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取り乱したトーマが落ち着くまでは、誰も何も口を開かなかった。涙が引きぼやりとしたトーマの瞳に光が戻ってくるのをひたすらに待つ。実際にかかった時間など短かっただろうが、酷く長い沈黙だったと感じてしまう。
「…ごめん、もう大丈夫…」
赤く腫れてしまった目尻を下げ無理矢理に笑う姿は痛々しかったが、心配するアメリアへ大丈夫と強く言い切れば彼女は何も言えなくなる。今は何よりもトーマの見通す力で得た情報が欲しい。そこをアメリアも分かっているので、彼女は大人しく引き下がった。
「今まで見た夢とちょっと違ったから、感情整理するのに時間がかかった…ごめん」
そう前置きしてから、トーマは今さっき夢に見た事を語り始めた。夢はアメリア視点であった事、どこかの塔の最上階に監禁されていた事、その塔からは港やこの船が見えた事、調教と称し性的暴行を加えようとしていたこと。その場面をライアスへ見せつけていた所までは流石に口には出来なかったが、濁して伝えた事により、第三者への見せしめを行った事までは伝わったようだった。
「思い出させるようで悪いんだが…危害を加えてきた男の特徴を教えてくれないか?」
「おい…」
咎めるような声を出しながら、レオルドはアメリアの方へと視線を向ける。トーマの隣に座り話を聞いていた彼女は、気遣うような視線に気づいたのか、うつむき気味だった顔を上げると健気にも笑顔を浮かべると頷いた。
「大丈夫です」
彼女の様子に驚いたレオルドだが、アメリア自身がトーマへ答えるよう促し始めてしまったので、それ以上は何もできずに口を噤んでしまう。その様子に、ウィルがレオルドへ聞こえる程度の声で、逞しくなりましたね、と漏らした感想に同意するように苦笑を浮かべた。その間にトーマは夢で見たと言う男の特徴を口にしていく。長身で、金髪、青い瞳、仕立ての良い服を身に纏い、人好きしそうな表情を浮かべる紳士、口にすればするほど、ライアスの表情は曇っていき、最終的に腕を組み黙りこんでしまう。その様子にトーマが声をかけようか迷っていると、代わるようにしてウィルが声をかけた。
「何か思い当たることがあるのですか?」
「…ああ」
「その男、ナルディーニなんじゃねぇの?」
「え?」
レオルドの発言に、驚いた声を上げたのはトーマだった。アメリアとウィルも理解できないと言った表情でレオルドを見つめるが、ライアスだけは無表情で頷く。
「やはり、お前もそう思うか…」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ナルディーニって反聖女派だったんじゃないの?監禁されてたって言っても、至れり尽くせりって感じだったよ?どちらかって言うと、囲ってるみたいな…」
「っつても、トーマが今言ってた特徴、まんまナルディーニだぜ?」
納得は出来ないが言い返す言葉が見つからず、トーマは助けを求めるようにウィルへ視線を向けると、彼も同じ状況なのだろう小さく首を振って見せる。
「私は、直接ナルディーニ卿を見たことが無いので、何とも…」
「反聖女だからと言って、アメリアへ危害を加えることが目的ではないかもしれない。自分の手駒として扱えている間であれば…相応の対応をすると考えても不思議はないだろう」
「確かに…そうだけど…」
「直接見た方が早いだろ」
「出来れば見たくもないんだけど」
「まあ…トーマの気持ちも分からなくはないが…」
これからについて纏めよう、とライアスが提案すると、室内の空気は張り詰める。夜が更ける中、睡魔等元からなかったように、全員が今後についてどうすべきか意見を出し合うと言う異例な相談が始まった。
後1時間もない内に船はヴァリスへ到着すると告げられ、荷物を纏め終わったトーマは甲板へと出てきた。冷たい潮風に乱れる髪を押さえつけ、小さく見え始めている陸地へと視線を向ける。もうすぐナルディーニと対面するのだと思うと、部屋でじっとしてはいられなかった。それを分かっていたのか、風に当たりに言ってくると告げた彼を、誰も止める事はなかった。口から洩れるため息を潮風がかき消す中、突然ぐしゃりと頭を撫でられる。撫でた張本人は、驚くトーマを気にすることなく隣の柵へ肘を付つけ体を預けるようすると、顔を覗き込んで来る。そして、ひでー顔、と笑った。
「レオルド」
「なーにしてんだよ」
目を細めるレオルドに、トーマは小さく苦笑を浮かべるとそのまま海へと視線を戻す。それに釣られるようにしてレオルドも視線を海へと向ける。お互いそれ以上は何も告げずただ続く沈黙だったが、ふっとトーマが息を吐くと気持ちを切り替えるために、指を組み腕を前へだし伸びをした。
「良かったの?」
「あ?」
「護衛。ライに譲っちゃって」
「ああ…良いんだよ、別に」
そう言って未だに前を眺めているレオルドは、大きく欠伸を漏らした。目尻に浮かんだ涙を指で拭う姿を何とも言えない表情で見つめてしまう。昨夜、到着してからの事を話し合った際に、何かと問題点を指摘したのは彼だった。アメリアを一人にはさせない、必ずライアスと行動を共にする。それが絶対条件で、ライアスの補助としてレオルドがつく。ウィルがナルディーニの動向を探り、それの補助としてトーマがつく。そう決定した内容に異義は無いが、護衛の三人中で一番アメリアを心配しているのはレオルドなのだ。そんな彼が、アメリアを一番に守れる役をライアスに譲った。彼に任せておけば確かに安心だが、好きな人を守る役目を他人に任せると言う判断はそれなりに辛いはずだ。戦え、守る力を持ち合わせているのだから、更に。
「前の偽聖女の時に、思い知った」
「何を?」
「考えんのは苦手ってことだよ」
やっとこちらへ顔を向けてくれたレオルドは、珍しく苦笑を浮かべてた。偽聖女を操っていた神父の誘いに簡単に乗ろうとして、配慮が足りないとバカ扱いして怒鳴りつけた事を思い出し、思わずごめんと謝ってしまう。突然に謝罪だったが、あの時の言い合いの事を指しているとすぐに気付いたレオルドはうっせと笑うと体を起こした。
「実際、お前にあんだけ言われた後に、教会での戦闘を体験すれば嫌でも自覚したよ」
「偉そうな事言ったわりに、結局俺も向こうの罠にハマっちゃったけどね」
「お前なら声なんか出なくてもなんとかなっただろ。強いんだから」
「珍しくレオルドに褒められた」
「うるせぇよ」
薄く頬を赤く染めると、トーマの頭を小突く。軽い力だが、それなりに痛い小突きに浮かべた笑みを引きつらせたトーマだったが、それには気付かなかったのかわざとスルーしたのか…レオルドは薄く微笑んだ。初めて見るようなその優しげな笑いに、トーマは文句を言おうと開きかけた口を思わず閉じてしまった。
「俺に面と向かってバカって言ってくんのは、お前が初めてだよ」
「嘘だぁ」
「んなことで嘘ついてどーすんだ」
「ウィルに言われてそうなのに…」
「あいつは性格わりぃから、遠まわしにバカにしてくる」
「ああ、なるほど…」
「まあ、お前に言われてからさ、俺なりに考えて行動しようと思ったんだ。アメリア守んにはどうしたら一番良いのかってな。俺よりも頭回って、強くて、安心して任せられんのライしかいねーだろ」
悔しいけどな、と笑うレオルドに、正直驚いた。気付かない内に年下の彼は成長していて、その切欠は自分の言葉だったなんて…こんなにも嬉しい事なのだと初めて知る。
「良い男になったじゃん?」
「元からだろ」
からかう様に笑いかければ、ニヤリと笑って返される。この定番な掛け合いに乗ってくれる彼は、粗暴な言動が多いが、基本的には優しい人なのだ。
潮風で揺れる髪やマントを気にする事無く遊ばせ、海面から反射した光を受ける姿は3割増しに格好良いのに、それを上回る程の格好いいセリフを口にする。駄目押しで優しげに笑えるようになった青年。この調子ならアメリアを任せられると安心しながらも、可愛い妹分を取られてしまうのが悔しくて。
「バカ」
内に込められた意味を察してか、罵倒の言葉にレオルドは嬉しそうに笑い返した。




