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緊張しながらも船のタラップを降りると、そこには信じられない光景が広がっていた。今さっき降りてきた船を中心として、周囲には人が溢れ花を持つ女性や子供の姿が見受けられる。即席な屋台等の飲食店があって、音楽を奏でる旅団が更に場を盛り上げていて。祭りを催すと言う情報は知っていたが、まさかここまで大々的な物になっているとは、と呆気にとられている聖女一向だったが、いち早く動いたのはライアスだった。アメリアを後ろへ下がらせるようにして自然に前に出ると、前方から視線を外さない。その視線を追いかけるようへとすると、賑わいを背景とし、長身で金髪の美丈夫な男性が笑顔でこちらへ足を進めてくるのが確認できた。その男の姿に、トーマは出かけた声を押えようと口に手を当てる。
「あいつだろ、トーマ」
トーマの一歩前で周囲へ視線を向けながら警戒を解かないレオルドが、軽い口調で声をかけてくる。驚いて振り返るアメリアと、トーマの後ろで静かに見つめるウィルの視線を感じながら、トーマは小さく頷いた。前方から視線を外さなかったライアスとレオルドも、空気で感じ取ったのか場の空気が緊張していくのが分かる。そんな聖女一向の前まで歩みよってきた男は、一瞬表情を硬くするもすぐに笑顔へとすり替えると深く頭を下げた。
「ようこそ、聖女様。長旅お疲れ様で御座いました」
頭を上げ、アメリアへ微笑みかける。優しげな雰囲気に、整った顔立ち、ライアスよりも高い背を持つのに威圧感を感じさせない姿に、事前に怪しいと分かっていなければ疑うと言う事をまずしない相手だろう。
「伯爵自らご足労頂けるとはは存じておらず、恐縮です」
「久しぶりですね、ライアス殿。聖女様がいらっしゃると伺って、待ちきれずにお迎えに上がってしまいました」
お恥ずかしい限りです、と口元を抑え柔らかく微笑む姿に、ライアスもなるほどと口元を緩ませる。ライアスに向けていた視線をアメリアへ、そしてレオルド、トーマ、ウィルへと向けると、ナルディーニはこれはと息を飲む。だが、彼が言葉を口にする前にライアスが割り込んだ。
「アメリア、紹介しよう。こちらはここヴァリスを治めているナルディーニ伯爵だ。そして、こちらが聖女のアメリア。護衛として同行しているのが、手前からレオルド、トーマ、ウィルです」
「初めまして、アメリアと申します」
「これはご丁寧に、聖女様にお会いできるとは夢のようだ…」
スカートの裾を掴み膝を折るアメリアに、ナルディーニは微笑むと左手を胸の前へ出し足を引いて答えた。それから護衛と紹介された男たちへと視線を向けると、やはり微笑みながら軽く頭を下げてくるので、トーマも反射的に頭を下げた。軽く会釈をするレオルド、ウィルとは違い、深く下げてしまうのは日本人特有なので許してほしい。
「ここに滞在中は、是非私の屋敷をお使い下さい」
「そんなお気付かなく、私たちは宿をとりますので…」
「そんな、聖女様を宿に泊めるなど出来ません。どうぞ、屋敷をご利用下さい、実はもう用意をさせてしまっているのですよ」
そう苦笑を浮かべるナルディーニに、アメリアは困ったようにライアスへ視線を向ける。できる限りアメリアだけでも直接の接触は避けさせたかったが、相手は権力のある男だ。誘いを無下にすることも出来ず、結局は承諾せざるを得なかった。お世話になります、と笑顔を浮かべる聖女にナルディーニはありがとうございますと嬉しそうに微笑むと先導するように歩み出す。今まで様子を見守るようにしていた市民達は、ナルディーニが通るであろう場所を空けるようにして道を作っていく。以前の偽聖女の神父の時と同じような状況だが、あの時のような力で抉じ開けているわけではなく、自然と動いていくのだ。皆にこにことして温かい雰囲気が醸し出されている。一目で市民に慕われているのだと分かる状況に、トーマはあの夢が信じられなくなっていった。あれはただの悪夢で、解除者としての力ではないのではないか…そんなことを考えながら歩いていたトーマは、突然後ろから腕を掴まれた事で慌てて思考を戻した。だが体はすでにバランスを崩しており、ぽすんと音を立てて腕を引いた人物、ウィルの胸へと収まる。それと同じタイミングで、トーマの目の前に小さな子供が派手に転び込んできた。
「うわぁ!」
悲鳴を上げて倒れこんだ子供は、片手を突きながら起き上がろうとした。思い切り地面に突っ込んでしまったのだろう、手から顔から擦り傷だらけで頬には血が滲んでいる。今にも泣き出しそうな見るからに痛そうな姿に、トーマはウィルの腕から抜けると一歩前へと足を踏み出す。
「え…き、君、大丈夫…?」
転んでいた子供は、かけられた心配そうな声の方へと顔を上げた。そして、それはトーマにかけられたものだと分かった瞬間に、泣きそうだった顔が一瞬に晴れ、目を輝かせて大きく頷く。突然の子供の変貌振りに分からず戸惑うトーマの前で、子供が立ち上がろうと動き出した。だが、完全に起き上がる前に、バタバタと騒がしい足音が聞こえ人垣が割れたと思うと、おそらく警備の者だろう、武装した男が二人駆け込んできて、あっという間に子供を拘束してしまった。再び地面へと顔を擦りつける方にされた子供が小さくうめき声をあげる。
「申し訳御座いませんでした」
勢い良く頭を下げる男の二人に、呆然とするトーマだったが、その後ろのウィルは小さくため息を吐いた。
「何もそこまで、」
「大事ありません」
する必要は、と言いかけた言葉をウィルが被せるようにしてかき消す。驚いて後ろを振り返ったトーマだったが、彼はこちらには目を向けず子供と警備の男から目を離さない。冷たくなり始めた空気だったが、完全に場の雰囲気が変わる前に、申し訳御座いません!と言う声が響いた。自然と声がした方へと視線を向ければ、カツカツと靴音を響かせながら先頭を歩いていたナルディーニがトーマと警備の男の間へと滑り込んでくる。もう一度申し訳御座いませんと深々とトーマ達へ頭を下げてから、有ろう事か子供を捕えている警備の男へ放してやれと命令をした。警備の男は戸惑いながらも子供の拘束を解くと、子供はゆっくりと起き上がる。ナルディーニは視線を合わせるように子供の前へと片膝をつくと優しげに微笑みかけた。
「君、どうしてこんなことを?」
「花…聖女様へ差し上げようと…」
右手を前へ出せば、少し萎れてしまった白い花が一輪握られている。差し出されている花を、ナルディーニそっと受け取った。
「では、私から渡しておこう。有難う」
「有難うございます!」
子供は嬉しそうに笑うと頭を下げた。素直な反応に頷いていたナルディーニだったが、思い出したように立ち上がるとトーマの方へと体を向き直す。ウィルよりも薄い青い色の瞳に見つめられ、微かだが肩を揺らしてしまう。本当に微かだったので、相手は気づかなかったのか、申し訳なさそうに眉を下げて一歩だけ近づくのみだった。
「トーマ殿、どうかご容赦頂けませんか」
「許すもなにも…俺の方こそぼんやりしてたみたいで…ごめんね?」
トーマは数歩前へ出ると視線を合わせるようにしゃがみ、子供へ声をかけた。すると、子供はやはり目を輝かせながらぶんぶんと首を振って見せる。
「僕の方こそ、御免なさい」
「有難うございます。さあ、もう君は行きなさい」
「はい!伯爵様!」
軽く背を押し促したナルディーニに、子供は会釈をすると人垣の中へと駆け出し、すぐに見えなくなってしまう。消えた後ろ姿を見送るトーマだったが、目の前に突然手が現れた。その手を追う様に視線を上げていけば、ナルディーニの姿があった。
「お手を」
そう微笑みながら声をかけられ、払いのけられるはずもなく、彼の手へ自分の手を重ねれば、軽々と引っ張りあげられた。すみません、と顔を上げると予想以上に近い距離に相手の顔があり、思わず息が止まる。対してナルディーニはにこりと微笑みかけてからトーマの手を放した。
「さて、参りましょう」
何事もなかったように先頭へと戻っていくナルディーニを確認してから、やっと息を吐き出す。あれだけのやり取りだったのにひどく疲れてぐったりしてしまったトーマの肩を、いつの間にか傍に来ていたウィルが撫でた。決して声には出さないが、大丈夫なのかと目で聞いてくる彼に、大丈夫だと込めながら微笑み返す。
「馬車を用意しております。もうすぐですよ」
少し先から聞こえた声に急かされるようにして、トーマとウィルもアメリアたちの後を追った。
用意されていた最高級の馬車に乗り、十分程度揺られればすぐに扉が開けられた。人数が多いため2台に分けての乗車が必要であり、当然に聖女をエスコートする形でナルディーニが同乗するといわれた時は不安だったが、馬車から降りてきたアメリアやライアス達に変わりは無かった。トーマの視線に気づいたアメリアがにこりと微笑み返したのだから、思っていたよりも車内は平和だったのかもしれない。巨大な屋敷の玄関前には、使用人がずらりと並んで頭を下げており、燕尾服を纏った男性と、メイド服の女性が笑顔を浮かべ出迎えてくれている。
「お帰りなさいませ、ご主人様。ようこそおいでくださいました、聖女様」
男性がそう挨拶をしてから、隣のメイドと同時に頭を下げる。すると、後ろで控えていた使用人たちも同じ台詞を復唱した。
「ああ、今戻った。聖女様、このような狭い屋敷では御座いますが、我が家だと思ってお寛ぎ下さい」
使用人と自身の屋敷を背景にして、ナルディーニは笑った。




