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夢で見ていた監禁されていた部屋と言うのは、やはり屋敷の中を案内してもらった帰りがけに見かけた塔で間違いないだろう。中を確認していないのになぜ言い切れるのかと問われると、なんとなくとしか答えようがないのだが、塔を見つけた瞬間に感じた悪寒のようなものと共に襲ってきた恐怖感には覚えがあった。ウィルがフォローしてくれなければ、すぐに動けなかったかもしれない。港では暗い噂等何もない、市民に人気の伯爵なのかと思ったが、実際に屋敷まで来て、独自で研究をしている事や、塔の存在を知ってしまえば、怪しいと警戒するだけの人物であることが分かったが、それだけであり、断言はできない。ウィルと話し合った結果、このことを報告するのはライアスだけに留めようとまとまると、また夕食でと告げ彼はトーマの部屋を出て行った。一人きりになった広い部屋で、トーマは小さく息を吐きマントとジャケットをソファーへ放り投げて、靴を脱ぐとベッドへと倒れ込む。柔らかいシーツに体が沈み込む感覚に目を瞑った。
「どうです、見えますか?」
声をかけられ、目を開けたトーマは小さく首を振った。何も見えない。元より、この能力は聖女の未来を見通す以外に発揮されたことが無いので、こんな私欲の為に使えるのか定かではない。そのことを何度も伝えているのに、なぜ彼は聞き入れてくれないのだろうか。そう思っていたのが表情に出ていたのか、ベッドの淵に座っていた彼は、くすりと笑った。
「もう癖のようなものだ…怒らないで、私の小鳥」
「怒ってなんか…」
「こうやって、聖女から解放できて、私の元にいてくれるだけで…私は幸せなんだ」
覆っている前髪をかきあげ、露わらになった額へ軽くキスを落とされる。その際に、彼の耳にかけていた金髪が落ちて頬を掠り、くすぐったさに思わず小さい笑い声をあげてしまった。そんなトーマの反応に満足げに笑うと、頬を愛おしそうに指で撫でる。更に襲うくすぐったさに、トーマはくすくす笑いながら身をくねらせた。その瞬間、ジャラっと重々しい金属音が部屋に響く。ああ、そういえば足に枷をはめられているのだった。重くて冷たいが、この人の物なのだと言う安心感が溢れる。
「そんな顔をするだなんて…いけない子だ」
「ナルディーニ伯爵…」
「こら、そうではないだろう」
「…オリンド、様」
「そうだ、良い子だね。トーマ」
覆いかぶさられ、体全体にかかる重さに幸福感を感じてしまう。近付いてくる端整な顔へ腕を伸ばして首へ絡めると、相手は、ナルディーニは、熱が籠った瞳を細めた。
「っうわぁあ?!」
絶叫と共に飛び起きたのは初めてだった。身の危険を感じた恐怖での震えではなく、嫌悪による身震いに両肘を抱えるようにして体を丸める。いつの間にか眠ってしまったのだろう、眠りに落ちる直前までと部屋の中は変わっていないし、もちろん着乱れたりもしていない。それなのに、触られた頬に熱を、足枷を嵌められていた足首に冷たさを感じるようで、気持ちが悪い。
(なに?なんなの、今の?!欲求不満なのか…?!)
見た夢の内容に未だ信じられず、動揺してしまう。いくら欲求不満だったとしても、なぜ相手が今日あったばかりの伯爵なのか。いやしかし、聖女や小鳥発言をしていたとすると、これは夢の続きとも取れるが、なぜ対象がアメリアではなく自分に入れ替わっているのか…訳が分からない。言えることは、夢の中の自分は確実にナルディーニに陶酔しており、監禁されることにすら悦びを感じてしまっていた。
(BADEDかっつーの…)
トーマは大きくため息をつくと、髪を掻きむしった。
控えめなノックの音に、読んでいた本を閉じると顔を上げる。読んでいたと言っても、先ほど見た夢が頭をかすめてきてしまい、全く内容は入ってこないままで…開いた所より、一頁も進んではいなかったが。はい、と答えると、失礼しますと言う声と共に、扉が開く。ついさっき別ればかりのパメラが頭を下げていた。食事の準備が出来ましたと告げられ、トーマは本をベッドへと置くと立ち上がった。
「ちょっと待ってね」
ソファーに投げられていたジャケットを手に取ると、回し着ながらパメラの元へと歩み寄る。一連の流れを見つめていた彼女は、やはり目を輝かせ頬を赤く染めながら見上げたまま動かずで。相変わらずな反応に小さく苦笑を浮かべ目の前で軽く手を振って見せると、我に返った彼女は慌てて頭を下げてから御案内しますと微笑んだ。廊下へ出れば、ウィルもメイドと共に出てきており、一緒になって食堂へと歩き始める。トーマを見て、違和感を感じたのか一瞬眉を潜ませるウィルだったが、にこりと笑いかえせば彼は何も言うことなく笑い返すだけに止まった。
階段で1階まで降りると、メイド2人が先導するようにして進む。後ろをついて、案内されたばかりの食堂まで行くと、パメラが扉を開けてくれた。案内された時にはチラリと中を覗いた程度だったが、足を踏み入れると派手では無いが、質の良い高級品で揃えられた嫌みの無い印象を受ける。しかし、一般人であるトーマにはとても敷居が高く尻込みをしていると、軽くウィルに背中を押された。振り返れば、大丈夫ですと口だけを動かし笑いかけられ、引きつりそうになる顔を何とか留めると一歩を踏み出した。すでにテーブルにはライアス、レオルド、アメリア、そしてナルディーニの姿があった。一方的に感じている気まずさを誤魔化すように笑顔を浮かべると、ちょうど彼と目が合う。こんばんは、と甘く微笑えんだ顔が夢の中の表情と重なりドキリとしてしまった。
「遅くなりましたか」
「いえ、嬉しくて私が早すぎたのです。さあ、ウィル殿、トーマ殿、どうぞお座りください」
ウィルの言葉にナルディーニは立ち上がると通常の微笑みに戻して空いている席へと進める。それと同時に使用人の男性がそれぞれ椅子を引いた。トーマはアメリアの前へ座ると、表情の硬い彼女と目が合った。朝よりも顔色の悪い彼女は、緊張続きで疲れているのだろう。見通す力で見た夢だけではく、一般人にこの待遇は畏縮してしまうのも原因の1つだと、同じ一般人としては痛いほど分かる。
「俺こう言ったの初めてなんだ。なんか、緊張しちゃう」
「私もです…」
照れ笑いを浮かべるようにしてやれば、同じような境遇の人がいると言う安心感からか彼女の表情は少しだけだが柔らかくなった。全員が揃った為に次々と食器が並べられ、食事が開始される。毒の混入を警戒していたが、器が全て銀製品で統一されているのには正直驚いた。やはり全員が同じことを思っていたらしく、その反応を見たナルディーニは気を悪くすることも無く笑うと、聖女様に万が一のことがあってはいけませんので、と告げてくる。希望であれば毒見役もつけるとアメリアへ提案までしてきた。戸惑うアメリアに代わり、彼女の隣に座っていたライアスが爽やかな笑みを浮かべながら、とんでも御座いませんと受け答えているのを向かいで眺めつつ、腹の探り合いをする二人に胃が痛くなりそうだ。全ては自分たちの為にやってくれているのだと分かっているのだけれど…。
目だけで問題ないと合図をされ、一番に料理へ手を付けたのは意外にもウィルだった。ライアス、レオルドと続き、トーマも覚悟を決めるとスプーンを手に取る。鞄の中に入っている薬草類を思い出し、一般的な解毒剤ならばすぐに対応できるだろうと覚悟を決めてからスープを口に含んだ。食べた瞬間に、毒が混ざっていても良いかもと思えるほど美味しいと、危機感等軽く吹っ飛んだのは、他のメンバーには言えない。
食事の途中も、ナルディーニが当たり障りのない話題を振り、それなりに会話も弾みながら進んでいく。お高いレストランを彷彿とさせるコース料理で、想像通り量も多く、メインディッシュの肉料理の重さは相当なものだった。だが残すのは勿体ないと思ってしまう貧乏性の為、気力だけでフォークとナイフを動かしていく。その様子に気付いたのか、ナルディーニは口元を拭っていたナプキンを行儀よくテーブルへ置くと眉を下げた。
「トーマ殿、お口に合いませんでしたか?」
「え?!いえ、とても美味しいです」
「申し訳ない、手が止まってらっしゃったので気になってしまって…」
「あ…すみません…」
「いいえ。どうぞ、気にせずに残してください」
「そんな…!」
正直、今は誰かを交えず、ナルディーニと二人会話をするのが気恥ずかしくて、曖昧に微笑みながら目を泳がせてしまう。いつもならば、これぐらい受け答え出来たはずなのだが…そんな弱々しい答えに、トーマが気を使って健気にも無理して笑っているのだと思ったナルディーニは、心配そうに見つめてくると言う負の連鎖。
「伯爵、お気遣い有難う御座います。彼は食が細めでして。トーマ、無理はしなくて大丈夫ですよ」
そんな煮え切らない態度におかしいと感じたのか、ウィルが助け舟を出してくれる。助かったと彼の方へと視線を向ければ、皿は綺麗になっていて、その細身でどこに入ってくんだと突っ込みたくなったが、ここはぐっと我慢した。すると、今度は斜めに座っていたレオルドがトーマ、と声をかけてくる。
「もう食えねぇんだろ?その皿寄こせ」
「え、いや流石に…」
この畏まった席では出来ない、と言葉を飲み込み苦笑をするトーマだったが、レオルドがナルディーニへ問題ないだろ、と聞き出して。ナルディーニは驚いた表情を浮かべたが、すぐに楽しそうに頷いてから控えているメイドへと声をかけた。メイド達は小さく返事をしてから、トーマの前に置いてある皿を下げると、レオルド元へと置き直す。
「あ、あの…すみません…」
いつも食べきれない時にレオルドが残飯処理を行っているのは常であるし、食べきれない自分が悪いのだが、こんなところでわざわざやらなくても…と思いつつナルディーニへ頭を下げるトーマ。ナルディーニは、気を悪くすることなどせずに、食べ物を粗末しない所など好感が持てますよ、と逆に励まされてしまった。終始和やかな雰囲気で食事は終了し、食後のお茶を出された所で、ナルディーニから明日ですが、と言う単語が出ると自然と緊張した空気が漂った。
「本日はお疲れだろうと思い、勝手にこのような食事とされて頂きましたが、明日はパーティを予定しております」
「パーティ、ですか…?」
「ええ、聖女様の歓迎パーティです。もちろん、貴女方の衣装は私の方で手配致しますので、ご安心下さい」
柔らかくアメリアへ微笑みかけるナルディーニに、彼女は困ったような表情を浮かべる。それを見て助け舟を出そうとしたトーマだったが、彼が口を開く前にアメリアが困ります、と声を上げた。
「歓迎頂けるのはとても有り難いのですが、私たちは先を急いでいるんです。出来れば治癒活動をしてすぐにでも…」
「ご安心下さい、聖女様。教会への申請も私の方から行っておりまして、明後日の朝一から利用許可を頂いております」
いかがでしょうか?とやはり先ほどとは変わらない微笑みを浮かべているが、断らせる気はないのだろう。今度こそ困ったアメリアに、隣に座っていたライアスがご配慮痛み入ります、と笑顔を貼り付け代わりに答える。
「有難う御座います。皆、聖女様にお会いできるのを楽しみにしておりますよ」
笑顔のナルディーニへ、アメリアはぎこちなく微笑み返した。




