6-12
「やっぱりこれが落ち着くよ…」
ダークグレーのジャケットを着直しながら、トーマは小さく息をつく。ソファーに座っていた、ベビーピンクのふんわりとしたドレスを身に纏ったアメリアは、入ってきたトーマの姿に残念そうな表情を浮かべた。
「着替えてしまったんですね…」
「綺麗にしてもらった所悪いんだけど、流石にあれじゃね…」
苦笑を浮かべるトーマに対し、壁に背を預け立っていたウィルが残念です、とため息を漏らす。ライアスは苦笑を浮かべていただけだったが、否定はしなかったので、彼も同意見なのだろう。そんな3人とは対照的に、レオルドだけは安心したように息を吐いた。
「トーマ…よく似合ってんぞ…」
「え?あ、有難う…?」
「そのままで居てくれ…頼んだぜ…」
がしっと肩を掴み、顔を寄せられる。ふざけているのかと思ったが、見つめてくる瞳は真剣そのもので…迫り来るワイルドイケメンに、トーマは訳も分からず頷いた。
時間になったと言われ案内された部屋は、既に沢山の人で溢れ返っていた。男性ばかりかと思えば、若い女性の姿もあり、その数は予想より多い。アメリアたちが室内へ入ると、直ぐにざわめきだした。辺りの反応で気づいたのか、背の低い男と話していたナルディーニは入り口へと視線を向け、アメリア達を見つけると、そのまま笑顔を浮かべこちらへと向かって歩み寄ってきた。
「アメリア」
「は、はいっ」
「緊張する必要はないが…俺かレオルドから離れるなよ」
「なんか言われても適当に流せ、何か求められても、絶対に一人で答えんな?」
小さく告げるライアスと、ニヤリと笑うとレオルドに声をかけられ、アメリアは固い表情で頷く。それを見届けてから、ライアスがナルディーニへ向かって足を進めた。そっとレオルドがアメリアの肩を押し促せば、彼女もライアスの後ろを追い、その彼女の後ろへレオルドが着く。
「私たちも行きましょう」
トーマの耳元で囁くと、ネイビーの燕尾服の裾を翻しウィルが続く。既に最初に歩いていったライアスとアメリアは、ナルディーニと笑顔で会話を始めていた。
先程、このパーティでは仕掛けてはこないが、コネを求める者が多いはずだと注意を受けた。危険なわけではないが、面倒な事にはなるかもしれない、どちらちせよ注意は必要だ。深く深呼吸をすると、トーマは首元のアスコットタイを軽く直しながらウィルの後を追った。
ナルディーニとの挨拶を軽く終らせると、周りの参加者へも聞こえるように聖女であるアメリアの紹介を始める。軽く会話をしてから、楽しんでくださいとナルディーニが外せば、アメリアの周りへはすぐに人が近寄ってきた。彼女と話しかける相手の間にさりげなくライアスが入ってやった。媚を売るような笑いで声をかけられ、戸惑ったような微笑みを浮かべながら曖昧にアメリアは受け答えを始める。その後ろで、グラスを持ったレオルドが話しかけている相手へ牽制をかけている。とうとう始まったアメリアの社交界デビューを、少し離れたところからウィルとトーマが見守る。近くにいたウェイターにウィルは声をかけ、盆に乗っているグラスを2つ貰うと、片方をトーマへと手渡した。有難うと礼を述べたものの、貰ったグラスを両手で握りじっとアメリアから視線を外さないトーマの様子に、ウィルは小さく苦笑を漏らす。
「トーマ、見すぎです…」
「あぁ、ごめん…気になっちゃって…」
「ライもレオルドもついているんです、大丈夫ですよ」
「うん…そうだよね、でも、」
「あの、聖女様の護衛の方ですよね」
言葉を遮るように後ろから声をかけられ、トーマは口を閉じて振り返る。すると、そこには、派手なドレスを身につけた女性が1人と、その女性の後ろに取り巻きのように着いている女性が3人立っていた。噎せ返るような香水と化粧の匂いに思わず逃げ腰になるトーマだったが、リーダー格の女性は構わずにトーマとウィルの間へと割り込んできた。
「初めまして。ワタクシ、聖女様と護衛の方にお会いしたくって、本日を楽しみにしてましたの!」
大きく開いた胸元を強調するように両腕で寄せ、上目遣いにウィルへ声をかける女性に、トーマは固まってしまう。リーダー格の女性やその取り巻き達は、確かに美人揃いなのだが、押しの強さが半端ない。そんな押せ押せの彼女に若干引き気味のトーマだったが、アピールされたウィルは、いつもの外向きの笑顔を張り付けた。
「このような美しい女性に仰って頂けるとは、光栄ですね」
にこりと微笑むと、女性陣からは黄色い悲鳴が上がる。が、トーマは引きつった笑みを浮かべると一歩下がってしまった。あの笑顔は、苛ついている時の顔だ…気を付けろ、と教えてやりたいが、リーダー格の女性はテンション高く話続けている。どうやら彼女はウィルが目的だったのか、ずっと彼に向けて熱視線を向けていた。どれだけ会いたかったのかについて語る彼女に、ウィルが愛想笑いを返すと、ぽーっと彼を見つめる。会話が途切れたかと思うと、今度は取り巻き達がいかに彼女が人気があり、素晴らしい女性なのか語りよいしょする。
(わぁ…どの世界でも、女の派閥ってこんな感じなのかぁ…)
なんだか懐かしい雰囲気に引きつった笑顔しか浮かべられないトーマだったが、そんなトーマのどん引き具合にも気づけない取り巻きの女性陣の熱は上がっていった。最早盛り上がっているのは身内だけ状態だが、気付かぬのは当事者のみ。楽しそうにはしゃぐ彼女たちを、リーダー核の女性は宥めるとドヤ顔をトーマへ向けた。咄嗟に愛想笑いを返せば、彼女もにこりと微笑み返し、更にウィルへアピールは続く。
「護衛騎士様の噂は伺っておりましたけれど、こんなにも素敵な方とは…お名前、伺ってもよろしくて?」
自分は名乗らずに名前を聞いてくる彼女に、ウィルの笑みが深くなる。
(やばい、これ相当怒ってる…!)
ウィルが女性には優しいと言っても、それは節度のある常識ある女性だ。このプライドが高そうな箱入り娘とは反りが合わないのは確実だが、場慣れしているのか有名人なのか、最低限の常識も弁えない態度は拍車をかけてウィルの評価をマイナスにしていく。
「ただの護衛ですよ。それよりも、見たところ良い所のお嬢さんのようですが…良いのですか?私などに声をかけて」
遠回しに話し掛けんなと言う彼に、リーダー格の女性は信じられないと表情を浮かべた。固まってしまった彼女の代わり、取り巻きの女性達がご存知無いのですか!と騒ぎだせば、どうやら彼女の父親はこの地域では有名な商人らしく、自分を知らない人に今まで会ったことがなかったようだ。だから、あんな態度も取れるわけだ…よく2次元でこんなタイプのキャラをよく見るが、本物を見れるとは…なんだか妙に感動してしまった。それでも食い下がってくる女性陣のバイタリティときたら。顔には出していないが、げんなりとし始めているウィルは、ここから離れるように目だけで伝えてきた。自分一人であれば簡単にあしらえられるが、トーマが居ると逃げようとした時にターゲットにされ足を引っ張るのだろう。彼の言いたい事は最もだし、どうもこのタイプの女性が集団になると苦手なので、有り難くその指示に従わせて貰うことにした。
「ウィル、俺少し外すけど大丈夫?」
大丈夫だと言われてはいるものの、一応礼儀として声をかけると彼は小さく頷いた。どことなく寂しそうな表情に罪悪感を感じつつ、離れようとした所で、腕をつかまれる。驚いて振り返れば、ウィルに引っ張られ、気付けば彼の胸の中にいた。
「直ぐに後を追います」
耳元を熱い息がかすり、背中に鳥肌が立った。息が掠った耳を手で庇うように覆うと、満足そうに微笑まれたウィルに腕を開放される。取り巻きの女性達から先ほどとは違った黄色い悲鳴が聞こえたような気がしたが、恥ずかしさにそれに反応を返す余裕もなく、トーマは頬を赤くすると逃げるようにその場から駆け出した。彼に好意を寄せる女性の目の前で男に対してちょっかいを出すなんて…しかし、それに対して言い返す余裕など持ち合わせてはいない。そのまま壁際まで早足で向かうと、壁へ背を預けた。すでにウィルは女性の相手へと移っていたので、こちらを見ていることがなかったのが救いだった。
(なんか、最近ウィルの距離近いよね…)
まだあの暖かい感覚が残っているようで、それを掻き消すように耳を擦ってから意識を切り替えるように食事がおいてあるテーブルへ足を進め辺りへと目を向ける。パーティに参加している人たちを見渡せば、明らかに商人が多い気がする。見た目からしていかにもな人も居るが、見た目では分からない人も居る。しかし、皆口にするのは商売のことばかりなので、嫌でも彼らの職業が分かってしまう。聖女御用達と言う売り文句でもつけたいのだろうか、この街だからなのか。少なからず誰もアメリアへ声をかけようと必死なのが見て取れて、トーマは内心苦笑をしてしまう。手に持っていたグラスを一気に煽り、近くにウェイターへ空のグラスを渡すと息を吐いた。
次に、見慣れたメンバーへと目を向ける。ベビーピンクのドレスと相まって、柔らかなウェーブをつけた髪を後ろで揺るく結い上げているアメリアは、いつもより大人っぽく色めいていて、聖女である事を差し引いても目を引く美しさである。その隣でエスコートするように立っているライアスは漆黒のジャケットに黒のネクタイを締めきっちりと着込んで一見固い印象だが、浮かべている笑顔は爽やかで人好きしそうな雰囲気を醸し出し、次を狙っている男達の相手をしている。その後ろで、アメリアと話している相手を牽制しているレオルドは、アスコットスカーフを首に巻き、シャツの首元とダークカーキのタキシードの前を大きく開けている。耳を出すように髪を纏めており、そのちょい悪な雰囲気は女性の視線を一身に受けている。本人は総スルーだが。少し離れた所で、先ほどより増えた人数の女性に囲まれているウィルは、ネイビーの燕尾服に蝶ネクタイと言うスタンダードな格好を綺麗に着こなし、いつもより高い位置で髪を纏め上げていた。にこにこと微笑みを女性へ振りまいているが、明らかに不機嫌で、それはトーマ以外でも一緒に旅を続けてきたメンバーなら分かる程苛付いていた。このフロアで、聖女一向がどれほど華やかで目を引くのか、壁際から見渡せば嫌なほど確認ができる。それに比べて、自分の地味さ具合と言ったら…自然と漏れてしまった溜息を隠すこともしなかったトーマだったが、横から声をかけられビクリと肩を揺らして振り返った。すると、そこには正装をしたナルディーニが立っていた。ここまで近寄られているのに、気配に気付かなかった。そこまで鈍くはないはずだったがのだが…驚いているトーマを気にすることも無く、彼は心配そうな表情を浮かべた。
「どうですか、トーマ殿。お疲れではないですか?」
「いえ、大丈夫です。料理もお酒も美味しくて…楽しく過ごさせて頂いています」
慌てて余所行きの笑顔を貼り付け答えると、ナルディーニはほっとしたように息をつき微笑んだ。それから手に持っていたグラスをトーマへと差し出してきたので、反射的に礼を述べながらそれを受け取る。
「それは良かった。その衣装もとてもお似合いですよ」
「有難う御座います、こんな服着る機会なんて無いと思っていたので…良い思い出になりました」
「おや、そんな事仰らずに。私でよければいつでも用意するので、着て下さい。ダークグレーのタキシードのお陰で、貴方の黒髪と黒い瞳が映えて美しい…まるで、黒曜石のようだ」
「え、あ、ど、どうも…」
色っぽい表情で顔を覗き込まれ、思わず後ずさってしまう。しっかりと名前を呼んでいるのだから、相手も分からぬ程酔っているわけでは無いのだろうが…趣味が悪いとしか言い様が無い。思わず笑顔が引きつっていないか確認するよう、さりげなく頬を触ってしまう程だ。だが、相手は女性に向けるような笑顔を浮かべて更に迫ってきた。
「店主に聞いたのですが、試着時にドレスも試されたそうですね。男性とばかり思っていたのですが…まさか、正体を隠すために男装を?」
「え?!いえいえ、正真正銘の男ですよ。ただ、悪乗りしてしまって…」
「そうなのですか…いえ、申し訳ない。トーマ殿は美しいですから…中性的な印象を持ってしまって」
「大丈夫です、女男ってよく言われ」
「そんな事ありませんよ」
トーマの言葉を遮り否定してきたナルディーニに正直に驚くと、彼はすみませんと照れたような微笑を浮かべた。更に距離を詰められ、反射的に下がればすでに背後は壁であり、これ以上は下がれない事にやっと気付く。柱の影で、あまり人目に付かないそこへ追い込まれいたのだ。
「女男だなんて、とんでもない…貴方は美しく、聡明だ。まだ若いと言うのに、魔術を修め聖女の付き人まで行っている…まるで、聖女を予見した魔法使いのようだ…」
「ああ、初代聖女について語られてる昔話のですか?伯爵は意外とロマンチストなんですね」
「お恥ずかしい限りですが、そうなってしまうのもトーマ殿の前だけですよ。黒き優艶の護り手だなんて、上手い事を言います」
「ちょ、え?!なんでそれを…!?」
「この国で、貴方方を知らない者等居りましょうか」
にこりと微笑みながら、自然な手つきでトーマの手を握ってくると、白い小さな手だと優しげに撫でられる。声を出すことは抑えられたが、信じられないと言った表情を浮かべているトーマの視線にも、彼は熱の篭った瞳を細くして微笑み返してくる。なぜ、口説くような事をしてくるのか訳が分からないが…とりあえず、やばい。こいつはやばい。確実にそう確信したトーマは、曖昧な笑顔へと表情すり換えると、頼りない手ですと答えながら失礼にならない程度に手を引いた。思いの外簡単に放してくれた手にほっとしつつ、持っていたグラスを両手で握り込む。だが、そんな安心も束の間で、今度は腰へと腕が回ってきた。
「ちょ?!」
今度こそ非難の声を上げるトーマだったが、彼は気にすることなく強く引くとお互いの肩がぶつかる程度まで距離を縮められる。
「トーマ殿、私魔術に興味があるのです。よろしければ、別室で話を伺いたいのですが」
「え、ま、魔術、ですか…」
「ええ。いかがでしょう?」
「ひっ」
腕に力を込めつつ、手首から先は至って優しい手つきで腰を撫で上げてくる。その手はトーマの弱点である脇腹を掠り、とうとう悲鳴を上げてしまった。反射的にびくりと大きく肩が揺れ、手に持っていたグラスを取り落とす。そのまま高い音を立てて割れれば、辺りの視線がこちらへと集中したが、有ろう事か、ナルディーニは更に腕へ力を込めると、トーマを抱き込んだ。
「ぎゃ!」
「大丈夫ですか?気分が優れないようですね…」
「大丈夫です、大丈夫ですから…!」
「無理をなさらないでください、別室へお連れしましょう」
「ちょ、離して…!」
ナルディーニがそう言えば、周囲の人間は納得して何事も無かったかのようにパーティを再開する。彼がどれだけ影響力があるのか分かった出来事だったが、今はそれよりも自分の身の安全の方が必死だった。やばい。本当にやばい。魔術に興味があると誘い、同行魔術師の戦力を先に潰そうと言うつもりなのか、トーマ自信に興味があり、本当に口説き落とそうと言うつもりなのか…真意は全く見えないが、このまま別室へ連れて行かれればゲームオーバーなのは確実だ。BADEDか、ナルディーニルート突入かはこの際どちらでも良いので、とにかく今はこのフラグを全力で折る事が必要だ。腕を振り払おうとしても力の差は歴然で、びくともしない。半泣き状態のトーマだったが、突然腰に回っていた腕から力が抜けた。その瞬間、慌ててナルディーニから体を離すと、今度は腕を引っ張られ、別の人物の胸へと収まる。
「大丈夫ですか、トーマ」
「ウィル…!」
これほど、彼が眩しく見えたことは無い。有難うと言う気持ちを込めてウィルへ抱きつけば、優しく頭を撫でる。それから、ウィルはナルディーニの方へ視線を向けると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳御座いませんでした、伯爵。トーマは私が連れて行きますので」
「いやしかし、ウィル殿は客人ですので」
「彼も伯爵にみっともない姿を見せたくないでしょうし、何よりも私がトーマに付き添っていたいのです」
「…なるほど」
「では、失礼します。歩けますか、トーマ」
「あ、うん、大丈夫」
ウィルがトーマの腰へと腕を回すと、抱きかかえられるようにして出口へと歩き出す。今度は嫌がることなく、大人しくウィルへ身体を預け出て行くトーマの後姿をナルディーニが見送っていると、部屋を出る瞬間にウィルがこちらへと顔を向けた。しっかりと視線が合えば、彼は青い瞳を細め、笑った。
「残念でした」
声に出さず、口だけそう動かす姿は、笑っているのに殺気すら感じ取れる。すぐにトーマへ向けて優しい微笑みを浮かべると、後ろ手で扉を閉めた。その一部始終にひどい敗北感を感じたナルディーニは、無意識に歯を強く噛み締めた。




