのを止められない。気付けば膝へ顔を埋めていた。
「くそ…!」
せめて声だけは漏らしたくなくて、キツク唇を噛みしめればチリっとした痛みと共に鉄の味がした。
コツコツと言う高い足音が響いたのはそれからどれぐらい経ってからか。扉の前で立ち止まると、重い音を立てて2枚の扉が開く音がする。冷たい空気が流れ込んできたのに顔を上げれば、昨夜自分を呼びに来たメイドが立っていた。手には銀色の盆を持っており、扉を完全に閉めきると恭しく頭を下げた。
「お食事をお持ちしました」
「いらないです」
即座に反応したことに自分自身でも驚いた。あれほど無気力だったのが嘘のように、目の前に立っているメイドへ敵意剥き出しで睨み付けるが、相手は気にも留めずに見つめ返してきた。
「すぐに召し上がられないと、次までに時間が空きますがよろしいですか?」
「だから、いらないって」
「畏まりました」
トーマの反論を最後まで聞かずにメイドは頭を下げると、近くにあったローテーブルに盆を降ろした。最初に態度悪く対応したのは自分だから言えた立場ではないが、機械的な対応をする彼女に気分は良いと言うわけにはいかない。なんとなく視線を向けていると、一緒に乗せられていた布を手に取っている所が目に入った。するすると布が解かれていけば、小ぶりの注射器が現れる。目を疑ったのは一瞬で、トーマは膝の上に載せていた頭を上げると背筋を伸ばした。
「何を…」
まさか、彼女がここで自分に自分で注射を打つわけがない。考えられるのは一つだけ、彼女がトーマへ打つ為に持ってきたのだろう。トーマの問いかけに、彼女は無表情で振り返ると少量針から液体を飛ばした。
「ご安心ください、麻痺薬です」
そう言ってからトーマの方へと歩み寄ってくる。体が震えるほどの恐怖を感じながらも、トーマは慌てて立ち上がると素早く部屋を見渡す。最初から逃げ場など無い事は分かっているが、抵抗しないと言う選択は選べずに、その場から駆け出した。メイドが入って来た扉はやはり開くはずもなく、ガシャガシャと騒がしい音がするだけで。すぐ後ろまで迫ってきた事に気付き、慌てて距離を取るように窓際へと駆け込む。バクバクと言う心臓の音がやけにうるさく、緊張で呼吸が乱れていく。それに対して、メイドは先ほどと同じ表情を浮かべこちらへと近付いてきていた。腕を前にだし集中させてみるも、やはりすぐに消滅してしまう魔力に、苛立ち舌打ちを漏らす。
「危険ですので、動かないで下さい」
伸びてくるメイドの手を払いのけるが、すぐに反対の腕も伸びてきて。反射的にその腕も勢いに任せ強く払うと、彼女の指に挟まっていた注射器が飛んだ。運悪く、宙に舞ったそれはメイド自身の方へと飛ぶと、そのままの勢いで落ちていき ―――
「危な…!」
声をかけた時には遅く、針の部分を下にした注射器はメイドの顔へと落下した。音もなく刺さったそれは、なんと彼女のガラスのような眼球で。刺さった瞬間まで見てしまったトーマは、ひっと喉の奥で引きつらせた悲鳴を上げた。
「嘘…ご、ごめ…!」
微動だにしないメイドに慌てて駆け寄るが、それを目の当たりにしてしまうと、恐怖で動けなくなってしまう。注射器を引き抜くこともできずにおろおろとしているトーマの前で、彼女はゆっくりと刺さっていない方だけで瞬きをしてから、静かに刺さっているそれへ手を伸ばす。そして、有ろう事か勢いよく引き抜いたのだ。
「っ!!」
あまりの光景に、トーマは思わず強く目を瞑った。カチっと言う固い音が聞こえたが、彼女の呻き声などは一切無い。恐る恐る再び目を開き飛び込んできた最初の光景は、注射器と針の先に刺さっている丸いもの。そこから焦点をメイドへと移していけば、先ほどまで痛々しかった眼球の片方はなくなり、暗い穴がぽっかりと開いていた。
「ひっ…!」
悲鳴は声にならず喉に張り付いて出てこなかった。そんな声を抑えようとしたのか、恐怖でなのか…それすらも判断できない状況で、トーマは両掌で自分の口を押えつけた。小刻みに震えながら弱弱しく後ろに下がるトーマに気付いたメイドは、注射器から眼球を引き抜くと、それをエプロンのポケットへとしまい怯えきっているトーマへと手を伸ばした。抵抗する気力がなくなっている彼を摑まえることなど容易く、暗い瞳を見つめている彼の腕を引っ張り、袖を捲りあげて針を差し込む。最後まで流し込んだら、メイドはトーマの腕を解放し、注射器から針を抜き取ると布に包み先ほど眼球をしまったポケットとは反対の方へと入れた。それから、やはり無表情のままこちらへと視線を向けると、トーマの背へ腕を回してきた。
「すぐに体へ回ります。ベッドへ」
片目がなくなっていると言うのに、事務的な彼女の態度が信じられなくて…恐怖と混乱の臨界点を突破したトーマは、思わず彼女の両肩へと腕を置いて顔を覗き込んだ。
「何言ってんの?!俺よりも、君でしょ?!」
「私ですか…?」
「目が…!」
「?…ああ、そういえば。見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳御座いません」
深く頭を下げて謝罪してくる彼女は、頭がおかしいのではないのかと本気で思った。言葉にならず、ぱくぱくさせているトーマを他所に、先ほど眼球をしまったポケットへ手を伸ばすと、まるで何かの飾りのような気軽さで取り出した。くるくると手の中で回し何かを確かめてから、顔に開いた空洞へと嵌めこんでいく。カチリと聞き覚えのある高い音がして、パチパチと軽く瞬きをしてからこちらへ顔を向けてきたメイドを見れば、そこには部屋に入ってきた時と同じ顔があった。人形のような綺麗で、整った顔。彼女は一体、何者なのか…人間なら、耐えられない痛みのはずだし、何よりも瞳を再びはめ込むなど、出来るわけがない…義眼とは思えない程自然に動く眼球を呆然と見つめるトーマに、メイドは表情を変えず、ご安心くださいと声をかけてきた。
「私は、作られた物で御座います」
「もの…?」
「左様でございます。物体、塊…そうですね、主人に作られた動く人形、そうお考え頂ければと」
昨夜と同じように、スカートの裾を持ち上げ頭を下げる姿に、やっと納得が行った。最初から感じていた違和感はやはり当たっていた。そして、彼女が"者"ではなく"物"だから、魔法道具は発動しているこの部屋でも、彼女自身の姿で目に捉えることが出来たのだ。
「ごめん、野暮な事聞くけど、痛覚は…?」
「御座いません」
「そっか…良かった…いや、良くはないけど…」
「…申し訳御座いません、トーマ様の仰る意味が…」
これが普通の人間だったら、事故とは言え後味が悪すぎる。自分の気持ち的にも、彼女的にも痛覚を感じない人形で良かった、等とか言えず、曖昧に笑って見せたのは一瞬で。急に足に力が入らなくなったと思った時には、トーマは膝から崩れ落ちて行っていた。座り込んだトーマを無表情で見下ろすメイドの足元で、立ち上がろうと床へ手を付けるが、それにも力が籠らない。
「え…、なに、」
すぐにくにゃりと手首が曲がり、肘が床につき、それでも支えきれずにとうとう全身で倒れこんで行く。そういえば、自分は彼女の即効性の麻痺薬を注射されたのだと、やっと気付く。そんな事よりも、彼女の眼球が取れた事の方がショックが大きくて、すっかり飛んでいた。偽聖女の時に投げ込まれた麻痺弾は苦して仕方なかったが、今回は苦しさは全く感じない。ただ、体全身の力が抜けていくのだ。
「っ、ぁ…ぅ…」
呼吸にはできるのに、声は出なくなって行く。このまま心臓すら止まってしまいそうな柔らかな麻痺に、抵抗する術など無くて。完全に動けなくなった所で、見下ろしていたメイドは膝をつくとトーマの両脇へと腕を差し込んで一気に起き上がらせた。
「回ってきたようですね。ベッドへお連れ致します」
力が入らない体は重いだろうに…文句一つ言わずに彼女はトーマの腕を自身の肩へ回すと立ち上がった。力任せに引っ張られる腕は痛いはずなのに、その痛みすらも感じられない。遠くは無いが近くもないベッドへと引きずるように連れて行き、トーマを寝かせたメイドは、毛布をかけようと掴んだ所で動きを止めた。どうしたのかと、視線だけを向けるトーマには何も答えず、ちらりと扉の方へと顔を向け、早いですねと呟いた。物音が聞こえたのは、その呟きの数秒後だった。数人の足音と、ジャラリと金属同士がぶつかる音が聞こえる。誰かがこの扉の先に居るのは明確だ。扉を見ていたメイドはすぐに顔をトーマの方へと戻すと、何事もなかったかのように毛布へ手をかけ、トーマへかけてやるとベッドを整え始める。動じない彼女の様子に、外に居るのも関係者なのだと思っていたが、
「くそ、ここまで来て入れねぇのかよ!」
と、聞き覚えのある声が響いた事に驚いた。幻聴かとも思ったが、続いた声を聞いて確信へと変わる。
「申し訳ありません、流石に、ここの鍵は…」
「錠だけですか…壊してしまいましょうか」
「おいおい、マジかよ?!」
「下がっていてください」
「ちょ、マジ待てって…!」
「焔よ、我が魔力においてその力を」
「おい、ウィル!!」
詠唱にかぶせるように聞こえてきた悲鳴のような声に、ベッドメイキングを終えたメイドは体を起こすと扉へと向かう。その足音が聞こえたのだろう、扉の向こうで急に話し声が止み、緊張した空気が漂ってくるのを感じる。メイドは無表情のまま二枚扉を開け放てば、やはりそこにはレオルドとウィルの姿と、驚くことに背後へ庇われるようにしてパメラの姿も見えた。そんな3人を一瞥してから、メイドはあからさまなため息を漏らした。
「お嬢様がお休みになっているので、お静かにして頂けますか」
少し体を動かし、部屋の中が見えるようにしたメイドにより、ベッドへ横になっているトーマまで視界が広がる。寝ているトーマを見て、3人が息をのんだのが分かった。
「アメリア…?」
「嘘…」
予想通り、彼らにはアメリアの姿で見えているようで、驚くレオルドと口を押えるパメラだったが、ウィルだけは眉を少しだけ動かす程度で、部屋の中を見渡すように視線を動かした。
「すみませんが、我々の仲間の魔術師を見ませんでしたか?」
「魔術師様ですか…?申し訳ございませんが、私はお嬢様の専属ですので、ここと主人の部屋しか伺いませんので」
「そうですか…」
「それよりも…パメラ、でしたね」
ウィルの質問を早々に切り上げると、メイドは2人の後ろに居るパメラへと声をかけた。突然声をかけられた彼女は、ビクリと肩を揺らしてから慌てて背筋をただすと、怯えるようにしてメイドへと視線を向ける。
「は、はい…!」
「ここまで上がってくる階段の扉には鍵がかかっていたはずですが…どうしたのですか」
「あ…」
「ここは、主人と私以外は立ち入る事が出来ないはず…まして、お客様まで巻き込むとは…」
冷たい視線を向けられ、今にも泣きだしそうな彼女は、申し訳御座いませんと頭を下げる。更に口を開こうとしたメイドだったが、彼女よりも早く前に立っていたウィルが割って入った。
「ああ、それは私が無理を言って連れてきて貰ったのです。ですから、彼女を責めないで下さい」
いつものように申し訳なさそうな微笑みながら、やんわりとパメラを下がらせる彼に、メイドはそれ以上は何も言わずに、息を吐いた。
「そうでしたか。しかしながら、大変申し訳ございませんが、れ以上はお嬢様の体に障ります…ご退室をお願い致します」
「ええ…わかりました」
メイドの言葉にウィルが素直に頷く。それで良いのかと言いたげな視線をウィルへ向けるレオルドと、萎縮しきってしまっているパメラの前で、メイドはこちらへと振り返ると頭を下げた。
「お嬢様、少しの間失礼致します」
「あ、いえ、私が…!」
慌てるように2人の間から顔を出したパメラだったが、彼女には目もくれずにメイドは歩き出した。
「ご案内致します」
一度も表情を変えずそう告げれば、すぐに扉が閉まる。2人のやり取りを何とも言えない表情で見ていたレオルドと、メイドと話す時以外は室内に居るトーマへ視線を向けていたウィルの姿はすぐに見えなくなってしまい、もう一枚の扉も閉まる音が聞こえる。階段を降りる足音が聞こえ始め、一人室内へと取り残される。彼らは、自分の事を探してくれているのだと思うと、嬉しくて、申し訳なくて、目の前に居るのに気付かれずに去ってしまったことが悲しくて…ポロリと涙が零れ落ちるのを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じた。




